無職転生~異聞 月下の剣士   作:彼岸花さつき

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第三十月 海の上の役割

 海の上の役割

 

 ガルス・クリーナーと話をつけてから、十五日ほどが過ぎた。 

 

 あの翌朝には、エリスとコジローにも事情を話してある。

 

 ルイジェルドを密輸で海の向こうへ渡すこと。その見返りとして、ザントポートへ運ばれる奴隷たちを解放する仕事を引き受けたこと。

 

 エリスは「助けるならいいんじゃない?」とあっさりしたもので、コジローも「決めたのなら、それでよかろう」と言っただけだった。

 

 その後も俺たちはウェンポートに留まり、依頼をこなしながら出発を待った。

 

 基本的に、エリスはルイジェルドと稽古。俺は旅の準備。コジローは一緒に出掛ける日もあれば、一人で町を歩いている日もある。

 

 茶や酒を買って帰ってくることもあれば、何も持たずに戻ることもあった。

 

「今日は何してたんです?」

 

「散歩だ」

 

 本人としては、それで十分らしい。

 

 そんなある日、ガルスの使いを名乗る男が宿を訪れた。

 

 具体的な段取りは単純だった。

 

 ルイジェルドを奴隷として先にミリス大陸へ運ぶ。俺たちは正規の船でザントポートへ渡り、指定された場所で合流。その後、保管場所に捕らえられている者たちを解放する。

 

「改めて聞いても、かなり雑ですね」

 

「余計なことは知らない方がいい」

 

 まあ、密輸組織ならそんなものか。

 

 ガルスが言っていた予定の日までは、あと半月ほど。

 

 そして最初に話をしてから約一ヶ月後。

 

 出発の日が来た。

 

 ◇

 

 深夜。

 

 ウェンポートの端にある桟橋には、一艘の小舟と船頭、それから顔をフードで隠した男が待っていた。

 

 いかにも裏取引です、といった光景である。

 

 ルイジェルドの両手には手枷。いつもの槍はこちらで預かることになった。

 

 似合わない。

 

 奴隷というより、捕まえた側がこれから酷い目に遭いそうに見える。

 

「大丈夫ですか?」

 

「ああ。できるだけ我慢する」

 

 ……そこは言い切ってほしかった。

 

「ルイジェルド!」

 

 エリスが前へ出た。

 

「絶対、迎えに行くからね!」

 

「ああ」

 

「もし変なことされたら――」

 

「エリス」

 

「……わかってるわよ」

 

 先に止められ、口を尖らせる。

 

 たぶん「全員ぶっ飛ばせばいい」とでも言うつもりだったのだろう。

 

 コジローは少し離れた場所に立っていた。

 

「では、ルイジェルド殿。また向こうで」

 

「ああ」

 

 それだけだった。

 

 ルイジェルドは小舟へ乗せられ、最後には頭から袋まで被せられた。

 

 船頭が呪文を唱えると、小舟は生まれた水流に乗って沖へ進んでいく。遠くに浮かぶ大型船へ乗せ替えるのだろう。

 

「……行っちゃったわね」

 

「僕たちも明日には追いますよ」

 

 エリスはしばらく海を眺めていた。

 

 別行動なら何度もしてきたが、一人だけ先に海の向こうへ送り出すのは妙な感じがする。

 

「戻るか」

 

 コジローの声で、俺たちは宿へ戻った。

 

 ◇

 

 翌日。

 

 一年間世話になったトカゲを売った。

 

 リカリスからウェンポートまで、荒野を走り、荷物を運び、何度も俺たちを乗せて逃げてくれた。

 

 ミリス大陸では馬が使えるし、船へ乗せれば余計な金も掛かる。

 

 だから、ここでお別れだ。

 

「…………」

 

 エリスはトカゲの首へ抱きついていた。

 

 トカゲも大人しく、長い舌でエリスの髪をべろりと舐める。

 

「もう……やめなさいよ」

 

 そう言いながら離れようとしない。

 

 俺には何度か噛みついたくせに。

 

 差別である。

 

 コジローも近づき、硬い皮膚を一度撫でた。

 

「世話になった。達者でな」

 

「コジローまでそういうこと言わないでよ。余計寂しくなるじゃない」

 

「それは失礼した」

 

 商人がトカゲを一通り見て、感心したように頷いた。

 

「随分おとなしく躾られてるな。さすがデッドエンドってところか」

 

 その視線が俺、エリス、そしてコジローへ移る。

 

「狂犬に飼主。それに最近じゃ、『野犬』なんてのもいるそうじゃねえか」

 

「……野犬?」

 

「そっちの長剣の兄ちゃんだよ。あんたらと一緒だったり、一人でふらついてたりするんで、そう呼ぶ奴がいるらしいぜ」

 

 狂犬。

 

 番犬。

 

 飼主。

 

 そして野犬。

 

 なんだこのパーティ。

 

 犬小屋か。

 

「コジローさん。野犬ですって」

 

「聞こえている」

 

「どうです?」

 

「好きに呼ばせておけばよかろう」

 

 相変わらず、からかい甲斐のない男である。

 

 売買を済ませ、商人がトカゲを連れていく。

 

 エリスは最後まで振り返っていた。

 

 俺も一度だけ振り返る。

 

 コジローは前を向いたまま、

 

「よい旅を」

 

 と、小さく呟いた。

 

 ◇

 

 俺とエリスとコジローは、ミリス大陸へ向かう船に乗り込んだ。

 

 一ヶ月ほど前に完成した最新型で、今回が試験も兼ねた最初の航海らしい。

 

 何がどう最新なのかは、俺にはさっぱりわからない。

 

 甲板へ出るなり、エリスは船を見回した。

 

「凄いわね。でも、あんたが作ってたのとは少し違うわね」

 

「……僕が作ってた?」

 

「部屋に置いてあったじゃない。船よ!」

 

「……ああ」

 

 そういえば作った。

 

 まだロアにいた頃、土魔術の訓練でいろいろ作っていた時期がある。

 

 途中から、これならフィギュアも作れるんじゃないかと思い始め、一〇分の一ロキシーなんてものにまで手を出した。

 

 懐かしい。

 

 フィギュアも、もう随分作っていない。

 

 魔大陸に来てからは、いつ大きな魔力が必要になるかわからなかった。昔のように、余った魔力を使い切るためだけの訓練もほとんどやっていない。

 

 身体を動かす機会はあるが、それとは別だ。

 

 落ち着いたら、また鍛え直した方がいいかもしれない。

 

「まあ、ほとんど想像です。細かいところまで合ってる方が不思議ですよ」

 

「想像、か」

 

 横からコジローの声がした。

 

「それを作った時は、まだ実物を見たことがなかったのか?」

 

「そうですよ?」

 

 コジローが帆柱や船縁へ目を向ける。

 

「見たことのないものを、よく形にしたものだな」

 

「…………」

 

 しまった。

 

 俺が昔作った船は、この世界で見たものを参考にしたわけではない。

 

 前世で知っていた船だ。

 

「ほ、本で見たんですよ。絵が載ってまして」

 

「そうか」

 

 コジローはそれ以上尋ねなかった。

 

 助かった。

 

 本当にそんな本があったかは知らない。

 

 あったことにしておこう。

 

「それより見て!」

 

 エリスが船縁へ駆け寄る。

 

「こんな大きなもので海を渡るのね!」

 

「落ちないでくださいよ」

 

「落ちないわよ!」

 

 船が港を離れ、町並みが少しずつ小さくなっていく。

 

 コジローは甲板の端へ移動し、水平線を眺めていた。

 

 潮風が長い髪を揺らしている。

 

「コジローさんは、どうです?」

 

「海か?」

 

「はい」

 

「悪くない」

 

 僅かに目を細める。

 

「水と空ばかりというのも、存外よいものだな」

 

 剣ばかり見て生きているようで、景色には妙にうるさい。

 

 花。

 

 月。

 

 酒。

 

 そして海。

 

 案外、この人は俺より人生の楽しみ方を知っているのかもしれない。

 

 エリスはまだ元気に甲板を見回していた。

 

 ――この時までは。

 

 ◇

 

 三日目。

 

「……死ぬ」

 

「船酔いで死にはしませんよ」

 

 エリスは桶を抱えたまま、真っ青な顔でベッドに沈んでいた。

 

 初日はあれほど騒いでいたのに、二日目から急に口数が減り、今日は完全に撃沈している。

 

 あのエリスが動こうともしない。

 

 それだけで、かなり参っているのがわかる。

 

「水、少し飲んでください」

 

「吐く……」

 

「吐いた分は補給しないと」

 

「鬼……」

 

 水を持ってくる。桶を片づける。横にならせる。

 

 怪我ならヒーリングだが、船酔いに何が効くのかはわからない。

 

 どうしたものか。

 

 ◇

 

 四日目。

 

 タコが出た。

 

 たぶんタコだ。

 

 水色の巨大な身体が海面から現れ、何本もの触手を船へ伸ばしてくる。

 

「出た……!」

 

 やはり船といえばイベントである。

 

 俺は傲慢なる水竜王(アクアハーティア)を持って甲板へ出た。

 

 少し遅れてコジローも現れる。

 

 触手が水面を叩き、船が大きく傾いた。

 

 俺は足を踏ん張ったが、コジローは平然と立っている。

 

 どんな平衡感覚してんだ、この人。

 

 船員の怒号と同時に、護衛の冒険者たちが動き出した。

 

 俺は杖を構えたまま、その戦いを見る。

 

 一人ずつなら、驚くほどではない。

 

 剣士はギレーヌほどではないし、攻撃を受け止める戦士もルイジェルドほどではない。後方の魔術師も、単純な威力なら俺にも分がありそうだ。

 

 Sランクというほどなのか。

 

 一瞬そう思った。

 

 だが、戦いそのものは一方的だった。

 

 一人が止め、別の一人が回り込む。敵がそちらを向けば、反対側から攻撃が入る。誰かが動いて空いた場所には、すでに別の誰かがいる。

 

 最後に魔術が飛び、大ダコは海へ沈んだ。

 

 比べる相手を間違えていたらしい。

 

 見るべきは、一人ずつではない。

 

 彼ら全体だ。

 

「あの人たちは?」

 

「『アクアロード』だ。造船所ギルドと専属契約してるSランクパーティさ」

 

 近くの商人が教えてくれた。

 

 では、俺たちはどうだろう。

 

 ルイジェルドは攻撃、防御、索敵、俺やエリスの失敗のフォローまで、大抵のことを一人でやってしまう。

 

 俺は周囲を見るようにしているつもりでも、自分へ敵が迫れば余裕を失う。

 

 エリスは……まあ、目の前の敵へ一直線だ。

 

 そしてコジロー。

 

 大ダコが沈んだ海を、静かに眺めている。

 

 この人は戦場をよく見ている。誰かが危なければ動き、隙間が生まれればいつの間にかそこへ入っている。

 

 だが、基本的には一人で成立していた。

 

 あれは連携というより――。

 

 穴が空けば、そこへ自然と刃が差し込まれてくるようなものだ。

 

「コジローさん。あの人たち、どう見えました?」

 

「よく噛み合っていたな」

 

 それだけだった。

 

 強い奴が何人いるか。

 

 パーティの強さというのは、それだけでは決まらないらしい。

 

 そんなことを思っていると。

 

「ルーデウスゥ……」

 

 死人のような声に振り返る。

 

 エリスが壁へ手をついて立っていた。

 

「なんで出てきたんですか」

 

「すごく揺れたから……気持ち悪い……」

 

「戻りましょう」

 

「歩けない……」

 

 そのまま俺へ寄りかかってきた。

 

 コジローが近づく。

 

「お嬢。無理に立っていても辛かろう」

 

「船、止めて……」

 

「それは私にはどうにもならんな」

 

「役に立たない……」

 

「これは手厳しい」

 

「ほら、エリス。中に戻りますよ」

 

「うっ、気持ち悪い……」

 

 俺はエリスを支え、船室へ戻った。

 

 ◇

 

 五日目。

 

「ヒーリング」

 

 エリスの頭へ治癒魔術を流すと、苦しそうだった顔が少し緩んだ。

 

「……楽」

 

 今朝、船員から聞いた。

 

 船酔いには頭へ治癒魔術を掛けると、多少症状が和らぐことがあるらしい。

 

 確かに効く。

 

 ただし、長続きはしない。

 

「もう気持ち悪い……」

 

「早いなぁ……」

 

 朝から何度も繰り返している。

 

 魔力には余裕があるが、薄暗い船室で弱りきったエリスにつきっきりというのは、別の意味でよろしくない。

 

 普段なら怒鳴って命令する人が、今は素直にこちらを頼ってくる。

 

 落差が酷い。

 

 俺は治癒魔術を使う機械だ。

 

 ヒーリング。

 

 水。

 

 桶。

 

 今はそれだけ考えろ。

 

 扉が開いた。

 

「小僧」

 

 コジローが、水差しと濡らした布を持って入ってきた。

 

「頼まれていたものだ」

 

「ありがとうございます」

 

 水差しを受け取る。

 

「まだ駄目か」

 

「駄目……」

 

 コジローは窓を少し開けた。

 

 潮風が流れ込み、エリスが目を閉じる。

 

「……涼しいわね」

 

 少し気が楽になったようだ。

 

「コジローさん、少しだけここにいてもらえます?」

 

「ああ」

 

「朝から何も食べてないんで、朝食だけ食ってきます」

 

「行ってこい」

 

「ルーデウス」

 

 エリスが薄く目を開ける。

 

「すぐ戻ってきてね?」

 

「わかってますよ。それにコジローさんもいます」

 

 コジローが椅子へ座った。

 

「小僧が戻るまでは、ここにいる」

 

 エリスは少し迷ってから、

 

「……わかったわ」

 

 と目を閉じた。

 

 ◇

 

 甲板で飯を腹へ詰め、水を追加でもらって戻る。

 

「ただいま」

 

「遅い」

 

「十分ぐらいですよ」

 

「長いわよ……」

 

 少し声に力が戻っていた。

 

「何かありました?」

 

「特には。二度ほど『まだか』と聞かれたぐらいだ」

 

「うるさい……」

 

 エリスが顔をそむける。

 

 怒る元気はあるらしい。

 

「では、後は任せた」

 

「助かりました」

 

 コジローはそれだけで船室を出ていった。

 

 俺はもう一度、エリスの頭へ手を伸ばした。

 

「ヒーリング」

 

 まだしばらく、この繰り返しらしい。

 

 ◇

 

 その後も船旅は続き、ようやくザントポートへ到着した。

 

 船から地面へ降りた途端、エリスが顔を上げる。

 

「気持ち悪くないわ」

 

「よかったですね」

 

「でも、もう船には乗りたくないわ!」

 

「中央大陸へ行く時に、もう一度乗りますよ」

 

 エリスの顔が固まった。

 

「……絶対?」

 

「海を歩けるようにならない限りは」

 

「ルーデウスがなんとかしなさいよ!」

 

「無茶言うなぁ……」

 

 いつもの調子が戻った。

 

 だが、歩き出してすぐに足が止まった。

 

「身体……だるい」

 

「そりゃそうでしょう」

 

 何日もろくに食べられず、吐いて寝てを繰り返していたのだ。

 

 吐き気が消えても、体力まで戻るわけではない。

 

「お嬢。辛いなら肩を貸そう」

 

「このくらい平気よ、一人で歩けるわ」

 

 コジローへ言い返し、歩き出す。

 

 普段の半分ぐらいの速さだった。

 

 ザントポートは、ウェンポートと似た港町だった。

 

 だが、目に入る色が違う。

 

 木造の建物に街路樹。町の外には濃い森が広がっている。

 

 緑。

 

 魔大陸ではほとんど見なかった色だ。

 

 ようやく、ミリス大陸へ来た。

 

 ◇

 

 ところが、宿探しは難航した。

 

 もうすぐ大森林の雨期に入り、三ヶ月ほどまともに街道を通れなくなるらしい。

 

 それでも雨期にしか現れない魔物の素材を狙って、冒険者たちが町に集まっている。

 

 三ヶ月まともに移動できないなら、その間に旅費を稼ぐのも悪くない。

 

 まあ、それは今夜の仕事を終えてからだ。

 

 結局、俺たちはスラムに近い安宿を取った。

 

 部屋へ入るなり、エリスはベッドへ倒れ込む。

 

「疲れた……」

 

「だから無理するなって言ったでしょう」

 

「うるさい」

 

 口だけは元通りだ。

 

 窓の外を見る。

 

 日は傾き始めている。

 

 今夜、ルイジェルドを迎えに行かなければならない。

 

 だが、エリスはほとんど動けない。しかも、この宿は治安もよくなさそうだ。

 

 本人だけでなく、荷物まで置いていくことになる。

 

「コジローさん。エリスをお願いしてもいいですか?」

 

「ルーデウス?」

 

「僕はルイジェルドさんと合流してきます」

 

「私も行くわ」

 

「駄目です」

 

「もう船酔いは治ったわよ」

 

「宿まで歩くだけであれだったでしょう」

 

「…………」

 

 反論はなかった。

 

「まず僕がルイジェルドさんを迎えに行きます。その後は二人で仕事をします」

 

 コジローを見る。

 

「今のエリスを一人にはしておけないので、お願いします」

 

「ああ」

 

「そちらは一人でよいのか?」

 

「指定された場所まで行けば、ルイジェルドさんと合流できます」

 

「そうか」

 

 それ以上は聞かなかった。

 

 杖を手に取る。

 

 ウェンポートで預かっていたルイジェルドの槍は背負った。

 

 かなり目立つ。

 

 だが、手ぶらで迎えに行くわけにもいかない。

 

「行ってきます」

 

「ああ」

 

「ルーデウス」

 

 扉へ手を掛けたところで、エリスに呼び止められた。

 

「ちゃんと帰ってきなさいよ」

 

「わかってますって」

 

 部屋を出る。

 

 片手には杖。

 

 背中には、自分の身長より長い槍。

 

 目的地は港の第三倉庫。

 

 俺は一人、夕暮れのザントポートを歩き出した。

 

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