無職転生~異聞 月下の剣士   作:彼岸花さつき

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第二十一月 幕間 夜番の二人

 幕間 夜番の二人 

 

 リカリスの町を出て、二日目の夜。

 

 俺たちは岩山の陰に野営地を作った。

 

 一日中歩き続けたせいだろう。エリスは夕食を食べ終えるなり、毛布にくるまって眠ってしまった。

 

 俺も眠かった。 

 

 夜番はルイジェルドとコジローが引き受けてくれるらしい。

 

 ありがたい話である。

 

 昨日の今日で、頭も体も疲れ切っている。こういう時ぐらい、大人に甘えさせてもらおう。

 

「おやすみなさい」

 

「ああ」

 

「よく休め、小僧」

 

「はい……」

 

 そう返したところまでは覚えている。

 

 その後のことは、知らない。

 

 ◇

 

 焚き火が小さく爆ぜた。

 

 夜の魔大陸は静かだった。

 

 時折、遠くから魔物の声が響いてくるが、近づいてくる気配はない。

 

 ルイジェルドは火の傍らに座り、暗闇の向こうを見ていた。

 

 少し離れた場所では、エリスとルーデウスが眠っている。

 

 エリスは毛布を半分蹴飛ばしていた。

 

 ルイジェルドが立ち上がり、毛布を掛け直す。

 

「世話の焼ける娘だ」

 

 そう呟いたところで、背後から足音がした。

 

「こちらに異状はない」

 

 コジローだった。

 

 野営地の周囲を一通り見てきたらしい。

 

「そうか」

 

「少々風が強い程度よ。今宵は静かなものだ」

 

 コジローは焚き火の向かいへ腰を下ろした。

 

 ルイジェルドが水袋を差し出す。

 

「飲むか」

 

「いただこう」

 

 受け取ったコジローが一口飲み、返す。

 

 それきり、しばらく言葉はなかった。

 

 二人とも沈黙を苦にする性質ではない。

 

 焚き火の音だけが続く。

 

 やがて、ルイジェルドが口を開いた。

 

「コジロー」

 

「何かな」

 

「お前は、俺が怖くないのか」

 

 コジローが僅かに目を細めた。

 

「恐ろしいとも」

 

 意外な返事だったのだろう。

 

 ルイジェルドがコジローを見る。

 

「そなたほどの武人を敵に回すとなれば、恐ろしいに決まっておろう」

 

「そういう意味ではない」

 

「承知している」

 

 コジローは薄く笑った。

 

 焚き火の向こうに、ルイジェルドの赤い宝石が揺らめいて見える。

 

「昨日の町を見ただろう」

 

「ああ」

 

「俺の髪を見ただけで、皆が逃げた」

 

「そうであったな」

 

「お前は違った」

 

 コジローは答えず、しばし火を眺めていた。

 

「私は、髪の色では人を見ぬよ」

 

「……」

 

「初めて会った夜、そなたの傍らには眠る童が二人いた。傷一つなく、夜気に晒されぬよう守られていた」

 

 ルイジェルドが黙って聞いている。

 

「それに、今日までそなたが何をしてきたかも見ている」

 

 コジローは火へ細い枝を一本放り込んだ。

 

「ならば、今さら恐れる理由もあるまい」

 

「俺がスペルド族でもか」

 

「それがそなたの振る舞いを変えるのか?」

 

「変わらん」

 

「ならば、私にとっても同じことよ」

 

 ルイジェルドはしばらくコジローを見ていた。

 

 やがて、前へ向き直る。

 

「……そうか」

 

「うむ」

 

 再び静かになる。

 

 しばらくして、今度はルイジェルドが眠っているエリスへ目を向けた。

 

「一つ、聞きたい」

 

「何かな」

 

「赤蛇と戦った時だ」

 

「ふむ」

 

「あの時なぜお前は剣を抜かなかった?」

 

「ああ」

 

「お前なら、あれを斬れただろう」

 

 コジローは否定しなかった。

 

「なぜ戦わなかった」

 

「必要がなかったからよ」

 

「必要が?」

 

「そなたがおった」

 

 即答だった。

 

 ルイジェルドの眉が僅かに動く。

 

「俺を試していたのか?」

 

「生憎と、そこまで性根は悪くない」

 

 コジローの口元に微かな笑みが浮かぶ。

 

「お嬢には、実際に剣を振るう場が必要であろう。師(ギレーヌ殿)から教わった剣も、実戦を経ねば身にはならぬ」

 

「だが、万が一ということもある」

 

「左様」

 

 そこで初めて、コジローがルイジェルドを見る。

 

「ゆえに、そなたに任せた」

 

 短い言葉だった。

 

「お嬢が危うくなれば、そなたが守る。それでも間に合わぬなら、私が斬る」

 

「……」

 

「死なせるつもりは毛頭ない。されど、危うさを全て取り除いてしまえば、得られるものまで失う」

 

 ルイジェルドは何も言わなかった。

 

 赤蛇との戦いを思い出しているのかもしれない。

 

 しばらくして、低い声で言った。

 

「俺が守れると判断したのか」

 

「さて」

 

 コジローは笑う。

 

「そなたほどの武人を前にして、それを疑う方が失礼であろう?」

 

 ルイジェルドの口元が僅かに緩んだ。

 

「変な男だな、お前は」

 

「よく言われる」

 

「そうなのか?」

 

「いや。今のは適当に申した」

 

「……」

 

 ルイジェルドがコジローを見る。

 

 コジローは涼しい顔で焚き火を眺めている。

 

「フッ……お前も冗談を言うのだな」

 

「たまにはな」

 

 今度はルイジェルドが小さく息を吐いた。

 

 呆れたのか、笑ったのか。

 

 どちらとも取れる。

 

 やがて、ルイジェルドは再び真面目な顔へ戻った。

 

「お前は、どこまで一緒に来るつもりだ」

 

「お嬢が故郷へ帰るまで」

 

「エリスを?」

 

「うむ」

 

 コジローは迷わなかった。

 

「グレイラット家には一宿一飯の恩義がある。あの二人を無事に送り届けて、ようやく借りを返したと言えよう」

 

「それだけか?」

 

 コジローがルイジェルドを見る。

 

「何かな」

 

「昨日、お前も手を重ねた」

 

「……」

 

「それだけの相手に、あんなことをするのかと思った」

 

 今度はコジローが黙る番だった。

 

 焚き火が一つ、音を立てて崩れた。

 

 少し離れたところで、エリスが寝返りを打つ。

 

 その腕が隣で眠るルーデウスの顔へ落ちた。

 

「むぐっ……」

 

 ルーデウスが呻く。

 

 しかし、起きない。

 

 エリスも起きない。

 

 二人はそのまま眠り続けている。

 

 コジローはそれを眺め、僅かに笑った。

 

「さて」

 

 いつもの返事だった。

 

「初めは、恩を返すだけのつもりであったかもしれぬな」

 

「今は違うのか」

 

「道半ばよ」

 

 コジローはそれ以上を語らなかった。

 

「途中で道連れを置いていく理由もあるまい」

 

「そうか」

 

「それに──」

 

 コジローが眠っているルーデウスを見る。

 

「目を離せば、町を一つ沈めようとする危うい小僧がおるのでな」

 

「我らはともかく、いくら覚悟があろうと、あの小僧にその道を歩ませるにはまだ早かろう」

 

「……」

 

 ルイジェルドは黙った。

 

 否定しようとしたのかもしれない。

 

 だが、昨日の出来事を思い返したのだろう。

 

「……否定できんな」

 

「であろう?」

 

 二人の間に、ほんの僅かな笑いが落ちた。

 

 しばらくして、ルイジェルドが立ち上がる。

 

「コジロー」

 

「何かな」

 

「なら、今度は俺がお前に任せる」

 

 コジローが僅かに目を細めた。

 

「それは重畳」

 

 それだけだった。

 

 ルイジェルドは旅路の先へ。

 コジローは野営地を囲む闇へ。

 

 二人はそれぞれ、別の方向へ目を向けた。

 

 二人の間では、焚き火が静かに燃えていた。

 

 こうしてひと時の夜の帳は静かに閉じていった

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