森の中の保管場所
夕暮れのザントポートを、俺は一人で港へ向かっていた。
手には杖。背中には、自分の身長を優に超えるルイジェルドの槍。
どう見ても怪しい。
夜になりかけた港町を、こんな格好の子供が一人で歩いているのだから、衛兵に止められても文句は言えないだろう。
幸い、誰にも声を掛けられないまま波止場まで辿り着いた。
木造の大きな倉庫が四つ並んでいる。
目的地は三番目。
「……ここですね」
扉を開ける。
中では、頭の中央だけ髪を残した男が一人、黙々と掃除をしていた。
ガルスの使いから教えられた合言葉を口にする。
正直、何の意味があるのかはよくわからない。
男は胡散臭そうに俺を見る。
「なんだ坊主」
「使いです。荷物を受け取りに来ました」
続けて紹介者の名を出すと、ようやく話が通じたらしい。
「ついてこい」
「はい」
倉庫の奥へ進む。
大きな木箱をずらすと、その下から地下へ続く階段が現れた。
男は松明に火をつけ、そのまま降りていく。俺も後を追った。
◇
階段の先には、湿った洞窟が続いていた。
足元は滑りやすく、時折頭上から水滴が落ちてくる。ここを荷物を抱えて往復しているのだろうか。
密輸も意外と肉体労働である。
一時間ほど歩いたところで、ようやく森の中へ出た。
そこからさらに進むと、木々に隠れるように大きな建物が見えてきた。
倉庫というより、金持ちの別荘に近い。
「ここで見たことは他言するな」
「わかっています」
そんなことを町で言いふらすほど、俺も命知らずではない。
建物へ入る。
中には何人もの男がいた。武器を持った者も多く、奥へ進むにつれて獣臭や汗の臭いが鼻につく。どこからか、微かな呻き声も聞こえていた。
途中、鉄格子の向こうに大きな獣が見えた。
青白く光る魔法陣の中で、鎖に繋がれている。
二メートル近くあるだろうか。
あんな獣は、魔大陸でも見たことがない。
少し気にはなったが、今はルイジェルドだ。
案内役について地下へ降りる。
いくつもの扉が並ぶ中、男が一つの扉の鍵を開けた。
そこに。
「ルイジェルドさん」
両手を後ろで拘束されたルイジェルドが座っていた。
剃っていた頭には、もううっすらと緑色が戻り始めている。
見たところ怪我はない。
「迎えに来ましたよ」
「ルーデウス」
ルイジェルドの視線が、俺の後ろへ向いた。
「エリスとコジローは?」
「町の宿です。エリスが船酔いでかなり消耗してまして、コジローさんに残ってもらいました」
「そうか」
短く頷くと、すぐに表情を険しくした。
「耳を貸せ」
「はい?」
俺は身を寄せた。
「子供が捕まっている。七人だ」
声は、入口の男には届かないほど小さい。
思わず顔が強張った。
「獣族の子だ。無理やり連れてこられたらしい」
「他には?」
「いない」
七人。
ガルスが助けろと言っていた相手も、その中にいるのだろうか。
だが、それはもうあまり関係ない。
「無論、全員助けるのだな?」
「ええ。そのつもりです」
置いていく理由もない。
「ただ、この建物には結構な人数がいます」
「わかっている」
「どうします?」
ルイジェルドの目が細くなる。
「全員殺す」
「…………」
怖っ。
「皆殺しですか……」
「子供を攫うような奴らだぞ?」
その顔を見る限り、話し合いで済ませる気は欠片もないらしい。
「一人も逃がさないでください」
「ああ。任せろ」
これは別に、俺が急に殺人へ目覚めたわけではない。
密輸組織を裏切れば、後から口封じを送り込まれる可能性がある。ルイジェルドが常に俺たちの傍にいるとも限らない。
やるなら、禍根は残さない方がいい。
「……子供たちに、何があったんです?」
「お前も見ればわかる」
それだけ言ってから、ルイジェルドが俺を見る。
「安心しろ。お前は手を汚さなくともいい」
「…………」
「僕も……やりますよ?」
口ではそう言った。
だが、自分でもわかっていた。
俺はこの一年、人を殺さないように戦ってきた。魔物はいくらでも殺したし、人型の魔物だって殺した。
けれど、人間を相手にする時は
いつか必要になれば殺す。
その覚悟ぐらいある。
そう思っていた。
でも、実際に「今から殺す」となれば、身体のどこかが固くなる。
結局、俺は人を殺すことに抵抗があるのだ。
ルイジェルドは、それを俺より先に見抜いていたらしい。
「そんな顔をするな。お前の両手は、エリスを守るためのものだろう」
「…………」
まあ、いいか。
無理して殺す必要もない。
ルイジェルドが一人でできると言うのなら、任せよう。
俺には俺にできることがある。
「わかりました。僕は子供たちを助けます。どこです?」
「二つ隣だ」
俺はルイジェルドの手枷へ触れた。
鍵は宿に置いてきてしまったが、問題ない。魔術で金具を外す。
「なっ!」
入口にいた男が声を上げた。
「おい! ここで外すな──!」
ルイジェルドが立ち上がる。
俺は背負ってきた槍を外し、差し出した。
「どうぞ」
「助かる」
「お、おい……」
男の顔から血の気が引いていく。
「大丈夫ですよ。ちゃんと言うことは聞いてくれますから」
「そ、そうか……」
「暴れないとは言ってませんけど」
「え?」
次の瞬間、男が床へ倒れた。
ルイジェルドはもう階段へ向かっている。
「行ってくる」
「はい」
俺は反対方向へ走った。
俺が扉にたどり着く頃、一階から怒号と悲鳴が聞こえ始めた。
「スペルド族だ!」
「槍を持ってるぞ!」
今は俺の仕事をしよう。
◇
部屋は暗かった。
指先に小さな火を灯す。
七人いた。
少女が四人、少年が三人。
それぞれ獣耳や長い耳を持ち、後ろ手に拘束されている。服も着せられておらず、何人かの顔や身体には青黒い痣があった。
ほとんどの子が泣き腫らしている。
一人の少年は床へ倒れ、ほとんど動いていなかった。
頭が冷えた。
まず少年へ駆け寄る。
「ヒーリング」
呼吸はある。
治療してから拘束を外し、残りの少年たちにも同じように治癒魔術を掛けていく。
「あなたは……?」
獣神語だった。
「助けに来ました」
三人とも不安そうに俺を見る。
「入口を見ていてください。誰か来たら教えて」
少年たちは顔を見合わせてから、頷いた。
次に少女たちの拘束を外していく。
中でも、猫耳の少女の怪我が酷かった。
身体中に痣がある。
それでも、目だけは死んでいない。
「どうして捕まったんです?」
「森で遊んでたら、変な男に捕まったニャ!」
「……ニャ」
いかん。
感動している場合ではない。
少女たちにも治癒魔術を掛け終えたところで、扉の向こうから足音がした。
「終わったぞ」
ルイジェルドだった。
「早いですね……」
服にはほとんど血が付いていない。
何をどうすればそうなるのかは、考えないことにしよう。
「この子たちの服、どこかにありませんでした?」
「探そう」
二人で建物を調べたが、子供用の服は見つからなかった。
「どうしますかね……」
ルイジェルドは窓際のカーテンへ目を向けると、使えそうな部分を細長く切り分けた。
「なるほど」
その布を子供たちへ渡す。
見栄えはともかく、裸よりずっといい。
建物を出ようとしたところで、猫耳の少女が突然声を上げた。
「ニャー!」
「どうしました?」
「あの犬は!?」
「犬?」
「大きな犬ニャ! 中にいたはずニャ!」
鉄格子の向こうにいた獣を思い出した。
「あれですか」
「なんで助けてくれなかったニャ!」
ルイジェルドを見る。
「お前たちが先だった」
まあ、それはそうだ。
少女はまだ何か言いたそうだった。
「わかりました」
俺は建物へ振り返る。
「僕が戻って助けてきます」
「ルーデウス」
「この子たちはお願いします」
「一人でいいのか?」
「中にはもう誰もいないんでしょう?」
「ああ」
「なら大丈夫です」
ルイジェルドは少し考え、頷いた。
「町の近くで待っている」
「お願いします」
ルイジェルドと子供たちを見送り、俺は一人、建物へ戻った。
◇
大きな犬は、まだ魔法陣の中にいた。
白──いや、銀色の毛。
近くで見ると、確かに子犬っぽい顔をしている。
サイズ以外は。
「今、助けますからね」
一歩踏み込む。
「痛っ!」
弾かれた。
結界らしい。
青白く光る魔法陣には魔力が流れている。なら、どこかに供給源があるはずだ。
周囲を探しても、それらしいものは見当たらない。
この魔法陣を使っている奴らだって、犬を出し入れする必要はあるはずだ。なら、解除する仕組みも手の届く場所にある。
「となると……上ですかね」
二階へ上がる。
ちょうど真上に当たる部屋を探すと、小さな魔法陣と、その中央に魔力結晶を収めた器具が置かれていた。
「これだ」
持ち上げる。
床の光が消えた。
一階へ戻ると、犬を囲んでいた魔法陣も消えている。
「よし」
近づく。
「ウゥ……」
唸られた。
「まあ、そうですよね」
知らない奴が近づいてくれば警戒もする。
獣神語で話しかける。
「噛まないなら外しますけど」
「……?」
犬は首を傾げた後、唸るのをやめて伏せた。
どうやら通じたらしい。
鎖を魔術で切り、首輪も外す。
「ワン!」
「うわっ!」
いきなり飛びかかられた。
前足を肩へ掛けられ、そのまま押し倒される。
「重い! 重いって!」
顔を舐め回される。
「わかった! 助けたのは僕です! 感謝は十分ですから!」
ふかふかではある。
ものすごくふかふかだ。
しかし重い。
「そろそろどいて──」
「貴様!」
「え?」
声がした。
犬越しに見る。
褐色の肌。
獣の耳。
太い尻尾。
ギレーヌにどことなく似た獣族の男が立っている。
ただし、男だ。
そしてものすごく怒っている。
「聖獣様に何をしている!」
「いや、これは──」
男が口元へ手を当てた。
まずい。
眼に魔力を流す。
未来。
男は──同じ姿勢のままだ。
「?」
あ、やばい。何かされる。逃げないと。
「どいて!」
犬が身体を退ける。
慌てて起き上がろうとした。
次の瞬間。
「────ッ!」
咆哮。
耳ではなく、身体全体を叩かれたような衝撃だった。
視界が揺れる。
膝から力が抜けた。
「な……」
動けない。
指一本まともに動かない。魔術も駄目だ。集中できない。
予見眼には、男が口元へ手を当てている姿が見えていた。
見えていたのに、何をするのかまではわからなかった。
男が近づき、胸ぐらを掴む。
「……まだ子供か」
顔を覗き込まれる。
「殺すには忍びないな」
あ、助かるっぽい。
ほっとする。
子供の姿でよかった。
たぶん。
「ギュエス、どうした?」
もう一人現れた。
白髪の老いた獣族だ。
「父上。密輸人の一人を無力化しました」
「密輸人? 子供ではないか」
「ですが、聖獣様に不埒な真似をしていました」
違う。
助けてたんですけど。
「ワン!」
銀色の犬が吠える。
何か説明してくれている気がする。
残念ながら、犬語は獣神語の授業にはなかった。
老人が周囲を確認した。
「ここにはトーナたちがいたはずだ」
「この小僧に吐かせます。どこへ連れていったのかを」
「そんな時間はない。明日には最後の船が出る」
ギュエスが歯噛みする。
「なら、こいつは?」
「村へ連れて帰る」
俺の後ろ手が縛られる。
床に転がっていた杖も、ギュエスに拾われた。
身体はまだ動かない。
そのまま担ぎ上げられる。
外へ出たところで、老人が足を止めた。
鼻をひくつかせる。
「……臭いがある」
「血の臭いしか自分にはわかりませんが」
「子供たちの臭いだ。それと、もう一人」
老人が暗い森へ顔を向ける。
「例の魔族の臭いがある」
「そいつが子供たちを?」
「さてな。案外、助けてくれたのかもしれん」
「父上、まさか」
「ギュエス」
老人が遮る。
「儂は臭いを追う。お前はその小僧と聖獣様を連れ、一度村へ戻れ」
「自分も行きます」
「お前は短気すぎる。その小僧とて、密輸人ではないかもしれん」
「…………」
「ひとまず牢にでも入れておけ。ただし、儂が戻るまでは手を出すな」
「……ハッ」
老人は森の中へ走り去った。
なら、子供たちと会えば誤解も解けるだろう。
俺は助けた側だ。
説明さえできればわかってもらえる。
少し面倒なことになっただけだ。
そう思うことにした。
「行くぞ」
ギュエスが走り出す。
銀色の犬も、その後ろをついてくる。
ザントポートとは逆方向。
森の奥へ。
俺は何も説明できないまま運ばれていった。
奴隷を助ける仕事をしに来たはずなのに。
今度は俺が捕まっていた。
◇
町の近くまで来ても、ルーデウスは戻ってこなかった。
何かあったか。
建物にいた者は全て倒した。だが、その後に別の者が来た可能性はある。
一度戻るべきか。
ルイジェルドは森の方を見る。
しかし、ルーデウスは子供ではない。
若さゆえに甘いところはあるし、先ほども人を殺すことを躊躇していた。だからといって、敵地で何もできずに殺されるほど弱くもない。
本気で魔術を使えば、自分でどうにかできるはずだ。
エリスのことも気に掛かるが、宿にはコジローが残っているとルーデウスから聞いている。
ならば今は、この七人が先だ。
だが、このまま町へ連れて行っても、うまく事情を説明できる自信はない。
過去にも似たことがあった。
子供を助けた結果、自分が誘拐犯だと思われたことは一度や二度ではない。
「お兄さん」
猫耳の少女がルイジェルドの足を叩いた。
「さっきは、ごめんなさいニャ」
「構わん」
他の子供たちも、それに倣うように頭を下げた。
助けた子供に怯えられない。
それだけで、悪い気はしなかった。
「聖獣様は大切な存在なのニャ。置いてきちゃ駄目なのニャ」
「そうか。知らなかったとはいえ、すまなかった」
少女が少しだけ笑った。
その時。
額の眼が、森の中を急速に移動する何者かを捉えた。
速い。
しかも一直線にこちらへ向かってくる。
「下がっていろ」
子供たちを後ろへ下げ、槍を構える。
木々の間から現れたのは、白髪の獣族だった。
老いてはいるが、足取りに迷いはない。手には肉厚の剣を持っている。
男もルイジェルドを見て足を止めた。
互いに警戒する。
「あ、じいちゃんニャ!」
猫耳の少女が駆け出した。
「トーナ!」
老人が少女を受け止める。
その顔に安堵が広がった。
ルイジェルドは槍を下ろした。
「この人が助けてくれたニャ!」
老人がこちらへ向き直る。
「孫娘を助けてもらったようだな」
「ああ」
「名はなんと?」
「ルイジェルドだ」
「ルイジェルドか。儂はギュスターヴ・デドルディア。この礼は必ず致そう。まずは子供たちを親元へ送り届けねば」
「ああ」
「詳しい話も聞かせてもらいたいが──」
「待て」
「どうした?」
「あの建物は見たのか?」
「見た」
「誰も残っていなかったか?」
「一人いたぞ。子供のようなナリをした男がな。聖獣様の傍にいた」
すぐにわかった。
「あれは俺の仲間だ」
「なんと」
「殺したのか?」
ギュスターヴは首を振った。
「いや。他の仲間の居場所を聞くために捕らえただけだ。戻り次第、解放させよう」
生きている。
ルーデウスめ。
油断したか。
「ルーデウスは戦士だ。殺すつもりがないのなら、急がずともいい。まずは子供たちを優先しよう」
「わかった」
「俺はゆえあって、正体を明かせん。お前が主導で子供たちの親を探してほしい」
「ふむ……了解した」
ギュスターヴが頷いた。
七人の子供たちを連れ、二人はザントポートへ向かった。