四百年と一年
その日の夕方には、また一つ、似たような話が終わっていた。
相手の名乗りを聞き、いつもの条件を確認する。三ヶ条を並べる俺の声にも、もう迷いはなかった。
男は存外あっさりと膝をつき、それでも晴れやかな顔で去っていった。勝負の後にルイジェルドが名乗り、相手が驚くところまで含めて、数日前とよく似た流れだった。
一つ増えるごとに、俺たちの手順は少しずつ簡略化されていく。
南へ向かうほど、その手の話は増えていった。
肩書きを長々と名乗る者もいれば、名乗りもそこそこに立ち合いを求める者もいた。理由も、作法も、それぞれ違う。
共通していたのは、決着の付き方だけだ。
最初の頃なら、そのたびに少しくらい身構えていたのだろう。
けれど、いつの間にか俺たちにとっても、それは旅の途中に起きる出来事の一つになりつつあった。
◇
そんな中、一人の武者修行者と出会った。
若くはない。白髪混じりの口ひげを蓄えた、旅慣れた壮年の男だった。
男が名乗り、いつもの三ヶ条を確認してから、剣を交える。
決闘は、驚くほどあっさり終わった。
男の剣は堅実で、無駄がなかった。だが、堅実さだけではルイジェルドの間合いは崩せない。数合のうちに勝負はつき、男は素直に敗北を認めた。
「見事な腕だ。名を聞かせてもらえるか」
「ルイジェルド・スペルディアだ」
その瞬間、男の表情が変わった。
「……ルイジェルド?」
「ああ」
男は眉を寄せ、記憶の中から何かを探すようにルイジェルドを見た。
「四〇〇年前の戦争で、スペルド族の戦士団を率いた者がいたはずだ。その者も、確か……ルイジェルドという名ではなかったか」
俺にとっては、以前ルイジェルド本人から聞かされている話だ。エリスがどこまで知っているのかは、正直、俺にもわからない。
だが、男にとっては、明らかに違った。
ルイジェルドは、少しの間を置いて答えた。
「同一人物だ」
男はしばらく何も言わなかった。
「……本人、なのか?」
「ああ」
「四〇〇年前の?」
「ああ」
そこで、ようやく意味が追いついたらしい。
男は目を見開いた。
「まさか……歴史上の人物と、剣を交えることになろうとは」
◇
その夜、男は俺たちの焚き火に加わった。
話を聞かせてほしい。
そう乞われて、ルイジェルドは珍しく長く語った。
一〇〇〇人近い討伐軍の包囲を抜けたこと。
その後、長い時間を身を隠して過ごしたこと。
そして最後には、ラプラスへ一矢報いたこと。
以前ルイジェルドから聞いた話と同じだった。
けれど、一つ一つ確かめるように尋ねる武人を相手に語られると、また印象が違う。
男は最初こそ何度も質問を挟んでいたが、やがて口数が減っていった。
火が小さくなれば薪を足す。
また話が続く。
そうして夜が深まり、空が白み始める頃には、男は何度も目元を拭っていた。
俺もエリスも、いつの間にか黙って話を聞いていた。
コジローは、少し離れた場所に腰を下ろしていた。
夜が更けても。
空が白み始めても。
最後まで、席を立つことはなかった。
◇
男と別れた後、俺はふと思った。
噂の中にいる、恐怖の象徴。
目の前で火を囲む、一人の武人。
そして、四〇〇年前の戦争を実際に生き抜いた戦士。
全部、同じルイジェルドだ。
だったら、この話をそのまま広めればいいんじゃないだろうか。
スペルド族は恐ろしい。
そんな話ばかりが伝わっているのなら、別の話も伝えてやればいい。
本にする。
土魔術を使えば、印刷自体はなんとかできる。俺は四ヶ大陸語も扱える。
問題は中身と題名だ。
たとえば──。
『恐怖のデッドエンド、その実像に迫る!』
……なんだか胡散臭い。
『四百年を駆けた槍 あるスペルド戦士の記録』
今度は妙に硬い。
もう少し親しみやすく、
『デッドエンドは本当に怖いのか? 本人に聞いてみた』
……駄目だな。
別の意味で信用できない。
それに、本を勝手に作って配っていいのかもわからない。法律に引っ掛かって捕まりました、では笑い話にもならない。
今すぐどうこうできる話ではない。
けれど、頭の隅には残しておこう。
ルイジェルドの本当の姿を伝える方法が、いつか見つかるかもしれない。
……まずは題名から考え直した方がよさそうだ。
◇
それからも、旅は続いた。
南へ、南へ。
そういえば、エリスの魔神語の授業を、コジローも時折聞いていた。
最初は、たまたま近くにいるから耳に入っているだけだと思っていた。
ところが、ある日のことだった。
「ルーデウス。一つ尋ねてもよいか」
「なんです?」
「先ほど、ルイジェルド殿が口にしていた言葉だ。あれは、どういう意味だ?」
「ああ。危険がある時に使う言葉ですね。『気をつけろ』って意味です」
「なるほど」
短く頷く。
それからだった。コジローは時折、旅の途中で耳にした魔神語の意味を俺に尋ねるようになった。
剣のことなら、俺がこの人に教えられるものなんてほとんどないだろう。けれど、言葉なら話は別だ。
教える側に回れるというのは、少しばかり気分がいい。
これで少しは、恩を売れただろうか。
……なんて考えているあたり、我ながらせこい。
もちろん、聞いた端から何でも覚えるわけではない。旅の合間に少しずつ言葉を拾い、数ヶ月も経つ頃には、簡単な受け答えなら自分でこなせる程度にはなっていた。
ある町の露店で、店主が何かを尋ねてきたことがある。
俺が答えるより先に、コジローが短く魔神語で応じた。発音は多少怪しかったが、店主は普通に頷いて、品物を渡している。
……ちゃんと、通じている。
教えた甲斐は、あったらしい。
そんな日々を重ねるうち、半年が七ヶ月になり、八ヶ月になった。
もちろん、平穏なだけではなかった。
魔神語を理解できるようになったぶん、エリスは陰口や嘲りにも敏感になった。
ある町の酒場で、酔った男が俺たちの装いを見て、聞こえよがしに何か言ったことがある。
「今、なんて言った」
エリスの声が、一段低くなった。
「あん? 別に、なんも」
「聞こえたわよ」
胸ぐらを掴む一歩手前で、男は青ざめて謝った。
それで終わりだった。剣だけは、決して抜かなかった。
ルイジェルドも、時折スペルド族だと見抜かれ、町を追い出されることがあった。ただし、最初の頃のような大立ち回りにはならない。
顔見知りになっていた衛兵に、静かに肩を叩かれることもあった。
「悪いが、今夜はこの町を出ていってくれ」
「わかっている」
「あんたのことは、わかってるつもりなんだがな……。怖がる奴がいるんでな」
「気にするな」
ルイジェルドは短くそう答え、それ以上は何も言わず、踵を返した。
コジローはコジローで、覚えた魔神語を妙なところで役立てていた。
ある宿で、美しい女主人に何やら短く魔神語で話しかけているのを見たことがある。
女主人が一瞬目を丸くし、それから楽しそうに笑った。
「コジローさん、今、なんて言ったんです?」
気になって聞いてみると、
「いや。美しいものを、美しいと申しただけよ」
涼しい顔で言いやがった。
……語学の使い道、そこなのか。
しかも、ちゃんと通じている。
なんだろう、同じ女好きでも、あちらは風流で、俺だけスケベ扱いされている気がしてならない。
俺はといえば──まあ、俺のことはいい。人の煩悩なんて、そう簡単に直るものじゃない。
似たような問題は、その後も何度となく起きた。
◇
最初のうちは、そのたびに焦っていた。
直さなきゃ。どうにかしなきゃ。
けれど、あるとき気づいた。
エリスは、怒りはしても剣を抜かない。ルイジェルドは、追われても暴れない。コジローは、気づけば綺麗な女にさらりと粉をかけている。俺の煩悩だって相変わらずだが、それで旅が立ち行かなくなったわけでもない。
性分も、境遇も、そう簡単には変わらない。
それでも、以前より、うまく付き合えるようになっている。
どの問題も、大きな騒ぎにはならなくなっていた。
だったら──やれることをやって、失敗したら、後からフォローすればいい。
気楽にいこう。気楽に。
失敗を軽く見ているわけじゃない。ただ、肩の力を抜くという、当たり前のことを、俺はこの旅で、ようやく覚えつつあった。
◇
そうして、旅を続けて、約一年。
気づけば俺たちは、Aランクの冒険者になっていた。
いつ、どの依頼で昇格したのか、正直よく覚えていない。それぐらい、当たり前の日々の延長線上にあった。
◇
荒野の色が、少しずつ変わっていく。
乾いた大地の向こうに、潮の匂いが混じり始めた。
やがて、視界の先に、青い水平線が広がった。
魔大陸最南端。港町、ウェンポート。
長かった縦断の旅も、ひとまず、ここで一区切りとなる。