無職転生~異聞 月下の剣士   作:彼岸花さつき

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第十一月 最寄りの町まで三日間

最寄りの町まで三日間

 

 翌朝。

 

 俺たちは、日が高くなる前にミグルド族の里を出発することになった。

 

 里の入り口へ向かうと、昨日と同じ場所にロインが立っていた。

 

「おはようございます。今日も門番ですか?」

 

「ああ。狩りに出た者たちが戻るまではな」

 

 俺は魔神語で挨拶を交わした。

 

 昨日は夜になっても、狩りへ出た男たちの姿を見なかった。ひょっとすると、ロインは夜通しここに立っていたのかもしれない。

 

 朝も昼も夜も、村の入り口でじっと立ち続ける。

 

 実にRPGの門番らしい働きぶりである。

 

「もう行くのか?」

 

「ええ。故郷までは遠いですから」

 

「そうか……。できれば、もう少し娘の話を聞きたかったんだが」

 

「僕も、師匠の子供時代には興味があります」

 

 幼い頃のロキシーは、どんな子供だったのか。

 

 昔からあのように落ち着いていたのか。それとも案外、エリスのように騒がしい子供だったのか。

 

 寝相や好き嫌いなども、弟子としては押さえておくべき重要事項である。

 

 決して、好奇心だけではない。

 

「またロキシーに会えたら、里へ連絡するよう伝えます」

 

「頼む」

 

 ロインは深々と頭を下げた。

 

 俺が同じように頭を下げると、彼は何かを思い出したように顔を上げた。

 

「少し待っていてくれ」

 

 そう言い残し、里の中へ駆けていく。

 

 エリスが首を傾げた。

 

「どうしたの?」

 

「何か持ってきてくれるようです」

 

「食べ物かしら?」

 

「お嬢は朝食を食べたばかりであろう」

 

 コジローが横から口を挟む。

 

「旅では、食べられる時に食べるのよ!」

 

「なるほど。旅人としては見上げた心掛けよな」

 

「でしょ!」

 

 褒められたつもりらしい。

 

 コジローの目元が、ほんのわずかに和らいでいた。

 

 しばらくして、ロインが一人の女性を連れて戻ってきた。青い髪と、幼さの残る顔立ち。傍目には若い娘にしか見えない。

 

「妻のロカリーだ」

 

「ロカリーです」

 

「ルーデウス・グレイラットです。ロキシー先生には、大変お世話になりました」

 

「先生……?」

 

 ロカリーは意外そうに目を瞬かせた。

 

「あの子に、人へ教えられるようなことがあったのですか?」

 

 母親からの評価が低い。

 

「魔術だけではありません。言葉も、世界の広さも教えてもらいました。ロキシー先生がいなければ、僕は今のように外を旅することもできなかったと思います」

 

「そう……」

 

 ロカリーは目を伏せ、嬉しそうに微笑んだ。

 

 長く帰らない娘が、遠い土地で誰かの人生を変えていた。

 

 その事実は、親にとって悪い知らせではないだろう。

 

 俺は人間語に切り替え、エリスとコジローへ説明した。

 

「ロキシー先生のご両親です」

 

「ルーデウスの師匠の?」

 

「はい」

 

 エリスは興味深そうにロイン夫妻を眺めたが、それ以上のことは言わなかった。

 

 コジローは二人へ向き直り、静かに頭を下げた。

 

 言葉は通じていない。

 

 それでも挨拶であることは伝わったらしく、ロインとロカリーも戸惑いながら礼を返した。

 

「こちらは、旅の仲間からの挨拶です」

 

「そうか」

 

 ロインは頷くと、抱えていたものを俺へ差し出した。

 

 一振りの剣だった。

 

 片刃で幅が広く、刀身はわずかに湾曲している。普通の長剣より短いが、子供が扱うには十分な長さがある。

 

 鞘や柄には細かな傷が刻まれているものの、抜いてみると刃こぼれは見当たらなかった。

 

「昔、里へ立ち寄った鍛冶師から譲られたものだ。長く使ったが、頑丈な剣だ」

 

「そんな大切なものを、よろしいのですか?」

 

「ルイジェルドと、そちらの男が一緒とはいえ、子供が丸腰では落ち着かん」

 

 俺には杖がある。

 

 つまり、エリスのために持ってきてくれたのだろう。

 

「コジロー。少し見てもらえますか?」

 

「承知した」

 

 コジローは剣を受け取ると、刀身を朝日にかざした。

 

 握りを確かめ、片手でゆっくりと切っ先を動かす。大きく振ることもなく、しばらく眺めた後で鞘へ戻した。

 

「よく働く刃よ。少々重いが、お嬢の腕ならば不足はあるまい」

 

「本当!?」

 

「振り回されぬようにな」

 

「そんな失敗しないわよ!」

 

 エリスは剣を受け取ると、周囲に誰もいないことを確認してから、横薙ぎに一度振った。

 

 風が短く鳴る。

 

 剣の重さに引かれることもなく、きちんと止めてみせた。

 

「いいわね、これ!」

 

 満足そうな声だった。

 

 俺がロインへ意訳して伝える。

 

「大切に使うそうです」

 

 間違ってはいない。

 

 ロインはエリスの姿を見て、小さく頷いた。

 

「それから、これも持っていけ」

 

 続いて渡されたのは、小さな革袋だった。

 

 中には石や鈍い色の金属で作られた硬貨が入っている。

 

「大した額ではないが、宿に数日泊まる程度にはなる」

 

「剣だけでなく、お金まで……」

 

「娘が無事だと知らせてくれた礼だ。遠慮しないでくれ」

 

 遠慮できるほど、俺たちの懐事情は豊かではない。

 

 ありがたく受け取ることにした。

 

「いつか必ず、お返しに来ます」

 

「返さなくてもいい」

 

「では、ロキシー先生を連れてきます」

 

「それが一番ありがたい」

 

 ロインが、ようやく笑った。

 

 別れ際、ロカリーが俺の手を握った。

 

「あの子に会ったら、元気でいてくれればそれでいいと伝えてください」

 

「はい、お義父さんと呼ばせてもらってもいいですか?」

 

「はっはは……ダメだ」

 

 真顔で拒否された。ちょっとショック。

 

「冗談はさておき、帰りたくなった時に、帰ってくればいいとも」

 

 口ではそう言いながら、その手には力が込められていた。

 

 本当は帰ってきてほしいのだろう。

 

 それでも、自分たちのために娘を縛る言葉は選ばない。

 

「必ず伝えます」

 

 俺が答えると、ロカリーはゆっくりと手を離した。

 

 ◇

 

 里が岩陰に隠れ、見えなくなった頃。

 

 コジローが一度だけ、歩いてきた方角を振り返った。

 

「よき親御であったな」

 

「言葉は分からなかったでしょう?」

 

「別れを惜しむ顔に、言葉はいらぬよ」

 

「ロキシー先生は、二十年以上も里へ帰っていないそうです」

 

「左様か」

 

 コジローは前へ向き直った。

 

「帰る場所がある者ほど、帰るきっかけを見失うこともあるのであろうな」

 

 その言葉が、誰に向けられたものなのかは分からなかった。

 

 ロキシーへか。

 

 それとも、自分自身へか。

 

 俺はそれ以上尋ねず、自分の家族を思い浮かべた。

 

 パウロ。

 

 ゼニス。

 

 リーリャ。

 

 ノルンとアイシャ。

 

 皆、無事なのだろうか。

 

 俺たちと同じように、見知らぬ土地へ飛ばされたのかもしれない。

 

 考え始めれば、不安はいくらでも湧いてくる。

 

 けれど、今は答えを探す手段すらない。

 

 まずは町へ行く。

 

 人の集まる場所なら、情報を集める方法も、手紙を送る手段も見つかるかもしれない。

 

「最寄りの町までは、どのくらい掛かりますか?」

 

「三日だ」

 

 ルイジェルドが即答した。

 

「三日間、ずっと野宿ですか」

 

「ああ」

 

 アスラ王国の街道なら、途中に宿場があることも珍しくない。

 

 しかし、見渡す限り岩と赤土ばかりの魔大陸に、そんな親切なものを期待する方が間違っている。

 

「野営の仕方を教えていただけませんか?」

 

「覚えてどうする」

 

「これからの旅で使います」

 

 ルイジェルドは少し考え、頷いた。

 

「分かった」

 

 この時点で、彼に同行してもらって正解だったと改めて思った。

 

 ルイジェルドは道を知っている。

 

 水場を見つけられる。

 

 野営に適した場所を選べる。

 

 そして、額の眼で周囲の生き物を察知できる。

 

 強いだけの護衛ではない。

 

 魔大陸で生きるために必要なものを、ほとんど一人で備えていた。

 

 コジローも旅慣れているが、この土地については知らない。

 

「まずは火だ」

 

 ルイジェルドが言った。

 

「だが、この辺りには薪になる木がない」

 

「どうするんですか?」

 

「魔物を狩る」

 

 食料が欲しければ魔物。

 

 住居が欲しければ魔物。

 

 燃料が欲しくても魔物。

 

 魔大陸では、困った時には何でも魔物を狩ればいいらしい。

 

 実に分かりやすい。

 

 俺が物騒な感心をしていると、ルイジェルドが足を止めた。

 

 額の赤い宝石が、わずかに光を反射する。

 

「ちょうど近くにいる。ここで待っていろ」

 

 槍を握り、走り出そうとする。

 

「待ってください」

 

「なんだ」

 

「僕たちも戦います」

 

 ルイジェルドの眉が寄った。

 

「子供は待っていろ」

 

「昨日、僕らを戦士として認めると言いましたよね」

 

「認めた。だが、危険な魔物と戦わせるとは言っていない」

 

 どうやら、彼の中では俺たちはあくまで保護対象らしい。

 

 気持ちはありがたい。

 

 だが、すべての戦闘を任せていては、いつまで経っても魔大陸で生き残る力は身につかない。

 

 ルイジェルドが常にそばにいる保証はない。

 

 コジローだって同じだ。

 

 二人と離れた時、俺とエリスだけで戦わなければならない状況もあるだろう。

 

「ルイジェルド」

 

 敬称を外して呼ぶと、彼の表情が変わった。

 

「俺たちは、お前の目的に力を貸す。お前も、俺たちの帰還に力を貸す。なら、片方だけが守られる関係じゃない」

 

 ルイジェルドの目を見上げる。

 

「仲間として、戦士として扱ってほしい」

 

 しばしの沈黙。

 

 エリスは驚いた顔で俺を見ていた。

 

 コジローは何も言わない。ただ、ルイジェルドの返答を待っている。

 

 やがて、ルイジェルドが息を吐いた。

 

「……分かった」

 

 その目が、俺からエリスへ移る。

 

「お前たちを戦士として扱う。だが、俺が退けと言った時は必ず従え」

 

「はい」

 

「分かったわ!」

 

 エリスが胸を張る。

 

「お嬢」

 

 コジローが静かに呼んだ。

 

「何よ?」

 

「今の返事を、刃を交える時にも覚えておくことだ」

 

「分かってるわよ!」

 

 少し不安である。

 

 ◇

 

 最初に戦うことになったのは、ストーントゥレントという魔物だった。

 

 トゥレントとは、魔力の影響で魔物へ変化した植物の総称である。

 

 普通は木に擬態しているらしいが、ストーントゥレントは巨大な種の状態で岩に化けている。獲物が近づくと、岩のような殻を開いて一気に成長し、枝を伸ばして襲いかかってくるのだという。

 

 ルイジェルドに指さされても、俺には周囲の岩との違いが分からなかった。

 

「注意することはありますか?」

 

「火は使うな」

 

「火が効かないんですか?」

 

「燃えれば薪にできん」

 

「なるほど。では水は?」

 

「濡れれば燃えにくい」

 

 魔物というより、すでに燃料として見ているらしい。

 

「まずは、僕とエリスで戦ってみます。危なくなった時だけお願いします」

 

「俺は見ていればいいのか」

 

「僕たちがどの程度戦えるか、確認してください」

 

「分かった」

 

 エリスが、もらったばかりの剣を抜いた。

 

 俺は傲慢なる水竜王(アクアハーティア)を構える。

 

 コジローは少し後ろへ下がった。

 

 背負った長刀へ手を掛けてはいない。それでも、何かあればすぐ割り込める位置だった。

 

「僕が先に魔術を撃ちます。弱ったところをお願いします」

 

「任せなさい!」

 

 俺は杖の先へ魔力を集めた。

 

 魔物へ魔術を撃つのは初めてだ。

 

 中途半端な攻撃で怒らせるより、最初は強めに撃った方が安全だろう。

 

 拳より少し大きな岩を作る。

 

 硬く。

 

 速く。

 

 高速で回転させ、着弾時に力が内側へ伝わる形に整える。

 

岩砲弾(ストーンキャノン)!」

 

 岩の弾丸が、空気を切り裂いて飛んだ。

 

 轟音。

 

 擬態していたストーントゥレントへ直撃し、岩のような外殻ごと内側から弾け飛ぶ。

 

 木片と枝が、雨のように周囲へ降り注いだ。

 

 エリスは駆け出した姿勢のまま、目を見開いていた。

 

 斬るべき相手は、どこにも残っていない。

 

「……ルーデウス」

 

「はい」

 

「何が弱らせるよ! 斬るところが残ってないじゃない!」

 

「すみません。少し威力を間違えました」

 

「少しじゃないわよ!」

 

 怒られた。

 

「見事な一撃よ」

 

 コジローが、飛んできた木片を長刀の鞘で払いながら言った。

 

「獲物ばかりか、お嬢の出番まで吹き飛ばしたがな」

 

「コジローまで笑うんじゃないわよ!」

 

「さて。私は事実を述べたまでよ」

 

 完全に面白がっている。

 

 ルイジェルドは散らばった破片を拾い、断面を確かめていた。

 

「その杖は、魔道具か?」

 

「いいえ。材料は高価らしいですが、普通の杖です」

 

「詠唱していなかったが」

 

「細かく形を変える時は、無詠唱の方がやりやすいんです」

 

「……そうか」

 

 ルイジェルドは、改めて俺と杖を見比べた。

 

「今のが最大か?」

 

「もっと威力を上げることもできます。着弾と同時に爆発させることも」

 

「仲間の近くでは使うな」

 

「僕も、たった今そう思いました」

 

 掠っただけで腕や足が吹き飛びかねない。

 

 前衛がいる戦いでは、威力が高ければいいというものではないらしい。

 

「小僧」

 

 コジローが声を掛けてきた。

 

「はい?」

 

「敵を倒すことばかりが援護ではあるまい」

 

 鞘の先で、地面に短い線を引く。

 

「足を止め、向きを変え、退路を塞ぐ。それだけでも、前に立つ者は随分と剣を振りやすくなるものよ」

 

「なるほど……」

 

 俺はこれまで、一人で敵を倒す方法ばかり考えていた。

 

 泥沼。

 

 土壁。

 

 風。

 

 霧。

 

 直接殺さなくても、使える魔術はいくらでもある。

 

「次は、わたしにもちゃんと戦わせなさい!」

 

「はい。次は気をつけます」

 

「本当に分かってるでしょうね?」

 

 信用がない。

 

 ◇

 

 その日、俺たちは移動しながら何度か魔物と戦った。

 

 大王陸亀は、ルイジェルドが倒した。

 

 岩山と見間違えるほどの巨体だったが、彼は正面から駆け上がり、三叉槍を頭部へ突き立てた。

 

 たった一撃。

 

 巨体がゆっくりと傾き、大地を揺らして倒れた。

 

 無駄な動きが何一つない。

 

 俺がストーントゥレントを派手に爆散させたのが、少し恥ずかしくなる。

 

 隣では、コジローが倒れた魔物とルイジェルドを交互に眺めていた。

 

「どうでした?」

 

「見事なものよ。獲物の癖も、地の利も、己の間合いも知り尽くしておる」

 

 強い、ではない。

 

 長年この土地を歩いてきた戦士の技として見ているらしい。

 

 次に現れたアシッドウルフは、エリスが一人で相手をした。

 

 狼が口を開いた瞬間、ルイジェルドの声が飛ぶ。

 

「右だ!」

 

 エリスは迷わず横へ跳んだ。

 

 吐き出された酸が地面へ落ち、白い煙を上げる。

 

 着地と同時に踏み込み、剣を横薙ぎに振り抜いた。

 

 狼の首が宙を舞う。

 

 返り血を浴びたエリスは一瞬だけ顔をしかめたが、剣を落とすことも、立ち尽くすこともなかった。

 

「どうよ!」

 

 剣についた血を払い、得意げに振り返る。

 

「見ていましたよ」

 

 俺は血の臭いだけで少し気分が悪い。

 

 エリスの方が、よほど肝が据わっている。

 

「初めてにしては悪くない」

 

 ルイジェルドが言った。

 

「当然よ!」

 

「エリス殿」

 

 続いてコジローが呼びかける。

 

「斬った後こそ、相手から目を外すでないぞ」

 

「もう死んでたじゃない」

 

「死んだと思うた獣に足を噛まれては、少々格好がつかぬであろう?」

 

「……次は見るわ」

 

 褒められた後だからか、素直に頷いた。

 

 その次のストーントゥレントは、俺が威力を抑えて攻撃した。

 

 今度こそエリスが斬れる程度に弱らせるつもりだった。

 

 結果、やはり一撃で死んだ。

 

 加減というものは難しい。

 

 少なくとも、きちんと調整できるまでは、人へ向けて使うべきではないだろう。

 

 そして夕方。

 

 二十匹近いパクスコヨーテの群れと遭遇した。

 

 一匹一匹はそれほど大きくない。

 

 だが、すべてが一つの意思で動いているかのように、正面と左右へ分かれて俺たちを囲もうとしていた。

 

「エリス、前だ!」

 

「分かったわ!」

 

 ルイジェルドの指示で、エリスが正面の一匹へ斬りかかる。

 

 一匹目を斬り伏せた直後、左右から二匹が跳びかかる。

 

 ルイジェルドの槍が動いた。

 

 一匹の牙を穂先で逸らし、もう一匹の足を石突きで払う。倒れた獣へ、エリスの剣が振り下ろされた。

 

 ルイジェルドは、自分で仕留めようとはしていない。

 

 エリスが戦いやすいように、危険な動きだけを潰している。

 

 俺は杖を構えたまま、手を出せずにいた。

 

 岩砲弾(ストーンキャノン)を撃てば、エリスまで巻き込みかねない。

 

 だが、このまま眺めているだけでは、戦士として扱えと言った意味がない。

 

 コジローの言葉を思い出す。

 

 倒すことばかりが、援護ではない。

 

 右から回り込もうとする数匹へ杖を向ける。

 

「泥沼!」

 

 獣たちの足元が、突然柔らかく沈んだ。

 

 二匹が足を取られ、後ろから続いた個体がぶつかって隊列を崩す。

 

 反対側へは、低い土壁を作った。

 

 完全に道を塞ぐのではなく、進める場所を狭める。

 

 群れの動きが正面へ集中した。

 

「壁を少し下げろ!」

 

 ルイジェルドの指示が飛ぶ。

 

 見ると、壁がエリスの退路まで狭めていた。

 

「はい!」

 

 すぐに形を崩し、半歩分だけ後ろへ作り直す。

 

 まだまだ未熟だ。

 

 一匹が泥を飛び越え、俺へ向かってきた。

 

 魔術を切り替えるより早く、金属音が弾けた。

 

 獣の身体が横へ逸れ、地面を転がる。

 

 その時には、コジローの手に長刀があった。

 

 刃には血の跡がない。

 

 峰で打ち払ったらしい。

 

「術を続けよ」

 

「はい!」

 

 俺は泥沼の形を変える。

 

 抜け出そうとする獣の足元だけを沈ませ、逃げ道を狭める。

 

 ルイジェルドが群れ全体を誘導し、エリスがその隙間へ剣を差し込んでいく。

 

 一匹。

 

 二匹。

 

 三匹。

 

 疲れてくると、エリスの振りは少しずつ大きくなった。

 

 それでもルイジェルドの指示には従い、無理に追いかけることはしない。

 

 コジローは俺のそばを離れず、背後や側面へ抜けた獣だけを止めていた。

 

 やがて、最後の一匹が地面へ倒れた。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 エリスは剣を杖代わりにして、荒い息を整えている。

 

 頬と腕に、浅い傷が三つほどあった。

 

 俺はすぐに駆け寄った。

 

「神なる力は芳醇なる糧──ヒーリング」

 

 傷が淡い光に包まれ、塞がっていく。

 

「ありがと」

 

「大丈夫ですか?」

 

「余裕よ!」

 

 得意げに笑った顔には返り血が付いていた。

 

 袖で拭ってやると、エリスが不満そうに口を曲げる。

 

「むぐっ」

 

「今日が初めての実戦でしょう?」

 

「関係ないわ。全部ギレーヌに教わったもの」

 

 教わったことを、実戦でもそのまま出せる。

 

 簡単そうに言っているが、それは大した才能だと思う。

 

「ルイジェルド。エリスはどうですか?」

 

「鍛え続ければ、一流の戦士になる」

 

「本当!?」

 

 疲れていたはずのエリスが、勢いよく顔を上げた。

 

「ああ。だが、前ばかりを見る癖がある。周囲も見ろ」

 

「分かったわ!」

 

 褒められた直後は素直である。

 

「コジローは?」

 

 期待に満ちた目が向けられる。

 

「よき踏み込みであった」

 

「ふふん!」

 

「されど、疲れると肩に力が入る。息が上がった時ほど、刃を軽く持つことよ」

 

「……分かったわ」

 

 こちらの忠告にも素直に頷いた。

 

 俺は倒れたパクスコヨーテと、三人の位置を見回した。

 

 エリスが前に立つ。

 

 俺が後ろから魔術で動きを制限する。

 

 ルイジェルドが全体を見て指示し、危険な敵を取り除く。

 

 コジローが俺の周囲と、四人の間に生まれた隙を塞ぐ。

 

「今後は、ひとまず今の形を基本にしましょう」

 

「基本?」

 

「エリスが前衛。僕が後方から援護します。ルイジェルドは全体を見ながら、指示と救援を。コジローには、僕の周囲と側面をお願いします」

 

「心得た」

 

「状況が変われば、俺が指示を出す」

 

 ルイジェルドが言った。

 

「お願いします」

 

 これで陣形が完成した、とは思わない。

 

 俺の土壁はエリスの退路を塞ぎかけたし、泥沼も敵の動きを完全には止められなかった。

 

 エリスとの呼吸も、ルイジェルドの指示を聞く速さも、まだ改善の余地だらけだ。

 

 それでも。

 

 四人で戦う最初の形ぐらいは、見え始めた気がした。

 

 ◇

 

 その日の夕食は、大王陸亀の肉だった。

 

 食べきれない分は薄く切り、ルイジェルドの指示で干し肉にする。残りをストーントゥレントの木片で起こした火にかけた。

 

 一口噛む。

 

「…………」

 

 硬い。

 

 生臭い。

 

 噛んでも噛んでも、口の中から消えてくれない。

 

 ルイジェルドは、大王陸亀の肉は食べられると言っていた。

 

 確かに食べられる。

 

 食べられることと、おいしいことは別問題なのだと身に染みて分かった。

 

「意外とおいしいわね!」

 

 エリスは楽しそうに肉へかじりついていた。

 

「本気ですか?」

 

「こういうの、一度やってみたかったのよ。焚き火で焼いた肉を食べるの!」

 

 味ではなく、状況を楽しんでいるらしい。

 

 冒険者だったギレーヌから話を聞き、憧れていたのだろう。

 

「コジローは平気なんですか?」

 

「腹を満たすには十分よ」

 

 おいしいとは言わなかった。

 

「生でも食える」

 

 ルイジェルドが付け加えた。

 

 エリスの目が輝く。

 

「試して──」

 

「駄目です」

 

 言い終わる前に止めた。

 

 寄生虫や病原菌がいるかもしれない。治癒魔術で腹の中の虫まで都合よく消せる保証はないのだ。

 

 冒険はしても、衛生観念まで捨てるつもりはない。

 

 食事を終えると、ルイジェルドがエリスへ剣の手入れを教え始めた。

 

「血を残すな。臭いを嗅ぎつけて、別の魔物が寄ってくる」

 

「拭けばいいのね?」

 

「刃に異常がないかも確認しろ。武器を扱うなら、管理まで自分で行え」

 

 エリスは真剣な顔で剣を拭っている。

 

 少し離れた場所では、コジローも背負っていた長刀を膝へ載せていた。

 

 鞘からわずかに刃を覗かせ、火の光で状態を確かめている。

 

 扱う武器も、手入れの方法も違う。

 

 だが、武器へ向ける目つきには、ルイジェルドと共通するものがあった。

 

「そういえば」

 

 俺はルイジェルドの槍を見た。

 

「その槍は、何で作られているんですか?」

 

「俺だ」

 

「……はい?」

 

 比喩かと思ったら、物理的な話だった。

 

 スペルド族は、生まれた時に三叉の尾を持っている。

 

 尾は身体と共に成長し、一定の年齢になると硬化して身体から離れる。それが、その者だけの槍になるのだという。

 

 身体から離れた後も槍は持ち主の一部であり、使い続けるほど硬く、鋭くなっていく。

 

「槍は、スペルド族の魂だ。死ぬまで手放してはならない」

 

 ルイジェルドは、手にした白い槍へ目を落とした。

 

 それは彼自身から生まれた槍ではない。

 

 息子が最期に残した魂だ。

 

 だからこそ、彼にとっては自分の命よりも重いのだろう。

 

「コジローのカタナも、魂なの?」

 

 エリスが尋ねた。

 

「さて」

 

 コジローは長刀を鞘へ戻した。

 

「これは、人の手で鍛えられた鉄にすぎぬ」

 

「じゃあ、違うの?」

 

「そなたらの槍とはな」

 

 鞘の上へ、そっと手を置く。

 

「されど、幾度も振れば、重みも癖も己の手に馴染む。手足と同じとまでは言わぬが、粗末に扱えば、いざという時に応えてはくれまい」

 

 ルイジェルドがコジローを見る。

 

「魂ではないのか」

 

「そう呼ぶ者もおろう」

 

 コジローは穏やかに答えた。

 

「槍が身より生まれるそなたらと、同じとは申せぬ。ただ、今しばらく共に歩く相手ではある」

 

 ルイジェルドは何も答えなかった。

 

 ただ、息子の槍を握る手から、わずかに力を抜いた。

 

 考え方は違う。

 

 けれど、互いが武器を粗末にしないことだけは理解したのだろう。

 

 焚き火の向こうで、二人の距離がほんの少し縮まったように見えた。

 

 ◇

 

 その後も、俺たちは魔物との戦闘と野営を繰り返した。

 

 水場の探し方。

 

 風を避けられる岩陰の選び方。

 

 足跡から魔物の種類と進んだ方向を判断する方法。

 

 肉を保存し、少ない水を無駄にしない方法。

 

 ルイジェルドから教わることは多かった。

 

 俺は敵を直接撃ち抜くより、足場を崩し、動きを誘導する魔術を試した。

 

 エリスは実戦を重ねるたび、ルイジェルドの指示へ早く反応できるようになった。

 

 コジローは普段、ほとんど口を挟まない。

 

 ただし、間合いが近すぎた時や、疲れて視線が狭くなった時だけ、短い言葉を投げた。

 

 四人の歩調が、少しずつ揃っていく。

 

 そして三日目。

 

 岩の丘を越えた先に、荒野とは明らかに異なる影が見えた。

 

「あれが町だ」

 

 ルイジェルドが言った。

 

 ようやく最初の目的地へ辿り着いた。

 

 これで食料や装備を整えられる。

 

 冒険者として金を稼ぐ方法も探せるだろう。

 

 少しだけ安心した後、俺は隣に立つルイジェルドを見上げた。

 

 緑色の髪。

 

 額の赤い宝石。

 

 顔を縦に走る傷。

 

 どこからどう見ても、世界中で恐れられているスペルド族である。

 

 さて。

 

 この姿のまま、どうやって町へ入ったものか。

 

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