海の上の役割
ガルス・クリーナーと話をつけてから、十五日ほどが過ぎた。
あの翌朝には、エリスとコジローにも事情を話してある。
ルイジェルドを密輸で海の向こうへ渡すこと。その見返りとして、ザントポートへ運ばれる奴隷たちを解放する仕事を引き受けたこと。
エリスは「助けるならいいんじゃない?」とあっさりしたもので、コジローも「決めたのなら、それでよかろう」と言っただけだった。
その後も俺たちはウェンポートに留まり、依頼をこなしながら出発を待った。
基本的に、エリスはルイジェルドと稽古。俺は旅の準備。コジローは一緒に出掛ける日もあれば、一人で町を歩いている日もある。
茶や酒を買って帰ってくることもあれば、何も持たずに戻ることもあった。
「今日は何してたんです?」
「散歩だ」
本人としては、それで十分らしい。
そんなある日、ガルスの使いを名乗る男が宿を訪れた。
具体的な段取りは単純だった。
ルイジェルドを奴隷として先にミリス大陸へ運ぶ。俺たちは正規の船でザントポートへ渡り、指定された場所で合流。その後、保管場所に捕らえられている者たちを解放する。
「改めて聞いても、かなり雑ですね」
「余計なことは知らない方がいい」
まあ、密輸組織ならそんなものか。
ガルスが言っていた予定の日までは、あと半月ほど。
そして最初に話をしてから約一ヶ月後。
出発の日が来た。
◇
深夜。
ウェンポートの端にある桟橋には、一艘の小舟と船頭、それから顔をフードで隠した男が待っていた。
いかにも裏取引です、といった光景である。
ルイジェルドの両手には手枷。いつもの槍はこちらで預かることになった。
似合わない。
奴隷というより、捕まえた側がこれから酷い目に遭いそうに見える。
「大丈夫ですか?」
「ああ。できるだけ我慢する」
……そこは言い切ってほしかった。
「ルイジェルド!」
エリスが前へ出た。
「絶対、迎えに行くからね!」
「ああ」
「もし変なことされたら――」
「エリス」
「……わかってるわよ」
先に止められ、口を尖らせる。
たぶん「全員ぶっ飛ばせばいい」とでも言うつもりだったのだろう。
コジローは少し離れた場所に立っていた。
「では、ルイジェルド殿。また向こうで」
「ああ」
それだけだった。
ルイジェルドは小舟へ乗せられ、最後には頭から袋まで被せられた。
船頭が呪文を唱えると、小舟は生まれた水流に乗って沖へ進んでいく。遠くに浮かぶ大型船へ乗せ替えるのだろう。
「……行っちゃったわね」
「僕たちも明日には追いますよ」
エリスはしばらく海を眺めていた。
別行動なら何度もしてきたが、一人だけ先に海の向こうへ送り出すのは妙な感じがする。
「戻るか」
コジローの声で、俺たちは宿へ戻った。
◇
翌日。
一年間世話になったトカゲを売った。
リカリスからウェンポートまで、荒野を走り、荷物を運び、何度も俺たちを乗せて逃げてくれた。
ミリス大陸では馬が使えるし、船へ乗せれば余計な金も掛かる。
だから、ここでお別れだ。
「…………」
エリスはトカゲの首へ抱きついていた。
トカゲも大人しく、長い舌でエリスの髪をべろりと舐める。
「もう……やめなさいよ」
そう言いながら離れようとしない。
俺には何度か噛みついたくせに。
差別である。
コジローも近づき、硬い皮膚を一度撫でた。
「世話になった。達者でな」
「コジローまでそういうこと言わないでよ。余計寂しくなるじゃない」
「それは失礼した」
商人がトカゲを一通り見て、感心したように頷いた。
「随分おとなしく躾られてるな。さすがデッドエンドってところか」
その視線が俺、エリス、そしてコジローへ移る。
「狂犬に飼主。それに最近じゃ、『野犬』なんてのもいるそうじゃねえか」
「……野犬?」
「そっちの長剣の兄ちゃんだよ。あんたらと一緒だったり、一人でふらついてたりするんで、そう呼ぶ奴がいるらしいぜ」
狂犬。
番犬。
飼主。
そして野犬。
なんだこのパーティ。
犬小屋か。
「コジローさん。野犬ですって」
「聞こえている」
「どうです?」
「好きに呼ばせておけばよかろう」
相変わらず、からかい甲斐のない男である。
売買を済ませ、商人がトカゲを連れていく。
エリスは最後まで振り返っていた。
俺も一度だけ振り返る。
コジローは前を向いたまま、
「よい旅を」
と、小さく呟いた。
◇
俺とエリスとコジローは、ミリス大陸へ向かう船に乗り込んだ。
一ヶ月ほど前に完成した最新型で、今回が試験も兼ねた最初の航海らしい。
何がどう最新なのかは、俺にはさっぱりわからない。
甲板へ出るなり、エリスは船を見回した。
「凄いわね。でも、あんたが作ってたのとは少し違うわね」
「……僕が作ってた?」
「部屋に置いてあったじゃない。船よ!」
「……ああ」
そういえば作った。
まだロアにいた頃、土魔術の訓練でいろいろ作っていた時期がある。
途中から、これならフィギュアも作れるんじゃないかと思い始め、一〇分の一ロキシーなんてものにまで手を出した。
懐かしい。
フィギュアも、もう随分作っていない。
魔大陸に来てからは、いつ大きな魔力が必要になるかわからなかった。昔のように、余った魔力を使い切るためだけの訓練もほとんどやっていない。
身体を動かす機会はあるが、それとは別だ。
落ち着いたら、また鍛え直した方がいいかもしれない。
「まあ、ほとんど想像です。細かいところまで合ってる方が不思議ですよ」
「想像、か」
横からコジローの声がした。
「それを作った時は、まだ実物を見たことがなかったのか?」
「そうですよ?」
コジローが帆柱や船縁へ目を向ける。
「見たことのないものを、よく形にしたものだな」
「…………」
しまった。
俺が昔作った船は、この世界で見たものを参考にしたわけではない。
前世で知っていた船だ。
「ほ、本で見たんですよ。絵が載ってまして」
「そうか」
コジローはそれ以上尋ねなかった。
助かった。
本当にそんな本があったかは知らない。
あったことにしておこう。
「それより見て!」
エリスが船縁へ駆け寄る。
「こんな大きなもので海を渡るのね!」
「落ちないでくださいよ」
「落ちないわよ!」
船が港を離れ、町並みが少しずつ小さくなっていく。
コジローは甲板の端へ移動し、水平線を眺めていた。
潮風が長い髪を揺らしている。
「コジローさんは、どうです?」
「海か?」
「はい」
「悪くない」
僅かに目を細める。
「水と空ばかりというのも、存外よいものだな」
剣ばかり見て生きているようで、景色には妙にうるさい。
花。
月。
酒。
そして海。
案外、この人は俺より人生の楽しみ方を知っているのかもしれない。
エリスはまだ元気に甲板を見回していた。
――この時までは。
◇
三日目。
「……死ぬ」
「船酔いで死にはしませんよ」
エリスは桶を抱えたまま、真っ青な顔でベッドに沈んでいた。
初日はあれほど騒いでいたのに、二日目から急に口数が減り、今日は完全に撃沈している。
あのエリスが動こうともしない。
それだけで、かなり参っているのがわかる。
「水、少し飲んでください」
「吐く……」
「吐いた分は補給しないと」
「鬼……」
水を持ってくる。桶を片づける。横にならせる。
怪我ならヒーリングだが、船酔いに何が効くのかはわからない。
どうしたものか。
◇
四日目。
タコが出た。
たぶんタコだ。
水色の巨大な身体が海面から現れ、何本もの触手を船へ伸ばしてくる。
「出た……!」
やはり船といえばイベントである。
俺は
少し遅れてコジローも現れる。
触手が水面を叩き、船が大きく傾いた。
俺は足を踏ん張ったが、コジローは平然と立っている。
どんな平衡感覚してんだ、この人。
船員の怒号と同時に、護衛の冒険者たちが動き出した。
俺は杖を構えたまま、その戦いを見る。
一人ずつなら、驚くほどではない。
剣士はギレーヌほどではないし、攻撃を受け止める戦士もルイジェルドほどではない。後方の魔術師も、単純な威力なら俺にも分がありそうだ。
Sランクというほどなのか。
一瞬そう思った。
だが、戦いそのものは一方的だった。
一人が止め、別の一人が回り込む。敵がそちらを向けば、反対側から攻撃が入る。誰かが動いて空いた場所には、すでに別の誰かがいる。
最後に魔術が飛び、大ダコは海へ沈んだ。
比べる相手を間違えていたらしい。
見るべきは、一人ずつではない。
彼ら全体だ。
「あの人たちは?」
「『アクアロード』だ。造船所ギルドと専属契約してるSランクパーティさ」
近くの商人が教えてくれた。
では、俺たちはどうだろう。
ルイジェルドは攻撃、防御、索敵、俺やエリスの失敗のフォローまで、大抵のことを一人でやってしまう。
俺は周囲を見るようにしているつもりでも、自分へ敵が迫れば余裕を失う。
エリスは……まあ、目の前の敵へ一直線だ。
そしてコジロー。
大ダコが沈んだ海を、静かに眺めている。
この人は戦場をよく見ている。誰かが危なければ動き、隙間が生まれればいつの間にかそこへ入っている。
だが、基本的には一人で成立していた。
あれは連携というより――。
穴が空けば、そこへ自然と刃が差し込まれてくるようなものだ。
「コジローさん。あの人たち、どう見えました?」
「よく噛み合っていたな」
それだけだった。
強い奴が何人いるか。
パーティの強さというのは、それだけでは決まらないらしい。
そんなことを思っていると。
「ルーデウスゥ……」
死人のような声に振り返る。
エリスが壁へ手をついて立っていた。
「なんで出てきたんですか」
「すごく揺れたから……気持ち悪い……」
「戻りましょう」
「歩けない……」
そのまま俺へ寄りかかってきた。
コジローが近づく。
「お嬢。無理に立っていても辛かろう」
「船、止めて……」
「それは私にはどうにもならんな」
「役に立たない……」
「これは手厳しい」
「ほら、エリス。中に戻りますよ」
「うっ、気持ち悪い……」
俺はエリスを支え、船室へ戻った。
◇
五日目。
「ヒーリング」
エリスの頭へ治癒魔術を流すと、苦しそうだった顔が少し緩んだ。
「……楽」
今朝、船員から聞いた。
船酔いには頭へ治癒魔術を掛けると、多少症状が和らぐことがあるらしい。
確かに効く。
ただし、長続きはしない。
「もう気持ち悪い……」
「早いなぁ……」
朝から何度も繰り返している。
魔力には余裕があるが、薄暗い船室で弱りきったエリスにつきっきりというのは、別の意味でよろしくない。
普段なら怒鳴って命令する人が、今は素直にこちらを頼ってくる。
落差が酷い。
俺は治癒魔術を使う機械だ。
ヒーリング。
水。
桶。
今はそれだけ考えろ。
扉が開いた。
「小僧」
コジローが、水差しと濡らした布を持って入ってきた。
「頼まれていたものだ」
「ありがとうございます」
水差しを受け取る。
「まだ駄目か」
「駄目……」
コジローは窓を少し開けた。
潮風が流れ込み、エリスが目を閉じる。
「……涼しいわね」
少し気が楽になったようだ。
「コジローさん、少しだけここにいてもらえます?」
「ああ」
「朝から何も食べてないんで、朝食だけ食ってきます」
「行ってこい」
「ルーデウス」
エリスが薄く目を開ける。
「すぐ戻ってきてね?」
「わかってますよ。それにコジローさんもいます」
コジローが椅子へ座った。
「小僧が戻るまでは、ここにいる」
エリスは少し迷ってから、
「……わかったわ」
と目を閉じた。
◇
甲板で飯を腹へ詰め、水を追加でもらって戻る。
「ただいま」
「遅い」
「十分ぐらいですよ」
「長いわよ……」
少し声に力が戻っていた。
「何かありました?」
「特には。二度ほど『まだか』と聞かれたぐらいだ」
「うるさい……」
エリスが顔をそむける。
怒る元気はあるらしい。
「では、後は任せた」
「助かりました」
コジローはそれだけで船室を出ていった。
俺はもう一度、エリスの頭へ手を伸ばした。
「ヒーリング」
まだしばらく、この繰り返しらしい。
◇
その後も船旅は続き、ようやくザントポートへ到着した。
船から地面へ降りた途端、エリスが顔を上げる。
「気持ち悪くないわ」
「よかったですね」
「でも、もう船には乗りたくないわ!」
「中央大陸へ行く時に、もう一度乗りますよ」
エリスの顔が固まった。
「……絶対?」
「海を歩けるようにならない限りは」
「ルーデウスがなんとかしなさいよ!」
「無茶言うなぁ……」
いつもの調子が戻った。
だが、歩き出してすぐに足が止まった。
「身体……だるい」
「そりゃそうでしょう」
何日もろくに食べられず、吐いて寝てを繰り返していたのだ。
吐き気が消えても、体力まで戻るわけではない。
「お嬢。辛いなら肩を貸そう」
「このくらい平気よ、一人で歩けるわ」
コジローへ言い返し、歩き出す。
普段の半分ぐらいの速さだった。
ザントポートは、ウェンポートと似た港町だった。
だが、目に入る色が違う。
木造の建物に街路樹。町の外には濃い森が広がっている。
緑。
魔大陸ではほとんど見なかった色だ。
ようやく、ミリス大陸へ来た。
◇
ところが、宿探しは難航した。
もうすぐ大森林の雨期に入り、三ヶ月ほどまともに街道を通れなくなるらしい。
それでも雨期にしか現れない魔物の素材を狙って、冒険者たちが町に集まっている。
三ヶ月まともに移動できないなら、その間に旅費を稼ぐのも悪くない。
まあ、それは今夜の仕事を終えてからだ。
結局、俺たちはスラムに近い安宿を取った。
部屋へ入るなり、エリスはベッドへ倒れ込む。
「疲れた……」
「だから無理するなって言ったでしょう」
「うるさい」
口だけは元通りだ。
窓の外を見る。
日は傾き始めている。
今夜、ルイジェルドを迎えに行かなければならない。
だが、エリスはほとんど動けない。しかも、この宿は治安もよくなさそうだ。
本人だけでなく、荷物まで置いていくことになる。
「コジローさん。エリスをお願いしてもいいですか?」
「ルーデウス?」
「僕はルイジェルドさんと合流してきます」
「私も行くわ」
「駄目です」
「もう船酔いは治ったわよ」
「宿まで歩くだけであれだったでしょう」
「…………」
反論はなかった。
「まず僕がルイジェルドさんを迎えに行きます。その後は二人で仕事をします」
コジローを見る。
「今のエリスを一人にはしておけないので、お願いします」
「ああ」
「そちらは一人でよいのか?」
「指定された場所まで行けば、ルイジェルドさんと合流できます」
「そうか」
それ以上は聞かなかった。
杖を手に取る。
ウェンポートで預かっていたルイジェルドの槍は背負った。
かなり目立つ。
だが、手ぶらで迎えに行くわけにもいかない。
「行ってきます」
「ああ」
「ルーデウス」
扉へ手を掛けたところで、エリスに呼び止められた。
「ちゃんと帰ってきなさいよ」
「わかってますって」
部屋を出る。
片手には杖。
背中には、自分の身長より長い槍。
目的地は港の第三倉庫。
俺は一人、夕暮れのザントポートを歩き出した。