二百枚の壁
港町ウェンポートは、潮の匂いと喧騒に満ちていた。
海を眺めるのもそこそこに、俺たちは宿を決め、トカゲを馬屋に預けると、まずは冒険者ギルドへ足を向けた。
◇
ギルド内は、これまでの町よりずっと賑わっていた。人族の姿も目立つ。海の向こう、ミリス大陸へ渡る前段階の町、ということなのだろう。
掲示板を眺めながら、俺は簡単な算段をつける。魔大陸とミリス大陸では通貨の価値がまるで違う。同じランクの依頼でも、向こうで稼いだほうが実入りがいいらしい。船がすぐに出ないようなら、その待ち時間だけ、こちらでBランクの依頼をこなしておくのが賢明だろう。
「船って、どこから出るんでしょうね」
「港だろう」
「港のどこだって話です」
「聞いてみろ」
カウンターへ向かう。
「ミリス大陸に渡りたいんですけど、どこに行けばいいかわかります?」
「そういうのは、関所でお聞きください」
国境を跨ぐ話は、ギルドの管轄外らしい。ならば関所へ、と考えていた矢先。
「──ちょっと!」
鋭い声が響いた。
振り向くと、エリスが見知らぬ男の胸ぐらを掴んでいた。
「今、どこ触ったのよ!」
「し、知らねえよ、偶然だ!」
「偶然だろうと知ったこっちゃないわ!」
男は次の瞬間には床に転がされていた。
周囲から歓声とも悲鳴ともつかない声が上がる。ある程度痛めつけたところで、ルイジェルドが軽く肩を叩いて止めた。
「もういい、これぐらいにしておけ」
「……ふん」
男は這うようにして逃げていった。
いつもの光景だ。この一年で、何度目になるだろうか。
「おい、あの赤毛……もしかして『デッドエンド』か?」
誰かが呟いた一言で、ギルド内の空気が変わった。
「デッドエンドって、あのスペルド族の……」
「偽物だって話も聞くけどな」
「本物だって噂も聞いたぜ。凶暴だけど、根はいい奴らしいって」
ざわめきが広がっていく。俺たちの評判は、もうこの町まで届いていたらしい。
「『狂犬のエリス』に『番犬のルイジェルド』だろ?」
おお、二つ名まで付いている。
俺は思わず耳をそばだてた。俺には、なんて呼び名がついているんだろうか。知的で、格好いいやつだといいんだが。
「じゃああっちのチビが『飼主』か!」
「飼主が一番タチ悪いって話だぜ」
「悪いことばっかりやってるらしいな」
……飼主。
いや、それは、俺の名前は。
訂正しようとして、やめた。悪い意味で名が売れているらしいが、本名でないなら別にいいか、という気もする。それに、飼主というのも、なかなか悪くない響きだ。エリスに首輪でもつけて連れ歩きたいものだ。
「関所へ行きましょう。飼主らしく、堂々と」
「なぜお前は今、変な威張り方をしているんだ」
周囲の視線を浴びながら、俺たちはギルドを後にした。
◇
関所の役人は、人族の渡航費を聞くと、あっさり鉄銭五枚だと答えた。
「魔族の方は、種族によって変わりますが」
「スペルド族です」
役人の顔が、露骨に強張った。
スキンヘッドの頭を一瞥し、深いため息をつく。
「……緑鉱銭二〇〇枚だ」
「に、二〇〇枚?」
思わず聞き返した。人族の四百倍だ。
「なんで、そんな金額に」
「知るかよ。決めたのは俺じゃない」
役人はやる気なさそうに肩をすくめた。
「まあ、予想はつくけどな。奴隷として運び込まれて、向こうで暴れられたら困る、ってやつだろ」
テロ対策、ということらしい。
スペルド族が、爆弾のような扱いを受けている。
「ちなみに、別の種族だと偽ったら」
誤魔化せないものかと聞いてみたが、役人は鼻で笑った。
「無駄だぜ。船に乗る時、ちゃんと種族を調べられる。ここで別の種族を名乗っても、そこでバレるぞ」
なるほど。逃げ道はないということか。
コジローは、何も言わなかった。
二〇〇枚という数字を聞いた時だけ、片眉が僅かに動いた。
それだけだった。
◇
その夜、宿で出された夕食は、この一年で一番うまかった。拳大の貝を、酒とバターで蒸したものだ。
エリスはがっつくように頬張っている。行儀作法は、この一年ですっかりどこかへ置き忘れてきたらしい。
「これはよいな」
コジローが、殻に残った汁を口にして目を細める。
「海のものに酒というのは、よく合うものだ」
こういう時だけは、実に満足そうな顔をする男である。
食後、俺たちは額を寄せた。
「それで、二〇〇枚をどう工面するか、ですが」
「すまんな。俺のせいで」
ルイジェルドが言った。
「ルイジェルドさんのせいじゃないですよ」
「でも、困ったわね。まさか、ルイジェルドだけ置いていくわけにもいかないし」
エリスが言う。
「それはあるまい」
コジローが静かに言った。
「ここまで共に来たのだ。ルイジェルド殿だけを残してゆく道理もあるまい」
ルイジェルドが、わずかに目を伏せた。
置いていく。それが一番手っ取り早いというのは、俺にもわかっている。
この一年で、俺たちも冒険者としてはかなり慣れた。ルイジェルド抜きでも、旅は続けられるだろう。
でも、そんなつもりは、欠片もない。
「もちろん、置いていきません」
「方法は三つあります」
「三つも?」
「まず一つ、地道に依頼をこなして稼ぐ。ただ、時間がかかりすぎます」
「二つ目は?」
「迷宮に潜って、魔力結晶を取ってくる。一発で工面できるかもしれませんが」
「迷宮! 行きましょう!」
「だめだ」
ルイジェルドが即座に却下した。
「迷宮の罠は、俺の目でも見きれん」
エリスがしょんぼりする。
「三つ目は、密輸を扱ってる人間を探して頼み込む、という手です」
「怪しいな」
「怪しいです」
「さて。どれも一筋縄ではゆかぬか」
コジローが腕を組む。
「ええ。そうなんですよ」
どれも決め手に欠ける。
結局、その夜は結論が出ないまま、話し合いは終わった。
……もう一つだけ、頭に浮かんだ手はある。俺の杖を売る、という手だ。
『
でも、これは誕生日にエリスからもらったものだ。今日まで、ずっと使ってきた。
それに、言えば、少なくともエリスとルイジェルドは、間違いなくいい顔をしないだろう。
だから、これは黙っておくことにする。
誰にも言わず、心の中だけで、その案を静かに引っ込めた。
◇
その夜、夢を見た。
見覚えのある、白い空間。
そこに、輪郭さえ記憶に残らない、白い人影が立っていた。
「久しぶりだね」
軽薄な声だった。忘れようもない、あの声。
……おまえか。
「おまえ、はひどいな。人神、でいいのに」
自分でそう名乗ったくせに、呼び方まで注文するな。
「そう邪険にしないでよ。今日は、いい話を持ってきたんだから」
どうせ、また思わせぶりなことだけ言って、あとは丸投げする気だろう。
「明日、露店で何か食べ物を買ってから、一人で路地裏を歩いてみるといい」
路地裏。食べ物。
……あー、なんとなく読めるぞ。
腹を空かせた迷子の子供でもいて、変な男に絡まれてるとか、そんなオチだろう。
「なんだ、わかっちゃった? すごいね」
その子を助けたら、実はどこかの偉い人の孫でしたー、ってオチも見えてるぞ。
「ふふふ、それは明日の、お楽しみだよ」
なにが、お楽しみだ。
「あ、そうそう。前は僕の助言のせいで、大変なことになったんだってね。だから、ちょっと顔を出しづらくてさ」
……はっ。神様にもそういう気の遣い方があるんだな。
でも勘違いするなよ。あれは、俺が勝手にやらかしただけだ。お前のせいじゃない。
「そう? ちなみに、どうすれば正解だったか、知りたい?」
……まあ、知りたくはある。
「普通に衛兵へ突き出していれば、それだけで仲良くなれたはずだよ」
は? それだけでよかったのか?
「そうだよ。それを、いきなり仲間に引き入れて、ギルドの小悪党にまで目をつけられるとはね。予想外だったよ。見てて面白かったけど」
俺は全然面白くなかったけどな。
「でも、おかげで一年ちょっとで、ここまで来られたわけだろう?」
……それとこれとは、話が別だ。
「そうかい。まあいいけどね」
最後にもう一つだけ、聞いておきたい。
──あんたの助言って、あんまり深く考えないほうが、うまくいくのか?
「僕としては、悩んでくれたほうが、見てて楽しいけどね」
……性格が悪い。
わかったよ、宣言しておく。次は、絶対に面白くしてやらないからな。
「ふふ。それも、楽しみにしているよ」
白い人影が、輪郭からぼやけて消えていく。
声だけが、しばらく耳の奥に残っていた。