無職転生~異聞 月下の剣士   作:彼岸花さつき

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第十五月 人の命と初仕事

人の命と初仕事

 

 リカリスの町、その一角にある長屋の前へ、四人の冒険者がやってきた。

 

 二人は子供。

 

 一人は、額に赤い宝石を持ち、顔を縦断する大きな傷跡のある大男。

 

 そしてもう一人は、群青色の髪を揺らし、背へ異様に長い剣を負った男だった。

 

 その中から、杖を持った少年が一歩前へ出る。

 

「こんにちは。冒険者ギルドから参りました」

 

 少年は柔らかな声で呼びかけ、長屋の扉を叩いた。

 

 この辺りを訪れる冒険者にしては、妙に丁寧な口調だった。

 

 しばらくすると、扉がわずかに開く。

 

 隙間から顔を覗かせたのは、トカゲのような尾と、先の分かれた舌を持つ幼い少女だった。

 

「メイセルさんのお宅で間違いありませんか?」

 

「……わたしが、メイセルだけど」

 

「初めまして。僕は冒険者パーティー『デッドエンド』のルーデウスと申します。本日は、ご依頼の詳しいお話を伺いに参りました」

 

「デッドエンド……?」

 

 少女の顔が強張った。

 

 魔大陸で生きる者なら、その名を知らぬ者は少ない。

 

 出会えば死ぬ。

 

 遭遇した者は誰もが、必死で逃げなければ殺されていたと口にする。

 

 スペルド族の中でも、とりわけ恐ろしい悪魔の呼び名。

 

 だが、目の前にいるのは、愛想よく微笑む小さな少年だ。

 

 その後ろでは、耳の付いたフードを目深に被った少女が、退屈そうに立っている。

 

 青い髪の大男は恐ろしい顔をしていたが、噂に聞くスペルド族の髪は緑色だったはずだ。

 

 長い剣を背負う男も、目が合うと静かに一礼しただけだった。

 

 少なくとも、すぐに襲いかかってくるようには見えない。

 

「ミーを……見つけてくれるの?」

 

「もちろんです。そのために来ました」

 

 ルーデウスはしゃがみ、少女と目線の高さを合わせた。

 

「ミーちゃんは、どんな子ですか?」

 

 少女は途切れ途切れに説明した。

 

 黒い毛並み。

 

 自分よりも大きな体。

 

 三日前から帰ってこないこと。

 

 普段なら名前を呼べば、すぐに姿を現すこと。

 

 今頃は空腹で苦しんでいるかもしれないこと。

 

 話はあちらこちらへ飛んだ。

 

 だがルーデウスは急かさず、一つずつ頷きながら聞いていた。

 

「分かりました」

 

 話を聞き終えると、ルーデウスは立ち上がった。

 

「必ず探し出します。デッドエンドにお任せください」

 

 そう言って親指を立てる。

 

 隣の耳付きフードの少女も、意味は分からないながら同じ仕草をした。

 

 メイセルも戸惑いながら、二人を真似て親指を立てる。

 

 ルーデウスは満足そうに頷くと、仲間たちを連れて歩き出した。

 

 だが、青髪の大男だけはその場へ残った。

 

 少女の前へ膝をつき、大きな手を頭へ載せる。

 

「必ず見つける。安心して待っていろ」

 

 声は低く、顔も恐ろしい。

 

 けれど、頭へ触れる手は優しかった。

 

「う、うん……お願いします」

 

「ああ。任せておけ」

 

 大男が立ち去ろうとすると、メイセルは慌てて呼び止めた。

 

「あの!」

 

 大男が振り返る。

 

「名前……なんていうの?」

 

「ルイジェルドだ」

 

 短く答えると、彼は仲間たちの後を追っていった。

 

 メイセルはその背中が見えなくなるまで、何度も小さく名前を繰り返していた。

 

 ◇

 

 依頼人との顔合わせは、ひとまず成功と見ていいだろう。

 

 前世で家へ来た訪問販売員を思い出しながら、できる限り人当たりよく振る舞ってみた。

 

 冒険者たちには笑われても構わない。

 

 だが依頼主には、安心して仕事を任せられると思ってもらわなければならない。

 

「さすがだな」

 

 歩き始めてしばらくすると、ルイジェルドが言った。

 

「あれも昨日のような芝居か?」

 

「ええ。依頼人へは丁寧に接することにしたんです」

 

「そうか」

 

「ルイジェルドさんも、最後の言葉はよかったですよ」

 

「最後?」

 

「あの子の頭を撫でて、必ず見つけると約束したでしょう」

 

「見つけるつもりだから、そう言っただけだ」

 

 本人には演出したつもりなどないらしい。

 

 だからこそ効果があったのだろう。

 

「ウェヘヘヘ、あの子、完全にルイジェルドさんへ──」

 

 冗談を言いかけたところで、後頭部を叩かれた。

 

「あいたっ!」

 

「また変な喋り方をしようとしたでしょ」

 

 振り返ると、エリスが眉を吊り上げていた。

 

「昨日のは演技だったんじゃないの?」

 

「今のも冗談ですよ」

 

「下品な冗談はやめなさい!」

 

「はい。すみません」

 

 エリスから品について注意される日が来るとは。

 

 人は成長するものである。

 

 あるいはボレアス家における品位の基準が、俺の理解を超えているだけかもしれない。

 

「それで、ミーちゃんは見つかりそうですか?」

 

 俺は話題を変えた。

 

「ああ」

 

 ルイジェルドは迷いなく答える。

 

「見つけると約束した」

 

 頼もしい。

 

 だが、町中から一匹の動物を探すのは、さすがの第三眼でも簡単ではないだろう。

 

「何か手掛かりはあるんですか?」

 

「ある」

 

 ルイジェルドは道の端へ屈み込み、地面を指さした。

 

 俺には、踏み固められた土しか見えない。

 

「足跡ですか?」

 

「これは別の獣だ。探しているものより小さい」

 

「別の獣なら、役に立たないのでは?」

 

「この辺りは、探している獣の縄張りだったはずだ」

 

 ルイジェルドは指先で土を擦った。

 

「だが、別の獣が入り込んでいる。元の主が戻っていない証拠だ」

 

 さらに鼻を動かし、周囲を見渡す。

 

「臭いも薄れている。こちらだ」

 

 そう言うと、狭い路地へ入っていった。

 

 俺には、何を根拠に進んでいるのか分からない。

 

 エリスも半信半疑らしく、しきりに地面を見ている。

 

 コジローだけは、ルイジェルドの足運びと視線を静かに観察していた。

 

「見事なものよな」

 

 しばらくして、感心したように言った。

 

「獣の残した跡を、書付でも読むように辿っておる」

 

「コジローにも分かるんですか?」

 

「いや。私に読めるのは、あの男が迷っておらぬということぐらいよ」

 

 餅は餅屋ということだろう。

 

 コジローも野山を歩いてきた人物ではあるが、ルイジェルドの追跡術へ張り合うつもりはないらしい。

 

「ここで争っている」

 

 ルイジェルドが袋小路で足を止めた。

 

 壁際の土や、建物の隙間を順番に確かめる。

 

 言われても、俺には何の痕跡も見えない。

 

「連れ去られたのですか?」

 

「恐らくな」

 

 ルイジェルドは再び歩き始めた。

 

 路地を抜け、通りを横切り、また細い道へ入る。

 

 何度曲がったのかも分からなくなった頃、周囲の景色が変わった。

 

 崩れかけた建物。

 

 剥がれ落ちた壁。

 

 道端で眠る者や、汚れた衣服の子供たち。

 

 通りを一本越えただけとは思えないほど、空気が違う。

 

 スラム街だ。

 

 すれ違う者たちが、こちらを値踏みするように見ている。

 

「エリス、周囲へ気をつけてください」

 

「分かったわ」

 

「コジローは後ろをお願いします」

 

「心得た」

 

 コジローが最後尾へ移る。

 

 その背中にある長刀へ目を留めた者はいても、近づいてくる者はいなかった。

 

 前方では、柄の悪い男がルイジェルドを睨んだ。

 

 ルイジェルドが視線を返すと、男はすぐに顔を背ける。

 

 危険な場所ほど、強者を見分ける目は確かなのかもしれない。

 

「本当に、ここにいるんですか?」

 

「さてな」

 

「さてなって……」

 

 迷っているのかと思ったが、ルイジェルドの足取りは変わらない。

 

 やがて彼は、一軒の建物の前で止まった。

 

「ここだ」

 

 建物の脇には、地下へ下りる階段があった。

 

 その先に、閉ざされた扉がある。

 

 近づくと、わずかに獣の臭いが漂ってきた。

 

「中には?」

 

「人はいない。獣が多数いる」

 

 ルイジェルドの返答を聞き、俺は扉へ手を掛けた。

 

 鍵が掛かっている。

 

 土魔術で内部を変形させ、錠を外す。

 

「勝手に入って大丈夫なの?」

 

 エリスが尋ねた。

 

「依頼の手掛かりが中にあります。何かあれば、後で謝りましょう」

 

「謝って済むの?」

 

「済ませます」

 

 済まなければ逃げよう。

 

 俺たちは周囲に人がいないことを確かめ、素早く中へ入った。

 

 ◇

 

 地下は暗かった。

 

 ルイジェルドを先頭に、細い廊下を進む。

 

 俺の後ろにはエリス。

 

 最後尾はコジローだ。

 

 扉を二つ抜けると、耳を覆いたくなるほどの鳴き声が響いてきた。

 

 最奥の部屋には、数え切れないほどの檻が並んでいる。

 

 犬に似た獣。

 

 猫に似た獣。

 

 俺の知らない姿をした動物。

 

 その多くが首輪や足輪を着けたまま、狭い檻へ押し込められていた。

 

「……何よ、これ」

 

 エリスの声が低くなる。

 

 部屋の隅には、縄や口を塞ぐための道具が散らばっている。

 

 偶然迷い込んできた動物を保護している、という雰囲気ではない。

 

「ルイジェルドさん。ミーちゃんは?」

 

「いる」

 

 ルイジェルドが指した先には、黒豹のような獣がいた。

 

 大きい。

 

 メイセルが両腕で示した大きさより、さらに一回りはある。

 

 檻へ近づくと、獣は警戒するように牙を見せた。

 

 だが首には、名前の刻まれた札が付いている。

 

「……確かに、ミーちゃんですね」

 

 可愛らしい名前との落差がすごい。

 

 これを連れて町を歩けば、別の意味で注目されるだろう。

 

「見つけたなら、早く連れて帰りましょう」

 

 エリスが言った。

 

「そうしたいところですが……」

 

 俺は周囲の檻を見回した。

 

 ほかの動物も、多くが飼われていた形跡を残している。

 

 誰かが集めたのだ。

 

 おそらく、飼い主の許可なく。

 

「こいつらも逃がすの?」

 

「まずは事情を確かめましょう」

 

 勝手にすべて解放して、実は正規の施設でしたでは困る。

 

 その可能性は低そうだが、決めつけるのは危険だ。

 

 その時、ルイジェルドが入口へ顔を向けた。

 

「戻ってきた」

 

「誰か入ってきたわ」

 

 エリスも廊下を振り返り、剣の柄へ手を置く。

 

 コジローは、わずかに目を細めた。

 

「三人か」

 

「分かるんですか?」

 

「足音が三つある」

 

 俺には動物たちの鳴き声しか聞こえない。

 

「どうするの?」

 

 逃げ道は一本道だ。

 

 こちらから出れば、廊下で鉢合わせる。

 

「捕まえましょう」

 

「話を聞くのではないのか?」

 

 ルイジェルドが尋ねる。

 

「先に武器を取り上げてから聞きます」

 

 俺たちは不法侵入者である。

 

 相手に正当な事情がある可能性も、完全には否定できない。

 

 だが、この場所を見た後で、無防備に話し合う気にはなれなかった。

 

 ◇

 

 三人の男女が部屋へ入ってきた。

 

 こちらの姿を見るなり、一人が怒鳴る。

 

「てめえら、どこから入った!」

 

 説明する前に、腰の武器へ手を伸ばした。

 

 その時点で、話し合いは後回しになった。

 

 ルイジェルドが床を蹴る。

 

 先頭の男は武器を抜き切る前に腕を取られ、壁へ叩きつけられた。

 

 エリスは二人目の懐へ飛び込み、腹へ拳を打ち込む。

 

 相手の体が折れたところへ足を掛け、床へ転がした。

 

 三人目の女は、二人が倒されたのを見ると入口へ駆け出した。

 

 だが、そこにはコジローが立っていた。

 

「どけ!」

 

 女が短剣を抜き、正面から突っ込む。

 

 コジローはわずかに半身となった。

 

「生憎、逃がすわけにはいかぬのでな」

 

 女の腕が空を切る。

 

 次の瞬間には手首を取られ、走ってきた勢いのまま床へ伏せさせられていた。

 

 コジローは刀を抜いてすらいない。

 

「ルーデウス」

 

「はい!」

 

 俺は三人の手足を土魔術で拘束した。

 

 戦闘開始から、ほんの数秒。

 

 思った以上にあっさり終わってしまった。

 

 ◇

 

 捕らえたのは、男が二人と女が一人。

 

 目を覚まさせるために水を掛けると、一人の男が大声で喚き始めた。

 

 面倒なので、三人とも近くにあった布で口を塞ぐ。

 

 平等である。

 

 俺は拘束した三人を順番に観察した。

 

 一人目は橙色の肌と複眼を持つ、体格のいい男。

 

 二人目はトカゲに似た顔の男。

 

 三人目は蜂のような顔をした女だ。

 

 誰から話を聞くべきか。

 

 女は怯えている。

 

 脅せば話すかもしれないが、恐怖に任せて適当なことを言う可能性もある。

 

 トカゲ顔の男は、さっきから俺たちを注意深く観察している。

 

 頭が回りそうだ。

 

 ならば、最も単純そうな複眼の男から聞こう。

 

 俺は彼の前へしゃがみ、口を塞いでいた布を外した。

 

「いくつか聞きたいことがあります」

 

 男は俺を睨みつける。

 

「大人しく答えてくれれば、手荒な──」

 

 言い終わるより先に、顔へ衝撃が走った。

 

「ぐっ……!」

 

 拘束されたまま、男が俺を蹴ったのだ。

 

 しゃがんでいた俺は踏ん張れず、背中から床へ転がった。

 

 後頭部が壁へぶつかり、視界に光が散る。

 

 痛い。

 

 この状況で、捕らえた相手へ足を出すのか。

 

 後のことを考えられないのだろうか。

 

「ルーデウス!」

 

 エリスの声が響いた。

 

 俺は慌てて顔を上げる。

 

 男が拘束を破り、エリスへ襲いかかったのかと思った。

 

 違った。

 

 男の喉から、一本の槍が生えていた。

 

「……え?」

 

 ルイジェルドが槍を引き抜く。

 

 鮮血が床と壁へ飛び散った。

 

 男の体が崩れ落ちる。

 

 喉を押さえようとした手が空を掻き、数度だけ痙攣して動かなくなった。

 

 部屋へ満ちていた獣の臭いに、血の臭いが混ざる。

 

 死んだ。

 

 たった今まで怒鳴っていた男が、何も言わなくなった。

 

 ルイジェルドに、殺された。

 

「な……」

 

 声がうまく出ない。

 

「なん……なんで殺したんですか」

 

 俺の問いに、ルイジェルドは当然のように答えた。

 

「子供を蹴った」

 

「それだけで?」

 

「悪人だ」

 

 槍の穂先から血が滴り落ちる。

 

 ルイジェルドの声にも、顔にも、迷いはなかった。

 

 俺はその事実に怯えていた。

 

 人が死んだからではない。

 

 ギレーヌが俺を救うために誘拐犯を斬った時、今ほどの恐怖はなかった。

 

 違いは明確だ。

 

 俺が一度蹴られた。

 

 ただそれだけで、ルイジェルドは相手を殺した。

 

 怒鳴るでもなく、脅すでもなく。

 

 息をするのと同じように。

 

 もし、この判断が俺へ向けられたら。

 

 もし、エリスがルイジェルドの考える「悪人」に当てはまったら。

 

 俺に止められるのか。

 

 無理だ。

 

 ルイジェルドは強い。

 

 おそらく、今まで出会った者の中でも、間違いなく最上位に入る。

 

 殺すつもりで戦えば、俺にもいくらか手はあるかもしれない。

 

 だが、自信を持って勝てるとは言えない。

 

 コジローなら、ルイジェルドを食い止められるかもしれない。

 

 だが、それは願望にすぎない。

 

 二人が本気で斬り結んだところを、俺は見たことがない。

 

 勝てるかどうかなど、分かるはずもなかった。

 

 それに、今の一撃を見れば分かる。

 

 コジローがいつでも間に合うとは限らない。

 

 仮に食い止められたとしても、エリスを巻き込まずに済む保証はない。

 

 そもそも、仲間同士で殺し合いをさせるわけにはいかない。

 

「こ、殺しちゃダメだ!」

 

 ようやく声が出た。

 

 ルイジェルドが目を細める。

 

「なぜだ。こいつは悪人だぞ」

 

「悪人なら、殺していいという話ではありません」

 

「なぜだ?」

 

 答えが見つからない。

 

 人を殺してはいけない。

 

 そう教えられてきたから。

 

 法律で決まっているから。

 

 そんな説明が、この世界で通じるとは思えない。

 

 俺自身、人の命を何よりも尊いと思えるほど立派な人間ではない。

 

 上辺だけの道徳を語っても、ルイジェルドには届かないだろう。

 

「殺しちゃダメな理由は、あるんです」

 

 考えろ。

 

 俺は何のために、ルイジェルドと共にいる。

 

 スペルド族の名誉を取り戻すためだ。

 

 今の行動が、それにどう影響する。

 

「ルイジェルドさんが人を殺せば、スペルド族の悪名が広がります」

 

「……悪人を殺してもか?」

 

「誰を殺したかではありません」

 

 震える手を握りしめ、言葉を続ける。

 

「誰が殺したかです」

 

「分からんな」

 

「スペルド族は、少しでも気に入らないことがあれば、人を殺す悪魔だと思われています」

 

 ルイジェルドの眉がわずかに動いた。

 

 気分のいい言い方ではないだろう。

 

 だが、ここで濁してはいけない。

 

「口で違うと言うのは簡単です。困っている人を助け続ければ、いつかは信じてもらえるかもしれない」

 

「……」

 

「けれど、一度でも人を殺すところを見られれば、全部が元に戻ります。やはりスペルド族は恐ろしい悪魔だった、と」

 

「相手が悪人でもか」

 

「ほかの人には分かりません。殺された人が、どれほど悪い人だったのかなんて」

 

 ルイジェルドは、倒れた男を見下ろした。

 

「今まで、人を助けた後で正体を知られ、態度を変えられたことはありませんか?」

 

 長い沈黙の後、ルイジェルドは答えた。

 

「……ある」

 

「なら、人を殺さないでください」

 

「一人もか?」

 

「一人もです」

 

 極端なのは分かっている。

 

 この世界には、殺さなければこちらが殺される状況もある。

 

 本当なら、殺していい時と悪い時を見極めるべきなのだろう。

 

 だが俺には、この世界の基準がまだ分からない。

 

 ルイジェルドの基準は、俺にとってあまりにも過激だ。

 

 ならば今は、すべて禁止するしかない。

 

「誰も見ていない時でもか?」

 

 ルイジェルドが尋ねた。

 

「見られなければ、評判には関係ないだろう」

 

「見ていますよ」

 

「誰がだ?」

 

「僕たちです」

 

 俺はエリスを見た。

 

 エリスは腕を組み、平静を装っている。

 

 けれど、男が殺された瞬間に浮かべた驚きは、見間違いではない。

 

 コジローは扉の前に立ったまま、血に濡れた槍とルイジェルドを静かに見ていた。

 

 彼は何も言わない。

 

 俺たちの間へ入り、話をまとめようともしない。

 

 ただ、ルイジェルドが何を選ぶのかを見届けていた。

 

「僕も、エリスも、コジローも見ています」

 

 声がまた震えた。

 

「僕らだって、ルイジェルドさんを怖がりたくはないんです」

 

 ルイジェルドの顔から、険しさが消えた。

 

 しばらく俺を見つめた後、ゆっくりと槍を下ろす。

 

「……分かった」

 

「本当に?」

 

「ああ」

 

 短い返事だった。

 

 だが、迷いはなかった。

 

「誰も殺さない。約束する」

 

「お願いします」

 

 俺は深く頭を下げた。

 

 自分の手が震えていることに、その時初めて気づいた。

 

 息を吸う。

 

 吐く。

 

 もう一度。

 

 動悸は、なかなか収まらない。

 

 エリスはいつもどおり腕を組み、顎を上げていた。

 

 内心は分からない。

 

 それでも、俺を不安にさせまいとしているのかもしれない。

 

 コジローは何も言わず、わずかに目を伏せた。

 

 床には一人の死体。

 

 残された二人の捕虜。

 

 そして、檻の中で鳴き続ける動物たち。

 

 立ち止まっている場合ではない。

 

「では……」

 

 俺は残る二人へ向き直った。

 

 血の臭いに喉を詰まらせながら、無理に笑みを作る。

 

「尋問を続けましょうか」

 

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