無職転生~異聞 月下の剣士   作:彼岸花さつき

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第二十三月 それぞれの背中

それぞれの背中

 

 二週間の道のりは、思ったより長く、思ったより短かった。 

 

 毎日同じような荒野を歩いているようで、気づけば地面の色が変わり、遠くに人工的な灯りが見えるようになっている。運搬用のトカゲも、町の匂いを嗅ぎつけたのか、心なしか足取りが軽い。俺たちは無事、次の町の門をくぐった。

 

「止まれ。何用だ」

 

「旅の冒険者です」

 

 俺がそう答えると、門番の誰何(すいか)はそれで終わった。リカリスの時よりずっと軽い調子だった。

 

 理由はわかっている。ルイジェルドの緑の髪がないからだ。

 

 スペルド族といえば、エメラルドグリーンの髪。それさえ見えなければ、この大陸ではただの強面の男でしかない。ヤクザにしか見えない強面ではあるが、幸い、この大陸にはもっと物騒な顔をした連中がいくらでもいる。

 

 門番はルイジェルドを一瞥し、次に俺とエリス、最後にコジローで視線を止めた。

 

 それだけで、何も言わず道を空ける。

 

 拍子抜けするほど、あっさりしたものだった。

 

 隣で、ルイジェルドが小さく息を吐いた。

 

 安堵、というほど大げさなものじゃない。でも、俺には、そう見えた。

 

 ◇

 

 町に着いて早々、俺たちはギルドで依頼を受けた。

 

 カードを差し出すと、受付はそれを一瞥し、いつも通りの手続きを進める。何か言われるかと身構えていたが、特に気にする素振りもなかった。

 

 少なくとも、リカリスの一件で資格を取り上げられてはいないらしい。

 

 それからの日々は、驚くほど静かに過ぎていった。

 

 町に着き、依頼を受け、金を稼ぎ、次の町へ向かう。同じ流れを繰り返すうちに、いつの間にか、それが当たり前の形になっていった。

 

 その中で、エリスが魔神語を習い始めた。

 

 教師は俺とルイジェルドの二人。教科書はない。あるのは、俺たちの記憶と彼女の耳だけだ。

 

 ◇

 

 魔神語の授業は、教室ではなく、生活の中で行われた。

 

「これは?」

 

 エリスが指差したのは、その日の獲物だった大王陸亀(グレートトータス)の肉だ。 

 

「肉、です。この大陸だと、それだけでも通じます」

 

「肉」

 

「はい」

 

「じゃあ、不味いは?」

 

 真っ先にそれを聞くあたり、実に彼女らしい。

 

「教えてどうするんですか」

 

「毎日使うもの!」

 

 理屈は通っている気がした。

 

 渋々教えると、エリスはその場で三回繰り返し、覚えた。

 

 一方、ルイジェルドの教え方は、また違った。

 

「止まれ、伏せろ、離れろ。これだけは今日中に覚えろ」

 

「なんで?」

 

「命に関わるからだ」

 

 いつもの調子でそう言われると、冗談には聞こえない。

 

 エリスも神妙な顔で頷き、その三つだけは、その日のうちに完璧な発音になっていた。

 

 武器の名前、魔物の名前、食べ物の名前。

 

 役に立つとエリスが判断した言葉だけが、恐ろしい速さで積み上がっていく。

 

 逆に、丁寧な言い回しや挨拶は、いつまで経っても覚えようとしない。

 

「そういうのは、ルーデウスが喋ればいいじゃない」

 

「僕、通訳じゃないんですけど」

 

 結局、丁寧な受け答えが必要な場面では、俺が矢面に立つことになった。

 

 彼女の頭の良さは、机の上より、剣の上、あるいは損得勘定の上でこそ発揮される。

 

 そのことを、俺は町をいくつか越えるうちに、嫌というほど思い知ることになる。

 

 ◇

 

 ルイジェルドの稽古は、今日も無言で始まった。

 

 ルイジェルドが構え、踏み込み、石突きが土を噛む。エリスは何度も転がされ、何度も喉元に穂先を突きつけられる。

 

「わかったか」

 

「……もう一回!」

 

 わからないなら次。わかっても、また次。そういう稽古だった。

 

 最初のうちは、俺もその輪に交ざっていた。だが、すぐに気づいた。

 

 ついていけない。

 

 エリスの動きの根っこには、見覚えのある型がある。ギレーヌに叩き込まれた剣の形が、今もあちこちに残っている。

 

 だが、その上に積み重なっていくものは、明らかに違う。

 

 ルイジェルドの槍を受け、避け、時に受けきれずに転がされる中で、エリスは何かを掴んでいく。言葉にできない何かを、身体でだ。

 

「わかったわ」

 

 彼女がそう言うたび、俺は少しだけ置いていかれる。

 

 基礎は同じでも、その先の伸び方は、まるで別物だった。

 

 ◇

 

 その夜、片付けを終えたところで、俺はルイジェルドに耳打ちした。

 

「今夜、少しだけ稽古をつけてもらえませんか。エリスには内緒で」

 

 なぜ内緒なのか、聞かれずに済んだのはありがたい。

 

 ルイジェルドは黙って頷くと、焚き火から少し離れた岩場まで先に歩き出した。

 

 エリスは焚き火のそばに残っていた。何をするでもなく座っているように見えたが、深くは考えないことにする。

 

 結果は、聞くまでもない。

 

 完敗だった。

 

 魔術で作った足場も、目くらましも、何一つ通じなかった。気づけば喉元に石突きが突きつけられていた。

 

「なぜ、あそこで前に出た」

 

 ルイジェルドの第一声は、慰めでも講評でもなかった。

 

「近距離に入られた時の対策を、試しておきたかったので」

 

「試した結果がこれか」

 

「はい」

 

「なら、次からは試すな」

 

 身も蓋もない言葉に、苦笑いするしかなかった。

 

「自分から間合いに踏み込む必要はない。お前の武器は、離れて使うためのものだ」

 

「でも、いつも離れていられるとは限りません」

 

「それはそうだ」

 

 ルイジェルドは少し黙った。何かを思い出しているような間だった。

 

「少しだけ、そういう戦い方をする男を見たことがある」

 

「そういう戦い方、というのは」

 

「魔術を絡めた接近戦だ。俺には縁のない話だがな」

 

「誰ですか、それ」

 

「ペルギウスと名乗っていた」

 

「あの、空中城塞の……?」

 

「ああ」

 

 問われるまま、ルイジェルドは見たものを語った。

 

 前龍門、後龍門とかいう召喚。前が敵の魔力を絶えず吸い上げ、後ろがそれを己の力に変える、というふうに見えたこと。本人は魔力爪とやらで斬りかかっていたこと。

 

「参考にはならんだろうがな」

 

 そう前置きしながら、それでも話してくれるあたり、律儀な人だ。

 

 俺は前世でも今世でも、そんな戦い方を、まともに見たことがない。

 

 どこかに、俺の知らない形があるのかもしれない。

 

 今すぐには、わからないが。

 

「もっとも」

 

 ルイジェルドは、ふと付け加えた。

 

「魔術そのものに不足はない。足りんのは、この距離での戦い方だ」

 

「……それ、さっきの『次からは試すな』と、矛盾してません?」

 

「矛盾はしていない。今のお前が、そこまでして近くで戦う必要はない」

 

 納得できるような、できないような理屈だった。

 

「歳を考えろ」

 

 黙り込んだ俺の頭に、大きな手が乗った。

 

「本格的に強くなるのは、これからだ」

 

 それだけ言って、ルイジェルドは踵を返した。

 

 慰めにしては、ずいぶん不器用な言い方だった。

 

 でも、悪い気はしなかった。

 

 ◇

 

「先に戻っていろ」

 

 水袋の水で顔を洗ってから行く、とルイジェルドは岩場に残った。俺は一人で野営地へ向かう。

 

 焚き火の明かりが見えてくる。

 

 エリスは、まだそこにいた。

 

 振り下ろし、止め、また構え直す。素振りを繰り返しているらしい。眠れないのか、意地になっているのか、俺には判断がつかない。

 

 その脇を、コジローが通りかかった。野営地の周りをひと回りしてきたところなのだろう。

 

「エリス」

 

「……コジロー?」

 

 彼が自分から声をかけることは、あまりない。エリスも、少し身構えるように動きを止めた。

 

「今の一太刀、終わりが早い」

 

 それだけ言うと、コジローはまた歩き出した。

 

「え、ちょっと、どういう──」

 

「さてな」

 

 振り返らずに、彼はそう返しただけだった。 

 

 エリスは剣を睨みつけ、それからもう一度構え直す。答えを教わったわけではないのだろう。それでも彼女は、何かを探すように、剣を振り続けていた。

 

 俺は、声をかけずにいた。

 

 今、俺が口を挟むことじゃない。

 

 ◇

 

 焚き火のそばに戻ってきたルイジェルドが、そのまま腰を下ろす。

 

 今夜の夜番は、ルイジェルドとコジローらしい。

 

 だったら、俺がすることは一つしかない。

 

 毛布にくるまりながら、今日一日を思い返す。

 

 真っ先に「不味い」を覚えたエリス。無言の稽古の中で、何かを掴みかけているエリス。不器用な言葉をくれたルイジェルド。短く一言だけ残して、また闇の中へ戻っていったコジロー。

 

 エリスは、エリスなりに前へ進んでいる。

 

 だったら、俺にも──俺なりのやり方が、必要なのかもしれない。

 

 まだわからない。

 

 わからないが、今夜のところは、それでいいことにしよう。

 

 考えすぎて眠れなくなるのは、前世からの悪い癖だ。

 

 俺は目を閉じた。

 

 外では、焚き火が小さく爆ぜる音がしていた。

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