そんなIFを表現出来たら幸いです。
剣を振るう理由など、人によって違う。
名誉のために振るう者もいれば、金のために振るう者もいる。己の強さを世に知らしめるため、ただひたすら頂を目指す者もいるだろう。
コジローにとって、それはどれも間違いではなかった。
人が何を求めて剣を取ろうと、その剣筋に偽りがなければよい。
ただ、彼自身には、さほど大層な理由はなかった。
鳥が空を飛び、魚が水を泳ぐように、己は剣を振るう。
それだけのことだった。
◇
「フィットア領へ、ですか」
グレイラット本家の一室。
差し出された封書を前に、コジローはわずかに首を傾けた。
「ああ。ボレアス家のフィリップ殿へ届けてもらいたい」
重厚な机を挟んだ向こう側で、本家の当主がうなずく。
本来ならば、こうした使いは家臣の仕事である。
しかし今回の書状には、少々込み入った事情が含まれているらしい。信用でき、なおかつ道中で何が起きても対処できる者が望ましいとのことだった。
「無論、無理にとは言わぬ。お主は我が家の家臣ではないからな」
「いや」
コジローは穏やかに答えた。
「屋根と食事を借りた身なれば、この程度の使いを惜しむ道理もあるまい」
当主が苦笑する。
「お主の言う“一宿一飯”は、随分と長いものだな」
「さて。受けた恩の重さとは、返す側が決めるものでもあるまいよ」
コジローがこの屋敷に身を置くようになったのは、数年前のことである。
当時の彼は、行く当てもなく各地を巡っていた。
旅の途中で荒天に見舞われ、雨をしのぐ場所を求めた先で、偶然グレイラット家の一行と出会った。与えられたのは、暖かな食事と一夜の寝床。そして、過去を詮索しないという心遣いだった。
彼らにとっては、気まぐれに旅人を助けただけだったのかもしれない。
だが、コジローにとっては違った。
受けた情けを知らぬ顔で踏みにじるほど、無粋にはなれない。
ゆえに、しばし屋敷へ身を寄せ、頼まれれば剣を教え、時には使いも引き受けてきた。
あくまで客人。
あくまで旅人。
それでも頼まれた仕事は、最後まで果たす。
それが彼なりの筋の通し方であった。
「承知した。フィリップ殿へ、これを届ければよいのだな」
「ああ。返書があれば持ち帰ってくれ。急ぎではない。先方も歓待してくれるだろうから、数日は羽を休めてくるといい」
「歓待とは、いささか面映ゆいな」
そう言いながら、コジローは封書を懐へ収めた。
立ち上がると、壁際に立て掛けていた長大な得物を手に取る。
この国で一般的に使われる剣と比べても、明らかに長い。
細身の鞘に収められたそれは、武器というより、長い棒のようにも見えた。
見慣れない者ならば、果たしてまともに抜けるのかと疑問に思うだろう。
だがコジローは、まるで枝の一本でも拾い上げるかのように、自然な仕草でそれを腰へ帯びた。
「では、行って参る」
「気をつけてな」
「さて。道中に咲く花を眺める程度の余裕はあろうよ」
軽く一礼し、コジローは部屋を後にした。
◇
フィットア領までの道程は、穏やかなものだった。
季節は暖かく、街道沿いには小さな花が咲いている。
荷馬車の車輪が土を踏み、遠くでは鳥が鳴いていた。
コジローは馬車へ乗ることもできたが、その大半を歩いて過ごした。
急ぐ旅ではない。
風の流れを感じ、道端の草花を眺めながら進む方が、彼の性には合っていた。
道中、何度か旅人から腰の得物について尋ねられた。
あまりの長さに驚く者。
珍しい魔剣ではないかと勘繰る者。
売ってほしいと申し出る商人までいた。
そのたびにコジローは、笑って首を横に振った。
説明するほどのものではない。
彼にとっては、長年連れ添った一振りにすぎなかった。
やがて遠方に、城塞都市ロアの外壁が見えてくる。
街道を行き交う人の数も増え、領都らしい活気が耳に届き始めた。
「ほう」
コジローは足を止め、しばし街並みを眺めた。
整えられた道。
遠くにそびえる貴族の屋敷。
そして、その向こうに広がる青い空。
「風も花も、土地が変われば趣が違うものだ」
誰に聞かせるでもなく呟き、再び歩き出す。
目指すは、フィットア領を治めるボレアス・グレイラット家の屋敷。
この時のコジローにとって、今回の旅はただの使いにすぎなかった。
書状を届け、返事を受け取り、本家へ戻る。
それで終わるはずだった。
◇
同じ頃。
ボレアス邸の庭には、木剣の打ち鳴らされる音が響いていた。
「踏み込みが遅い!」
「わかってるわよ!」
赤髪の少女――エリスが、勢いよく木剣を振り下ろす。
その一撃を、ギレーヌは最小限の動きで受け止めた。
「腕だけで振るな。足と腰を使え」
「やってるわ!」
「できていない」
「むきぃーっ!」
相変わらずである。
少し離れた場所から稽古を眺めていた俺は、心の中で苦笑した。
エリスの剣術は、以前に比べれば見違えるほど上達している。
ただ、熱くなると力任せになる癖は、なかなか抜けないらしい。
まあ、そこがエリスらしいと言えば、エリスらしいのだが。
「もう一度よ!」
エリスが木剣を構え直した、その時だった。
ギレーヌの獣耳が、ぴくりと動いた。
「……!」
さっきまでエリスだけを見ていた目が、突然、屋敷の正門へ向けられる。
姿勢がわずかに低くなる。
尻尾も動きを止めていた。
明らかな警戒態勢だ。
「どうしたんですか、ギレーヌ?」
俺が声を掛けても、ギレーヌはすぐには答えなかった。
正門の向こう。
まだ姿すら見えない何者かを探るように、金色の目を細めている。
やがて、短く口を開いた。
「……誰か来る」
「お客さん?」
「分からない」
ギレーヌの手が、腰の剣へ近づく。
その反応を見て、俺の背筋にもわずかな緊張が走った。
ギレーヌは、ただ人が近づいてきた程度でこんな顔はしない。
「敵ですか?」
「敵意は感じない」
そこで一度、言葉が切れた。
ギレーヌは何かを測るように、しばらく門を見つめ続けた。
「だが……」
低く、確信を込めて言った。
「強い」
エリスが目を輝かせた。
「強い人が来るの!?」
「まだそうと決まったわけじゃ……」
俺が止めるより早く、エリスは正門へ向かって駆け出していた。
「ちょっと、エリス!」
慌ててその後を追う。
ギレーヌも無言で続いた。
その耳は、正門へ近づく何者かの足音を、一つも聞き逃すまいと立てられていた。