無職転生~異聞 月下の剣士   作:彼岸花さつき

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第二十二月 旅の始まり

 旅の始まり 

 

 リカリスの町を出て、三日目の昼。

 

 俺たちは運搬用のトカゲを連れ、赤茶けた荒野を進んでいた。

 

 見渡しても、あるのは岩と乾いた地面ばかり。たまに奇妙な形の植物が生えているが、アスラ王国で見慣れた草木とは似ても似つかない。遠くでは、姿の見えない魔物が低い声で鳴いている。

 

 魔大陸。

 

 名前だけ聞けば、もっとこう、魔王の城が空を覆っていて、そこら中を凶悪な魔物が徘徊しているような場所を想像する。

 

 実際、凶悪な魔物は徘徊している。

 

 その点だけは想像通りだった。

 

 だが、リカリスにいた間に聞いた話をまとめると、この大陸は俺が想像していた「魔王が支配する国」とはかなり違う。

 

 魔王と呼ばれる者は三十人前後もいるらしい。

 

 それぞれが各地にいて、親衛隊だか騎士団だかを抱えている。リカリスの衛兵たちも、そうした連中の一つらしい。

 

 もっとも、魔王が直接彼らを任命しているのか、それとも彼らが勝手に魔王の配下を名乗っているのか、そのあたりはよくわからない。

 

 少なくとも、俺が前世で想像していたような、魔王一人が大陸全土を支配している構図ではないようだ。

 

 リカリス周辺にいるのは、バーディガーディという魔王だそうだ。

 

 六本腕の巨漢で、肌は黒く、見るからに強そうな男。

 

 なのだが、当の本人は現在放浪中らしい。

 

 領主不在というレベルじゃない。

 

 魔王が旅に出て帰ってこないって、それでいいのか。

 

 まあ、町が普通に回っていたところを見るに、いいのだろう。

 

 そんな町の周囲を一歩出れば、そこから先はほとんど無法地帯だ。冒険者ギルドでも討伐依頼の下限がCランクになるぐらい、そこらの魔物からして強い。

 

 その環境で生きている魔族もまた、人族より身体能力に優れる者が多い。少なくとも魔大陸のBランク冒険者ともなれば、他の大陸の同ランクより質が高いらしい。

 

 つまり。

 

 俺がこうして景色を眺めながら進めているのは、この大陸が安全だからではない。

 

「止まれ」

 

 先頭にいたルイジェルドが、突然片手を上げた。

 

 俺とエリスが動きを止める。

 

 コジローも何も言わず、その場で足を止めた。

 

「どうしました?」

 

「前に魔物がいる。こちらには気づいていない」

 

「避けられますか?」

 

「ああ」

 

 それだけ言うと、ルイジェルドは少し進路を変えた。

 

 無駄な戦いは避ける。

 

 リカリスを出てからは、基本的にそうしている。

 

 俺たちは魔物を倒すために旅をしているわけではない。エリスを家へ帰すのが目的なのだ。

 

 ましてや、ルイジェルドならAランクの魔物でも一人で倒せる。

 

 コジローについては……正直、未だによくわからない。

 

 赤蛇を前にしても剣を抜かなかったし、こちらから聞かなければ自分の腕を語ろうともしない。

 

 強い。

 

 それだけは間違いない。

 

 ただ、どこまで強いのかがわからない。

 

 二人の大人に囲まれて旅をしている俺たちは、たぶん、この魔大陸ではかなり恵まれた部類なのだろう。

 

 もっとも。

 

 恵まれていようが、腹は減る。

 

 ◇

 

 その日の夕方。

 

 野営地を決めた俺は、夕食作りに取り掛かっていた。

 

 本日の食材は、いつもの大王陸亀の肉。

 

 これがまた、実に不味い。

 

 食えないわけじゃない。

 

 毒があるわけでもない。

 

 腹だって膨れる。

 

 でも、不味い。

 

 毎日食べるとなると話は別だ。前世で無駄に舌だけ肥えてしまった俺には、少々つらいものがある。

 

 そこで今日は、少し工夫してみることにした。

 

 土魔術で鍋を作り、水を入れ、肉を放り込む。

 

 焼いて駄目なら煮てみようという、非常に安直な発想である。

 

 水も鍋も燃料も魔術でどうにかできる。異世界に来てから魔術を色々と便利に使ってきたが、こういう時は心底ありがたい。

 

 しばらく煮込んだところで、俺は肉を取り分けた。

 

「できましたよ」

 

「お腹すいた!」

 

 待ってましたとばかりに、エリスが器を受け取る。

 

 ルイジェルドも座り、コジローも焚き火の向こうに腰を下ろした。

 

 さて。

 

 結果はいかに。

 

 エリスが一口。

 

 噛む。

 

 もう一度噛む。

 

 眉間に皺が寄った。

 

「……焼いた方がまだよかったわ」

 

「そんな……」

 

 失敗である。

 

 俺も口に入れてみる。

 

 確かに肉は柔らかくなっている。

 

 だが、臭い。

 

 噛むたびに、大王陸亀特有のなんとも言えない臭みが口の中に広がる。

 

 硬くて不味かった肉が、柔らかくて不味い肉になった。

 

 進歩と言えば進歩だろう。

 

 たぶん。

 

「ルイジェルドさんは?」

 

「食える」

 

 参考にならないです……。

 

「コジローさんはどうです?」

 

 コジローは急かされるでもなく肉を噛み、少ししてから飲み込んだ。

 

「ふむ。昨日より幾分か柔らかいな」

 

「味の話をしてるんです」

 

「腹を満たすには十分よ」

 

 駄目だ。こっちも同類だった。

 

「まずいものはまずいのよ!」

 

 エリスだけが正直者だった。

 

 俺はため息をつきながら、自分の器の中を見る。

 

 何が足りないのだろう。

 

 肉そのものが悪いのか。

 

 いや。

 

 待てよ。

 

 この肉、前にも食べた。

 

 ミグルド族の里だ。

 

 あそこで食べた大王陸亀は、今ほど不味くなかったはずだ。

 

 同じ肉なのに、なぜ違う? 

 

 里での食事を思い返す。

 

 大きな鍋。

 

 火を囲むミグルド族。

 

 それから、村の畑。

 

 枯れかけているように見えた、あの細い植物。

 

 ロキシーの作った魔族辞典には、野菜は苦くて美味しくない、というようなことが書いてあった。

 

 だから俺も、あれは出来の悪い野菜だと思っていた。

 

 でも。

 

 もしかすると。

 

「……香草か」

 

「こうそう?」

 

 エリスが首を傾げる。

 

「肉の臭いを消したり、味をつけたりする草です。たぶん、ミグルド族の里ではあれを使ってたんですよ」

 

 そう考えれば辻褄が合う。

 

 そのまま食べれば苦い。

 

 しかし料理に使えば、肉の臭みを消せる。

 

 前世にも似たようなものはいくらでもあった。

 

 なるほど。

 

 ロキシーめ。

 

 師匠を疑うわけではないが、料理についてだけは信用してはいけなかったらしい。

 

「次の町に着いたら、香辛料を探して──」

 

 そこまで口に出してから、俺は止まった。

 

 買う。

 

 俺が決める。

 

 また俺一人で。

 

 いやいや。

 

 先日の失敗から、まだ三日である。

 

 いくらなんでも学習しよう。

 

「……という話も含めて、今夜ちょっと相談しましょうか」

 

「相談?」

 

「はい。作戦会議です」

 

 エリスの顔が、少しだけ明るくなった。

 

 ◇

 

「全員集合!」

 

 夕食を終え、辺りがすっかり暗くなったところで、俺は三人を焚き火の周りへ集めた。

 

 エリスは毛布を抱えて俺の隣へ座る。

 

 ルイジェルドは少し離れた場所から戻ってきた。周囲を確認していたのだろう。

 

「コジローさんもお願いします」

 

「私もか?」

 

「もちろんです。四人の旅なんですから」

 

「なるほど」

 

 コジローは素直にやってきて、ルイジェルドの隣へ腰を下ろした。

 

 なんとなく。

 

 本当になんとなくだが。

 

 昨日までより、その並びが自然に見えた。

 

 俺が寝ている間に何か話したのだろうか。

 

 まあ、大人同士にも色々あるだろう。

 

「では、第一回デッドエンド作戦会議を始めたいと思います」

 

 俺が拍手する。

 

 エリスもつられて拍手する。

 

 ルイジェルドは一瞬こちらを見た後、同じように手を叩いた。

 

 コジローも二度ほど手を打つ。

 

「コジローさんまでやるんですか?」

 

「祝い事ではないのか?」

 

「違いますけど、まあいいです」

 

 コジローはたまに妙なとこでノリがいい。

 

「じゃあなんでルーデウスがやったのよ」

 

「雰囲気です」

 

 エリスに突っ込まれた。

 

 開始早々、威厳がない。

 

 まあいい。

 

「こほん。今回、僕はリカリスで大きな失敗をしました」

 

 ルイジェルドが何か言おうとしたが、俺は先に手で制した。

 

「失敗したかどうかについての再審議はしません。僕の中では失敗です」

 

「……わかった」

 

 情報を集めきらず、楽に金とランクを得ようとした。

 

 依頼交換も、うまくいく前提で進めた。

 

 問題が起きてからも、一人でどうにかしようとした。

 

 結果はあの有様だ。

 

「なので、これからは何かを決める前に、なるべく全員で話をします」

 

「全員で?」

 

「はい」

 

 俺は指を三本立てる。

 

「報告、連絡、相談。この三つです」

 

「ほうこく、れんらく、そうだん……」

 

 エリスが復唱する。

 

「長いので、まとめて『ほうれんそう』と呼びます」

 

「なんで?」

 

「そういうものなんです」

 

「変なの」

 

 前世で耳にした言葉だ。

 

 社会に出たことすらない俺が使うのも妙な話だが、今の俺たちには必要だろう。

 

「何かやりたいことがあったら相談する。気づいたことがあったら言う。何かやったら結果を報告する。僕もそうします」

 

「俺もか?」

 

「もちろんです」

 

 ルイジェルドは頷いた。

 

「わかった」

 

「コジローさんもです」

 

「よかろう」

 

 あっさりしたものだ。

 

「ただし」

 

 そこでエリスが手を挙げた。

 

「はい、エリス」

 

「みんなで相談しても、最後に決めるのはルーデウスよね?」

 

「……そうなりますね」

 

「じゃあ、ルーデウスが最初から全部決めればいいじゃない」

 

 ごもっとも。

 

 でも、それをやった結果がリカリスなのだ。

 

「僕一人じゃ、見落とすことがあります。みんなが考えたことを聞けば、自分じゃ思いつかなかった方法が出てくるかもしれません」

 

「私が?」

 

「エリスもです」

 

「私、ルーデウスより頭よくないわよ?」

 

「そういう問題じゃありません」

 

 エリスの視点と、俺の視点は違う。

 

 ルイジェルドも違う。

 

 コジローも違う。

 

 俺に見えないものが、誰かには見える。

 

 それだけで十分だ。

 

「要は、決める者が要るという話であろう」

 

 コジローが静かに言った。

 

「意見を聞くことと、決断を人任せにすることは同じではあるまい」

 

「そう、それです」

 

 助かった。

 

 言いたかったことを綺麗にまとめられてしまった。

 

「なら、俺も異論はない」

 

 ルイジェルドも頷く。

 

 なんだか責任だけ増えた気もするが。

 

 そこは考えないことにしよう。

 

「では、今後について決めます。まず最終目的地はアスラ王国。これは変わりません」

 

 三人が頷く。

 

 エリスをフィットア領へ帰す。

 

 それがこの旅の最大の目的だ。

 

「問題は、どうやって帰るかです」

 

 世界地図を思い出す。

 

 俺たちは今、魔大陸の北東側。

 

 アスラ王国は中央大陸の西側。

 

 地図だけ見れば真っ直ぐ行きたくなるが、この世界では海を好き勝手に渡れない。

 

 海には海族がいて、船が通れる場所は限られている。

 

「ルイジェルドさん。ミリス大陸へ渡るなら、どこへ向かえばいいですか?」

 

「最南端の港町だ。ウェンポートという」

 

「ここからどのくらいです?」

 

 ルイジェルドは少し考えた。

 

「休まず進んでも、半年ほどは掛かるだろう」

 

「半年……ですか」

 

 思った以上に遠かった。

 

 半年も旅を続ける。

 

 そう考えると、さすがに気が遠くなる。

 

 だが、半年間ずっと同じ景色の中を進み続けるわけではない。

 

「途中に町は?」

 

「ある。次の大きな町なら、二週間ほどだ」

 

 二週間。

 

 それならまだ現実的だ。

 

 町まで行く。

 

 休む。

 

 稼ぐ。

 

 情報を集める。

 

 準備が整ったら、また次の町へ。

 

 そうやって少しずつ進めばいい。

 

「もっと短い道はないんですか?」

 

「あるにはある」

 

 嫌な言い方だった。

 

「魔大陸の北西から天大陸へ入り、そのまま中央大陸へ抜ける道だ」

 

「それで?」

 

「まともな道ではない。崖を登らなければならんし、魔物も多い」

 

 天大陸を通る道については、俺も多少聞いたことがある。

 

 生きて抜けられるのは二十人に一人。

 

 つまり、生存率五パーセント。

 

「却下で」

 

 即決した。

 

 ショートカットのために命を賭けるには、少々割に合わなすぎる。

 

「その後も北方の厳しい土地へ出る。結局、楽にはならん」

 

「ますます却下です」

 

 安全第一。

 

 これ大事。

 

 ならば方針は決まった。

 

 南へ進み、ウェンポートを目指す。

 

 その途中にある町で冒険者として仕事をし、金を稼ぎながら先へ進む。

 

「途中の町で仕事をして、旅費と食料を確保する。準備が整ったら次へ進む。こんな感じでどうでしょう」

 

「問題ない」

 

「いいわ!」

 

「異存はない」

 

 三人の返事。

 

 よし。

 

「それと、できる範囲で『デッドエンド』の評判も良くしていきたいと思います」

 

 そこでルイジェルドの眉が動いた。

 

「ルーデウス」

 

「はい」

 

「俺のことで、無茶をする必要はない」

 

「でも──」

 

「そのために髪も剃った。まずはエリスを送り届けることを考えろ」

 

 言い切った。

 

 ルイジェルドらしい。

 

 俺は少し考える。

 

 隣では、コジローがルイジェルドへ一度だけ視線を向けた。

 

 何も言わなかった。

 

「わかりました。無理はしません」

 

 これは本心だ。

 

 前みたいに、名誉回復のために旅そのものを危険にさらすつもりはない。

 

「ただ、受けた仕事はちゃんとやります。その結果、評判が良くなるなら、それはそれでいいですよね?」

 

「……それなら構わん」

 

 よし。

 

 善行の結果として名前が売れるなら問題ない。

 

 そして、もし『デッドエンド』という名前で何か失敗すれば、その時は俺の名前を前に出す。

 

 うまくいけばルイジェルドの評判。

 

 失敗すれば俺の評判。

 

 完璧だ。

 

 このことは本人には言わないでおこう。

 

 言えば止められる。

 

 今さっき相談が大事と言っただろうって? 

 

 ……。

 

 何事にも例外は存在する……っと。

 

 どっかの教師も、そんなことを言ってたような。

 

「他にありますか?」

 

「はい!」

 

 エリスが勢いよく手を上げた。

 

「どうぞ」

 

「町に着いたら、前みたいにお店の値段も調べるんでしょ?」

 

 市場調査。

 

 そういえば、フィットア領では金銭感覚を教えるために、エリスと一緒にやっていた。

 

 リカリスでは、完全に頭から抜けていた。

 

「そうですね。やりましょう」

 

「町ごとに食料の値段も違うでしょうし、今日話した香辛料も探したいです。必要な物を安く買えるように、相場は知っておいた方がいい」

 

「わかったわ!」

 

 いい返事だ。

 

「他には?」

 

 今度は誰も手を挙げなかった。

 

 ルイジェルドは静かに首を振り、コジローも何も言わない。

 

「では、今日はここまでにします」

 

 俺は一度、三人を見回した。

 

 エリス。

 

 ルイジェルド。

 

 コジロー。

 

 リカリスでは、俺は一人で考えすぎた。

 

 誰かに聞けばよかったことも、全部自分で決めようとした。

 

 だから今度は、少し変える。

 

 迷えば聞く。

 

 気づけば言う。

 

 失敗したら隠さない。

 

 それでも最後に決めるのは俺だ。

 

 面倒だし、責任も重い。

 

 でも、たぶん、それがリーダーというものなのだろう。

 

「明日からも、よろしくお願いします」

 

「ああ」

 

「任せなさい!」

 

「心得た」

 

 三人から返事が返ってきた。

 

 目指す先は、遥か南のウェンポート。

 

 まずは二週間先の町だ。

 

 先は長い。

 

 けれど、全部を一度に進む必要はない。

 

 一日進めば、その分だけ故郷に近づく。

 

 そう考えればいい。

 

 俺たちはもう、その旅を始めているのだから。

 

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