人の命と初仕事
リカリスの町、その一角にある長屋の前へ、四人の冒険者がやってきた。
二人は子供。
一人は、額に赤い宝石を持ち、顔を縦断する大きな傷跡のある大男。
そしてもう一人は、群青色の髪を揺らし、背へ異様に長い剣を負った男だった。
その中から、杖を持った少年が一歩前へ出る。
「こんにちは。冒険者ギルドから参りました」
少年は柔らかな声で呼びかけ、長屋の扉を叩いた。
この辺りを訪れる冒険者にしては、妙に丁寧な口調だった。
しばらくすると、扉がわずかに開く。
隙間から顔を覗かせたのは、トカゲのような尾と、先の分かれた舌を持つ幼い少女だった。
「メイセルさんのお宅で間違いありませんか?」
「……わたしが、メイセルだけど」
「初めまして。僕は冒険者パーティー『デッドエンド』のルーデウスと申します。本日は、ご依頼の詳しいお話を伺いに参りました」
「デッドエンド……?」
少女の顔が強張った。
魔大陸で生きる者なら、その名を知らぬ者は少ない。
出会えば死ぬ。
遭遇した者は誰もが、必死で逃げなければ殺されていたと口にする。
スペルド族の中でも、とりわけ恐ろしい悪魔の呼び名。
だが、目の前にいるのは、愛想よく微笑む小さな少年だ。
その後ろでは、耳の付いたフードを目深に被った少女が、退屈そうに立っている。
青い髪の大男は恐ろしい顔をしていたが、噂に聞くスペルド族の髪は緑色だったはずだ。
長い剣を背負う男も、目が合うと静かに一礼しただけだった。
少なくとも、すぐに襲いかかってくるようには見えない。
「ミーを……見つけてくれるの?」
「もちろんです。そのために来ました」
ルーデウスはしゃがみ、少女と目線の高さを合わせた。
「ミーちゃんは、どんな子ですか?」
少女は途切れ途切れに説明した。
黒い毛並み。
自分よりも大きな体。
三日前から帰ってこないこと。
普段なら名前を呼べば、すぐに姿を現すこと。
今頃は空腹で苦しんでいるかもしれないこと。
話はあちらこちらへ飛んだ。
だがルーデウスは急かさず、一つずつ頷きながら聞いていた。
「分かりました」
話を聞き終えると、ルーデウスは立ち上がった。
「必ず探し出します。デッドエンドにお任せください」
そう言って親指を立てる。
隣の耳付きフードの少女も、意味は分からないながら同じ仕草をした。
メイセルも戸惑いながら、二人を真似て親指を立てる。
ルーデウスは満足そうに頷くと、仲間たちを連れて歩き出した。
だが、青髪の大男だけはその場へ残った。
少女の前へ膝をつき、大きな手を頭へ載せる。
「必ず見つける。安心して待っていろ」
声は低く、顔も恐ろしい。
けれど、頭へ触れる手は優しかった。
「う、うん……お願いします」
「ああ。任せておけ」
大男が立ち去ろうとすると、メイセルは慌てて呼び止めた。
「あの!」
大男が振り返る。
「名前……なんていうの?」
「ルイジェルドだ」
短く答えると、彼は仲間たちの後を追っていった。
メイセルはその背中が見えなくなるまで、何度も小さく名前を繰り返していた。
◇
依頼人との顔合わせは、ひとまず成功と見ていいだろう。
前世で家へ来た訪問販売員を思い出しながら、できる限り人当たりよく振る舞ってみた。
冒険者たちには笑われても構わない。
だが依頼主には、安心して仕事を任せられると思ってもらわなければならない。
「さすがだな」
歩き始めてしばらくすると、ルイジェルドが言った。
「あれも昨日のような芝居か?」
「ええ。依頼人へは丁寧に接することにしたんです」
「そうか」
「ルイジェルドさんも、最後の言葉はよかったですよ」
「最後?」
「あの子の頭を撫でて、必ず見つけると約束したでしょう」
「見つけるつもりだから、そう言っただけだ」
本人には演出したつもりなどないらしい。
だからこそ効果があったのだろう。
「ウェヘヘヘ、あの子、完全にルイジェルドさんへ──」
冗談を言いかけたところで、後頭部を叩かれた。
「あいたっ!」
「また変な喋り方をしようとしたでしょ」
振り返ると、エリスが眉を吊り上げていた。
「昨日のは演技だったんじゃないの?」
「今のも冗談ですよ」
「下品な冗談はやめなさい!」
「はい。すみません」
エリスから品について注意される日が来るとは。
人は成長するものである。
あるいはボレアス家における品位の基準が、俺の理解を超えているだけかもしれない。
「それで、ミーちゃんは見つかりそうですか?」
俺は話題を変えた。
「ああ」
ルイジェルドは迷いなく答える。
「見つけると約束した」
頼もしい。
だが、町中から一匹の動物を探すのは、さすがの第三眼でも簡単ではないだろう。
「何か手掛かりはあるんですか?」
「ある」
ルイジェルドは道の端へ屈み込み、地面を指さした。
俺には、踏み固められた土しか見えない。
「足跡ですか?」
「これは別の獣だ。探しているものより小さい」
「別の獣なら、役に立たないのでは?」
「この辺りは、探している獣の縄張りだったはずだ」
ルイジェルドは指先で土を擦った。
「だが、別の獣が入り込んでいる。元の主が戻っていない証拠だ」
さらに鼻を動かし、周囲を見渡す。
「臭いも薄れている。こちらだ」
そう言うと、狭い路地へ入っていった。
俺には、何を根拠に進んでいるのか分からない。
エリスも半信半疑らしく、しきりに地面を見ている。
コジローだけは、ルイジェルドの足運びと視線を静かに観察していた。
「見事なものよな」
しばらくして、感心したように言った。
「獣の残した跡を、書付でも読むように辿っておる」
「コジローにも分かるんですか?」
「いや。私に読めるのは、あの男が迷っておらぬということぐらいよ」
餅は餅屋ということだろう。
コジローも野山を歩いてきた人物ではあるが、ルイジェルドの追跡術へ張り合うつもりはないらしい。
「ここで争っている」
ルイジェルドが袋小路で足を止めた。
壁際の土や、建物の隙間を順番に確かめる。
言われても、俺には何の痕跡も見えない。
「連れ去られたのですか?」
「恐らくな」
ルイジェルドは再び歩き始めた。
路地を抜け、通りを横切り、また細い道へ入る。
何度曲がったのかも分からなくなった頃、周囲の景色が変わった。
崩れかけた建物。
剥がれ落ちた壁。
道端で眠る者や、汚れた衣服の子供たち。
通りを一本越えただけとは思えないほど、空気が違う。
スラム街だ。
すれ違う者たちが、こちらを値踏みするように見ている。
「エリス、周囲へ気をつけてください」
「分かったわ」
「コジローは後ろをお願いします」
「心得た」
コジローが最後尾へ移る。
その背中にある長刀へ目を留めた者はいても、近づいてくる者はいなかった。
前方では、柄の悪い男がルイジェルドを睨んだ。
ルイジェルドが視線を返すと、男はすぐに顔を背ける。
危険な場所ほど、強者を見分ける目は確かなのかもしれない。
「本当に、ここにいるんですか?」
「さてな」
「さてなって……」
迷っているのかと思ったが、ルイジェルドの足取りは変わらない。
やがて彼は、一軒の建物の前で止まった。
「ここだ」
建物の脇には、地下へ下りる階段があった。
その先に、閉ざされた扉がある。
近づくと、わずかに獣の臭いが漂ってきた。
「中には?」
「人はいない。獣が多数いる」
ルイジェルドの返答を聞き、俺は扉へ手を掛けた。
鍵が掛かっている。
土魔術で内部を変形させ、錠を外す。
「勝手に入って大丈夫なの?」
エリスが尋ねた。
「依頼の手掛かりが中にあります。何かあれば、後で謝りましょう」
「謝って済むの?」
「済ませます」
済まなければ逃げよう。
俺たちは周囲に人がいないことを確かめ、素早く中へ入った。
◇
地下は暗かった。
ルイジェルドを先頭に、細い廊下を進む。
俺の後ろにはエリス。
最後尾はコジローだ。
扉を二つ抜けると、耳を覆いたくなるほどの鳴き声が響いてきた。
最奥の部屋には、数え切れないほどの檻が並んでいる。
犬に似た獣。
猫に似た獣。
俺の知らない姿をした動物。
その多くが首輪や足輪を着けたまま、狭い檻へ押し込められていた。
「……何よ、これ」
エリスの声が低くなる。
部屋の隅には、縄や口を塞ぐための道具が散らばっている。
偶然迷い込んできた動物を保護している、という雰囲気ではない。
「ルイジェルドさん。ミーちゃんは?」
「いる」
ルイジェルドが指した先には、黒豹のような獣がいた。
大きい。
メイセルが両腕で示した大きさより、さらに一回りはある。
檻へ近づくと、獣は警戒するように牙を見せた。
だが首には、名前の刻まれた札が付いている。
「……確かに、ミーちゃんですね」
可愛らしい名前との落差がすごい。
これを連れて町を歩けば、別の意味で注目されるだろう。
「見つけたなら、早く連れて帰りましょう」
エリスが言った。
「そうしたいところですが……」
俺は周囲の檻を見回した。
ほかの動物も、多くが飼われていた形跡を残している。
誰かが集めたのだ。
おそらく、飼い主の許可なく。
「こいつらも逃がすの?」
「まずは事情を確かめましょう」
勝手にすべて解放して、実は正規の施設でしたでは困る。
その可能性は低そうだが、決めつけるのは危険だ。
その時、ルイジェルドが入口へ顔を向けた。
「戻ってきた」
「誰か入ってきたわ」
エリスも廊下を振り返り、剣の柄へ手を置く。
コジローは、わずかに目を細めた。
「三人か」
「分かるんですか?」
「足音が三つある」
俺には動物たちの鳴き声しか聞こえない。
「どうするの?」
逃げ道は一本道だ。
こちらから出れば、廊下で鉢合わせる。
「捕まえましょう」
「話を聞くのではないのか?」
ルイジェルドが尋ねる。
「先に武器を取り上げてから聞きます」
俺たちは不法侵入者である。
相手に正当な事情がある可能性も、完全には否定できない。
だが、この場所を見た後で、無防備に話し合う気にはなれなかった。
◇
三人の男女が部屋へ入ってきた。
こちらの姿を見るなり、一人が怒鳴る。
「てめえら、どこから入った!」
説明する前に、腰の武器へ手を伸ばした。
その時点で、話し合いは後回しになった。
ルイジェルドが床を蹴る。
先頭の男は武器を抜き切る前に腕を取られ、壁へ叩きつけられた。
エリスは二人目の懐へ飛び込み、腹へ拳を打ち込む。
相手の体が折れたところへ足を掛け、床へ転がした。
三人目の女は、二人が倒されたのを見ると入口へ駆け出した。
だが、そこにはコジローが立っていた。
「どけ!」
女が短剣を抜き、正面から突っ込む。
コジローはわずかに半身となった。
「生憎、逃がすわけにはいかぬのでな」
女の腕が空を切る。
次の瞬間には手首を取られ、走ってきた勢いのまま床へ伏せさせられていた。
コジローは刀を抜いてすらいない。
「ルーデウス」
「はい!」
俺は三人の手足を土魔術で拘束した。
戦闘開始から、ほんの数秒。
思った以上にあっさり終わってしまった。
◇
捕らえたのは、男が二人と女が一人。
目を覚まさせるために水を掛けると、一人の男が大声で喚き始めた。
面倒なので、三人とも近くにあった布で口を塞ぐ。
平等である。
俺は拘束した三人を順番に観察した。
一人目は橙色の肌と複眼を持つ、体格のいい男。
二人目はトカゲに似た顔の男。
三人目は蜂のような顔をした女だ。
誰から話を聞くべきか。
女は怯えている。
脅せば話すかもしれないが、恐怖に任せて適当なことを言う可能性もある。
トカゲ顔の男は、さっきから俺たちを注意深く観察している。
頭が回りそうだ。
ならば、最も単純そうな複眼の男から聞こう。
俺は彼の前へしゃがみ、口を塞いでいた布を外した。
「いくつか聞きたいことがあります」
男は俺を睨みつける。
「大人しく答えてくれれば、手荒な──」
言い終わるより先に、顔へ衝撃が走った。
「ぐっ……!」
拘束されたまま、男が俺を蹴ったのだ。
しゃがんでいた俺は踏ん張れず、背中から床へ転がった。
後頭部が壁へぶつかり、視界に光が散る。
痛い。
この状況で、捕らえた相手へ足を出すのか。
後のことを考えられないのだろうか。
「ルーデウス!」
エリスの声が響いた。
俺は慌てて顔を上げる。
男が拘束を破り、エリスへ襲いかかったのかと思った。
違った。
男の喉から、一本の槍が生えていた。
「……え?」
ルイジェルドが槍を引き抜く。
鮮血が床と壁へ飛び散った。
男の体が崩れ落ちる。
喉を押さえようとした手が空を掻き、数度だけ痙攣して動かなくなった。
部屋へ満ちていた獣の臭いに、血の臭いが混ざる。
死んだ。
たった今まで怒鳴っていた男が、何も言わなくなった。
ルイジェルドに、殺された。
「な……」
声がうまく出ない。
「なん……なんで殺したんですか」
俺の問いに、ルイジェルドは当然のように答えた。
「子供を蹴った」
「それだけで?」
「悪人だ」
槍の穂先から血が滴り落ちる。
ルイジェルドの声にも、顔にも、迷いはなかった。
俺はその事実に怯えていた。
人が死んだからではない。
ギレーヌが俺を救うために誘拐犯を斬った時、今ほどの恐怖はなかった。
違いは明確だ。
俺が一度蹴られた。
ただそれだけで、ルイジェルドは相手を殺した。
怒鳴るでもなく、脅すでもなく。
息をするのと同じように。
もし、この判断が俺へ向けられたら。
もし、エリスがルイジェルドの考える「悪人」に当てはまったら。
俺に止められるのか。
無理だ。
ルイジェルドは強い。
おそらく、今まで出会った者の中でも、間違いなく最上位に入る。
殺すつもりで戦えば、俺にもいくらか手はあるかもしれない。
だが、自信を持って勝てるとは言えない。
コジローなら、ルイジェルドを食い止められるかもしれない。
だが、それは願望にすぎない。
二人が本気で斬り結んだところを、俺は見たことがない。
勝てるかどうかなど、分かるはずもなかった。
それに、今の一撃を見れば分かる。
コジローがいつでも間に合うとは限らない。
仮に食い止められたとしても、エリスを巻き込まずに済む保証はない。
そもそも、仲間同士で殺し合いをさせるわけにはいかない。
「こ、殺しちゃダメだ!」
ようやく声が出た。
ルイジェルドが目を細める。
「なぜだ。こいつは悪人だぞ」
「悪人なら、殺していいという話ではありません」
「なぜだ?」
答えが見つからない。
人を殺してはいけない。
そう教えられてきたから。
法律で決まっているから。
そんな説明が、この世界で通じるとは思えない。
俺自身、人の命を何よりも尊いと思えるほど立派な人間ではない。
上辺だけの道徳を語っても、ルイジェルドには届かないだろう。
「殺しちゃダメな理由は、あるんです」
考えろ。
俺は何のために、ルイジェルドと共にいる。
スペルド族の名誉を取り戻すためだ。
今の行動が、それにどう影響する。
「ルイジェルドさんが人を殺せば、スペルド族の悪名が広がります」
「……悪人を殺してもか?」
「誰を殺したかではありません」
震える手を握りしめ、言葉を続ける。
「誰が殺したかです」
「分からんな」
「スペルド族は、少しでも気に入らないことがあれば、人を殺す悪魔だと思われています」
ルイジェルドの眉がわずかに動いた。
気分のいい言い方ではないだろう。
だが、ここで濁してはいけない。
「口で違うと言うのは簡単です。困っている人を助け続ければ、いつかは信じてもらえるかもしれない」
「……」
「けれど、一度でも人を殺すところを見られれば、全部が元に戻ります。やはりスペルド族は恐ろしい悪魔だった、と」
「相手が悪人でもか」
「ほかの人には分かりません。殺された人が、どれほど悪い人だったのかなんて」
ルイジェルドは、倒れた男を見下ろした。
「今まで、人を助けた後で正体を知られ、態度を変えられたことはありませんか?」
長い沈黙の後、ルイジェルドは答えた。
「……ある」
「なら、人を殺さないでください」
「一人もか?」
「一人もです」
極端なのは分かっている。
この世界には、殺さなければこちらが殺される状況もある。
本当なら、殺していい時と悪い時を見極めるべきなのだろう。
だが俺には、この世界の基準がまだ分からない。
ルイジェルドの基準は、俺にとってあまりにも過激だ。
ならば今は、すべて禁止するしかない。
「誰も見ていない時でもか?」
ルイジェルドが尋ねた。
「見られなければ、評判には関係ないだろう」
「見ていますよ」
「誰がだ?」
「僕たちです」
俺はエリスを見た。
エリスは腕を組み、平静を装っている。
けれど、男が殺された瞬間に浮かべた驚きは、見間違いではない。
コジローは扉の前に立ったまま、血に濡れた槍とルイジェルドを静かに見ていた。
彼は何も言わない。
俺たちの間へ入り、話をまとめようともしない。
ただ、ルイジェルドが何を選ぶのかを見届けていた。
「僕も、エリスも、コジローも見ています」
声がまた震えた。
「僕らだって、ルイジェルドさんを怖がりたくはないんです」
ルイジェルドの顔から、険しさが消えた。
しばらく俺を見つめた後、ゆっくりと槍を下ろす。
「……分かった」
「本当に?」
「ああ」
短い返事だった。
だが、迷いはなかった。
「誰も殺さない。約束する」
「お願いします」
俺は深く頭を下げた。
自分の手が震えていることに、その時初めて気づいた。
息を吸う。
吐く。
もう一度。
動悸は、なかなか収まらない。
エリスはいつもどおり腕を組み、顎を上げていた。
内心は分からない。
それでも、俺を不安にさせまいとしているのかもしれない。
コジローは何も言わず、わずかに目を伏せた。
床には一人の死体。
残された二人の捕虜。
そして、檻の中で鳴き続ける動物たち。
立ち止まっている場合ではない。
「では……」
俺は残る二人へ向き直った。
血の臭いに喉を詰まらせながら、無理に笑みを作る。
「尋問を続けましょうか」