最寄りの町まで三日間
翌朝。
俺たちは、日が高くなる前にミグルド族の里を出発することになった。
里の入り口へ向かうと、昨日と同じ場所にロインが立っていた。
「おはようございます。今日も門番ですか?」
「ああ。狩りに出た者たちが戻るまではな」
俺は魔神語で挨拶を交わした。
昨日は夜になっても、狩りへ出た男たちの姿を見なかった。ひょっとすると、ロインは夜通しここに立っていたのかもしれない。
朝も昼も夜も、村の入り口でじっと立ち続ける。
実にRPGの門番らしい働きぶりである。
「もう行くのか?」
「ええ。故郷までは遠いですから」
「そうか……。できれば、もう少し娘の話を聞きたかったんだが」
「僕も、師匠の子供時代には興味があります」
幼い頃のロキシーは、どんな子供だったのか。
昔からあのように落ち着いていたのか。それとも案外、エリスのように騒がしい子供だったのか。
寝相や好き嫌いなども、弟子としては押さえておくべき重要事項である。
決して、好奇心だけではない。
「またロキシーに会えたら、里へ連絡するよう伝えます」
「頼む」
ロインは深々と頭を下げた。
俺が同じように頭を下げると、彼は何かを思い出したように顔を上げた。
「少し待っていてくれ」
そう言い残し、里の中へ駆けていく。
エリスが首を傾げた。
「どうしたの?」
「何か持ってきてくれるようです」
「食べ物かしら?」
「お嬢は朝食を食べたばかりであろう」
コジローが横から口を挟む。
「旅では、食べられる時に食べるのよ!」
「なるほど。旅人としては見上げた心掛けよな」
「でしょ!」
褒められたつもりらしい。
コジローの目元が、ほんのわずかに和らいでいた。
しばらくして、ロインが一人の女性を連れて戻ってきた。青い髪と、幼さの残る顔立ち。傍目には若い娘にしか見えない。
「妻のロカリーだ」
「ロカリーです」
「ルーデウス・グレイラットです。ロキシー先生には、大変お世話になりました」
「先生……?」
ロカリーは意外そうに目を瞬かせた。
「あの子に、人へ教えられるようなことがあったのですか?」
母親からの評価が低い。
「魔術だけではありません。言葉も、世界の広さも教えてもらいました。ロキシー先生がいなければ、僕は今のように外を旅することもできなかったと思います」
「そう……」
ロカリーは目を伏せ、嬉しそうに微笑んだ。
長く帰らない娘が、遠い土地で誰かの人生を変えていた。
その事実は、親にとって悪い知らせではないだろう。
俺は人間語に切り替え、エリスとコジローへ説明した。
「ロキシー先生のご両親です」
「ルーデウスの師匠の?」
「はい」
エリスは興味深そうにロイン夫妻を眺めたが、それ以上のことは言わなかった。
コジローは二人へ向き直り、静かに頭を下げた。
言葉は通じていない。
それでも挨拶であることは伝わったらしく、ロインとロカリーも戸惑いながら礼を返した。
「こちらは、旅の仲間からの挨拶です」
「そうか」
ロインは頷くと、抱えていたものを俺へ差し出した。
一振りの剣だった。
片刃で幅が広く、刀身はわずかに湾曲している。普通の長剣より短いが、子供が扱うには十分な長さがある。
鞘や柄には細かな傷が刻まれているものの、抜いてみると刃こぼれは見当たらなかった。
「昔、里へ立ち寄った鍛冶師から譲られたものだ。長く使ったが、頑丈な剣だ」
「そんな大切なものを、よろしいのですか?」
「ルイジェルドと、そちらの男が一緒とはいえ、子供が丸腰では落ち着かん」
俺には杖がある。
つまり、エリスのために持ってきてくれたのだろう。
「コジロー。少し見てもらえますか?」
「承知した」
コジローは剣を受け取ると、刀身を朝日にかざした。
握りを確かめ、片手でゆっくりと切っ先を動かす。大きく振ることもなく、しばらく眺めた後で鞘へ戻した。
「よく働く刃よ。少々重いが、お嬢の腕ならば不足はあるまい」
「本当!?」
「振り回されぬようにな」
「そんな失敗しないわよ!」
エリスは剣を受け取ると、周囲に誰もいないことを確認してから、横薙ぎに一度振った。
風が短く鳴る。
剣の重さに引かれることもなく、きちんと止めてみせた。
「いいわね、これ!」
満足そうな声だった。
俺がロインへ意訳して伝える。
「大切に使うそうです」
間違ってはいない。
ロインはエリスの姿を見て、小さく頷いた。
「それから、これも持っていけ」
続いて渡されたのは、小さな革袋だった。
中には石や鈍い色の金属で作られた硬貨が入っている。
「大した額ではないが、宿に数日泊まる程度にはなる」
「剣だけでなく、お金まで……」
「娘が無事だと知らせてくれた礼だ。遠慮しないでくれ」
遠慮できるほど、俺たちの懐事情は豊かではない。
ありがたく受け取ることにした。
「いつか必ず、お返しに来ます」
「返さなくてもいい」
「では、ロキシー先生を連れてきます」
「それが一番ありがたい」
ロインが、ようやく笑った。
別れ際、ロカリーが俺の手を握った。
「あの子に会ったら、元気でいてくれればそれでいいと伝えてください」
「はい、お義父さんと呼ばせてもらってもいいですか?」
「はっはは……ダメだ」
真顔で拒否された。ちょっとショック。
「冗談はさておき、帰りたくなった時に、帰ってくればいいとも」
口ではそう言いながら、その手には力が込められていた。
本当は帰ってきてほしいのだろう。
それでも、自分たちのために娘を縛る言葉は選ばない。
「必ず伝えます」
俺が答えると、ロカリーはゆっくりと手を離した。
◇
里が岩陰に隠れ、見えなくなった頃。
コジローが一度だけ、歩いてきた方角を振り返った。
「よき親御であったな」
「言葉は分からなかったでしょう?」
「別れを惜しむ顔に、言葉はいらぬよ」
「ロキシー先生は、二十年以上も里へ帰っていないそうです」
「左様か」
コジローは前へ向き直った。
「帰る場所がある者ほど、帰るきっかけを見失うこともあるのであろうな」
その言葉が、誰に向けられたものなのかは分からなかった。
ロキシーへか。
それとも、自分自身へか。
俺はそれ以上尋ねず、自分の家族を思い浮かべた。
パウロ。
ゼニス。
リーリャ。
ノルンとアイシャ。
皆、無事なのだろうか。
俺たちと同じように、見知らぬ土地へ飛ばされたのかもしれない。
考え始めれば、不安はいくらでも湧いてくる。
けれど、今は答えを探す手段すらない。
まずは町へ行く。
人の集まる場所なら、情報を集める方法も、手紙を送る手段も見つかるかもしれない。
「最寄りの町までは、どのくらい掛かりますか?」
「三日だ」
ルイジェルドが即答した。
「三日間、ずっと野宿ですか」
「ああ」
アスラ王国の街道なら、途中に宿場があることも珍しくない。
しかし、見渡す限り岩と赤土ばかりの魔大陸に、そんな親切なものを期待する方が間違っている。
「野営の仕方を教えていただけませんか?」
「覚えてどうする」
「これからの旅で使います」
ルイジェルドは少し考え、頷いた。
「分かった」
この時点で、彼に同行してもらって正解だったと改めて思った。
ルイジェルドは道を知っている。
水場を見つけられる。
野営に適した場所を選べる。
そして、額の眼で周囲の生き物を察知できる。
強いだけの護衛ではない。
魔大陸で生きるために必要なものを、ほとんど一人で備えていた。
コジローも旅慣れているが、この土地については知らない。
「まずは火だ」
ルイジェルドが言った。
「だが、この辺りには薪になる木がない」
「どうするんですか?」
「魔物を狩る」
食料が欲しければ魔物。
住居が欲しければ魔物。
燃料が欲しくても魔物。
魔大陸では、困った時には何でも魔物を狩ればいいらしい。
実に分かりやすい。
俺が物騒な感心をしていると、ルイジェルドが足を止めた。
額の赤い宝石が、わずかに光を反射する。
「ちょうど近くにいる。ここで待っていろ」
槍を握り、走り出そうとする。
「待ってください」
「なんだ」
「僕たちも戦います」
ルイジェルドの眉が寄った。
「子供は待っていろ」
「昨日、僕らを戦士として認めると言いましたよね」
「認めた。だが、危険な魔物と戦わせるとは言っていない」
どうやら、彼の中では俺たちはあくまで保護対象らしい。
気持ちはありがたい。
だが、すべての戦闘を任せていては、いつまで経っても魔大陸で生き残る力は身につかない。
ルイジェルドが常にそばにいる保証はない。
コジローだって同じだ。
二人と離れた時、俺とエリスだけで戦わなければならない状況もあるだろう。
「ルイジェルド」
敬称を外して呼ぶと、彼の表情が変わった。
「俺たちは、お前の目的に力を貸す。お前も、俺たちの帰還に力を貸す。なら、片方だけが守られる関係じゃない」
ルイジェルドの目を見上げる。
「仲間として、戦士として扱ってほしい」
しばしの沈黙。
エリスは驚いた顔で俺を見ていた。
コジローは何も言わない。ただ、ルイジェルドの返答を待っている。
やがて、ルイジェルドが息を吐いた。
「……分かった」
その目が、俺からエリスへ移る。
「お前たちを戦士として扱う。だが、俺が退けと言った時は必ず従え」
「はい」
「分かったわ!」
エリスが胸を張る。
「お嬢」
コジローが静かに呼んだ。
「何よ?」
「今の返事を、刃を交える時にも覚えておくことだ」
「分かってるわよ!」
少し不安である。
◇
最初に戦うことになったのは、ストーントゥレントという魔物だった。
トゥレントとは、魔力の影響で魔物へ変化した植物の総称である。
普通は木に擬態しているらしいが、ストーントゥレントは巨大な種の状態で岩に化けている。獲物が近づくと、岩のような殻を開いて一気に成長し、枝を伸ばして襲いかかってくるのだという。
ルイジェルドに指さされても、俺には周囲の岩との違いが分からなかった。
「注意することはありますか?」
「火は使うな」
「火が効かないんですか?」
「燃えれば薪にできん」
「なるほど。では水は?」
「濡れれば燃えにくい」
魔物というより、すでに燃料として見ているらしい。
「まずは、僕とエリスで戦ってみます。危なくなった時だけお願いします」
「俺は見ていればいいのか」
「僕たちがどの程度戦えるか、確認してください」
「分かった」
エリスが、もらったばかりの剣を抜いた。
俺は
コジローは少し後ろへ下がった。
背負った長刀へ手を掛けてはいない。それでも、何かあればすぐ割り込める位置だった。
「僕が先に魔術を撃ちます。弱ったところをお願いします」
「任せなさい!」
俺は杖の先へ魔力を集めた。
魔物へ魔術を撃つのは初めてだ。
中途半端な攻撃で怒らせるより、最初は強めに撃った方が安全だろう。
拳より少し大きな岩を作る。
硬く。
速く。
高速で回転させ、着弾時に力が内側へ伝わる形に整える。
「
岩の弾丸が、空気を切り裂いて飛んだ。
轟音。
擬態していたストーントゥレントへ直撃し、岩のような外殻ごと内側から弾け飛ぶ。
木片と枝が、雨のように周囲へ降り注いだ。
エリスは駆け出した姿勢のまま、目を見開いていた。
斬るべき相手は、どこにも残っていない。
「……ルーデウス」
「はい」
「何が弱らせるよ! 斬るところが残ってないじゃない!」
「すみません。少し威力を間違えました」
「少しじゃないわよ!」
怒られた。
「見事な一撃よ」
コジローが、飛んできた木片を長刀の鞘で払いながら言った。
「獲物ばかりか、お嬢の出番まで吹き飛ばしたがな」
「コジローまで笑うんじゃないわよ!」
「さて。私は事実を述べたまでよ」
完全に面白がっている。
ルイジェルドは散らばった破片を拾い、断面を確かめていた。
「その杖は、魔道具か?」
「いいえ。材料は高価らしいですが、普通の杖です」
「詠唱していなかったが」
「細かく形を変える時は、無詠唱の方がやりやすいんです」
「……そうか」
ルイジェルドは、改めて俺と杖を見比べた。
「今のが最大か?」
「もっと威力を上げることもできます。着弾と同時に爆発させることも」
「仲間の近くでは使うな」
「僕も、たった今そう思いました」
掠っただけで腕や足が吹き飛びかねない。
前衛がいる戦いでは、威力が高ければいいというものではないらしい。
「小僧」
コジローが声を掛けてきた。
「はい?」
「敵を倒すことばかりが援護ではあるまい」
鞘の先で、地面に短い線を引く。
「足を止め、向きを変え、退路を塞ぐ。それだけでも、前に立つ者は随分と剣を振りやすくなるものよ」
「なるほど……」
俺はこれまで、一人で敵を倒す方法ばかり考えていた。
泥沼。
土壁。
風。
霧。
直接殺さなくても、使える魔術はいくらでもある。
「次は、わたしにもちゃんと戦わせなさい!」
「はい。次は気をつけます」
「本当に分かってるでしょうね?」
信用がない。
◇
その日、俺たちは移動しながら何度か魔物と戦った。
大王陸亀は、ルイジェルドが倒した。
岩山と見間違えるほどの巨体だったが、彼は正面から駆け上がり、三叉槍を頭部へ突き立てた。
たった一撃。
巨体がゆっくりと傾き、大地を揺らして倒れた。
無駄な動きが何一つない。
俺がストーントゥレントを派手に爆散させたのが、少し恥ずかしくなる。
隣では、コジローが倒れた魔物とルイジェルドを交互に眺めていた。
「どうでした?」
「見事なものよ。獲物の癖も、地の利も、己の間合いも知り尽くしておる」
強い、ではない。
長年この土地を歩いてきた戦士の技として見ているらしい。
次に現れたアシッドウルフは、エリスが一人で相手をした。
狼が口を開いた瞬間、ルイジェルドの声が飛ぶ。
「右だ!」
エリスは迷わず横へ跳んだ。
吐き出された酸が地面へ落ち、白い煙を上げる。
着地と同時に踏み込み、剣を横薙ぎに振り抜いた。
狼の首が宙を舞う。
返り血を浴びたエリスは一瞬だけ顔をしかめたが、剣を落とすことも、立ち尽くすこともなかった。
「どうよ!」
剣についた血を払い、得意げに振り返る。
「見ていましたよ」
俺は血の臭いだけで少し気分が悪い。
エリスの方が、よほど肝が据わっている。
「初めてにしては悪くない」
ルイジェルドが言った。
「当然よ!」
「エリス殿」
続いてコジローが呼びかける。
「斬った後こそ、相手から目を外すでないぞ」
「もう死んでたじゃない」
「死んだと思うた獣に足を噛まれては、少々格好がつかぬであろう?」
「……次は見るわ」
褒められた後だからか、素直に頷いた。
その次のストーントゥレントは、俺が威力を抑えて攻撃した。
今度こそエリスが斬れる程度に弱らせるつもりだった。
結果、やはり一撃で死んだ。
加減というものは難しい。
少なくとも、きちんと調整できるまでは、人へ向けて使うべきではないだろう。
そして夕方。
二十匹近いパクスコヨーテの群れと遭遇した。
一匹一匹はそれほど大きくない。
だが、すべてが一つの意思で動いているかのように、正面と左右へ分かれて俺たちを囲もうとしていた。
「エリス、前だ!」
「分かったわ!」
ルイジェルドの指示で、エリスが正面の一匹へ斬りかかる。
一匹目を斬り伏せた直後、左右から二匹が跳びかかる。
ルイジェルドの槍が動いた。
一匹の牙を穂先で逸らし、もう一匹の足を石突きで払う。倒れた獣へ、エリスの剣が振り下ろされた。
ルイジェルドは、自分で仕留めようとはしていない。
エリスが戦いやすいように、危険な動きだけを潰している。
俺は杖を構えたまま、手を出せずにいた。
だが、このまま眺めているだけでは、戦士として扱えと言った意味がない。
コジローの言葉を思い出す。
倒すことばかりが、援護ではない。
右から回り込もうとする数匹へ杖を向ける。
「泥沼!」
獣たちの足元が、突然柔らかく沈んだ。
二匹が足を取られ、後ろから続いた個体がぶつかって隊列を崩す。
反対側へは、低い土壁を作った。
完全に道を塞ぐのではなく、進める場所を狭める。
群れの動きが正面へ集中した。
「壁を少し下げろ!」
ルイジェルドの指示が飛ぶ。
見ると、壁がエリスの退路まで狭めていた。
「はい!」
すぐに形を崩し、半歩分だけ後ろへ作り直す。
まだまだ未熟だ。
一匹が泥を飛び越え、俺へ向かってきた。
魔術を切り替えるより早く、金属音が弾けた。
獣の身体が横へ逸れ、地面を転がる。
その時には、コジローの手に長刀があった。
刃には血の跡がない。
峰で打ち払ったらしい。
「術を続けよ」
「はい!」
俺は泥沼の形を変える。
抜け出そうとする獣の足元だけを沈ませ、逃げ道を狭める。
ルイジェルドが群れ全体を誘導し、エリスがその隙間へ剣を差し込んでいく。
一匹。
二匹。
三匹。
疲れてくると、エリスの振りは少しずつ大きくなった。
それでもルイジェルドの指示には従い、無理に追いかけることはしない。
コジローは俺のそばを離れず、背後や側面へ抜けた獣だけを止めていた。
やがて、最後の一匹が地面へ倒れた。
「はぁ……はぁ……」
エリスは剣を杖代わりにして、荒い息を整えている。
頬と腕に、浅い傷が三つほどあった。
俺はすぐに駆け寄った。
「神なる力は芳醇なる糧──ヒーリング」
傷が淡い光に包まれ、塞がっていく。
「ありがと」
「大丈夫ですか?」
「余裕よ!」
得意げに笑った顔には返り血が付いていた。
袖で拭ってやると、エリスが不満そうに口を曲げる。
「むぐっ」
「今日が初めての実戦でしょう?」
「関係ないわ。全部ギレーヌに教わったもの」
教わったことを、実戦でもそのまま出せる。
簡単そうに言っているが、それは大した才能だと思う。
「ルイジェルド。エリスはどうですか?」
「鍛え続ければ、一流の戦士になる」
「本当!?」
疲れていたはずのエリスが、勢いよく顔を上げた。
「ああ。だが、前ばかりを見る癖がある。周囲も見ろ」
「分かったわ!」
褒められた直後は素直である。
「コジローは?」
期待に満ちた目が向けられる。
「よき踏み込みであった」
「ふふん!」
「されど、疲れると肩に力が入る。息が上がった時ほど、刃を軽く持つことよ」
「……分かったわ」
こちらの忠告にも素直に頷いた。
俺は倒れたパクスコヨーテと、三人の位置を見回した。
エリスが前に立つ。
俺が後ろから魔術で動きを制限する。
ルイジェルドが全体を見て指示し、危険な敵を取り除く。
コジローが俺の周囲と、四人の間に生まれた隙を塞ぐ。
「今後は、ひとまず今の形を基本にしましょう」
「基本?」
「エリスが前衛。僕が後方から援護します。ルイジェルドは全体を見ながら、指示と救援を。コジローには、僕の周囲と側面をお願いします」
「心得た」
「状況が変われば、俺が指示を出す」
ルイジェルドが言った。
「お願いします」
これで陣形が完成した、とは思わない。
俺の土壁はエリスの退路を塞ぎかけたし、泥沼も敵の動きを完全には止められなかった。
エリスとの呼吸も、ルイジェルドの指示を聞く速さも、まだ改善の余地だらけだ。
それでも。
四人で戦う最初の形ぐらいは、見え始めた気がした。
◇
その日の夕食は、大王陸亀の肉だった。
食べきれない分は薄く切り、ルイジェルドの指示で干し肉にする。残りをストーントゥレントの木片で起こした火にかけた。
一口噛む。
「…………」
硬い。
生臭い。
噛んでも噛んでも、口の中から消えてくれない。
ルイジェルドは、大王陸亀の肉は食べられると言っていた。
確かに食べられる。
食べられることと、おいしいことは別問題なのだと身に染みて分かった。
「意外とおいしいわね!」
エリスは楽しそうに肉へかじりついていた。
「本気ですか?」
「こういうの、一度やってみたかったのよ。焚き火で焼いた肉を食べるの!」
味ではなく、状況を楽しんでいるらしい。
冒険者だったギレーヌから話を聞き、憧れていたのだろう。
「コジローは平気なんですか?」
「腹を満たすには十分よ」
おいしいとは言わなかった。
「生でも食える」
ルイジェルドが付け加えた。
エリスの目が輝く。
「試して──」
「駄目です」
言い終わる前に止めた。
寄生虫や病原菌がいるかもしれない。治癒魔術で腹の中の虫まで都合よく消せる保証はないのだ。
冒険はしても、衛生観念まで捨てるつもりはない。
食事を終えると、ルイジェルドがエリスへ剣の手入れを教え始めた。
「血を残すな。臭いを嗅ぎつけて、別の魔物が寄ってくる」
「拭けばいいのね?」
「刃に異常がないかも確認しろ。武器を扱うなら、管理まで自分で行え」
エリスは真剣な顔で剣を拭っている。
少し離れた場所では、コジローも背負っていた長刀を膝へ載せていた。
鞘からわずかに刃を覗かせ、火の光で状態を確かめている。
扱う武器も、手入れの方法も違う。
だが、武器へ向ける目つきには、ルイジェルドと共通するものがあった。
「そういえば」
俺はルイジェルドの槍を見た。
「その槍は、何で作られているんですか?」
「俺だ」
「……はい?」
比喩かと思ったら、物理的な話だった。
スペルド族は、生まれた時に三叉の尾を持っている。
尾は身体と共に成長し、一定の年齢になると硬化して身体から離れる。それが、その者だけの槍になるのだという。
身体から離れた後も槍は持ち主の一部であり、使い続けるほど硬く、鋭くなっていく。
「槍は、スペルド族の魂だ。死ぬまで手放してはならない」
ルイジェルドは、手にした白い槍へ目を落とした。
それは彼自身から生まれた槍ではない。
息子が最期に残した魂だ。
だからこそ、彼にとっては自分の命よりも重いのだろう。
「コジローのカタナも、魂なの?」
エリスが尋ねた。
「さて」
コジローは長刀を鞘へ戻した。
「これは、人の手で鍛えられた鉄にすぎぬ」
「じゃあ、違うの?」
「そなたらの槍とはな」
鞘の上へ、そっと手を置く。
「されど、幾度も振れば、重みも癖も己の手に馴染む。手足と同じとまでは言わぬが、粗末に扱えば、いざという時に応えてはくれまい」
ルイジェルドがコジローを見る。
「魂ではないのか」
「そう呼ぶ者もおろう」
コジローは穏やかに答えた。
「槍が身より生まれるそなたらと、同じとは申せぬ。ただ、今しばらく共に歩く相手ではある」
ルイジェルドは何も答えなかった。
ただ、息子の槍を握る手から、わずかに力を抜いた。
考え方は違う。
けれど、互いが武器を粗末にしないことだけは理解したのだろう。
焚き火の向こうで、二人の距離がほんの少し縮まったように見えた。
◇
その後も、俺たちは魔物との戦闘と野営を繰り返した。
水場の探し方。
風を避けられる岩陰の選び方。
足跡から魔物の種類と進んだ方向を判断する方法。
肉を保存し、少ない水を無駄にしない方法。
ルイジェルドから教わることは多かった。
俺は敵を直接撃ち抜くより、足場を崩し、動きを誘導する魔術を試した。
エリスは実戦を重ねるたび、ルイジェルドの指示へ早く反応できるようになった。
コジローは普段、ほとんど口を挟まない。
ただし、間合いが近すぎた時や、疲れて視線が狭くなった時だけ、短い言葉を投げた。
四人の歩調が、少しずつ揃っていく。
そして三日目。
岩の丘を越えた先に、荒野とは明らかに異なる影が見えた。
「あれが町だ」
ルイジェルドが言った。
ようやく最初の目的地へ辿り着いた。
これで食料や装備を整えられる。
冒険者として金を稼ぐ方法も探せるだろう。
少しだけ安心した後、俺は隣に立つルイジェルドを見上げた。
緑色の髪。
額の赤い宝石。
顔を縦に走る傷。
どこからどう見ても、世界中で恐れられているスペルド族である。
さて。
この姿のまま、どうやって町へ入ったものか。