無職転生~異聞 月下の剣士   作:彼岸花さつき

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第二月 謎の訪問者

 謎の訪問者

 

 正門へ向かう途中、屋敷の使用人とすれ違った。

 

 その男は俺たちの姿を見るなり、少し困ったような顔をした。

 

「エリスお嬢様、ちょうどお呼びに参ろうかと」

 

「誰が来たの?」

 

「本家からの使者だそうです。現在、フィリップ様がお話をされています」

 

「強い人なんでしょ!」

 

「さ、さあ……そこまでは」

 

 使用人が助けを求めるように俺を見る。

 

 知らん。

 

 俺にエリスを止められると思わないでほしい。

 

「どんな人なの?」

 

「コジロー様と名乗っておられました。本家では剣術の指南もされているとか」

 

「剣術!」

 

 エリスの顔が、さらに明るくなる。

 

 しまった。

 

 火に油を注いだぞ、この人。

 

「今すぐ会うわ!」

 

「お待ちください、エリスお嬢様。フィリップ様がお話を――」

 

「終わるまで待てばいいんでしょ!」

 

 そう言いながら、エリスはもう屋敷の方へ走り出している。

 

 まったく待つ気のない走り方だった。

 

 俺も仕方なく後を追おうとしたが、ギレーヌがその場から動いていないことに気づいた。

 

 彼女はまだ正門の方を見ていた。

 

「ギレーヌ?」

 

「……気配が消えた」

 

「帰ったんですか?」

 

「違う」

 

 ギレーヌは首を横に振る。

 

「屋敷の中にいる」

 

「だったら、消えたんじゃないのでは?」

 

「そうではない」

 

 ギレーヌはうまく説明できないらしく、眉間にしわを寄せた。

 

「近くにいると分かっている。だが、捉えられない」

 

 なるほど。

 

 つまり、正門へ近づいていた時は遠くからでも分かるほどの存在感があったのに、屋敷へ入った途端、まるで景色の中へ溶け込んでしまったということだろうか。

 

 そんな芸当ができるものなのか。

 

 少なくとも、俺にはよく分からない。

 

「危険な相手でしょうか」

 

「分からない」

 

 ギレーヌは一度そう答え、少し考えてから付け加えた。

 

「だが、悪い気配ではない」

 

 悪い気配ではない。

 

 ギレーヌがそう言うなら、ひとまず信用してよさそうだ。

 

 問題は、エリスがその使者にいきなり斬りかからないかどうかである。

 

「急ぎましょう」

 

「ああ」

 

 俺たちは、先に走っていったエリスを追った。

 

     ◇

 

 応接室の前には、エリスがいた。

 

 扉へ耳を押し当てている。

 

「エリス、何をしてるんですか」

 

「静かにしなさい!」

 

 堂々と盗み聞きをしながら言う台詞ではない。

 

 俺が呆れていると、中からフィリップ様の声が聞こえた。

 

「事情は承知しました。本家には、こちらも異存はないとお伝えください」

 

「承知した」

 

 聞き慣れない男の声だった。

 

 低すぎず、高すぎず。

 

 穏やかで、どこか掴みどころがない。

 

「しかし、まさかコジロー殿ご自身が使者として来られるとは思いませんでした」

 

「なに。たまには道を歩かねば、足も鈍ろう」

 

「本家の方々も、あなたに随分と頼っておられるようですな」

 

「さて。屋根を借りている身ゆえ、頼まれれば応じるまでよ」

 

 フィリップ様が小さく笑った。

 

「相変わらずですな」

 

 会話から察するに、客人はフィリップ様とも面識があるらしい。

 

 それに、本家との関係も悪くはないようだ。

 

 むしろ、相当に信頼されているのだろう。

 

 本人は大したことではないように話しているが、本家の剣術指南を任され、こうして使者にまで選ばれているのだ。

 

 ただの居候というわけではなさそうだった。

 

 エリスは早く姿を見たくて仕方ないのか、扉へさらに体重を掛けた。

 

 その瞬間。

 

 扉が内側へ開いた。

 

「ひゃっ!」

 

 エリスが前へ倒れ込む。

 

 俺は慌てて腕を伸ばしたが、それより先に、誰かが彼女の肩を支えた。

 

「おっと」

 

 静かな声だった。

 

 エリスは転ぶことなく、その場に踏みとどまる。

 

 扉の向こうに立っていたのは、長身の男だった。

 

 青紫色の髪を後ろでまとめ、細身の衣服をまとっている。

 

 顔立ちは整っているが、貴族らしい華美さはない。

 

 かといって、荒事を生業とする傭兵のようにも見えなかった。

 

 立ち姿には力みがなく、まるで庭の木々でも眺めに来た旅人のようだ。

 

 けれど。

 

 その腰に差された得物だけは、どう見ても普通ではなかった。

 

 長い。

 

 とにかく長い。

 

 鞘に収まっている状態でも、俺の身長よりはるかに長く見える。

 

 あれを腰に差して、まともに歩けるのか。

 

 いや、それ以前に抜けるのか?

 

「エリス。客人の部屋を盗み聞きするのは感心しないな」

 

 室内からフィリップ様が現れた。

 

「盗み聞きなんてしてないわ!」

 

「では、扉へ耳を押し当てて何をしていたんだ?」

 

「中の音を聞いていただけよ!」

 

 それを盗み聞きと言うのではないだろうか。

 

 フィリップ様も同じことを思ったらしく、額へ手を当てている。

 

 男はそんな親子のやり取りを眺め、かすかに笑った。

 

「いや。元気があって結構」

 

「子供扱いしないで!」

 

 エリスが男を睨みつける。

 

 だが、その視線はすぐに男の腰へ移った。

 

「なに、その剣」

 

 やはり、そこに食いついたか。

 

 男が腰の得物へ目を落とす。

 

「これか」

 

「ずいぶん長いわね。ちょっと見せなさい!」

 

「エリス」

 

 ギレーヌが低い声でたしなめる。

 

 エリスは不満そうに振り返った。

 

「だって、見たことないもの!」

 

「客人に命令するな」

 

「じゃあ、見せてちょうだい!」

 

 言い直せばいいという問題ではない気がする。

 

 男は気を悪くした様子もなく、長い鞘へ軽く手を添えた。

 

「これは見世物ではないのでな」

 

「ケチ!」

 

「はは。そう言うな。刃物とは、本来そう易々と抜くものでもあるまい」

 

 男の答えは穏やかだった。

 

 子供のわがままに困るというより、春先に騒ぐ小鳥を眺めているような顔をしている。

 

 エリスは断られたことが不満なのか、頬を膨らませた。

 

「じゃあ、それは何なのよ。剣じゃないの?」

 

「剣の一種ではある」

 

「名前は?」

 

「カタナ」

 

 男は簡潔に答えた。

 

 その瞬間。

 

 俺の思考が、ぴたりと止まった。

 

(……カタナ?)

 

 今、聞き間違いじゃなければ、カタナと言ったか?

 

 カタナ。

 

 まさか、あの刀?

 

 日本刀の、刀?

 

 俺は改めて、男の腰の得物を見る。

 

 異様に長い。

 

 鞘の形状は、西洋剣のものとは明らかに違う。

 

 鍔も小さい。

 

 確かに、俺の記憶にある日本刀に近い。

 

 いや、あんな長い刀を実際に見たことはないが。

 

 この世界にも刀に似た武器が存在しているのか?

 

 それとも、この男は――。

 

「どうした、小僧」

 

 男と目が合った。

 

 しまった。

 

 あまりに凝視しすぎたらしい。

 

「い、いえ。その……珍しい武器だと思いまして」

 

「左様か」

 

 男はそれだけ言った。

 

 けれど、その細い目が一瞬だけ、俺の内側まで覗き込んだように感じられた。

 

 俺が「カタナ」という言葉へ反応したことに気づいたのだろうか。

 

 いや。

 

 まさかな。

 

 この世界にだって、同じような言葉が存在していてもおかしくはない。

 

 俺が過剰反応しているだけかもしれない。

 

「紹介しよう」

 

 フィリップ様が男の横へ立った。

 

「こちらは、本家から使者として来られたコジロー殿だ。本家では剣術指南も務めておられる」

 

「務める、というほどのものでもない」

 

 コジローと呼ばれた男は、少し困ったように肩をすくめた。

 

「しばし屋根を借りておる身ゆえ、頼まれれば棒を振る程度よ」

 

「本家の騎士たちが、あなたとの稽古を棒振りと聞けば泣きますよ」

 

「それは申し訳ないことをした」

 

 まったく申し訳なさそうには見えない。

 

 フィリップ様は続けて、俺たちを紹介した。

 

「こちらが娘のエリス。そして、その家庭教師を務めてもらっているルーデウス君だ」

 

「ルーデウス・グレイラットです」

 

 俺が頭を下げると、コジローも軽く会釈した。

 

「コジローだ。しばし世話になる」

 

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 

 それからコジローは、エリスへ視線を向ける。

 

 エリスは先ほど断られたことをまだ根に持っているらしく、腕を組んで睨み返した。

 

 コジローは怒るでもなく、その赤い髪と釣り上がった目をしばらく眺めた。

 

「美しい小鳥かと思えば……」

 

「なによ」

 

「なるほど。その実、獅子の類であったか」

 

「誰が獅子よ!」

 

 エリスが吠えた。

 

 まさに獅子だった。

 

 俺は笑いをこらえるために口元へ手を当てる。

 

「ルーデウス! なに笑ってるのよ!」

 

「笑ってません」

 

「笑ってるじゃない!」

 

 エリスがこちらへ詰め寄ってくる。

 

 その騒ぎの中で、コジローは愉快そうに目を細めていた。

 

 だが。

 

 ギレーヌだけは笑っていなかった。

 

     ◇

 

 ギレーヌは、コジローを真っ直ぐに見つめていた。

 

 先ほどまでエリスをたしなめていた時とは、目つきが違う。

 

 コジローもそれに気づいたらしい。

 

 笑みを消したわけではない。

 

 けれど、自然にギレーヌへ体を向けた。

 

 二人の間に、言葉はなかった。

 

 ギレーヌの右手が、剣の柄へ近づく。

 

 コジローは動かない。

 

 腰のカタナに手を掛けることもなく、ただ静かに立っている。

 

 それだけなのに。

 

 空気が変わった。

 

 ついさっきまで騒いでいたエリスも、何かを感じ取ったのか口を閉じる。

 

 俺には二人が睨み合っているようにしか見えない。

 

 けれど、ギレーヌの額に、わずかに汗が浮かんでいた。

 

 コジローは何もしていない。

 

 構えてすらいない。

 

 それなのに、ギレーヌはまるで剣を突きつけられているかのように、じっと相手の動きを見ている。

 

 長い沈黙ではなかった。

 

 実際には、ほんの数秒だったのだろう。

 

 やがてギレーヌの手が、剣の柄から離れた。

 

「……失礼した」

 

 そう言って、一歩だけ退く。

 

 コジローもまた、わずかに頭を下げた。

 

「いや」

 

 そして、ギレーヌの横にいるエリスへ一度目を向ける。

 

「良き護衛よ」

 

 それだけだった。

 

 何が起きたのか、俺には分からない。

 

 エリスも分かっていないらしく、交互に二人を見ている。

 

 けれど、ギレーヌはそれ以上コジローを警戒しなかった。

 

「コジロー殿には、返書の用意が整うまでこちらへ滞在していただく」

 

 フィリップ様が場の空気を戻すように告げる。

 

「数日ほどだが、粗相のないようにな」

 

「分かってるわよ」

 

 エリスはそう答えながら、もう一度カタナを見た。

 

 粗相をしない顔ではなかった。

 

 たぶん、今日中にもう一度「見せなさい」と言うだろう。

 

 場合によっては、「あたしと戦いなさい」まで行くかもしれない。

 

 俺は嫌な予感を覚えながら、コジローという男を見上げた。

 

 見慣れない長刀。

 

 カタナという言葉。

 

 ギレーヌが認めたらしい、底の見えない実力。

 

 どうやら、本家から来たこの客人は、数日で忘れられるような人物ではなさそうだった。

 

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