旅の始まり
リカリスの町を出て、三日目の昼。
俺たちは運搬用のトカゲを連れ、赤茶けた荒野を進んでいた。
見渡しても、あるのは岩と乾いた地面ばかり。たまに奇妙な形の植物が生えているが、アスラ王国で見慣れた草木とは似ても似つかない。遠くでは、姿の見えない魔物が低い声で鳴いている。
魔大陸。
名前だけ聞けば、もっとこう、魔王の城が空を覆っていて、そこら中を凶悪な魔物が徘徊しているような場所を想像する。
実際、凶悪な魔物は徘徊している。
その点だけは想像通りだった。
だが、リカリスにいた間に聞いた話をまとめると、この大陸は俺が想像していた「魔王が支配する国」とはかなり違う。
魔王と呼ばれる者は三十人前後もいるらしい。
それぞれが各地にいて、親衛隊だか騎士団だかを抱えている。リカリスの衛兵たちも、そうした連中の一つらしい。
もっとも、魔王が直接彼らを任命しているのか、それとも彼らが勝手に魔王の配下を名乗っているのか、そのあたりはよくわからない。
少なくとも、俺が前世で想像していたような、魔王一人が大陸全土を支配している構図ではないようだ。
リカリス周辺にいるのは、バーディガーディという魔王だそうだ。
六本腕の巨漢で、肌は黒く、見るからに強そうな男。
なのだが、当の本人は現在放浪中らしい。
領主不在というレベルじゃない。
魔王が旅に出て帰ってこないって、それでいいのか。
まあ、町が普通に回っていたところを見るに、いいのだろう。
そんな町の周囲を一歩出れば、そこから先はほとんど無法地帯だ。冒険者ギルドでも討伐依頼の下限がCランクになるぐらい、そこらの魔物からして強い。
その環境で生きている魔族もまた、人族より身体能力に優れる者が多い。少なくとも魔大陸のBランク冒険者ともなれば、他の大陸の同ランクより質が高いらしい。
つまり。
俺がこうして景色を眺めながら進めているのは、この大陸が安全だからではない。
「止まれ」
先頭にいたルイジェルドが、突然片手を上げた。
俺とエリスが動きを止める。
コジローも何も言わず、その場で足を止めた。
「どうしました?」
「前に魔物がいる。こちらには気づいていない」
「避けられますか?」
「ああ」
それだけ言うと、ルイジェルドは少し進路を変えた。
無駄な戦いは避ける。
リカリスを出てからは、基本的にそうしている。
俺たちは魔物を倒すために旅をしているわけではない。エリスを家へ帰すのが目的なのだ。
ましてや、ルイジェルドならAランクの魔物でも一人で倒せる。
コジローについては……正直、未だによくわからない。
赤蛇を前にしても剣を抜かなかったし、こちらから聞かなければ自分の腕を語ろうともしない。
強い。
それだけは間違いない。
ただ、どこまで強いのかがわからない。
二人の大人に囲まれて旅をしている俺たちは、たぶん、この魔大陸ではかなり恵まれた部類なのだろう。
もっとも。
恵まれていようが、腹は減る。
◇
その日の夕方。
野営地を決めた俺は、夕食作りに取り掛かっていた。
本日の食材は、いつもの大王陸亀の肉。
これがまた、実に不味い。
食えないわけじゃない。
毒があるわけでもない。
腹だって膨れる。
でも、不味い。
毎日食べるとなると話は別だ。前世で無駄に舌だけ肥えてしまった俺には、少々つらいものがある。
そこで今日は、少し工夫してみることにした。
土魔術で鍋を作り、水を入れ、肉を放り込む。
焼いて駄目なら煮てみようという、非常に安直な発想である。
水も鍋も燃料も魔術でどうにかできる。異世界に来てから魔術を色々と便利に使ってきたが、こういう時は心底ありがたい。
しばらく煮込んだところで、俺は肉を取り分けた。
「できましたよ」
「お腹すいた!」
待ってましたとばかりに、エリスが器を受け取る。
ルイジェルドも座り、コジローも焚き火の向こうに腰を下ろした。
さて。
結果はいかに。
エリスが一口。
噛む。
もう一度噛む。
眉間に皺が寄った。
「……焼いた方がまだよかったわ」
「そんな……」
失敗である。
俺も口に入れてみる。
確かに肉は柔らかくなっている。
だが、臭い。
噛むたびに、大王陸亀特有のなんとも言えない臭みが口の中に広がる。
硬くて不味かった肉が、柔らかくて不味い肉になった。
進歩と言えば進歩だろう。
たぶん。
「ルイジェルドさんは?」
「食える」
参考にならないです……。
「コジローさんはどうです?」
コジローは急かされるでもなく肉を噛み、少ししてから飲み込んだ。
「ふむ。昨日より幾分か柔らかいな」
「味の話をしてるんです」
「腹を満たすには十分よ」
駄目だ。こっちも同類だった。
「まずいものはまずいのよ!」
エリスだけが正直者だった。
俺はため息をつきながら、自分の器の中を見る。
何が足りないのだろう。
肉そのものが悪いのか。
いや。
待てよ。
この肉、前にも食べた。
ミグルド族の里だ。
あそこで食べた大王陸亀は、今ほど不味くなかったはずだ。
同じ肉なのに、なぜ違う?
里での食事を思い返す。
大きな鍋。
火を囲むミグルド族。
それから、村の畑。
枯れかけているように見えた、あの細い植物。
ロキシーの作った魔族辞典には、野菜は苦くて美味しくない、というようなことが書いてあった。
だから俺も、あれは出来の悪い野菜だと思っていた。
でも。
もしかすると。
「……香草か」
「こうそう?」
エリスが首を傾げる。
「肉の臭いを消したり、味をつけたりする草です。たぶん、ミグルド族の里ではあれを使ってたんですよ」
そう考えれば辻褄が合う。
そのまま食べれば苦い。
しかし料理に使えば、肉の臭みを消せる。
前世にも似たようなものはいくらでもあった。
なるほど。
ロキシーめ。
師匠を疑うわけではないが、料理についてだけは信用してはいけなかったらしい。
「次の町に着いたら、香辛料を探して──」
そこまで口に出してから、俺は止まった。
買う。
俺が決める。
また俺一人で。
いやいや。
先日の失敗から、まだ三日である。
いくらなんでも学習しよう。
「……という話も含めて、今夜ちょっと相談しましょうか」
「相談?」
「はい。作戦会議です」
エリスの顔が、少しだけ明るくなった。
◇
「全員集合!」
夕食を終え、辺りがすっかり暗くなったところで、俺は三人を焚き火の周りへ集めた。
エリスは毛布を抱えて俺の隣へ座る。
ルイジェルドは少し離れた場所から戻ってきた。周囲を確認していたのだろう。
「コジローさんもお願いします」
「私もか?」
「もちろんです。四人の旅なんですから」
「なるほど」
コジローは素直にやってきて、ルイジェルドの隣へ腰を下ろした。
なんとなく。
本当になんとなくだが。
昨日までより、その並びが自然に見えた。
俺が寝ている間に何か話したのだろうか。
まあ、大人同士にも色々あるだろう。
「では、第一回デッドエンド作戦会議を始めたいと思います」
俺が拍手する。
エリスもつられて拍手する。
ルイジェルドは一瞬こちらを見た後、同じように手を叩いた。
コジローも二度ほど手を打つ。
「コジローさんまでやるんですか?」
「祝い事ではないのか?」
「違いますけど、まあいいです」
コジローはたまに妙なとこでノリがいい。
「じゃあなんでルーデウスがやったのよ」
「雰囲気です」
エリスに突っ込まれた。
開始早々、威厳がない。
まあいい。
「こほん。今回、僕はリカリスで大きな失敗をしました」
ルイジェルドが何か言おうとしたが、俺は先に手で制した。
「失敗したかどうかについての再審議はしません。僕の中では失敗です」
「……わかった」
情報を集めきらず、楽に金とランクを得ようとした。
依頼交換も、うまくいく前提で進めた。
問題が起きてからも、一人でどうにかしようとした。
結果はあの有様だ。
「なので、これからは何かを決める前に、なるべく全員で話をします」
「全員で?」
「はい」
俺は指を三本立てる。
「報告、連絡、相談。この三つです」
「ほうこく、れんらく、そうだん……」
エリスが復唱する。
「長いので、まとめて『ほうれんそう』と呼びます」
「なんで?」
「そういうものなんです」
「変なの」
前世で耳にした言葉だ。
社会に出たことすらない俺が使うのも妙な話だが、今の俺たちには必要だろう。
「何かやりたいことがあったら相談する。気づいたことがあったら言う。何かやったら結果を報告する。僕もそうします」
「俺もか?」
「もちろんです」
ルイジェルドは頷いた。
「わかった」
「コジローさんもです」
「よかろう」
あっさりしたものだ。
「ただし」
そこでエリスが手を挙げた。
「はい、エリス」
「みんなで相談しても、最後に決めるのはルーデウスよね?」
「……そうなりますね」
「じゃあ、ルーデウスが最初から全部決めればいいじゃない」
ごもっとも。
でも、それをやった結果がリカリスなのだ。
「僕一人じゃ、見落とすことがあります。みんなが考えたことを聞けば、自分じゃ思いつかなかった方法が出てくるかもしれません」
「私が?」
「エリスもです」
「私、ルーデウスより頭よくないわよ?」
「そういう問題じゃありません」
エリスの視点と、俺の視点は違う。
ルイジェルドも違う。
コジローも違う。
俺に見えないものが、誰かには見える。
それだけで十分だ。
「要は、決める者が要るという話であろう」
コジローが静かに言った。
「意見を聞くことと、決断を人任せにすることは同じではあるまい」
「そう、それです」
助かった。
言いたかったことを綺麗にまとめられてしまった。
「なら、俺も異論はない」
ルイジェルドも頷く。
なんだか責任だけ増えた気もするが。
そこは考えないことにしよう。
「では、今後について決めます。まず最終目的地はアスラ王国。これは変わりません」
三人が頷く。
エリスをフィットア領へ帰す。
それがこの旅の最大の目的だ。
「問題は、どうやって帰るかです」
世界地図を思い出す。
俺たちは今、魔大陸の北東側。
アスラ王国は中央大陸の西側。
地図だけ見れば真っ直ぐ行きたくなるが、この世界では海を好き勝手に渡れない。
海には海族がいて、船が通れる場所は限られている。
「ルイジェルドさん。ミリス大陸へ渡るなら、どこへ向かえばいいですか?」
「最南端の港町だ。ウェンポートという」
「ここからどのくらいです?」
ルイジェルドは少し考えた。
「休まず進んでも、半年ほどは掛かるだろう」
「半年……ですか」
思った以上に遠かった。
半年も旅を続ける。
そう考えると、さすがに気が遠くなる。
だが、半年間ずっと同じ景色の中を進み続けるわけではない。
「途中に町は?」
「ある。次の大きな町なら、二週間ほどだ」
二週間。
それならまだ現実的だ。
町まで行く。
休む。
稼ぐ。
情報を集める。
準備が整ったら、また次の町へ。
そうやって少しずつ進めばいい。
「もっと短い道はないんですか?」
「あるにはある」
嫌な言い方だった。
「魔大陸の北西から天大陸へ入り、そのまま中央大陸へ抜ける道だ」
「それで?」
「まともな道ではない。崖を登らなければならんし、魔物も多い」
天大陸を通る道については、俺も多少聞いたことがある。
生きて抜けられるのは二十人に一人。
つまり、生存率五パーセント。
「却下で」
即決した。
ショートカットのために命を賭けるには、少々割に合わなすぎる。
「その後も北方の厳しい土地へ出る。結局、楽にはならん」
「ますます却下です」
安全第一。
これ大事。
ならば方針は決まった。
南へ進み、ウェンポートを目指す。
その途中にある町で冒険者として仕事をし、金を稼ぎながら先へ進む。
「途中の町で仕事をして、旅費と食料を確保する。準備が整ったら次へ進む。こんな感じでどうでしょう」
「問題ない」
「いいわ!」
「異存はない」
三人の返事。
よし。
「それと、できる範囲で『デッドエンド』の評判も良くしていきたいと思います」
そこでルイジェルドの眉が動いた。
「ルーデウス」
「はい」
「俺のことで、無茶をする必要はない」
「でも──」
「そのために髪も剃った。まずはエリスを送り届けることを考えろ」
言い切った。
ルイジェルドらしい。
俺は少し考える。
隣では、コジローがルイジェルドへ一度だけ視線を向けた。
何も言わなかった。
「わかりました。無理はしません」
これは本心だ。
前みたいに、名誉回復のために旅そのものを危険にさらすつもりはない。
「ただ、受けた仕事はちゃんとやります。その結果、評判が良くなるなら、それはそれでいいですよね?」
「……それなら構わん」
よし。
善行の結果として名前が売れるなら問題ない。
そして、もし『デッドエンド』という名前で何か失敗すれば、その時は俺の名前を前に出す。
うまくいけばルイジェルドの評判。
失敗すれば俺の評判。
完璧だ。
このことは本人には言わないでおこう。
言えば止められる。
今さっき相談が大事と言っただろうって?
……。
何事にも例外は存在する……っと。
どっかの教師も、そんなことを言ってたような。
「他にありますか?」
「はい!」
エリスが勢いよく手を上げた。
「どうぞ」
「町に着いたら、前みたいにお店の値段も調べるんでしょ?」
市場調査。
そういえば、フィットア領では金銭感覚を教えるために、エリスと一緒にやっていた。
リカリスでは、完全に頭から抜けていた。
「そうですね。やりましょう」
「町ごとに食料の値段も違うでしょうし、今日話した香辛料も探したいです。必要な物を安く買えるように、相場は知っておいた方がいい」
「わかったわ!」
いい返事だ。
「他には?」
今度は誰も手を挙げなかった。
ルイジェルドは静かに首を振り、コジローも何も言わない。
「では、今日はここまでにします」
俺は一度、三人を見回した。
エリス。
ルイジェルド。
コジロー。
リカリスでは、俺は一人で考えすぎた。
誰かに聞けばよかったことも、全部自分で決めようとした。
だから今度は、少し変える。
迷えば聞く。
気づけば言う。
失敗したら隠さない。
それでも最後に決めるのは俺だ。
面倒だし、責任も重い。
でも、たぶん、それがリーダーというものなのだろう。
「明日からも、よろしくお願いします」
「ああ」
「任せなさい!」
「心得た」
三人から返事が返ってきた。
目指す先は、遥か南のウェンポート。
まずは二週間先の町だ。
先は長い。
けれど、全部を一度に進む必要はない。
一日進めば、その分だけ故郷に近づく。
そう考えればいい。
俺たちはもう、その旅を始めているのだから。