無職転生~異聞 月下の剣士   作:彼岸花さつき

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第二十六月 二百枚の壁

二百枚の壁 

 

 港町ウェンポートは、潮の匂いと喧騒に満ちていた。

 

 海を眺めるのもそこそこに、俺たちは宿を決め、トカゲを馬屋に預けると、まずは冒険者ギルドへ足を向けた。

 

 ◇

 

 ギルド内は、これまでの町よりずっと賑わっていた。人族の姿も目立つ。海の向こう、ミリス大陸へ渡る前段階の町、ということなのだろう。

 

 掲示板を眺めながら、俺は簡単な算段をつける。魔大陸とミリス大陸では通貨の価値がまるで違う。同じランクの依頼でも、向こうで稼いだほうが実入りがいいらしい。船がすぐに出ないようなら、その待ち時間だけ、こちらでBランクの依頼をこなしておくのが賢明だろう。

 

「船って、どこから出るんでしょうね」

 

「港だろう」

 

「港のどこだって話です」

 

「聞いてみろ」

 

 カウンターへ向かう。

 

「ミリス大陸に渡りたいんですけど、どこに行けばいいかわかります?」

 

「そういうのは、関所でお聞きください」

 

 国境を跨ぐ話は、ギルドの管轄外らしい。ならば関所へ、と考えていた矢先。

 

「──ちょっと!」

 

 鋭い声が響いた。

 

 振り向くと、エリスが見知らぬ男の胸ぐらを掴んでいた。

 

「今、どこ触ったのよ!」

 

「し、知らねえよ、偶然だ!」

 

「偶然だろうと知ったこっちゃないわ!」

 

 男は次の瞬間には床に転がされていた。

 

 周囲から歓声とも悲鳴ともつかない声が上がる。ある程度痛めつけたところで、ルイジェルドが軽く肩を叩いて止めた。

 

「もういい、これぐらいにしておけ」

 

「……ふん」

 

 男は這うようにして逃げていった。

 

 いつもの光景だ。この一年で、何度目になるだろうか。

 

「おい、あの赤毛……もしかして『デッドエンド』か?」

 

 誰かが呟いた一言で、ギルド内の空気が変わった。

 

「デッドエンドって、あのスペルド族の……」

 

「偽物だって話も聞くけどな」

 

「本物だって噂も聞いたぜ。凶暴だけど、根はいい奴らしいって」

 

 ざわめきが広がっていく。俺たちの評判は、もうこの町まで届いていたらしい。

 

「『狂犬のエリス』に『番犬のルイジェルド』だろ?」

 

 おお、二つ名まで付いている。

 

 俺は思わず耳をそばだてた。俺には、なんて呼び名がついているんだろうか。知的で、格好いいやつだといいんだが。

 

「じゃああっちのチビが『飼主』か!」

 

「飼主が一番タチ悪いって話だぜ」

 

「悪いことばっかりやってるらしいな」

 

 ……飼主。

 

 いや、それは、俺の名前は。

 

 訂正しようとして、やめた。悪い意味で名が売れているらしいが、本名でないなら別にいいか、という気もする。それに、飼主というのも、なかなか悪くない響きだ。エリスに首輪でもつけて連れ歩きたいものだ。

 

「関所へ行きましょう。飼主らしく、堂々と」

 

「なぜお前は今、変な威張り方をしているんだ」

 

 周囲の視線を浴びながら、俺たちはギルドを後にした。

 

 ◇

 

 関所の役人は、人族の渡航費を聞くと、あっさり鉄銭五枚だと答えた。

 

「魔族の方は、種族によって変わりますが」

 

「スペルド族です」

 

 役人の顔が、露骨に強張った。

 

 スキンヘッドの頭を一瞥し、深いため息をつく。

 

「……緑鉱銭二〇〇枚だ」

 

「に、二〇〇枚?」

 

 思わず聞き返した。人族の四百倍だ。

 

「なんで、そんな金額に」

 

「知るかよ。決めたのは俺じゃない」

 

 役人はやる気なさそうに肩をすくめた。

 

「まあ、予想はつくけどな。奴隷として運び込まれて、向こうで暴れられたら困る、ってやつだろ」

 

 テロ対策、ということらしい。

 

 スペルド族が、爆弾のような扱いを受けている。

 

「ちなみに、別の種族だと偽ったら」

 

 誤魔化せないものかと聞いてみたが、役人は鼻で笑った。

 

「無駄だぜ。船に乗る時、ちゃんと種族を調べられる。ここで別の種族を名乗っても、そこでバレるぞ」

 

 なるほど。逃げ道はないということか。

 

 コジローは、何も言わなかった。

 

 二〇〇枚という数字を聞いた時だけ、片眉が僅かに動いた。

 

 それだけだった。

 

 ◇

 

 その夜、宿で出された夕食は、この一年で一番うまかった。拳大の貝を、酒とバターで蒸したものだ。

 

 エリスはがっつくように頬張っている。行儀作法は、この一年ですっかりどこかへ置き忘れてきたらしい。

 

「これはよいな」

 

 コジローが、殻に残った汁を口にして目を細める。

 

「海のものに酒というのは、よく合うものだ」

 

 こういう時だけは、実に満足そうな顔をする男である。

 

 食後、俺たちは額を寄せた。

 

「それで、二〇〇枚をどう工面するか、ですが」

 

「すまんな。俺のせいで」

 

 ルイジェルドが言った。

 

「ルイジェルドさんのせいじゃないですよ」

 

「でも、困ったわね。まさか、ルイジェルドだけ置いていくわけにもいかないし」

 

 エリスが言う。

 

「それはあるまい」

 

 コジローが静かに言った。

 

「ここまで共に来たのだ。ルイジェルド殿だけを残してゆく道理もあるまい」

 

 ルイジェルドが、わずかに目を伏せた。

 

 置いていく。それが一番手っ取り早いというのは、俺にもわかっている。

 

 この一年で、俺たちも冒険者としてはかなり慣れた。ルイジェルド抜きでも、旅は続けられるだろう。

 

 でも、そんなつもりは、欠片もない。

 

「もちろん、置いていきません」

 

「方法は三つあります」

 

「三つも?」

 

「まず一つ、地道に依頼をこなして稼ぐ。ただ、時間がかかりすぎます」

 

「二つ目は?」

 

「迷宮に潜って、魔力結晶を取ってくる。一発で工面できるかもしれませんが」

 

「迷宮! 行きましょう!」

 

「だめだ」

 

 ルイジェルドが即座に却下した。

 

「迷宮の罠は、俺の目でも見きれん」

 

 エリスがしょんぼりする。

 

「三つ目は、密輸を扱ってる人間を探して頼み込む、という手です」

 

「怪しいな」

 

「怪しいです」

 

「さて。どれも一筋縄ではゆかぬか」

 

 コジローが腕を組む。

 

「ええ。そうなんですよ」

 

 どれも決め手に欠ける。

 

 結局、その夜は結論が出ないまま、話し合いは終わった。

 

 ……もう一つだけ、頭に浮かんだ手はある。俺の杖を売る、という手だ。

 

 『傲慢なる水竜王( アクアハーティア)』は、それなりの値がつくはずだ。

 

 でも、これは誕生日にエリスからもらったものだ。今日まで、ずっと使ってきた。

 

 それに、言えば、少なくともエリスとルイジェルドは、間違いなくいい顔をしないだろう。

 

 だから、これは黙っておくことにする。

 

 誰にも言わず、心の中だけで、その案を静かに引っ込めた。

 

◇

 

 その夜、夢を見た。

 

 見覚えのある、白い空間。

 

 そこに、輪郭さえ記憶に残らない、白い人影が立っていた。

 

「久しぶりだね」

 

 軽薄な声だった。忘れようもない、あの声。

 

 ……おまえか。

 

「おまえ、はひどいな。人神、でいいのに」

 

 自分でそう名乗ったくせに、呼び方まで注文するな。

 

「そう邪険にしないでよ。今日は、いい話を持ってきたんだから」

 

 どうせ、また思わせぶりなことだけ言って、あとは丸投げする気だろう。

 

「明日、露店で何か食べ物を買ってから、一人で路地裏を歩いてみるといい」

 

 路地裏。食べ物。

 

 ……あー、なんとなく読めるぞ。

 

 腹を空かせた迷子の子供でもいて、変な男に絡まれてるとか、そんなオチだろう。

 

「なんだ、わかっちゃった? すごいね」

 

 その子を助けたら、実はどこかの偉い人の孫でしたー、ってオチも見えてるぞ。

 

「ふふふ、それは明日の、お楽しみだよ」

 

 なにが、お楽しみだ。

 

「あ、そうそう。前は僕の助言のせいで、大変なことになったんだってね。だから、ちょっと顔を出しづらくてさ」

 

 ……はっ。神様にもそういう気の遣い方があるんだな。

 

 でも勘違いするなよ。あれは、俺が勝手にやらかしただけだ。お前のせいじゃない。

 

「そう? ちなみに、どうすれば正解だったか、知りたい?」

 

 ……まあ、知りたくはある。

 

「普通に衛兵へ突き出していれば、それだけで仲良くなれたはずだよ」

 

 は? それだけでよかったのか? 

 

「そうだよ。それを、いきなり仲間に引き入れて、ギルドの小悪党にまで目をつけられるとはね。予想外だったよ。見てて面白かったけど」

 

 俺は全然面白くなかったけどな。

 

「でも、おかげで一年ちょっとで、ここまで来られたわけだろう?」

 

 ……それとこれとは、話が別だ。

 

「そうかい。まあいいけどね」

 

 最後にもう一つだけ、聞いておきたい。

 

 ──あんたの助言って、あんまり深く考えないほうが、うまくいくのか? 

 

「僕としては、悩んでくれたほうが、見てて楽しいけどね」

 

 ……性格が悪い。

 

 わかったよ、宣言しておく。次は、絶対に面白くしてやらないからな。

 

「ふふ。それも、楽しみにしているよ」

 

 白い人影が、輪郭からぼやけて消えていく。

 

 声だけが、しばらく耳の奥に残っていた。

 

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