無職転生~異聞 月下の剣士   作:彼岸花さつき

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第十四月 冒険者の宿

冒険者の宿

 

 冒険者ギルドの掲示板には、数え切れないほどの依頼書が貼られていた。

 

 俺たちが受けられるのは、FランクとEランクの依頼だけである。

 

 倉庫の荷物運び。

 

 食堂での皿洗い。

 

 店の掃除。

 

 害虫の駆除。

 

 迷子になったペットの捜索。

 

 内容だけを見れば、危険な仕事はほとんどない。

 

 その代わり、報酬も安かった。

 

「討伐依頼はないの?」 

 

 エリスが不満そうに掲示板を見上げた。

 

 もちろん、彼女には依頼書に書かれた魔神語は読めない。隣にいるルイジェルドへ、先ほどから一枚ずつ内容を尋ねていた。

 

「討伐依頼は、ほとんどがCランク以上だ」

 

「ゴブリンとかは?」

 

「この大陸に、そこまで弱い魔物はいない」

 

「つまらないわね」

 

 魔大陸基準では、ゴブリンは初心者用の相手にすらならないらしい。

 

 ルイジェルドが掲示板の上部を指さした。

 

「あれなら、竜の討伐だ」

 

「竜!?」

 

 エリスの目が輝いた。

 

「受けましょう!」

 

「Sランクだ」

 

「読めないんだから、分かるわけないでしょ!」

 

 逆に怒られている。

 

 ルイジェルドも大変だな。

 

 コジローは二人の会話を聞きながら、依頼書が並ぶ板を静かに眺めていた。

 

「随分と細かく仕事を分けるものよな」

 

「勝手に仕事を取り合うよりは、揉め事が少なくなるんでしょう」

 

「なるほど。腕のみならず、信用も売る場所というわけか」

 

 冒険者ギルドの仕組みを、早くも大まかに理解したらしい。

 

 もっとも、今の俺たちに信用などない。

 

 あるのは、先ほど作ったばかりの笑い者としての評判だけだ。

 

「おいおい、デッドエンドの皆さんよ」

 

 背後から、聞き覚えのある声がした。

 

 振り向くと、先ほどペルトコを止めた馬頭の男──ノコパラが立っていた。

 

 俺たちを見下ろしながら、相変わらず笑いを噛み殺している。

 

「竜退治は、あんたらにゃ少し早いんじゃねえか?」

 

「分かってますよ」

 

「そう怒るなって。親切に、似合いの仕事を教えてやろうと思ってな」

 

 ノコパラは掲示板から一枚の依頼書を剥がした。

 

 迷子のペット捜索。

 

 報酬は屑鉄銭一枚。

 

 依頼主はメイセルという少女らしい。

 

 自分の小遣いを使って依頼した、と書かれている。

 

「兄貴の額にある目は、飾りじゃねえんだろ?」

 

 ノコパラが、ルイジェルドの宝石を指さす。

 

「町がいくら広かろうが、デッドエンド様ならペットの一匹ぐらい、すぐ見つけられるんじゃねえのか?」

 

 助言の形をした嫌味である。

 

 本物のスペルド族ではないと思っているからこそ、そんなことが言えるのだろう。

 

「余計なお世話です」

 

「へえ、そいつは残念だ」

 

 ノコパラは依頼書を掲示板へ戻した。

 

 俺たちをからかうだけからかうと、笑いながら仲間のいる席へ帰っていく。

 

 腹の立つ男だ。

 

 だが、言っていることには一理ある。

 

 ルイジェルドの索敵能力なら、町中にいる動物を見つけるのも難しくないかもしれない。

 

 ペット捜索なら人助けにもなる。

 

 とはいえ、今日は登録を済ませたばかりだ。

 

 土地勘もなく、宿すら決めていない状態で仕事を始める必要はない。

 

「今日は帰りましょう」

 

「依頼は受けないのか?」

 

 ルイジェルドが尋ねる。

 

「明日からでいいでしょう。今日は顔を覚えてもらえただけで十分です」

 

 覚えられた理由には、あまり触れたくない。

 

 俺たちが出口へ向かうと、背後から再び笑い声が上がった。

 

「もう帰るのかよ!」

 

「さすがデッドエンド様は余裕だな!」

 

「仕事なんて選び放題だもんな!」

 

 ルイジェルドが、これで本当にいいのかと問いかけるような視線を向けてくる。

 

 俺は小さく頷いた。

 

 恐れられるより、笑われる方がまだいい。

 

 少なくとも、デッドエンドという名を聞いた者たちは、逃げずにこちらを見ていた。

 

 最初の一歩としては、悪くない。

 

 ◇

 

 冒険者ギルドを出ると、町はすでに薄暗くなっていた。

 

 見上げれば、空にはまだわずかに明るさが残っている。

 

 だが、リカリスはクレーターの底に築かれた町だ。周囲を囲む岩壁によって日差しが遮られ、地上よりも早く夕闇が訪れるらしい。

 

「宿を探しましょう」

 

「町の外で寝てもいいんじゃないの?」

 

 エリスが言った。

 

「町に入れたのですから、今日ぐらいは屋根の下で寝ましょうよ」

 

 野宿に慣れつつあるのは頼もしい。

 

 だが、せっかく町へ入ったのに、わざわざ外へ戻る理由もない。

 

 何より、寝ている最中にルイジェルドが魔物と戦い始めるのは、心臓に悪い。

 

 コジローも特に異論はないようだった。

 

「野で眠るのも嫌いではないが、寝床を選べる時まで苦労を買うこともあるまい」

 

「コジローもこう言っています」

 

「そう?」

 

 エリスは納得しきっていない様子だったが、それ以上は反対しなかった。

 

「ねえ、ルーデウス! 見て!」

 

 不意に、エリスが岩壁を指さした。

 

 クレーターの内壁が、淡い光を放ち始めていた。

 

 夕闇が濃くなるにつれ、その光も次第に強くなっていく。

 

 やがて日が完全に沈むと、岩壁に埋め込まれた無数の光が、町全体をぼんやりと照らし出した。

 

「すごいわ!」

 

 エリスが歓声を上げる。

 

 夜の底へ沈んでいた町が、一斉に姿を現した。

 

 その中央には、光を受けて浮かび上がる半壊した旧キシリス城。

 

 昼間に見た時よりも、はるかに幻想的だ。

 

「あれは魔照石だ」

 

 ルイジェルドが言った。

 

「魔石の一種で、昼間に日の光を蓄え、暗くなると光を放つ」

 

「便利ですね。アスラ王国では見たことがありません」

 

「希少な物だ。あれほどの量を集められる者は、そう多くない」

 

 ルイジェルドによれば、魔照石を集めさせたのは、かつてこの城に住んでいた魔界大帝らしい。

 

 目的は、夜の城を美しく見せるため。

 

 町の者の生活を便利にするためではない。

 

「城一つを飾るためだけに、これほどの石を集めたのですか?」

 

「ああ。魔界大帝は自堕落で、己の欲望に忠実だったと聞く」

 

「ほう」

 

 コジローが、暗闇の中に浮かぶ古城を眺めた。

 

「夜を灯してまで、己が城を飾るか。何とも酔狂な主よな」

 

「今では、町の役に立っているみたいですけどね」

 

「本人にそのつもりがなくとも、後の世に何かを残すことはあるか」

 

 コジローはそれ以上何も言わず、しばらく光の中に浮かぶ城を見つめていた。

 

「お城に行ってみたい!」

 

 エリスが言った。

 

「今日はやめておきましょう」

 

「なんでよ!」

 

「もう遅いですし、僕も少し疲れました」

 

「大丈夫なの?」

 

 それまで不満そうだったエリスの表情が、すぐに心配そうなものへ変わる。

 

「慣れないことが続きましたからね。休めば治ります」

 

「……そう。なら今日は我慢するわ」

 

 我慢。

 

 以前のエリスなら、なかなか出てこなかった言葉だ。

 

 俺の知らないところで、少しずつ成長しているらしい。 

 

 ◇

 

 俺たちが選んだのは、狼の足爪(おおかみのあしづめ)亭という宿だった。

 

 初心者の冒険者を主な客としているらしく、建物は古いが料金は安い。

 

 一室、一泊石銭五枚。

 

 部屋の寝台数にかかわらず、値段は同じ。

 

 同じパーティーの者が二人以上で一室を使えば、朝と夜の食事も付くという。

 

「四人で一部屋。まずは三日分お願いします」

 

「あいよ」

 

 愛想のない店主へ石銭を渡す。

 

 四人で泊まっても値段が変わらないのはありがたい。

 

 宿の入り口は、食堂を兼ねた小さな酒場になっていた。

 

 客のほとんどは若い冒険者だ。

 

 その中でも、ひときわ若い三人組が、俺たちをじろじろと眺めていた。

 

 一人は、額に一本の角を持つ白髪の少年。

 

 一人は、太い腕を四本持つ少年。

 

 もう一人は、嘴と羽毛を持つ鳥のような少年。

 

 三人とも、今の俺より少し年上に見える。

 

 店主から宿の説明を聞いていると、角の少年が立ち上がった。

 

 真っすぐエリスへ歩み寄っていく。

 

「き、君も新人の冒険者なのか?」

 

 魔神語で話しかけている。

 

 そうはいってもエリスには通じていない。

 

「俺たちも新人なんだ。一緒に食事でもどうだ?」

 

 角の少年の声は、わずかに震えていた。

 

 どうやら、ナンパらしい。

 

 意を決して声を掛けたのだろう。

 

 だが、相手が悪い。

 

「…………ふん」

 

 エリスは顔を背けた。

 

 言葉が分からないだけなのだが、角の少年には完全に無視されたように見えたらしい。

 

「依頼の選び方とか、教えられると思うんだ」

 

 さらに話しかける。

 

 エリスは彼を一瞥すると、興味がないとでも言うように、静かにその場を離れようとした。

 

 ボレアス家で習った、相手にしたくない者を避ける作法だろうか。

 

 実に自然な無視だった。

 

「待てよ」

 

 角の少年は苛立ったように、エリスのフードを掴んだ。

 

 そのまま強く引っ張る。

 

 エリスの体はほとんど動かなかった。

 

 代わりに、フードの縫い目から、小さな音がした。

 

 布が裂けた。

 

「……え?」

 

 エリスが破れた箇所へ触れる。

 

 ほんのわずかな裂け目だ。

 

 縫い直せば済む程度の傷。

 

 しかし、それを見たエリスの顔から、すべての表情が消えた。

 

 まずい。

 

「何すんのよ!」

 

 振り向きざまの拳が、角の少年の顔面へ突き刺さった。

 

 少年の体が回転しながら床へ転がる。

 

「なっ──」

 

 四本腕の少年が立ち上がる。

 

 エリスはその腹へ蹴りを叩き込み、前屈みになった顎を膝で跳ね上げた。

 

 二人目も倒れる。

 

 鳥の少年が混乱しながら腰の剣へ手を伸ばした。

 

 その瞬間、コジローの視線が鋭くなる。

 

 だが、刀へ手を掛けるより先に、エリスの拳が鳥の少年の顎先を打ち抜いていた。

 

 三人が、ほとんど同時に床へ倒れる。

 

 速い。

 

 いや、感心している場合ではない。

 

 エリスは最初に倒した角の少年へ歩み寄ると、その腹を蹴り上げた。

 

「これはルーデウスが初めて買ってくれた服なのよ!」

 

 怒りの理由は、そこだったらしい。

 

 あんな安物を、大切にしてくれていたのか。

 

 少し嬉しい。

 

 だが、今は感動している場合でもない。

 

 角の少年は頭を抱えて丸くなっている。

 

 それでもエリスは蹴るのをやめなかった。

 

「一生後悔させてやるわ!」

 

「エリス、待ってください!」

 

 俺は後ろからエリスへ抱きつき、必死に引き止めた。

 

「放しなさい、ルーデウス!」

 

「僕が縫います! ちゃんと元に戻しますから!」

 

「でも、こいつが!」

 

「もう十分です! それ以上は、本当に洒落になりません!」

 

 エリスはしばらく俺の腕の中で暴れていたが、やがて大きく鼻を鳴らし、動きを止めた。

 

 俺から離れると、破れたフードを握りしめたままルイジェルドの方へ歩いていく。

 

 ルイジェルドは椅子へ座り、一連の出来事を静かに見ていた。

 

「ルイジェルドさんも止めてくださいよ!」

 

「子供同士の喧嘩だろう?」

 

「一方的すぎます!」

 

 コジローも、いつの間にか元の穏やかな立ち姿へ戻っていた。

 

「お嬢」

 

「何よ」

 

「怒るのはもっともだが、これ以上は喧嘩ではなくなる」

 

「……分かってるわよ」

 

 分かっている者の顔ではなかったが、エリスはそれ以上少年たちへ近づこうとはしなかった。

 

 ◇

 

「大丈夫ですか?」

 

 俺は倒れた三人へ治癒魔術を使った。

 

 角の少年が恐る恐る体を起こす。

 

「あ、ああ……」

 

「すみません。彼女は魔神語が分からないんです」

 

「な、なんで、あんなに怒ったんだ?」

 

「フードを大切にしていたんですよ。それと、しつこくされるのが嫌いなんです」

 

 エリスを見る。

 

 彼女は破れた箇所を睨みつけ、今にも再び暴れ出しそうな顔をしていた。

 

「謝りたいなら、今は近づかない方がいいですよ」

 

「そ、そうする……」

 

「それから、仕返しも考えない方がいいです。今度は、僕が止められるとは限りません」

 

 半分は脅しだ。

 

 だが、残り半分は本気である。

 

 角の少年は何度も頷いた。

 

「俺はクルト。あっちはバチロウとガブリンだ」

 

 四本腕がバチロウ。

 

 鳥のような少年がガブリン。

 

 三人は少し距離を取りながら並び、妙な構えを取った。

 

「三人揃って、トクラブ村愚連隊だ!」

 

 正直に言えば、格好悪い。

 

 だが本人たちは真剣だ。

 

「僕はルーデウス。あの赤髪がエリスです」

 

「二人でパーティーなのか?」

 

「いいえ」

 

 俺はルイジェルドとコジローを指さした。

 

「あの二人も一緒です」

 

 少年たちはルイジェルドを見た後、コジローの背負う長刀へ目を向けた。

 

「長い剣の人も?」

 

「コジローという戦士です。彼も魔神語は話せません」

 

 名前を呼ばれたと気づいたコジローが、三人へ軽く頭を下げる。

 

 三人も、釣られるように頭を下げた。

 

「パーティー名は?」

 

「デッドエンド」

 

 三人の表情が揃って固まる。

 

 この町では有名になるつもりなのだとクルトは言った。

 

 いずれ自分たちの仲間になりたいと言っても入れてやらない、とも。

 

 エリスに一瞬で倒された直後とは思えない自信である。

 

「魔大陸の平原でも、同じことを言えるぐらい強くなってください」

 

「今のは油断してただけだ!」

 

 実に将来有望だ。

 

 俺たちは彼らと別れ、夕食を済ませて部屋へ向かった。

 

 ◇

 

 部屋には、毛皮を重ねた寝台が四つ並んでいた。

 

 狭くはあるが、野宿と比べれば十分だ。

 

 俺は店主から針と糸を借り、破れたフードを縫い直した。

 

 エリスは隣へ座り、作業する俺の手元を黙って見ている。

 

「こんなものでどうでしょう」

 

 縫い目は少し不格好だが、穴は塞がった。

 

 エリスは受け取ったフードを何度も裏返し、満足そうに頷く。

 

「悪くないわ」

 

「次からは、もう少し手加減してくださいね」

 

「あいつが掴まなければよかったのよ」

 

 反省はしていないらしい。

 

 コジローは部屋の入り口に近い寝台へ腰を下ろしていた。

 

「ほう針仕事まで心得ておるとは、器用なものよな」

 

「必要に迫られただけです」

 

「必要に迫られれば、存外なんでもできるものか」

 

 俺は自分の寝台へ腰掛けた。

 

 今日一日で、妙に疲れた。

 

 歩いた距離なら、魔大陸の荒野を進んでいた日の方が長い。

 

 だが、人に見られ、笑われ、警戒され、芝居を続けたせいで、精神的な疲労が溜まっている。

 

 しかし、休んでばかりもいられない。

 

 俺は手持ちの金を取り出し、寝台の上へ並べた。

 

 1人一泊、石銭五枚。

 

 食事代は宿泊費に含まれる。

 

 それだけならまだ安い。

 

 だが、染料、衣服、旅の道具、消耗品。

 

 町を出た後の食料も必要になる。

 

 Fランクの仕事を一日一件こなしたところで、宿代を払えばほとんど残らない。

 

 四人で仕事を分担すれば稼げるだろう。

 

 だが、エリスとコジローは魔神語を話せない。

 

 ルイジェルドを一人で行動させれば、正体が露見する可能性もある。

 

 何より、別々に働いていては、ルイジェルドの評判を変えるという目的を果たせない。

 

 冒険者ランクが上がれば、報酬の高い仕事を受けられる。

 

 だが、討伐依頼を受けられるようになるまでには時間が掛かる。

 

 今の手持ちでは、何も稼がなければ二週間ともたないだろう。

 

 平原へ出て魔物を狩り、素材を売る方が早いかもしれない。

 

 しかし、それではデッドエンドの名を広められない。

 

 金を稼ぐ。

 

 ランクを上げる。

 

 ルイジェルドの評判を変える。

 

 三つを同時に進めなければならない。

 

 考えれば考えるほど、思考が同じ場所を回り始める。

 

「難しい顔をしているわね」

 

 エリスが言った。

 

「今後の予定を考えているんです」

 

「明日、仕事をすればいいじゃない」

 

「それだけで済めばいいんですけどね」

 

 エリスは俺に任せきっている。

 

 そう思うと、少しだけ苛立ちが湧いた。

 

 だが、それは違う。

 

 彼女が考えていないのは、俺を信じているからだ。

 

 慣れない土地で、言葉も通じない。

 

 それでも不安を表に出さず、俺の方針へ従っている。

 

 むしろ、俺が気づいていないだけなのかもしれない。

 

 俺は金を袋へ戻した。

 

 今夜考え続けても、答えは出そうにない。

 

 体も重い。

 

 明日になれば、何か思いつくかもしれない。

 

 俺は寝台へ横になり、目を閉じた。

 

 ◇

 

 白い場所だった。

 

 何もない。

 

 地面も空も、境目すら見えない。

 

 そして目の前には、相変わらず輪郭の定まらない白い人影が立っていた。

 

「やあ」

 

 軽い声。

 

 聞くだけで腹立たしい。

 

 ヒトガミだ。

 

「そんな顔をしなくてもいいだろう? 前の助言は役に立ったじゃないか」

 

 確かに、ルイジェルドを頼ったことで町までたどり着けた。

 

 だが、それだけで信用する理由にはならない。

 

「随分と彼を信頼しているんだね」

 

 当たり前だ。

 

 少なくとも、ルイジェルドは子供を守るために行動している。

 

「それなら、次の助言も聞いておくといい」

 

 白い人影は、芝居がかった仕草で両手を広げた。

 

「ルーデウスよ、明日ペット捜索の依頼を受けなさい……」

 

 どうしてだ。

 

「それであなたの不安は解消されるでしょう」

 

 それだけ言うと、白い世界が遠ざかっていった。

 

 声だけが、妙に耳の奥へ残る。

 

 ◇

 

 夜中に目が覚めた。

 

 嫌な夢だった。

 

 いや、夢と呼んでいいのかも分からない。

 

 ヒトガミは、こちらが弱っている時を狙って現れているような気がする。

 

 人の不安へ、必要そうな答えを差し出す。

 

 やり方が気に入らない。

 

 だが、ペット捜索は元々候補に入れていた。

 

 ノコパラに言われたとおり、ルイジェルドの能力とも相性がいい。

 

 今回は、助言に乗ってもいいかもしれない。

 

 俺は部屋の中を見回した。

 

 ルイジェルドは寝台を使わず、部屋の隅で槍を抱えるように座っている。

 

 眠っているのか起きているのか分からない。

 

 コジローは入り口に一番近い寝台へ横になり、長刀を手の届く位置に置いていた。

 

 静かな寝息さえ聞こえない。

 

 そしてエリスは、窓辺の寝台に腰掛けていた。

 

 膝を抱え、暗くなった町を眺めている。

 

 俺は音を立てないように起き上がり、彼女の隣へ座った。

 

「眠れないんですか?」

 

「……うん」

 

 昼間の威勢が嘘のように、か細い声だった。

 

「ねえ、ルーデウス」

 

「はい」

 

「私たち、帰れるのかな」

 

 胸の奥が痛んだ。

 

 エリスは、冒険を楽しんでいるのだと思っていた。

 

 魔大陸の景色を見て喜び、魔物との戦いにも怯えず、町へ入れば珍しい物へ目を輝かせる。

 

 だから不安など感じていないのだと、勝手に決めつけていた。

 

 そんなはずはない。

 

 家族と離れ、知らない大陸へ飛ばされ、言葉も通じない場所を旅している。

 

 怖くないはずがない。

 

 今日の喧嘩も、積み重なった不安が原因だったのかもしれない。

 

「帰れますよ」

 

 俺はエリスの肩を抱いた。

 

 彼女の頭が、そっと俺の肩へ乗る。

 

「必ず帰りましょう。フィットア領まで、僕が連れて帰ります」

 

「……任せても、大丈夫よね?」

 

「安心してください」

 

 根拠はない。

 

 道筋すら分かっていない。

 

 それでも、今ここで迷うわけにはいかなかった。

 

「何としても帰ります。だから、今は休んでください。明日から仕事を始めますよ」

 

「うん」

 

 エリスの頭を軽く撫で、俺は自分の寝台へ戻った。

 

 その途中で、ルイジェルドと目が合った。

 

 起きていたらしい。

 

 だが何も言わず、すぐに目を閉じた。

 

 コジローは身じろぎ一つしない。

 

 眠っているのか、聞こえないふりをしているのかは分からなかった。

 

 俺は毛皮へ潜り込み、改めて目を閉じる。

 

 帰らなければならない。

 

 エリスを故郷へ送り届ける。

 

 ルイジェルドの名誉を取り戻す。

 

 コジローも含め、四人でこの大陸を越える。

 

 そのためには、まず明日を生きるための金が必要だ。

 

 ペット捜索。

 

 ヒトガミが何を考えているのかは分からない。

 

 だが明日は、あの依頼を受けてみよう。

 

 こうして、デッドエンドの冒険者としての最初の一日は、静かに終わった。

 

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