無職転生~異聞 月下の剣士   作:彼岸花さつき

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第二十四月 呼び名の向こう側

呼び名の向こう側

 

 

 旅立ってから、半年近い時間が経ったころだった。荒野の色は少しずつ変わり、時折、緑と呼べる程度の低木が目につくようになっている。

 

 そんなある日の昼、街道の先に、一人の男が立ちはだかった。

 

 旅慣れた装いに、腰の剣。それだけで、只者ではないと知れた。

 

「待たれよ!」

 

 男は片手を突き出し、俺たちの足を止めさせた。

 

 反射的に、掌へ魔力を集めかけた。物取りか、あるいは何かの恨みかと、身構えたのだ。

 

「北神カールマンの直弟子、孔雀剣のオーベール。その三番弟子、ロドリゲスと申す者!」

 

 名乗りは、いやに大仰だった。

 

 男の視線は、槍を携えたルイジェルドに向けられていた。あの立ち姿に、何か感じるものがあったらしい。

 

「その物腰、ただの旅人とは思えぬ。一手、お相手願いたい!」

 

 どうやら、そういう用件ではなかったらしい。集めかけた魔力を、そっと霧散させる。

 

「どうしましょうか」

 

 俺が小声で聞くと、ルイジェルドは、どこか懐かしむような顔をした。

 

「懐かしいものだな」

 

 魔大陸というのは、腕に自信のある者たちにとって格好の稽古場になっているらしい。生息する魔物の質からして違う。それを相手取る冒険者たちも、自然、他所より腕が立つ。だからこそ、力試しの旅にはうってつけの場所なのだと、以前ルイジェルドが言っていたのを思い出す。

 

 強さそのものが目的になる、という感覚は、俺にはまだよくわからない。

 

「受けるかどうかは、お前が決めていい」

 

「僕としては、無理に受ける理由もない気がしますけど……ルイジェルドさんは、やりたいんですか?」

 

「多少はな」

 

 簡潔な返事だった。それで十分だった。 

 

「──受けましょう」

 

「そうか」

 

 まんざらでもなさそうな声だった。

 

 だったら、最初から条件を決めておくべきだろう。

 

「わかりました。ただし、受けるとして、いくつか条件を付けさせてください」

 

「どんな条件だ」

 

「まず、殺し合いはなしでお願いします。決着がついたらそこで終わり。命までは取らない、ということで」

 

 ロドリゲスは面食らったような顔をしたが、頷いた。

 

「それと、こちらの名乗りは、勝負がついた後にさせてください」

 

「それは、また妙な話だな」

 

「事情があるんです」

 

 突っ込まれたら困るので、それだけ答えておく。

 

「最後に、勝っても負けても、恨みや揉め事を残さないでください」

 

「異存はない。むしろ、当然のことだ」

 

 落ち着いた声だった。

 

 妙に清々しい男だ。

 

 少し離れた場所で、エリスが目を輝かせていた。見物する気満々らしい。

 

 コジローは、少し離れた岩の上に腰を下ろし、静かに眺めている。

 

 ◇

 

 決闘が始まった。

 

 ロドリゲスの剣は、悪くなかった。踏み込みも、振りも、素人目にもわかるほど鍛え上げられている。

 

 だが、相手が悪かった。

 

 ルイジェルドは、ロドリゲスの剣をいなし、時に受け、時にみずから懐へ踏み込みながら、終始、主導権を渡さなかった。

 

 ロドリゲスの太刀筋は、決して的外れではない。力もある、速さもある。だが、その一つひとつが本当に危険な形になる前に、必ず先んじて潰されている。

 

 全力で来い、と言わんばかりに間合いを与えながら、その全力が牙を剥く一瞬だけを、確実に刈り取っていく。

 

 ルイジェルドの槍は、そういう動き方をしていた。

 

 距離を取り直せば、深追いはしない。もう一度踏み込めるだけの間合いを、あえて残してやる。だが踏み込めば、次はさっきより早く潰される。

 

 それを繰り返すうちに、ロドリゲスの息だけが、次第に上がっていった。

 

 覚えのある感覚だった。

 

 少し前、俺自身がルイジェルドに挑んで味わったのと、同じものだ。こちらが何かを始めたはずなのに、終わる頃には、いつも向こうの形になっている。

 

 やがて、ロドリゲスの剣筋は完全に見切られ、気づけば彼は地面に片膝をつき、喉元に穂先を突きつけられていた。

 

「……参った」

 

 悔しさよりも、驚きが先に立つ声だった。

 

「……見事、としか言いようがない。まだまだ、井の中の蛙だったようだ」

 

 ロドリゲスは剣を収め、居住まいを正した。

 

「名を、聞かせていただけるか」

 

 ルイジェルドは槍を引き、静かに答えた。

 

「名は、ルイジェルド・スペルディア。人からは『デッドエンド』と呼ばれている」

 

「まさか……その『デッドエンド』か」

 

 目を見開いた。

 

「この大陸を回っていれば、嫌でも耳に入る。恐ろしいスペルド族がいる、と」

 

 ルイジェルドは、何も答えなかった。

 

 ロドリゲスは、まじまじとルイジェルドを見た。

 

「しかし──髪は、どうした」

 

「事情があってな」

 

「……それ以上は、聞かないでおこう」

 

 賢明な判断だ。

 

 槍を得物にすることも、額の赤い宝石も、ロドリゲスは気にした様子がなかった。

 

 緑の髪こそが、人族にとってスペルド族を見分ける、もっともわかりやすい目印なのだろう。それを剃ってしまえば、ロドリゲスのような手合いでも、とっさには気づけない。今のやり取りが、それを裏付けていた。

 

 ロドリゲスの表情から、警戒の色が薄れていく。

 

 代わりに浮かんだのは、もっと単純な感情だった。

 

「恐ろしいと聞いていたが……いや、失礼した。噂と、直に会うのとでは、ずいぶん違うものだな」

 

「そうか」

 

「強さを疑っていたわけではない。ただ、もっと……得体の知れない何かを、想像していた」

 

 ルイジェルドは、それには答えなかった。

 

 答える必要もない、という顔だった。

 

 殺されず、全力を出させてもらい、それでも欠片も歯が立たなかった。その事実のほうが、恐怖よりも先に、ロドリゲスの胸を満たしているようだった。

 

 強さを求めて旅をする者にとって、力を出し切らせてくれる相手に出会えることは、それ自体が滅多にない僥倖なのだろう。恐怖よりも、その喜びのほうが、今は勝っているように見えた。

 

「いい経験になった。礼を言う」

 

 ロドリゲスは深く一礼すると、そのまま踵を返し、来た道を戻っていった。

 

 俺は、それを見送りながら、少しだけ意外な気分になっていた。

 

 スペルド族への恐怖が、たった一度の立ち合いで、これほどあっさり形を変えることもあるのか。

 

 もっとも。

 

 一度で全部が変わるほど、世界は甘くないだろう。

 

 ◇

 

 その夜、焚き火を囲みながら、エリスがまだ興奮気味に話していた。

 

「ルイジェルド、さっきのすごかったわ! 全然危なげなかったじゃない!」

 

「そうか」

 

「私も、もっと強くなれば、あんな風に勝てるようになる?」

 

「お前次第だ」

 

 ルイジェルドはそれだけ言うと、エリスの頭に一度手を置き、いつも通り視線を闇の奥へ向けた。

 

 コジローは、焚き火の向こうで、静かに水袋を傾けているだけだった。

 

 ◇

 

 それから数日、南へ向かう道すがら、似たようなことが、また起きた。

 

 次の町に着き、依頼を受けに寄ったギルドで、ルイジェルドの佇まいをじっと見ていた男がいた。

 

 修行の旅をしている、という空気は、ロドリゲスとよく似ている。

 

 男は席を立つと、まっすぐこちらへ歩いてきた。

 

「失礼。少し、お尋ねしたいのだが」

 

 その目に浮かんでいたのは、警戒でも敵意でもなかった。

 

 あの日のロドリゲスと、よく似た光だった。

 

 ……また、この手合いか。

 

 俺は、小さく息を吐いた。

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