無職転生~異聞 月下の剣士   作:彼岸花さつき

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第十三月 冒険者ギルド

冒険者ギルド

 

 冒険者ギルドの前には、絶えず人が出入りしていた。

 

 大柄な戦士。

 

 杖を持った魔術師。

 

 背中に翅の生えた者や、下半身が蛇の者。

 

 外から眺めているだけでも、町中より武装した者の割合が多い。門番から聞いていなくとも、建物の用途には見当がついただろう。

 

 俺は扉の前で、もう一度だけ作戦を確認した。

 

「ルイジェルドさんは、できるだけ堂々としていてください」

 

「ああ」

 

「僕が何を言っても、怒らないでくださいね」

 

「分かっている」

 

「エリスは、僕の近くに」

 

「分かったわ」

 

「コジローは……」

 

「黙って立っておればよいのであろう?」

 

「話が早くて助かります」

 

 コジローは俺の顔を眺め、わずかに目を細めた。

 

「何を始めるつもりかは知らぬが、随分と悪い顔をしておるぞ、小僧」

 

「これも必要な演技です」

 

「成る程。人の目を欺くも、兵法のうちではある」

 

 コジローは、わずかに口元を緩めた。

 

「ならば、存分に化かしてみせよ」

 

 どうやら、俺の策に黙って付き合ってくれるらしい。

 

 何はともあれ、準備は整った。

 

 俺は両開きの扉へ手を掛け、勢いよく押し開いた。

 

 扉が壁へぶつかり、大きな音を立てる。

 

 建物の中にいた冒険者たちが、一斉にこちらを見た。

 

 想像していた以上の人数だった。

 

 机を囲んで酒を飲んでいる者。

 

 壁に貼られた依頼書を眺めている者。

 

 装備を広げ、仲間と相談している者。

 

 剣、斧、槍、杖。

 

 使っている武器も、種族も統一感がない。

 

 その全員の視線が、俺たち四人へ集まっていた。

 

 最初に見られたのは俺だ。

 

 次に、耳付きのフードを目深に被ったエリス。

 

 異様に長いカタナを背負ったコジローを見て、何人かが怪訝そうに眉を寄せた。

 

 そして最後に、青く染めた髪と額の宝石を持つルイジェルドへ視線が集まる。

 

 一瞬、室内の空気が張り詰めた。

 

 だが、その髪が緑ではないと分かると、緊張はすぐに困惑へ変わった。

 

 よし。

 

 ここからだ。

 

「おうおう! 随分と景気の悪い顔が揃ってやがるな!」

 

 俺は魔神語で声を張り上げた。

 

 普段の俺を知るエリスが、隣で目を丸くする。

 

 コジローは言葉の意味こそ分からないはずだが、俺の態度を見て口元をわずかに緩めていた。

 

「こちらにおわす方を、どなたと心得る!」

 

 大仰に腕を広げ、ルイジェルドを示す。

 

「泣く子も黙るスペルド族! 出会えば最後の『デッドエンド』! ルイジェルド様だ! 命が惜しけりゃ、道を空けな!」

 

 反応はない。

 

 誰も怯えず、誰も逃げない。

 

 当然である。

 

 本物のスペルド族なら、髪は鮮やかな緑色のはずだ。

 

 目の前にいるのは、青黒く染めた髪の男。

 

 額の宝石と傷だけ似せた、出来の悪い偽物にしか見えないだろう。

 

「兄貴!」

 

 俺はルイジェルドへ顔を向けた。

 

「どうやら、この田舎者どもは兄貴の顔を知らねえみたいですぜ!」

 

 室内のどこかで、誰かが吹き出した。

 

 それをきっかけに、あちらこちらから笑い声が漏れ始める。

 

「何がおかしい!」

 

 俺が声のした方を睨むと、翅の生えた男が腹を押さえながら答えた。

 

「だってよ……スペルド族の髪は緑だろ?」

 

 その一言で、ギルド内が爆笑に包まれた。

 

 机を叩く者。

 

 椅子から転げ落ちそうになる者。

 

 こちらを指さし、仲間の肩へもたれかかる者。

 

 つかみは上々だ。

 

「あ、兄貴を笑うんじゃねえ!」

 

 俺は顔を赤くしたふりをして、さらに声を張り上げる。

 

「兄貴はな、荒野で魔物に襲われていた俺たちを助けてくれたんだ! 恐ろしい顔をしてるが、子供には優しいんだぞ!」

 

「デッドエンドが人助けだってよ!」

 

「なんだよ、いい奴じゃねえか!」

 

「俺も助けてもらいてえな!」

 

 狙いどおりである。

 

 偽物のデッドエンドは、子供を助ける変わり者。

 

 まずは、その印象を植え付ける。

 

 もっとも、ルイジェルド本人は、周囲から笑われて平然としていられる性格ではない。

 

 俺は事前に決めておいた合図を送った。

 

「兄貴! こいつら、やっちまいますか!」

 

 ルイジェルドは腕を組み、笑っている冒険者たちを見渡した。

 

「……笑いたい者には、笑わせておけばいい」

 

 低く、渋い声だった。

 

 芝居ではない。

 

 本気でそう思っているのだろう。

 

 だからこそ、妙に貫禄があった。

 

 冒険者たちは、むしろ一層面白がった。

 

「もう大物気取りかよ!」

 

「さすがデッドエンド様だ!」

 

 笑い声の中で、俺はエリスを横目で見る。

 

 魔神語が分からないため、何を笑われているのか理解していない。

 

 それでも、俺が普段と違う振る舞いをしていることは分かるらしく、不審そうな顔をしていた。

 

 コジローといえば、芝居小屋の端から大根役者を眺めるような目をしていた。

 

 先ほど「存分に化かしてみせよ」と言った本人なのだから、もう少し温かく見守ってほしい。

 

「兄貴の寛大さに感謝しやがれ!」

 

 俺は最後に捨て台詞を吐き、建物の中を見回した。

 

 片側には、依頼書が並ぶ大きな掲示板。

 

 反対側には、いくつかの受付が並んでいる。

 

 まずは登録だ。

 

 俺たちは笑い声を背に受けながら、受付へ向かった。

 

 ◇

 

 受付の台は、俺の身長には少し高かった。

 

 背伸びをしても、職員の顔がようやく見える程度である。

 

 仕方なくルイジェルドへ目配せすると、脇を抱えられ、そのまま軽々と持ち上げられた。

 

 また笑いが起こった。

 

 威張り散らしていた少年が、兄貴に抱えられなければ受付へ届かない。

 

 傍から見れば、確かに滑稽だろう。

 

「冒険者登録を頼む!」

 

 俺は演技を続けたまま叫んだ。

 

 すると背後から、

 

「デッドエンドが新人だってよ!」

 

「今日から俺たちの後輩か!」

 

 などという声が飛んできた。

 

「うるせえ! 職員の説明が聞こえねえだろ!」

 

 俺が怒鳴ると、冒険者たちは含み笑いを残しつつも静かになった。

 

 これで十分だろう。

 

 俺は小さく咳払いをし、受付職員へ向き直る。

 

「騒がせてすみません。冒険者登録をお願いします」

 

「えっ……あ、はい」

 

 受付にいたのは、橙色の髪と牙を持つ女性だった。

 

 急に礼儀正しくなった俺を見て、戸惑っている。

 

 胸元の開いた服を着ており、そこには乳房が三つ並んでいた。

 

 谷間も二つである。

 

 一つ増えただけなのに、谷間の数は二倍。

 

 算数とは奥が深い。

 

「新規登録は三名でよろしいですか?」

 

「三名と……こちらのコジローは、以前登録したことがあるそうです」

 

 俺が人間語で説明すると、コジローは懐から古びた金属板を取り出した。

 

 細かな傷が無数に走り、表面に文字は見えない。

 

 受付職員へ渡すよう身振りで伝えると、コジローは素直に差し出した。

 

 職員はカードを裏返し、端を確かめる。

 

「魔力が切れていますね。ですが、カード自体は有効です」

 

「再充填できますか?」

 

「はい。料金は掛かりません」

 

 職員が透明な板状の魔道具へカードを重ね、魔力を流す。

 

 淡い光が走り、消えていた文字がゆっくりと浮かび上がった。

 

 名前は、コジロー。

 

 種族は人族。

 

 職業は戦士。

 

 ランクはF。

 

「本当に登録していたんですね」

 

 俺が言うと、コジローは肩をすくめた。

 

「二つ三つ、路銀の足しになる仕事を請けたのみよ」

 

「ランクも上がらなかったと」

 

「上げる理由もなかったのでな」

 

 職業欄は「剣士」ではなく「戦士」だった。

 

 三大流派のいずれにも属さず、本人も我流だと言っている。ギルドの分類としては、むしろ正しいのかもしれない。

 

 これで新しく登録するのは、俺、エリス、ルイジェルドの三人だ。

 

 受付職員から用紙を受け取る。

 

 名前と職業を記入する欄。

 

 その下には、冒険者ギルドの規約が細かな文字で並んでいる。

 

 依頼の仲介や報酬の受け渡し、素材の買い取り、両替。

 

 登録情報は冒険者カードで管理され、紛失するとランクはFからやり直し。

 

 依頼に失敗すれば、報酬の二割を違約金として支払う。

 

 冒険者ランクはSからFまでの七段階。

 

 原則として、自分のランクの一つ上か一つ下までの依頼しか受けられない。

 

 要するに、実力に見合わない仕事を勝手に受けるなということだろう。

 

 俺は必要な部分を、人間語でエリスたちへ読み聞かせた。

 

「長いわね」

 

 エリスが露骨に嫌そうな顔をする。

 

「大事なことです。ちゃんと聞いてください」

 

「依頼を失敗したら、お金を払うのね?」

 

「そうです」

 

「失敗しなければいいのよ」

 

 簡単に言ってくれる。

 

 ルイジェルドは黙って聞いていた。

 

 コジローも口を挟まないが、依頼を妨害する行為や資格剥奪について触れた時だけ、少し目を細めた。

 

「文字はどの言語で書いてもいいんですか?」

 

 俺が魔神語で尋ねると、職員は頷いた。

 

「ギルドで扱える言語であれば問題ありません」

 

 俺は魔神語で、自分の名前と職業を書く。

 

 エリスには人間語で自分の分を書かせた。

 

 ルイジェルドは魔神語で記入した。

 

「偽名で登録することはできますか?」

 

「登録名は本人が決められます。ギルドへ迷惑を掛けない限り、偽名そのものを罰する規則はありません」

 

 魔大陸には、生まれた時から名前を持たない者もいるらしい。

 

 ならば、本人が名乗った名前を登録名として扱うしかないのだろう。

 

「別の大陸へ行っても、この登録は使えますか?」

 

「はい。登録し直す必要はありません」

 

 ありがたい。

 

 魔大陸を出た後も、身分証明として使える。

 

「それでは、順番にこちらへ手を置いてください」

 

 受付台に、透明な板が置かれた。

 

 中央には魔法陣が刻まれ、その下に一枚の金属板が敷かれている。

 

 俺が手を載せると、職員は用紙を確認しながら魔道具を操作した。

 

 魔法陣が赤く光り、すぐに消える。

 

 渡された金属板には、淡く文字が浮かんでいた。

 

 名前、性別、種族、年齢、職業、ランク。

 

 種族や年齢まで、自動で表示されるらしい。

 

 俺のカードには、人間語でこう書かれていた。

 

 ルーデウス・グレイラット。

 

 人族。

 

 十歳。

 

 魔術師。

 

 ランクF。

 

 続いてルイジェルド。

 

 種族欄にスペルド族と出たらどうしようかと身構えたが、表示されたのは単に「魔族」だった。

 

 年齢は五百六十六歳。

 

 職業は戦士。

 

 ランクF。

 

 受付職員は年齢にも名前にも、特別な反応を示さなかった。

 

 長命な魔族なら、それほど珍しくないのかもしれない。

 

 最後にエリス。

 

 人族、十二歳、剣士、Fランク。

 

 新しいカードを受け取ったエリスは、表面に浮かんだ文字を眺め、嬉しそうに口元を緩めている。

 

「なくさないでくださいね」

 

「分かってるわよ!」

 

 返事をしながらも、カードから目を離さない。

 

 聞いているのだろうか。

 

「コジローのカードは、文字が薄くありませんか?」

 

「長く使われていなかったからでしょう。魔力は補充しましたので、問題ありません」

 

 職員から返されたカードを、コジローが光へかざす。

 

「随分と長持ちする札よな」

 

「大切にしてください。紛失すれば、またFランクからです」

 

「元よりFであろう?」

 

「そうでした」

 

 失うものが少ない。

 

「パーティー登録もなさいますか?」

 

「お願いします」

 

 元々、そのつもりだった。

 

 受付職員によれば、パーティーは最大七人。

 

 受けられる依頼は、構成員のランクを基準に決められる。

 

 依頼を達成すれば、参加した全員に昇級の実績が入る。

 

 個人で依頼を受けることもできるが、当面は四人で動いた方が安全だろう。

 

「代表者は、どなたになさいますか?」

 

「僕でお願いします」

 

 ルイジェルドは作戦や交渉に向かない。

 

 エリスに任せれば、受けたい依頼を勢いで選びかねない。

 

 コジローはそもそも、進んで取り仕切る気がない。

 

 消去法で俺である。

 

「では、パーティー名をお願いします」

 

「デッドエンドで」

 

 職員の笑顔が、一瞬だけ固まった。

 

 すぐに元へ戻ったが、聞き間違いを疑ったらしい。

 

「……『デッドエンド』で、よろしいのですね?」

 

「はい」

 

「承知しました」

 

 仕事に私情を挟まない。

 

 さすがは職業人である。

 

 四枚の冒険者カードを預けると、職員は奥へ引っ込み、しばらくして戻ってきた。

 

 返されたカードには、新しくパーティー名が加えられている。

 

 デッドエンド。

 

 パーティーランク、F。

 

 文字にして見ると、少し恥ずかしい。

 

 口伝では恐怖の象徴なのに、カードへ刻まれると、子供が一生懸命考えた名前のようにも見える。

 

「以上で登録は終了です。依頼を受ける際は、掲示板から依頼書を外し、受付までお持ちください」

 

「素材の買い取りもこちらですか?」

 

「建物の裏手に買い取り口があります」

 

「分かりました。ありがとうございます」

 

 これで俺たちは、正式に冒険者になった。

 

 ◇

 

「随分と見事な芝居であったな」

 

 受付から離れたところで、コジローが囁いた。

 

「言葉は分からなかったでしょう?」

 

「言葉はな。されど、お主が威張り、周囲が笑っておったことぐらいは分かる」

 

「笑われるところまで、作戦どおりです」

 

「ふむ。見事に化かしたものよ」

 

 褒めているのかと思ったが、口元には明らかに笑みが浮かんでいる。

 

「いずれ舞台へ立っても、食うには困らぬであろうな」

 

 やはり褒められてはいなかった。

 

「ルーデウス、さっき何を言ってたの?」

 

 エリスにも尋ねられた。

 

「ルイジェルドさんがデッドエンドだと紹介していました」

 

「それだけ?」

 

「少し大げさに」

 

「変な喋り方だったわよ」

 

「演技です」

 

「格好悪かったわ」

 

 率直な感想をありがとう。

 

 俺たちは依頼掲示板へ向かった。

 

 途中には、先ほど俺たちを笑っていた冒険者たちがいる。

 

 多くはまだ面白そうにこちらを見ていたが、中には明らかに不愉快そうな者もいた。

 

 新人が注目を集めたことが気に入らないのだろうか。

 

 できれば、今日は余計な揉め事を起こしたくない。

 

 ルイジェルドには、多少の喧嘩なら評判作りに利用できると説明してある。

 

 だが、彼に手加減を任せるのは少々不安だ。

 

 コジローに至っては、喧嘩へ参加させた時点で何かが間違っている。

 

 そう考えながら歩いていると、進路へ一本の足が突き出された。

 

 足の主は、青い皮膚に黒い斑点を持つ、カエルのような男だった。

 

 椅子へふんぞり返り、頬を膨らませながら笑いを堪えている。

 

 足を引っ掛けるつもりらしい。

 

 随分と幼稚な真似をする。

 

 嫌な記憶が胸の奥から浮かびかけたが、俺はそれを押し戻した。

 

 足を大きくまたいで通る。

 

 すると周囲から、待っていましたとばかりに笑い声が上がった。

 

 俺が転んでも避けても、笑うつもりだったのだろう。

 

 肩がわずかに強張る。

 

 だが、以前のように足が動かなくなることはなかった。

 

 今は一人ではない。

 

 俺の後ろには、エリスがいる。

 

 エリスも突き出された足をまたごうとした。

 

 その瞬間、カエル男が足を持ち上げる。

 

「きゃっ!」

 

 つま先を引っ掛けられたエリスは、前へ倒れかけた。

 

 だが片足を強く踏み込み、自力で体勢を立て直す。

 

 再び笑いが起こった。

 

 エリスの顔が、一気に赤くなる。

 

 拳を固め、カエル男を睨みつけた。

 

 言葉は分からなくても、馬鹿にされたことぐらいは伝わる。

 

 まずい。

 

 殴りかかるかと思ったが、エリスは歯を食いしばり、鼻を鳴らしただけだった。

 

 乱暴に顔を背け、俺の横まで歩いてくる。

 

「偉いですよ、エリス」

 

「何がよ!」

 

「いえ、何でもありません」

 

 よく我慢した。

 

 百点をあげよう。

 

 次に通るのはルイジェルドだった。

 

 彼はカエル男の足の前で立ち止まり、何も言わずに大きくまたごうとする。

 

 予想どおり、男は足を跳ね上げた。

 

 だが、今度は勝手が違った。

 

「ぐえっ!?」

 

 ルイジェルドは引っ掛けられた足を、そのまま下から持ち上げた。

 

 カエル男の腰が椅子から浮く。

 

 次の瞬間には、背中から床へ落ちていた。

 

 先ほどまで彼に合わせて笑っていた冒険者たちが、今度は一斉にカエル男を笑い始める。

 

 顔色が、青から赤へ変わった。

 

「てめえ!」

 

 男は跳ね起き、腰のナイフを抜いた。

 

 刃先がルイジェルドへ向けられる。

 

 笑い声が止んだ。

 

「ふざけた真似をしやがって……!」

 

「先に仕掛けたのは、お前だ」

 

 ルイジェルドの声が低くなる。

 

「これ以上やるなら、痛い目を見るぞ」

 

 脅しではない。

 

 ルイジェルドにとっては、事実を伝えているだけなのだろう。

 

 だからこそ恐ろしい。

 

 その少し後ろで、コジローの立ち姿が変わった。

 

 笑みは消えている。

 

 背中の長刀へ手を伸ばしてはいない。

 

 ただ、右足がわずかに前へ出ていた。

 

 もしカエル男が本気でナイフを振るえば、その時にはもう遅い。

 

 止めなければ。

 

 そう思った時、一人の男が二人の間へ割って入った。

 

 馬の頭を持つ冒険者だった。

 

「おい、やめとけよ、ペルトコ」

 

 男はカエル男の肩を掴んだ。

 

「新人を転ばせて遊ぶなんて、今どき流行らねえぞ」

 

「だがよ、ノコパラ! こいつが──」

 

「お前が勝手に転んだだけだろ?」

 

「こいつが足を……」

 

「お前が、勝手に、転んだんだ。そうだよな?」

 

 ノコパラと呼ばれた馬頭の男は、言葉を区切りながら念を押した。

 

 口調は軽い。

 

 だが目は笑っていない。

 

 ペルトコはしばらく不満そうに睨んでいたが、やがて舌打ちをしてナイフを収めた。

 

 そのまま荒々しい足取りで、冒険者ギルドを出ていく。

 

 騒ぎを見ていた者たちも、興味を失ったように散っていった。

 

 コジローの足が、元の位置へ戻る。

 

 ノコパラは俺たちへ一度だけ視線を向けた。

 

「悪かったな。あいつ、新人を見ると絡みたがるんだ」

 

「助かりました」

 

 俺が魔神語で礼を言うと、ノコパラは片手を上げた。

 

「気にすんな。依頼を選ぶなら、自分たちのランクをよく見ろよ。新人が背伸びすると、すぐ死ぬぞ」

 

「覚えておきます」

 

 ノコパラはそれ以上話さず、仲間のいる机へ戻っていった。

 

 俺は小さく息を吐く。

 

 喧嘩を利用して評判を作ることも考えていた。

 

 だが、実際に刃物が抜かれると、そんなに都合よく物事が進むはずもないと分かる。

 

 一歩間違えば、誰かが大怪我をする。

 

 相手が悪ければ、ルイジェルドかコジローが、取り返しのつかないところまでやりかねない。

 

 慎重に進める必要がありそうだ。

 

「今の人、何を言ってたの?」

 

 エリスが尋ねる。

 

「新人は、無理をすると死ぬから気をつけろと」

 

「余計なお世話ね」

 

「いえ。いい忠告だと思いますよ」

 

 俺は改めて、壁を埋め尽くす依頼書へ目を向けた。

 

 仕事の内容も報酬も、まだ何一つ分からない。

 

 けれど、ここから始めなければならない。

 

 俺たちは正式に冒険者となった。

 

 パーティー名は、デッドエンド。

 

 まずは、この名で最初の仕事を探すとしよう。

 

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