見える未来、見えない答え
予見眼を手に入れた。
そう聞けば、なんとも格好いい。数瞬先の未来が見えるらしい。戦闘では役に立つだろうし、日常生活でも転びそうな人を助けたり、落とし物を拾ったりできるかもしれない。
問題は――。
「うおっと」
道を歩いている人間が、ことごとく二人に見えることだった。
一人は今そこにいる本人。もう一人は、ほんの少し先にいる本人。
右へ避けると思ったら左へ行く。立ち止まったと思ったら、未来の方だけ歩き続ける。
便利どころか、邪魔である。これでは未来が見えるというより、酔っ払って物が二重に見えている人だ。
しかも、この眼を手に入れたきっかけはヒトガミだ。
あいつの言う通りに食べ物を買い、路地裏へ行った結果、キシリカに出会った。つまり、この眼を手に入れたことまで、あいつの思惑通りなのだろう。
そう考えると素直に喜べない。
かといって、せっかくもらった眼を抉り出すほど俺はワイルドではない。痛いのは嫌だ。
とりあえず、使えるものなら使えるようにしてから考えよう。
そんなことを考えながら歩いていたせいか。
「おい!」
「うわっ」
誰かと肩がぶつかった。
見上げると、傷のある顔に立派な顎髭を生やした男が、こちらを睨んでいた。腰には剣。いかにも路地裏が似合いそうな顔である。
「どこ見て歩いてやがる」
「すみません。ちょっと眼の調子が悪くて」
「だったら端歩け、端!」
「ごもっともです」
ここは素直に謝っておく。
眼をもらった直後にチンピラと喧嘩して、「未来が見えたので勝てました」なんて展開は御免だ。
男は舌打ちして俺の横を通り過ぎた。
と思ったら、数歩先で立ち止まる。
「そういや坊主。この辺で、酔っ払ったような男を見なかったか? 昨日から戻ってねえ奴がいるんだ」
「昨日……」
路地裏。
キシリカ。
食べ物を与えようとしていた男。
俺が盛大にぶっ飛ばした。
……もしかして、あの人か?
「路地裏で倒れてた人なら見ましたよ」
「どの辺だ?」
「向こうの――」
答えようとした瞬間、男の姿にもう一つの姿が重なった。
未来の男。
その頭へ、上から何かが落ちてくる。
「危ない!」
「あ?」
考えるより先に手が動いた。
風を起こし、男の身体を横へ押し飛ばす。
「うおっ!」
男は転がりながらも、すぐに立ち上がった。剣へ手を伸ばす。
「てめぇ――」
ガシャン!
そのすぐ横で、何かが砕けた。
植木鉢だった。
二人で揃って上を見ると、建物の窓から中年の女性が真っ青な顔でこちらを覗いていた。
「ご、ごめんなさい!」
「……なるほど」
男は剣から手を離した。
地面の植木鉢。さっきまで自分が立っていた場所。そして俺。
順番に見比べる。
「坊主、お前……」
「それじゃ、僕はこれで」
面倒になる前に逃げることにした。
男の仲間が倒れていた場所だけ教えて、その場を離れる。
しばらく歩いてから振り返った。
誰も追ってこない。
「……使えるじゃないか」
思わず呟いた。
制御さえできれば、かなり便利かもしれない。少なくとも、植木鉢が頭に直撃する少し前ぐらいなら教えてくれる。
よし。
早急に飼い慣らそう。
◇
宿へ戻ると、三人ともいた。
エリスは俺の右目を見るなり、顔を近づけてきた。
「それが魔眼?」
「そうらしいです」
「普通の目にしか見えないわね」
「僕にもそう見えます」
見た目まで邪眼全開だったら困る。
ルイジェルドにキシリカの名を出すと、珍しく目を見開いた。
「キシリカが復活していたのか」
「知ってるんですか?」
「魔界大帝だ。知らん者の方が少ない」
どうやら、俺が子供のごっこ遊びだと思っていた相手は、想像以上の有名人だったらしい。
キシリカは多くの魔眼を持ち、他人の眼にまで異能を与えられる存在なのだという。つまり、俺がやられたあの眼球ぐりぐりも、ちゃんとした施術だったわけだ。
もう少し患者に優しい方法はなかったんでしょうか、先生。
「すごいわね。私も会ってみたい!」
「もう町を出たみたいですよ」
「そうなの? 残念ね」
そう言いながら、エリスは俺の右目をじっと覗き込んだ。
「それが使えるようになったら、私の動きも見えるの?」
「たぶん」
「じゃあ、私とやりなさい」
「はい?」
「魔眼なんかに負けないんだから!」
「今は歩くのにも苦労してるんですけど」
「早く使えるようになりなさいよ!」
「無茶言うなぁ……」
「目に宿る異能、か」
それまで黙っていたコジローが、ふと呟いた。
特に驚いている様子もない。
「コジローさん、こういうの珍しくないんですか?」
「さてな。だが、すでに宿ったものなら、まずは己のものにすることよ」
「それはそうですけど」
それだけ言って、茶を口にする。
未来が見える眼をもらった、と聞かされてこの反応。相変わらず、この人の驚く基準はよくわからない。
とはいえ、言っていることは正しい。
「というわけで、しばらく宿に籠もります」
「部屋に籠もるの?」
「今度は前向きな引きこもりです」
「同じじゃない!」
違う。
目的のある引きこもりと、目的のない引きこもりには天と地ほどの差があるのだ。
前世の俺が証明している。
◇
予見眼の制御には、一週間かかった。
どうやら、見える未来は魔力で調整できるらしい。
最初に覚えたのは、未来の像を薄くすることだった。今と未来が同じ濃さで見えるから混乱するのであって、未来側だけうっすら見える程度にすれば普通に歩ける。
この辺りは無詠唱魔術と似ていた。魔力をどう動かせば望んだ現象になるのか。一度感覚を掴んでしまえば、あとは反復だ。
次は、どこまで先を見るか。
一秒程度なら、かなり安定する。
二秒、三秒と伸ばすこともできるが、その頃には未来が枝分かれし始めた。一人が右にも左にも動く。さらに先を見ようとすれば、もう分身大会である。
しかも頭が痛い。
未来とは、どうやら一本の線ではないらしい。
安全に扱うなら一秒。普段は薄くしておき、必要な時だけ濃くする。
七日も経つ頃には、だいたいその程度まで扱えるようになった。
その一週間、エリスとルイジェルドは毎日のように朝から出掛けていた。
夕方になると、エリスは汗だくで帰ってくる。ルイジェルドも、よく見ると額に汗を浮かべている。
「あの、参考までに聞きたいんですけど、毎日どこ行ってるんです?」
「ナイショ!」
エリスは妙に嬉しそうに言った。
まあ、聞くまでもない。
稽古だろう。
フィットア領にいた頃から、エリスは見えないところで剣を振っていた。口では文句を言うし、すぐ怒るし、すぐ殴る。でも、剣に関して怠けているところはほとんど見たことがない。
俺が部屋で眼に魔力を流し続けている間にも、エリスは外で身体を動かしている。
そう思うと、俺もサボってはいられない。
魔眼との睨めっこに戻った。
◇
一週間後。
「実戦で試してみろ」
予見眼を一通り制御できるようになったと報告すると、ルイジェルドがそう言った。
相手はエリス。
俺たちは海岸へ移動し、適当な木の棒を一本ずつ手にした。
ルイジェルドが少し離れて立っている。
さらにその向こうでは、コジローが流木に腰を下ろしていた。長い刀を肩に預け、潮風に群青の髪を遊ばせながら、こちらを眺めている。
「コジローさんも見るんですか?」
「いやなに。小僧が一週間籠もった成果でも、見ておこうと思ってな」
「もちろん、ただ引きこもってただけではないとお見せしましょう!」
「ふむ」
「それに、目に宿った異能とやらが、戦でいかに働くものか。少々興味もあってな」
そう言って、コジローは僅かに笑った。
珍しく、興味を隠していない。普段は何事にもどこ吹く風といった態度なのに、こういう話になると少しだけ食いつきがいい。
やっぱりこの人も、根っこのところでは戦士なのだろう。
もっとも、これは剣術の稽古ではない。
俺の眼の性能試験だ。
「コジロー! ルーデウスばっかり見てないで私もちゃんと見なさいよね!」
おや、対抗意識を燃やしていらっしゃる。
かわいいな。
「それに言っとくけど、魔眼があったって負けないわよ!」
エリスはえらく自信満々だった。
この一週間で、何か掴んだらしい。
「今日は魔術なしです。俺も眼が戦いでどの程度使えるのか知りたいので」
「後悔しても知らないから!」
剣を構える。
眼に魔力を流す。
未来が重なった。
エリスが踏み込む。
いや、まだ動いていない。
一秒後だ。
次の瞬間。
「はあっ!」
未来で見えた通り、エリスが一気に間合いを詰めてきた。
速い。
だが、知っている。
来る場所がわかっていれば、俺でも対応できる。
剣を合わせ、横へ逃がす。
「なっ……!」
エリスが驚く。
しかし止まらない。
次の未来。
右。
受ける。
左。
避ける。
剣を弾いた。
――いや。
落としたんじゃない。手放したのか。
未来のエリスは、もう拳を振りかぶっていた。
「ふっ!」
剣を手放したエリスが拳を突き出してくる。
一歩引く。
拳が空を切った。
今度こそ終わり――。
ではない。
さらに先のエリスは、こちらの足へ飛びつこうとしていた。
「まだやるんですか!」
「当たり前でしょ!」
「元気だなぁ!」
なんとか動きを押さえ込む。
「そこまでだ」
ルイジェルドの声が飛んだ。
エリスの身体から力が抜ける。
俺も離れた。
「……勝った?」
勝った。
魔術なし。
近接戦で。
あのエリスに。
今までだったら、最初の踏み込みすらまともに見えなかった。それが全部見えた。
未来を知っているというのは、これほど大きいのか。
「完敗ね」
エリスが立ち上がる。
妙に素直だ。
「いやあ、それほどでも」
一瞬。
未来のエリスが、俺の頬を殴った。
「おっと」
現実の拳を受け止める。
エリスの顔が固まった。
「…………」
「…………」
「帰る!」
怒鳴ると、ずかずかと宿の方へ歩いていった。
途中、コジローの横を通り過ぎる。
コジローは何も呼び止めず、ぷんぷんと肩を怒らせて去っていく背中を眺めていた。
「負けず嫌いも、あそこまでゆけば愛嬌よな」
「最後の一発まで読まれたのが嫌だったんですかね」
「それだけじゃないだろう」
ルイジェルドは淡々と答えた。
そして俺の眼を見て、少し頷く。
「一週間でそこまで使えるようになったのか」
「そんなに難しくなかったですよ」
「そうではない。魔眼の制御は、本来もっと時間がかかる」
昔、スペルド族にも魔眼を持つ戦士がいたらしい。最後まで完全には扱えなかったという。
ふむ。
つまり。
俺、結構すごい?
ふとコジローを見る。
「どうでした?」
「何がだ?」
「魔眼ですよ。未来が見えるってやつ」
「面白い眼ではあるな」
コジローはそれだけ言った。
「えー、それだけですか?」
「さて」
視線が俺の手に持った剣へ落ちる。
「先が見えるというのは、さぞ便利であろうよ」
そこで話を終えてしまった。
なんだその含みのある言い方。
もっとこう、達人っぽいありがたい寸評とかないんですか。
まあいい。
少なくとも役には立つ。
なら。
「……もしかして、今ならルイジェルドさんにも勝てたり?」
言った瞬間、自分でも調子に乗っていると思った。
「魔術を使えばな」
「接近戦では?」
「試すか?」
「ぜひ」
ルイジェルドが槍を置いた。
俺も手にしていた剣を砂浜へ置く。
つまり俺なんぞ武器を使うまでもないということだろう。
ならば未来を見せてもらおうじゃないか。
少し離れた場所で、コジローが顎に手を添えた。
止める様子はない。むしろ、さっきより僅かに興味を持ったように見える。
眼に魔力を込める。
見えた。
ルイジェルドの手が、俺の顔へ伸びてくる。
来る。
わかっていれば防げる。
腕を上げる。
その瞬間。
未来が二つに割れた。
「え?」
一方では、俺の腕を掴んでいる。
もう一方では、そのまま顔を殴っている。
なんで?
一秒先だぞ?
考えているうちにルイジェルドが来た。
腕を引く。
未来がまた変わる。
「ちょ、待っ――」
次の一撃は見えていた。
確かに見えていた。
だが、避けられる体勢ではなかった。
「ぶっ!」
視界が揺れた。
気がつけば、砂浜に顔を突っ込んでいた。
痛い。
鼻がある。
よかった。
未来より先に、まず自分の顔面の未来が心配である。
「終わりか?」
「……参りました」
ルイジェルドが手を差し出してくる。掴んで起こしてもらった。
「どうやったんです?」
「お前の動きを見ただけだ」
「それだけ?」
「防ぐなら掴む。防がないなら打つ。お前が選んだ後で、俺も選ぶ」
「ふむ、後の先というわけか」
コジローが、納得したように口を挟んだ。
なるほど。
俺が未来を見て行動を変えれば、ルイジェルドもそれを見て行動を変える。
だから未来が枝分かれする。
「それと」
「まだあるんですか」
「見えていても、動けなければ意味はない」
ぐうの音も出ない。
未来予知があれば無敵!
などという甘い話ではないらしい。
相手の次の一手がわかっても、こちらの身体が追いつかなければどうにもならない。しかもルイジェルドは、以前にも同じ魔眼を持つ相手と戦った経験があるらしい。未来が見える相手との戦い方まで知っている。
経験値まで違う。
完全敗北である。
「調子に乗ってました」
「そうか」
それだけか。
もう少し優しく慰めてくださいよ。
「いや、なかなかに面白いものを見せてもらった」
コジローが流木から立ち上がる。
「魔眼がですか?」
「それもある」
コジローはルイジェルドを見て、薄く笑った。
「だが、先が見えようとも、それだけで勝負が決まらぬというのも、また面白い」
長い刀を背負い直す。
「ではな」
……たぶん、褒められた。
俺ではなく、主にルイジェルドを。
エリスには勝てたが、ルイジェルドには通用しなかった。なんとなく、この眼の立ち位置がわかってきた。
便利だし、強い。
でも、何でもできるわけではない。
……それでも便利なんだけどな。
◇
宿へ戻ると、エリスはベッドの端で膝を抱えていた。
「エリス」
「なによ」
怒っている。
いや、少し違う。
悔しがっている。
さっきルイジェルドから聞いた。
この一週間、二人は毎日、朝から夕方まで稽古をしていた。そして、エリスは初めてルイジェルドから一本取ったらしい。
ルイジェルドから一本。
それは凄い。
俺なんて未来が見えていても、鼻を殴られて砂を食べただけだ。
だからエリスは、あれほど自信満々だったのだ。
この一週間、エリスはずっと稽古を続けてきた。その結果、ついにルイジェルドから一本取った。自分が強くなったという実感だって、あったはずだ。
そんなところで、一週間前まで簡単に倒せた俺に負けた。それも、一度もまともに攻撃を当てられずに。
「ルイジェルドさんから一本取ったんでしょう?」
「……そうよ」
「すごいじゃないですか。僕なんてさっき一発で――」
「そういうことじゃない!」
怒鳴られた。
口を閉じる。
エリスはしばらく俯いていた。
やがて、ぽつりと言った。
「私は、ずっと練習してたのよ」
「……はい」
「毎日やったの。何回も転ばされたし、何回も負けた。それでやっと一回だけ勝てたの」
「はい」
「なのにルーデウスは……急にそんな眼をもらって」
声が小さくなる。
「ズルいわよ」
何も言えなかった。
そうだ。
俺は何を喜んでいた?
予見眼を制御するため、一週間は練習した。それは確かだ。
でも、眼そのものを得るために何をした?
串焼きを買った。路地裏を歩いた。腹を空かせたキシリカに飯を食わせた。
それだけだ。
その結果、降って湧いた力で、汗だくになって努力したエリスを倒した。そして俺は、強くなった気になって浮かれていた。
「……ごめんなさい」
「謝らないでよ」
エリスが俺の肩に身体を預けてきた。
そのまま黙る。
俺も黙った。
普段なら、こんな距離でエリスが寄りかかってきたら、別の意味で心拍数が上がる。でも今は、そんな気分にはならなかった。
魔眼は便利だ。
使えば、今まで見えなかった攻撃が見える。それだけで、俺はかなり強くなれる。
でも、それは俺自身が一秒分速くなったわけではない。ルイジェルドとの手合わせでも、それは嫌というほどわかった。見えていても動けなかったし、経験にも追いつけなかった。
便利なものに頼って、それで強くなったつもりになる。それは、多分よくない。
この眼は、必要な時に使おう。
ここぞという時。
そういう時の切り札でいい。
普段から頼りきりになるのはやめよう。
未来を見る前に、今の自分を強くしなければならない。
◇
問題が一つある。
一週間が経った。俺は未来を見られるようになった。
ところが、海を渡る方法は一ミリたりとも前進していない。
「……ヒトガミめ」
結局、あいつは何をさせたかったのだろう。
キシリカに会わせたかった?
魔眼を手に入れさせたかった?
その魔眼で金を稼げということか?
都合よく大金を稼げる方法など、今のところ思いつかない。
一週間経っても、二百枚という壁はそのままだ。正攻法で稼ぐには時間がかかりすぎる。迷宮は危険すぎる。密輸人に当たろうにも、そう簡単に見つかるものでもない。
そして俺の手元には、
「……仕方ないか」
あの夜、一度考えて、引っ込めた案。
杖を売る。
エリスからもらった、大切なものだ。当然、売りたくはない。
でも、大切だからこそ高く売れる。
旅は続けなければならない。エリスを家まで送り、ルイジェルドも一緒に海を渡る。
そのためなら。
俺は杖を手に、宿を出た。
夜。
エリスはもう眠っている。
ルイジェルドの姿も見当たらない。
今なら止められずに済む。
そう思ったのだが。
「どこへ行く」
宿を出てすぐ、暗がりからルイジェルドが出てきた。
……なんでいるんだよ。
「ちょっと、夜の散歩に」
ルイジェルドの視線が、俺の杖へ落ちる。
「杖を持ってか?」
「防犯です」
「売るつもりだな」
「…………」
この人には、嘘が通じない。
「はい」
観念した。
「売ります」
ルイジェルドの顔が険しくなる。
「それはエリスからもらったものだろう」
「だから値打ちがあるんですよ。物もいいですし」
「値段の話ではない」
わかっている。
「大切なものです」
「なら、なぜ手放す」
「必要だからです」
ルイジェルドはしばらく黙った。
「前に、三つ方法があると言ったな」
「はい」
「その中には、杖を売るという選択肢はなかったはずだ」
痛いところを突いてくる。
「……言えば反対されると思ったからです」
「だから、俺には相談しなかったのか?」
「……はい」
ルイジェルドは少し黙った。
「俺は、信用できないか?」
「そんなことは――」
「なら、なぜ一人で決めた」
思わず顔を上げた。
ルイジェルドは怒ってはいなかった。
むしろ、少し悲しそうだった。
「俺は戦い方ならお前より知っている。だが金のことも、町での交渉も、お前ほどわからん」
「…………」
「だから任せてきた。だが、任せるというのは、お前一人に全てを背負わせるという意味ではない」
言葉が出なかった。
反対される。そう思ったから、相談しなかった。
それは合理的だと思っていた。
でも、相手が何を選ぶかすら聞かずに、自分だけで答えを決めていた。
「……すみません」
「謝るな。俺も考えた」
ルイジェルドは海の方へ顔を向けた。
「普通に依頼をこなしていても、二百枚をすぐに用意するのは無理だ」
「そうですね」
「迷宮へ潜ったところで、すぐに二百枚が手に入る保証もない」
ルイジェルドが短く息を吐いた。
「ならば、残るのは密輸人だ」
驚いた。
ルイジェルド自身の口から、その言葉が出るとは思っていなかった。
「いいんですか?」
「よくはない」
即答だった。
「だが、この金が必要なのは俺のためだ」
「ルイジェルドさんのせいじゃ――」
「俺がスペルド族だから必要になる金だ」
それ以上は言わせてもらえなかった。
「お前にその杖を売らせるぐらいなら、今回は俺が譲る」
「譲る?」
「密輸人が何をしていても、見ない。聞かない」
重い言葉だった。
この男が何を嫌うのか、俺は知っている。
子供を攫う者。弱者を食い物にする者。そういう人間を見れば、ルイジェルドは迷わない。
その彼が、それを我慢すると言っている。
俺に杖を売らせないために。
「……それでも」
俺は少し考えた。
「本当に我慢できない奴がいたら、言ってください」
「何?」
「その時は、一緒に全部台無しにしましょう」
密輸人を利用する。
だが、完全に言いなりにはならない。もし途中で子供でも攫われていたら、その時ぐらい予定を壊して助けてもいい。
スマートではない。
でもまあ、俺たちらしいといえば、俺たちらしい。
ルイジェルドは一瞬黙った後、僅かに笑った。
「ああ」
「じゃあ、密輸人を探しましょう」
「そうしよう」
手を差し出す。
ルイジェルドが握った。
大きく、硬い手だった。
この一年、何度この手に助けられただろう。
相談する。
未来を見るより、ずっと簡単なはずなのに、俺はどうもこういうことが下手らしい。
手を離した、その時だった。
ルイジェルドの表情が変わった。
槍を取る。
「誰だ」
低い声。
路地の暗がりから、一人の男が両手を上げて出てきた。
「おお、怖ぇ怖ぇ。いきなり刺すのは勘弁してくれよ」
顎髭。
傷のある顔。
「あ」
昼間――いや、もう一週間前か。
魔眼をもらった帰りにぶつかった男だ。
「坊主、やっと見つけたぜ」
「僕を?」
「ああ。眼の悪いチビの魔術師を探してたんだが、そんな奴は知らねえって言われ続けてな。で、『デッドエンド』の話を聞いて、ようやく繋がった」
男はニヤリと笑った。
「七日前は世話になったな」
どうやら、俺が教えた場所で仲間も無事に見つかったらしい。
それに、鉢植えから助けたこと。その礼も言いたかったのだという。
「わざわざそれだけのために?」
「俺らみたいな商売はな、借りを残すと後で面倒になるんだよ」
「俺らみたいな?」
男は少し間を置いた。
「さっきの話、聞こえちまった」
嫌な予感がした。
「あんたら、海を渡るために密輸人を探してるんだろ?」
俺とルイジェルドは顔を見合わせた。
「まさか」
「そのまさかさ」
男は自分の胸を親指で指した。
「俺は密輸をやってる」
都合が良すぎる。
普通なら疑うところだ。
だが。
食べ物を買う。
路地裏へ行く。
キシリカに会う。
予見眼をもらう。
予見眼で、この男を鉢植えから助ける。
そして今、この男が密輸人として目の前にいる。
「ヒトガミ……」
思わず小さく呟いた。
そういうことか?
あの助言は、キシリカに会わせるだけではなかった?
「ただし」
男が指を立てる。
「借りはある。だが、それとスペルド族一人をタダで運ぶってのは釣り合わねえ。俺の命に二百枚分の値段がついてるとは思ってねえからな」
「じゃあ、どうするんです?」
「仕事を一つ受けてくれ」
ルイジェルドが俺を見る。
交渉は俺の役目だ。
「内容を聞いてからです」
「当然だ」
男は声を潜めた。
「今から一ヶ月後、俺たちが使ってる保管場所に奴隷が運び込まれる」
ルイジェルドの目が細くなる。
男は慌てず続けた。
「その中に、売っちまうと後々まずい奴が混ざってる。金にはなるが、一年もすりゃでかい禍根になる。俺は止めたんだが、仲間全員が聞く耳持つわけじゃねえ」
「それを僕たちに助けろと?」
「そういうことだ。できれば逃がした後も、故郷へ帰れるよう手を回してほしい」
妙な話だった。
密輸人が、密輸される奴隷を助けてほしいと言っている。
「自分でやればいいじゃないですか」
「俺がやったら、俺の居場所がなくなる」
男が肩をすくめる。
「だから、口が固くて腕の立つ奴を探してた」
ルイジェルドが男を睨む。
「お前は戦える」
「まあな。でも、強い奴が何でも好きに決められるわけじゃねえだろ?」
ルイジェルドは黙った。
どうやら、その辺はあまり得意な理屈ではないらしい。
「ルーデウス」
「はい」
「俺は構わん。お前が決めろ」
さっきまでの話が頭をよぎった。
相談しろ。
一人で決めるな。
そして今、ルイジェルドは俺に判断を任せている。
信じているから任せる。
そういうことなのだろう。
怪しい。
ものすごく怪しい。
だが、依頼そのものは人助けだ。元々、俺たちは密輸人を探すと決めた。そしてヒトガミの助言から続いた道が、この男に繋がっている。
あいつを信用する気はない。
でも今回は、ここまで来た流れを見届けると決めたのだ。
「わかりました」
俺は男を見る。
「その仕事、受けます」
「話が早くて助かるぜ」
男が笑った。
「まだ名乗ってなかったな」
差し出された手を取る。
「ガルス・クリーナーだ」
「ルーデウス・グレイラットです」
こうして俺たちは、密輸組織からの仕事を受けることになった。
一秒先の未来は見えるようになった。
けれど、その先に何があるのかは、相変わらずさっぱり見えない。
ただ、海の向こうへ続く道だけは、ようやく一本見つかったらしい。
ものすごく胡散臭い道ではあったが。