待つ者、動く者
暗い森の中を、俺はギュエスに担がれて運ばれていた。
どれほど走っただろうか。
かなりの速度で木々が後ろへ流れていく。
銀色の犬──聖獣様とやらは、その後ろをずっとついてきていた。
あの巨体でよく走るものだ。
やがてギュエスが足を止めた。
「聖獣様はお戻りください」
「わふん」
犬が森の奥へ消えていく。
俺はまだ満足に身体を動かせない。
目だけを動かす。
木の上に、ちらほらと灯りが見えた。
村……なのだろうか。
ギュエスは俺を担いだまま梯子を登り、木造の建物へ入った。
そこで。
「…………」
服を剥がされた。
全部。
待て。
何をする気だ。
確かに俺は美少年かもしれない。
見る人によっては、それはもう可愛らしい少年に見えるかもしれない。
だが、そういう趣味は──。
「うわっ!」
首根っこを掴まれ、そのまま放り込まれた。
床へ転がる。
ギィ、と金属が軋み、鉄格子が閉じた。
ガチャン。
「…………」
ギュエスは何も言わずに去っていった。
残されたのは、裸の俺だけ。
「……牢屋か」
そういうことらしい。
まあ。
密輸人だと思われている。
聖獣様へ不埒な真似をしていたとも思われている。
牢屋へ入れられるところまでは理解できる。
服を全部剥ぐ必要があるかどうかは、理解できないが。
しばらくすると、ようやく身体が動くようになった。
指先へ小さな火を灯す。
鉄格子。
藁の寝床。
部屋の隅には、なんとも用途のわかりやすい壺。
「…………」
なるほど。
立派な牢屋だ。
逃げるだけなら難しくはなさそうだ。
鉄格子の鍵ぐらいなら魔術でどうにかできる。
壁だって、壊そうと思えば壊せるだろう。
だが、今すぐ逃げる必要はない。
あの老戦士は、ルイジェルドたちの後を追った。
なら、助けた子供たちとも出会うはずだ。
そうなれば俺が密輸人ではないこともわかる。
ルイジェルドだって、俺が捕まっていると知れば事情を説明してくれるだろう。
つまり。
「一泊無料の宿だと思えばいいか」
飯が出るなら文句はない。
服は欲しいけど。
◇
その頃。
ルイジェルドとギュスターヴは、七人の子供たちを連れてザントポートへ戻っていた。
町へ入ると、ルイジェルドは額の眼で周囲を探りながら進み、ほどなく一軒の安宿へたどり着いた。
「ルイジェルド!」
真っ先に声を上げたのはエリスだった。
船酔いの疲れはまだ顔に残っている。
それでも、ベッドへ倒れていた時よりはずっと元気そうだ。
「ルーデウスは?」
「捕まった」
「は?」
エリスの眉が跳ね上がる。
「誰に!?」
「獣族だ」
「どこ!?」
「落ち着け。生きている」
「でも捕まってるんでしょ!」
今にも剣を持って飛び出しそうなエリスへ、ルイジェルドが手を出した。
「誤解だ。殺すつもりもない」
「だったら早く助けに行けばいいじゃない!」
「ルーデウスは戦士だ。自分の身ぐらいは守れる。それより、今はやることがある」
「何よ!」
ルイジェルドが入口へ視線を向けた。
ギュスターヴと七人の子供たちが入ってくる。
「…………」
エリスが黙った。
一番酷い怪我をしていた猫耳の少女も、今は自分の足で歩いている。
「この子たち……」
「ルーデウスと助けた」
「……そう」
エリスは唇を尖らせた。
「ルーデウスは、この子たちを助けた後に捕まったの?」
「ああ」
「馬鹿ね」
小さく吐き捨てる。
だが、剣へ伸びかけていた手は止まっていた。
少し離れた場所で、コジローも黙って話を聞いていた。
子供たちは裸ではない。
しかし、身体に巻いているのはカーテンを切っただけの布だ。
「まずは、この者たちをどうにかせねばならぬか」
「ああ」
ギュスターヴが頷く。
それから、自分がデドルディア族の族長であることを簡潔に告げた。
「だが、問題はこの子らだけではない」
「どういう意味だ?」
「周辺の集落でも、子供が攫われている」
ギュスターヴの顔が険しくなる。
「救援のため、我らの戦士も各地へ出ていた。その間に我らの村も襲われ、トーナたちと聖獣様が奪われた」
「じゃあ、他にも捕まってる子がいるの?」
「その可能性は高い」
エリスの目つきが変わった。
「助けるわ」
「まだ動くな」
ルイジェルドが言った。
「まず、どこにいるかを探す」
「でも!」
「場所がわからなければ助けられん」
「…………」
エリスは不満そうにしながらも黙った。
ギュスターヴが続ける。
「しかも明日には、雨期前最後の船が出る」
ルイジェルドが反応した。
「なら、その船を調べる」
「待て」
ギュスターヴが首を振る。
「奴らは我らの鼻を誤魔化す術を知っている。どの船に子供がいるのかもわからぬ」
「俺ならわかる」
「何?」
ルイジェルドは額へ手を触れた。
「隠されていても、俺の眼なら見つけられる」
ギュスターヴが目を見開く。
「……できるのか?」
「ああ」
迷いのない返事だった。
「ならば頼みたい」
ギュスターヴが頭を下げる。
「一人でも多く、子供を取り戻したい」
「ああ」
「私も行くわ!」
エリスが即座に言った。
しかしルイジェルドは首を振る。
「お前には、この子たちを頼みたい」
「私が?」
「まだ親が見つかっていない。密輸人の仲間が残っている可能性もある」
エリスが七人を見る。
子供たちも、不安そうにエリスを見返していた。
エリスは数秒黙った後、頷いた。
「わかったわ」
七人へもう一度目を向ける。
「この子たちには、指一本触れさせないから」
ルイジェルドも頷いた。
「私は残ればよいか?」
コジローが尋ねた。
「ああ。今は頼む」
「よかろう」
それ以上は何も聞かなかった。
ルイジェルドはギュスターヴと共に、再び宿を出た。
◇
翌朝。
「冤罪です!」
鉄格子の向こうに立つ女性へ、俺は訴えていた。
「僕は密輸人じゃありません!」
無視。
「捕まってた子供を助けたんです!」
無視。
「ルイジェルドっていう背の高い男と一緒に──」
バシャッ!
「ぶっ!」
桶一杯の冷水を浴びせられた。
「変態が……!」
女性は心底嫌そうな顔で俺を見下ろした。
「…………」
酷い。
話ぐらい聞いてほしい。
でも、まあ。
美人の獣耳お姉さんに全裸で水を掛けられて、罵倒されている。
世の中には金を払ってでも、こういう経験をしたい人がいるかもしれない。
俺は嫌だけど。
「ぶぇっくしょん!」
寒い。
馬鹿なことを考えている場合ではなかった。
火魔術で身体を温める。
着るものが欲しい。
本当に。
◇
その日のザントポート。
雨期前最後の船が、出港の準備を進めていた。
ルイジェルドは、その中から子供たちが隠されている船を見つけた。
獣族の鼻を誤魔化せても、額の眼までは欺けなかった。
襲撃は成功した。
抵抗した密輸人たちは叩き伏せられ、捕らえられた。
そして船の中から、子供たちが次々と連れ出される。
一人。
二人。
十人。
それでも終わらない。
最終的に、助け出された子供は五十人近くにまでなった。
「……こんなに」
ギュスターヴの顔が険しくなる。
だが、子供を助ければ終わりというわけにはいかなかった。
「何をしている!」
ザントポートの役人たちが駆けつけてきた。
「雨期前最後の便だぞ! 何を考えている!」
最後の船には、雨期前に運び出さなければならない荷も積まれている。
役人たちも引かなかった。
「攫われた子供たちが乗せられていた」
ギュスターヴも退かない。
「獣族を攫い、奴隷として売ることは禁止されているはずだ」
「だったら先に知らせろ!」
「知らせている間に船が出ればどうする!」
声が大きくなっていく。
ルイジェルドはその横で、助け出された子供たちを見ていた。
五十人近い。
七人だけではなかった。
これだけの子供が攫われていた。
その事実だけで、密輸人を見る目には隠しきれない怒りが残っていた。
そして、この言い争いはその日だけでは終わらなかった。
◇
二日目。
ルイジェルドが助けに来ない。
「…………」
少し不安になってきた。
昨日までは、すぐに誤解が解けると思っていた。
だが、一日待っても誰も来ない。
老戦士も来ない。
ルイジェルドも来ない。
エリスも来ない。
コジローも来ない。
何かあったのか。
まさか、あの老戦士とルイジェルドが戦いになった?
いや。
子供たちがいる。
あの老戦士も孫を心配していた。
いきなり槍を交えるようなことにはならないはずだ。
それなら別の問題か。
ガルス。
密輸組織。
あるいは、ザントポートで何かあった?
「……出るだけなら、出られるんだよな」
鉄格子を見る。
鍵は簡単なものだ。
見張りがいない隙を見計らい、魔術で開けた。
「おぉ……」
村は木の上にあった。
巨大な木々の幹へ足場が組まれ、その間を橋が繋いでいる。
地上にもいくつか小屋はあるが、生活の中心は上らしい。
面白い。
観光だったら一日見て回りたいぐらいだ。
ただし今の俺は全裸である。
どこを歩いても目立つ。
問題はそれだけではない。
町がどっちにあるのかわからない。
ギュエスは俺を担いで、長いこと森を走った。
適当に森へ入れば、まず迷う。
高い塔でも作って方向を確認する?
いや。
そんなことをすれば村中から見える。
ギュエスもいる。
あの咆哮がどういうものかも、まだわかっていない。
予見眼で直前の姿が見えても、何をされるかわからなければ意味がない。
対策なしにもう一度食らうのは御免だ。
「……まだ二日ですしね」
俺は自分から牢へ戻った。
逃げられるのに戻る。
変な話だ。
しかし、今は待った方がいい。
そう判断した。
◇
三日目。
飯がうまい。
野草のスープと、肉を固めて焼いたようなもの。
魔大陸で食べていたものと比べれば、牢飯でもご馳走に思える。
「美味しいです」
見張りの女性へ言うと、耳が少し動いた。
「これ、あなたが作ったんですか?」
「…………」
返事はない。
ただ、次の食事では量が少し増えていた。
たぶん気のせいではない。
攻略できる。
何を攻略するつもりなのかは、自分でもわからない。
◇
四日目。
暇だった。
本当に暇だった。
魔術の練習をしてもいい。
だが、派手なことをすれば拘束を増やされる可能性がある。
手枷程度ならどうにでもなるが、自分から面倒を増やす趣味はない。
寝る。
起きる。
飯を食う。
寝る。
生前を思い出す。
「…………」
いかん。
この生活、適性がある。
◇
五日目。
ルームメイトができた。
「ちくしょう! もうちょっと丁寧に扱いやがれ!」
男が、獣族の戦士二人に放り込まれてきた。
牢の床を転がり、尻を押さえながら起き上がる。
冒険者風の男だった。
黒っぽい服。
関節には革の防具。
もみあげが長く、どこか猿っぽい顔をしている。
魔族らしい。
男が俺を見る。
固まった。
「…………」
「ようこそ」
「……何だ?」
「無料アパートへ」
「は?」
男の視線が、上から下へ移動する。
当然だ。
俺は裸なのだから。
「お前……なんで裸なんだ?」
「ここの正装です」
「嘘つけ」
即答された。
「まあ、座ってくださいよ。先輩として歓迎します」
「先輩?」
「僕の方が五日長く住んでますから」
「牢屋で先輩風吹かす奴、初めて見たぜ……」
男は呆れた顔をしながら、その場へ座った。
「で、新入り。何をして捕まったんです?」
「なんでお前が尋問するんだよ」
「暇なので」
「堂々と言うなよ……」
男は頭を掻いた。
「イカサマだ」
「ギャンブル?」
「ああ。サイコロ」
「なるほど」
随分としょうもない理由だった。
「名前は?」
「ギースだ」
ギース。
どこかで聞いたような。
「…………」
思い出せない。
似た名前なんて、この世界にはいくらでもあるだろう。
「僕はルーデウスです」
「ルーデウス……?」
今度はギースが首を傾げた。
「なんか聞いたことあるな」
「よくある名前なんじゃないですか?」
「そうかもな」
それで話は終わった。
しばらくして、ギースが牢の隅へ寝転がる。
俺はその服を見た。
毛皮のベスト。
暖かそうだ。
「ギース」
「なんだ?」
「そのベスト、ください」
「嫌だよ」
「五日間裸なんです」
「知るかよ!」
「先輩命令です」
「いつからお前が先輩になったんだ!」
「五日前から」
「意味わかんねえよ!」
数分後。
「……ほらよ」
結局くれた。
「ありがとうございます」
「急に礼儀正しくなるなよ。気持ち悪ぃな」
いい奴かもしれない。
ベストへ腕を通す。
下半身は相変わらず自由だが、随分と人間に近づいた。
「そういえば」
俺はギースを見る。
「なんで魔族のギースが、こんな村にいたんです?」
「ああ。昔の知り合いにドルディア族がいてな。もしかしたらいるかと思って寄ったんだよ」
「いたんです?」
「いなかった」
「それでイカサマして捕まったと」
「バレねえと思ったんだよ」
「何してるんですか……」
ダメな奴だった。
でも。
ザントポートから自力でこの村まで来たということは。
「ここからザントポートまでの道、わかります?」
「わかるけど」
ギースがこちらを見る。
「お前、逃げるつもりか?」
俺は声を落とした。
「必要なら」
「必要なら?」
「仲間が迎えに来ないんです」
「ああ……」
ギースが妙に気の毒そうな顔をした。
「見捨てられたか」
「違います」
「即答かよ」
「絶対に違います」
ルイジェルドが、俺を見捨てるはずはない。
エリスだってそうだ。
コジローは……まあ、あの人なら俺が生きているとわかれば、妙に落ち着いていそうな気もする。
でも、誰も来ないということは。
来られない事情があるのだ。
「で、何をして捕まったんだ?」
ギースが聞いてきた。
「捕まっていた子供たちを助けまして」
「ほう」
「ついでに、大きな犬も助けました」
「犬?」
「銀色の」
ギースの顔が変わった。
「……お前、それ聖獣じゃねえのか?」
「そうらしいですね」
「で?」
「助けた直後に獣族の男が来て、僕がその犬に何かしてると勘違いされまして」
「それで捕まった?」
「そうです」
「…………」
ギースが頭を掻く。
「お前、運悪いな」
「僕もそう思います」
「じゃあ冤罪か」
「冤罪です」
「なら待っとけよ」
「はい?」
「本当に子供を助けたんなら、そのうちわかるだろ。逃げたら余計ややこしくなるぞ」
「……ですよね」
俺は鉄格子へ目を向ける。
ここから出る方法はある。
ザントポートまでの道を知る奴もいる。
だが。
五日待った。
あと少し待ってもいい。
「もう少しだけ待ちます」
「そうしろそうしろ」
ギースはそう言って、寝転がった。
◇
ルーデウスが牢へ入れられてから五日。
ザントポートでは、初日に救出した子供たちを巡る騒ぎが、まだ終わっていなかった。
五十人近い子供たちは、いくつもの集落から攫われていた。
親を探す。
故郷を確認する。
迎えを寄越す。
それだけでも時間が掛かる。
すでに親元へ戻った者もいる。
だが、まだ迎えを待っている子供も多く、宿だけでは収まらないため、近くの建物にも分かれて保護されていた。
さらに問題なのは、ザントポート側との話し合いだった。
初日の船襲撃を巡り、双方の主張は平行線を辿っている。
ザントポート側は無断で船を襲ったことを問題にし、ギュスターヴたちは攫われた子供を奴隷として運び出そうとしたことを問題にする。
どちらも引かない。
話は日に日に大きくなっていた。
エリスは、その騒ぎの中心にはいなかった。
まだ親元へ戻れていない子供たちの護衛を引き受けていたからだ。
「……まだ終わらないの?」
窓から港を見ながら、エリスが呟いた。
「そのようだな」
窓辺に立つコジローも、港の方へ目を向けていた。
「もう五日よ」
「ああ」
「ルーデウスだって、ずっと捕まったままなんでしょ」
コジローは答えなかった。
エリスは拳を握る。
今すぐ村へ行きたい。
そう顔に書いてある。
だが、すぐ傍には、まだ親元へ戻れていない子供たちがいる。
一人が、不安そうにエリスの袖を掴んだ。
「…………」
エリスはその手を見る。
しばらくして、小さく息を吐いた。
「……わかってるわよ」
コジローは何も言わなかった。
窓の外では、さらに人が増えていた。
騒ぎは、まだ終わりそうになかった。