朝露と蕾
その日の夕食は、いつもより少しだけ賑やかだった。
もっとも、賑やかな原因の大半はエリスである。
「それで、コジローはどれくらい強いの?」
席に着くなり、エリスは真正面から問いかけた。
客人に対する遠慮というものはないらしい。
コジローは出された料理を眺めながら、この世界の食器を器用に扱っていた。
「さて。強さというものは、測る相手によって変わるのでな」
「そういうのはいいの! ギレーヌより強い?」
食卓の空気が、ほんの少しだけ止まった。
質問された当のギレーヌは、黙って肉を切り分けている。
フィリップ様は面白そうに目を細め、ヒルダ様は眉間へ手を当てた。
「エリス。客人へそのような質問をするものではありません」
「だって気になるじゃない!」
まあ、気持ちは分かる。
俺も気になっている。
昼間のあの一瞬。
ギレーヌは剣を抜かなかったし、コジローも構えなかった。
それでも、何かが起きた。
少なくとも、俺にはそう見えた。
コジローはエリスではなく、ギレーヌへ視線を向けた。
「ギレーヌ殿は、良き剣士よ」
「答えになってないわ!」
「剣を交えてもおらぬのに、勝ち負けを語る方が無粋であろう」
「じゃあ、戦えばいいじゃない!」
やはり、そう来たか。
予想どおりではある。
エリスは身を乗り出し、今にも食卓の上へ立ち上がりそうな勢いだった。
「明日、ギレーヌと戦いなさい!」
「エリス」
ギレーヌが低い声を出した。
今度は明確な制止だった。
エリスもそれを感じ取ったのか、口を閉じる。
「コジローは客人だ。無理を言うな」
「でも……」
「それに、互いに刃を抜けば、遊びでは済まないこともある」
ギレーヌの言葉は短い。
だが、妙に重かった。
昼間の出来事を理解していない俺にも、彼女が本気で言っていることは分かる。
エリスは不満そうに頬を膨らませたものの、それ以上は食い下がらなかった。
コジローはそんなギレーヌを見て、かすかに目を細めた。
「心得ておるな」
「当然だ」
「うむ。己の刃の重さを知る者は、好ましい」
ギレーヌは返事をしなかった。
ただ、ほんの少しだけ姿勢を緩めたように見えた。
褒められたと受け取ったのだろうか。
あるいは、剣を扱う者同士で何か通じるものがあったのかもしれない。
「じゃあ、わたしがコジローと戦えばいいのよ!」
「よろしくありません」
エリスの提案は、ヒルダ様によって即座に却下された。
「なんでよ!」
「あなたはまず、行儀よく食事を終えることを覚えなさい」
「食べてるじゃない!」
「口に物を入れたまま話してはいけません」
ヒルダ様に睨まれ、エリスは渋々椅子へ座り直した。
コジローはその様子を見ながら、楽しげに杯を傾けた。
「賑やかな食卓よな」
「お騒がせして申し訳ありません」
フィリップ様が苦笑する。
「いや。静けさばかりが風雅でもあるまい」
コジローは窓の外へ目を向けた。
日はすでに沈みかけている。
薄紫色の空の下、庭の木々が風に揺れていた。
「鳥の囀りもあれば、獅子の咆哮もある。それでこそ野も華やぐというものよ」
「誰が咆哮してるのよ!」
エリスがまた吠えた。
コジローは愉快そうに笑った。
この人、絶対にわざとやっている。
◇
夕食を終え、俺は自室へ戻るため廊下を歩いていた。
けれど、頭から離れないことがあった。
カタナ。
あの言葉である。
この世界には、俺の知らない文化がいくらでもある。
だから刀のような武器が存在していても、不思議ではない。
魔大陸や王竜王国、あるいは海を越えたどこかの国に、似た武器があるのかもしれない。
名称が同じなのも、名前が日本人ぽいのもただの偶然。
仮にそうだとしてもそんな目立つ名前で名乗る意味が分からない。
だからそう考えるのが一番自然だ。
それに異世界物と言えば刀などはお約束だし。
もしかしたら和風な文化でもあるのかもしれない
だが、俺が反応した瞬間。
コジローは確かにこちらを見た。
俺の顔を見たというより、反応そのものを観察していたような気がする。
もし、あの人も俺と同じだとしたら。
前世の記憶を持っているとしたら。
いや。
考えすぎか。
転生者がそう何人もいるはずがない。
俺の知っている範囲では、自分以外にそんな人間はいなかった。
「ルーデウス」
背後から呼ばれ、俺は肩を跳ねさせた。
振り返ると、ギレーヌが立っていた。
「どうしました?」
「聞きたいことがある」
「はい」
「コジローを知っているのか?」
いきなり核心を突かれた。
「いえ。今日、初めて会いましたけど」
「そうか」
ギレーヌは俺の顔をじっと見る。
嘘を見抜こうとしているのだろうか。
「なぜ、あの武器の名を聞いて驚いた?」
「珍しい響きだったので」
我ながら苦しい。
ギレーヌはしばらく俺を見ていたが、やがてそれ以上は追及しなかった。
「そうか」
それだけ言って、踵を返す。
「あの、ギレーヌ」
「なんだ」
「コジローさんは、強いんですか?」
ギレーヌの足が止まった。
少しの沈黙。
昼間、答えられなかった問いを、俺はもう一度口にしていた。
「分からない」
「分からない?」
「剣を見ていない」
ギレーヌは廊下の先を見たまま答える。
「だが、強い」
「それは分かるんですか?」
「ああ」
ずいぶん曖昧な答えだ。
けれど、ギレーヌの中では矛盾していないらしい。
「どれくらい?」
「分からない」
「そうですか……」
「ただ」
ギレーヌがこちらを振り返った。
「あの男の前で、先に剣を抜いてはいけないと思った」
その声に恐怖はなかった。
むしろ、相手を高く評価しているように聞こえた。
「どうしてです?」
「抜けば、斬ることになる」
「ギレーヌが、ですか?」
「違う」
短く否定する。
「どちらかがだ」
そう言うギレーヌ気迫に俺が狼狽していると。
「まぁいい、ルーデウス 客人に失礼のないようにな。」
それだけ言うと、ギレーヌは歩き去った。
俺は廊下に残される。
やっぱり、よく分からない。
でも、一つだけ分かった。
ギレーヌは、コジローを恐れてはいない。
警戒はしている。
けれど、それ以上に、一人の武人として敬意を抱いている。
たぶん、そういうことなのだろう。
◇
翌朝。
俺が庭へ出ると、エリスはすでに木剣を持って待ち構えていた。
「遅いわよ、ルーデウス!」
「まだいつもの時間より早いですよ」
「今日は特別なの!」
エリスの視線は、俺ではなく屋敷の方へ向いている。
嫌な予感しかしない。
「何をするつもりですか?」
「決まってるじゃない」
エリスは木剣を肩へ担ぎ、不敵に笑った。
「コジローと勝負するのよ!」
「昨日、ギレーヌに止められたでしょう」
「カタナを使えとは言わないわ。木剣ならいいでしょ?」
なるほど。
エリスなりに一晩かけて、抜け道を考えたらしい。
その執念を少しでも勉強にも向けてほしい・・・。
「本人が断ったらどうするんです?」
「受けるまで言うわ!」
「最悪だ……」
そんな会話をしていると、庭の端にある木の下から声がした。
「朝から随分と勇ましいな、お嬢」
いつからそこにいたのだろう。
コジローが木の幹へ寄りかかり、こちらを見ていた。
朝露に濡れた葉の隙間から、柔らかな光が差し込んでいる。
腰には例の長刀がある。
けれど、その立ち姿に緊張感はない。
まるで朝の庭を眺めていただけのようだった。
「ちょうどいいところに来たわね!」
エリスが木剣を突きつける。
「わたしと勝負しなさい!」
「ほう」
コジローはエリスの木剣と、その顔を見比べた。
「昨日はカタナを見せよと言い、今日は勝負をせよと言う。朝露よりも移ろいやすい娘よな」
「移ろってないわ! どっちもやるの!」
「欲深いことだ」
コジローは笑う。
エリスは木剣を振り上げた。
「いいから、戦いなさい!」
「さて」
コジローが視線を横へ向ける。
そこには、いつの間にかギレーヌが立っていた。
「ギレーヌ殿。この娘の師は貴殿であろう」
「ああ」
「ならば、勝手に手を出すのも無粋というもの」
コジローは自分の立場を弁えている。
エリスがいくら強引でも、正式な師であるギレーヌを無視するつもりはないらしい。
ギレーヌは少し考えた。
それから、エリスを見る。
「コジローの言うことを聞けるか?」
「勝ったら聞くわ!」
「そうではない」
「じゃあ、負けても聞く!」
結局やる気らしい。
ギレーヌはため息をついた。
「木剣だけだ」
「分かってるわ!」
「勝負が終わったら、私の稽古へ戻る」
「分かったわよ!」
許可が出た。
エリスは勝ち誇った顔で、コジローへ向き直る。
コジローは困ったように頬を掻いた。
「やれやれ。師が許したのであれば、断るのも野暮か」
そう言って、庭の隅に置かれていた木剣へ手を伸ばす。
だが、選んだのは普通の長さの木剣だった。
物干し竿のような長刀とは、間合いがまるで違うはずだ。
「それでいいの?」
「なに。棒であることに変わりはあるまい」
「後悔しても知らないわよ!」
エリスが構える。
コジローは木剣を片手に持ったまま、構えらしい構えを取らない。
足を開くこともなく、剣先を上げることもない。
ただ立っている。
「構えなさい!」
「構えておるよ」
「嘘よ!」
「お嬢には、そう見えるか」
エリスの眉が跳ね上がった。
挑発されたと思ったのだろう。
「後悔しなさい!」
地面を蹴る。
真っ直ぐな踏み込み。
力強く、速い。
剣神流特有の先手必勝一撃必殺な攻撃だ。
以前の俺なら、目で追うことさえ難しかっただろう。
エリスの木剣が、コジローの肩口へ振り下ろされる。
次の瞬間。
エリスの剣は空を切っていた。
「え?」
コジローは、ほとんど動いていなかった。
半歩。
ほんの半歩だけ横へずれたように見えた。
それだけで、エリスの一撃は何もない場所へ落ちた。
そして。
コジローの木剣の先が、エリスの喉元へ添えられていた。
「一つ」
穏やかな声だった。
エリスは固まっている。
俺も固まっていた。
何をしたのか、まるで見えなかった。
隣に立つギレーヌの目が、わずかに細められる。
「……三大流派ではない」
「え?」
俺が顔を向けても、ギレーヌはコジローから目を離さなかった。
「今の動きだ」
それきり、ギレーヌは黙り込む。
剣神流ではない。
水神流でもない。
北神流でもない。
少なくとも、彼女の知る三大流派の技には見えなかったらしい。
「……もう一回!」
エリスが飛び退き、再び構える。
「よかろう」
今度は横薙ぎ。
また、外れる。
木剣の先が、今度はエリスの額へ軽く触れた。
「二つ」
「もう一回!」
「うむ」
三度目。
四度目。
五度目。
エリスは攻め続けた。
だが、コジローの衣服には一度も触れられない。
それどころか、攻撃を終えるたびに、木剣の先が急所へ添えられている。
喉。
額。
胸。
手首。
最後には、エリスの木剣だけが弾かれ、地面へ転がった。
「……なによ、これ」
エリスが呆然と呟く。
息は上がり、額には汗が浮かんでいる。
一方のコジローは、呼吸一つ乱していなかった。
「わたしの剣が、全然当たらないじゃない!」
「当てようとしすぎる故な」
「当てようとしなきゃ、当たらないでしょ!」
「左様」
コジローは庭の片隅へ目を向けた。
そこには、朝の風に揺れる小さな花が咲いていた。
「だが、風は花を倒そうとして吹くわけではあるまい」
「……なに?」
「花もまた、風を避けようとして揺れるわけではない」
エリスは眉を寄せる。
まるで意味が分からない、という顔だ。
正直、俺もよく分からない。
コジローは木剣を返しながら、静かに続けた。
「相手ばかりを見れば、己が強張る。己ばかりを見れば、相手を見失う」
それから、風に揺れる花を指した。
「まずは、あれを見よ」
「花?」
「うむ」
「花を見て、どうするのよ」
「さて。何が見えるかは、お嬢次第よ」
説明する気はないらしい。
エリスは不満そうに花を睨みつけた。
剣を向けられた花も迷惑だろう。
けれど、ギレーヌは何も言わなかった。
むしろ、コジローの動きを思い返すように、その横顔を見つめている。
「ギレーヌ」
「なんだ」
「コジローさんって、三大流派じゃないんですよね?」
「ああ」
やはりそうらしい。
この世界では、剣を使っていれば誰でも剣士と呼ばれるわけではない。
剣神流、水神流、北神流。
三大流派のいずれかに属し、剣を使う者だけが剣士と呼ばれる。
三大流派以外の技を使う者は、たとえ武器が剣であっても戦士だ。
つまり、この世界の分類に従えば、コジローは剣士ではない。
戦士ということになる。
けれど。
目の前の男を見て、ただの戦士と呼ぶのは、どうにも違和感があった。
あれほど剣そのものに見える人間を、剣士ではないと言っていいのだろうか。
先ほどコジローが、ギレーヌを「良き剣士」と呼んだのを思い出す。
あの人にとっての剣士と、この世界で使われる剣士という言葉は、少し意味が違うのかもしれない。
コジロー自身は、そんな俺たちの会話を気にした様子もなかった。
呼び名など、どうでもよいのだろう。
やがてギレーヌが口を開いた。
「エリス」
「なによ」
「剣を拾え。稽古を続ける」
「まだコジローに一回も当ててないわ!」
「だからだ」
「むぅ……」
エリスは納得していない顔で木剣を拾った。
それでも、先ほどまでとは違い、すぐに斬りかかろうとはしなかった。
一度だけ。
庭の花へ目を向ける。
風が吹く。
細い茎がしなり、赤い花弁が小さく揺れた。
エリスはしばらくそれを見つめていた。
「……よく分からないわ」
「最初はそれでよい」
コジローはそう言って笑った。
「蕾に、咲き方を説いても詮なきこと。陽を浴び、雨に打たれれば、いずれ自ずと知るものよ」
やっぱり、この人の話は少し分かりにくい。
けれど。
エリスは文句を言いながらも、もう一度花を見た。
ギレーヌもそれを止めなかった。
たぶん、二人には俺より分かるものがあるのだろう。
俺はコジローの横顔を見上げる。
すると彼は、こちらの視線に気づいた。
「どうした、小僧」
「いえ」
俺は首を横に振った。
カタナ。
三大流派のどれにも属さない剣技。
詩人のような言い回し。
まだ、この男が何者なのかは分からない。
ただ一つ。
ボレアス家で過ごす数日は、少なくとも退屈なものにはならなさそうだった。