無職転生~異聞 月下の剣士   作:彼岸花さつき

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第三十三月 逆流する影

 逆流する影

 

 六日目の朝。

 

 ザントポートの宿の前を、武装した獣族が何人も通り過ぎていった。

 

 昨日までなら、あれだけの人数がまとまって歩けば嫌でも目立っただろう。だが今日は、一組が通り過ぎたと思えば、また別の一組がやってくる。

 

「また来たわ」

 

 窓際にいたエリスが言った。

 

 部屋の奥では、まだ迎えの来ていない子供たちが身を寄せ合っている。船から助け出された者たちのうち、行き先の決まっていない子供がまだ残っているのだ。

 

 廊下ではギュスターヴが、到着した戦士から報告を受けている。

 

 ザントポートとの話し合いは、まだ完全には片付いていないらしい。

 

「これだけ集まれば、さすがに向こうも話を聞くわよね」

 

「さてな」

 

 コジローは窓枠へ背を預けたまま、通りを眺めている。

 

「何よ。そう思わないの?」

 

「人というものは、数を揃えれば素直になるとは限らぬのでな」

 

「じゃあ、もっと連れてくればいいのよ」

 

「それで素直にならぬなら?」

 

「もっとよ」

 

「ふっ……なるほど。何とも、お嬢らしい事よ」

 

「何よそれ」

 

 エリスは頬を膨らませたが、すぐに窓の外へ視線を戻した。

 

 ルーデウスが捕まって、もう六日。

 

 自力で逃げられるから心配はいらない。

 

 ルイジェルドから何度そう言われても、気になるものは気になるらしい。

 

 コジローにも、それは分かっていた。

 

 港へ向かう人間は多い。

 

 獣族の戦士も役人も商人も、野次馬までもが、同じ方向へ吸い込まれるように流れていく。

 

 だからこそ、その流れに逆らって歩く者たちが、いやでも目についた。

 

 五人の男が、人混みを避けるように宿の前を横切った。

 

 商人風の身なりをしているが、手には荷のひとつもない。

 

 しかも一人の外套の下からは、剣の柄が覗いていた。

 

「ガルス、急げ」

 

 男の一人が声を潜めた。

 

 コジローの目が細くなる。

 

「お嬢」

 

「何?」

 

「少し出る」

 

「どこに?」

 

「確かめものだ」

 

「何を?」

 

「聞き覚えのある名を耳にしたのでな」

 

「誰?」

 

「ガ(・)ル(・)ス(・)」

 

 エリスの表情が変わった。

 

 ルーデウスたちがウェンポートで関わった男の名だ。

 

「だったら私も──」

 

「お嬢」

 

 コジローが部屋の奥を見る。

 

 子供たちが、不安そうな顔でこちらを見ていた。

 

「…………」

 

 エリスは口を閉じた。

 

「日が暮れても私が戻らぬようなら、ルイジェルド殿へ伝えてくれ」

 

「それ、危ないってことじゃない」

 

「ほう、お嬢が私の身を案じてくれるとは、これはまた珍しいこともあるものよ」

 

「こんな時にからかわないでよ!」

 

「お嬢の張りつめた顔も捨てがたいものだが、今は急がねばならぬのでな」

 

「じゃあ、何で追うのよ」

 

「分からぬから確かめるのだ」

 

 コジローは僅かに笑うと、エリスの頭へ手を置いた。

 

「心配するな。私は大丈夫だ。必ずお嬢の元へ無事に戻る」

 

「ッ! ……そういう言い方、ずるいと思うわ!」

 

「そうか?」

 

「そうよ」

 

 しばらく睨み合った末、エリスが腕を組んだ。

 

「わかったわ!」

 

 そして、念を押すように言う。

 

「ちゃんと戻ってきなさいよね、コジロー!」

 

「うむ、心得た」

 

 コジローは宿を出た。

 

 ◇

 

 男たちは街道を外れ、森へ入っていった。

 

 途中で別の一団と合流し、人数を増やしていく。

 

 手にしているのは縄や袋、油壺といった、およそ狩りには似つかわしくない道具ばかりだった。

 

 夕刻。

 

 一団は森の奥で分かれた。

 

「明け方だ」

 

 ガルスが短く言った。

 

「騒ぎが始まったら予定通り動け。ガキを取ったら長居すんな」

 

 男たちが散っていく。

 

 ガルスも奥へ消えた。

 

 コジローはその後を追おうとして、足を止める。

 

 別方向へ向かった数人が油壺を抱えていた。その先には、人の住む気配がある。

 

「ふむ……なるほど」

 

 ガルス一人を追って済む話ではないらしい。

 

「さて、どうしたものかな」

 

 僅かに考えてから、コジローは油壺を持つ男たちへ向きを変えた。

 

 ◇

 

 七日目。

 

 腹が減った。

 

 まず、そう思った。

 

 次に、妙に静かだと思った。

 

「……新入り」

 

「起きてるよ」

 

 向かいで寝転がっていたギースが目を開ける。

 

「飯、いつもより遅くないですか」

 

「先輩もそう思うか?」

 

 いつもなら見張りが来ている頃だ。

 

 食器の音もしない。

 

 罵声も聞こえない。

 

 冷水も飛んでこない。

 

 最後のは永遠になくてもいいが。

 

 耳を澄ますと、遠くから何かが砕ける音が聞こえた。

 

 続いて、悲鳴。

 

「……おい」

 

「はい」

 

 煙の臭いがする。

 

 明かり取りの穴から、焦げた葉が一枚入ってきた。

 

「火事か?」

 

「みたいですね」

 

 鉄格子へ駆け寄る。

 

 昨日までなら、勝手に逃げればさらに面倒なことになるから大人しくしていた。

 

 だが、火事で焼け死ぬまで付き合う義理はない。

 

「新入り。下がってください」

 

「何すんだ?」

 

 蝶番へ指を向ける。

 

 小さな岩砲弾(ストーンキャノン)。

 

 金属が弾ける。

 

 もう一発。

 

 扉が傾いたところを蹴倒す。

 

「…………」

 

 ギースが壊れた牢を見る。

 

 俺を見る。

 

「先輩」

 

「はい」

 

「一週間ここにいた意味、あったのか?」

 

「今それを考えると後悔する気がするので、やめましょう」

 

 牢を出る。

 

 幸運なことに、取り上げられていた服と杖はすぐ近くにまとめて置かれていた。

 

「あった」

 

 新入りから借りていた毛皮を返し、服を身につける。

 

 丁寧に留め具を締めている暇はない。

 

 最低限だけ整え、最後に杖を掴んだ。

 

「行きますよ」

 

「おう!」

 

 外へ飛び出した。

 

 熱風が頬を叩く。

 

「うわ……」

 

 森が燃えていた。

 

 木の上の家にも火が回っている。

 

 煙が立ち込め、どちらへ逃げればいいのかもよく分からない。

 

「先輩!」

 

 ギースが指さした。

 

 小さな獣族の子供が、煙の中で咳き込みながら歩いている。

 

 その頭上で、燃えた木が軋んだ。

 

「危ない!」

 

 風を叩きつける。

 

 倒れかけた木が横へ逸れた。

 

 子供へ駆け寄り、目を水で洗う。

 

 軽い火傷には治癒魔術をかける。

 

『お父さん……お母さん……』

 

 泣いている。

 

 どうやら避難は済んでいないらしい。

 

 周囲を見る。

 

 火は広い。

 

 このまま逃げるとしても、どちらへ行けば安全なのか分からない。

 

「新入り。村の中心は分かります?」

 

「そっちなら分かる」

 

「じゃあ行きましょう」

 

「逃げるのか?」

 

 俺は抱き上げた子供を見る。

 

「まず、この子を連れていきます」

 

 ギースが一瞬だけ俺を見て、それから笑った。

 

「へっ。了解」

 

 ◇

 

 村の中心へ近づくにつれ、ただの火事ではないと分かった。

 

 人族の男たちがいる。

 

 女を引きずる者。

 

 子供を抱えて逃げる者。

 

 止めようとした獣族を斬りつける者。

 

「……何ですか、これ」

 

「襲撃だな」

 

 ギースの声が低くなる。

 

 火も連中が放ったのだろう。

 

 俺は一週間ここへ閉じ込められた。

 

 裸にされ、水も掛けられた。

 

 言い分だって、まともには聞いてもらえなかった。

 

 だが、だからといって。

 

 目の前で子供を攫われているのを見ながら、

 

『(・)ざ(・)ま(・)あ(・)み(・)ろ(・)』(・)

 

 とは、さすがに思えない。

 

 よし、決めた。

 

「新入り」

 

「なんだ?」

 

「ドルディア族を助けて恩を売ります!」

 

「そうこなくっちゃな」

 

 ギースが子供を安全な場所へ連れていき、近くに落ちていた剣を一本拾う。

 

 俺は空へ両手を向けた。

 

 先に火をどうにかする。

 

 上級水魔術──『大雨(スコール)』。

 

 出来るだけ広く。

 

 強く。

 

 けれど、人を叩き落とすほどではなく。

 

「……よし」

 

 魔力を解放する。

 

 豪雨が降り注いだ。

 

 火が消えていき、煙も薄くなる。

 

 水で顔を洗った獣族たちが、次々と戦線へ戻っていく。

 

 鼻が利くようになったのだろう。

 

 それまで押されていた戦士たちの動きが、一気に良くなった。

 

「魔術師だ!」

 

 こちらへ気づいた男が叫んだ。

 

 すぐに四人が続く。

 

 まずいな。

 

「『泥沼』!」

 

 先頭の足元を沈める。

 

「うおっ!?」

 

 転んだ一人へ岩砲弾(ストーンキャノン)を叩き込む。

 

 だが、それで終わりじゃない。

 

「先輩!」

 

 ギースが俺の前へ出た。

 

 剣を構える。

 

「新入り?」

 

「先輩にゃ指一本触れさせねえぞ!」

 

 おっ、なかなか格好いい。

 

 言っていることだけなら。

 

 だが、腰は引けているし、剣先も少し震えている。

 

 しかも、まだ敵は四人いる。

 

 これはまずい。

 

「新入り、無理しなくても──」

 

「うるせえ! こういうのは勢いが大事なんだよ!」

 

 敵の一人が飛び込んできた。

 

 ギースが剣を構える。

 

 その直前。

 

「ぐあっ!」

 

 男の身体が前へ崩れた。

 

 背中を深く斬られている。

 

「何っ!?」

 

 残りの男たちが振り返った。

 

 煙の向こうに、鉈のような厚い剣を手にした一人の獣族が立っていた。

 

『誰かは知らんが、助太刀感謝する!』

 

 聞き覚えのある声。

 

 というか、ものすごく見覚えがある。

 

「……あ」

 

 向こうもこちらを見る。

 

 目が合う。

 

『お前!?』

 

 ギュエスだ。

 

 俺を密輸人だと勘違いして、この村へ連行した張本人。

 

 ギュエスの顔がみるみる険しくなる。

 

『どうして牢の外に──』

 

 敵が背後から斬りかかった。

 

 ギュエスは振り返りもせず剣を受け流した。

 

『──いや、話は後だ!』

 

 返す一撃で一人を倒し、もう一人を身体ごと木へ叩きつける。逃げようとした最後の一人にも一瞬で追いつき、背後から斬り伏せた。

 

「……」

 

 強い。

 

 あの時は俺を一発で動けなくしたし、分かっていたつもりだったが、味方になった途端ものすごく頼もしく見える。

 

 ギュエスが鼻を鳴らした。

 

『鼻が利けば、貴様ら如きに後れは取らん!』

 

 雨の中、倒した敵を背に言い切る。

 

 おお……かっこいい……! 

 

 ギュエスはこちらを見た。

 

 その目が一瞬だけ俺の杖へ向き、次に空を見る。

 

『この雨……お前か?』

 

『はい』

 

『そうか』

 

 短い返事。

 

 謝罪も礼もない。

 

 今はそんな場合ではないということだろう。

 

 ギュエスは森の方へ顔を向ける。

 

『子供たちを取り戻す』

 

 そして、ちらりと俺たちを見る。

 

『手伝ってくれるか?』

 

 俺は少しだけ口角を上げた。

 

『了解!』

 

 ◇

 

 同じ頃。

 

 雨の降る森の別の場所を、三人の男が走っていた。

 

「急げ!」

 

「火が消え始めてる!」

 

「構うな! ガキだけ連れて抜けろ!」

 

 一人の肩には、縛られた獣族の子供。

 

 その後ろから、傷を負った獣族の女が追ってくる。

 

『返せ!』

 

「しつけえな!」

 

 男が振り返り、剣へ手を伸ばす。

 

 その首筋に、冷たいものが触れた。

 

「……あ?」

 

 すぐ横には、いつの間にか長い刀を携えた男が立っていた。

 

「さ(・)せ(・)ぬ(・)よ(・)」

 

「て、てめえ、どこから──」

 

 男が剣を抜こうとした瞬間、銀光が走った。

 

 次の瞬間には首が地面へ落ち、肩から滑り落ちた子供だけをコジローが片腕で受け止めていた。

 

「な……」

 

 残る二人の顔から血の気が引いた。

 

 一人が踵を返し、もう一人も続く。

 

「行きは見逃したが──帰りまでは別だ」

 

 二人の足が止まる。

 

 コジローは子供を追いついてきた獣族の女へ預けた。

 

「私は門番ではないが、ここは通さぬ」

 

 森の細道を塞ぐように、一人立つ。

 

「ここを通りたくば──押し通れ」

 

「く、くそっ!」

 

「やっちまえ!」

 

 二人が左右へ散った。

 

 一閃。

 

 二人の身体がそのまま数歩進み、遅れて二つの首が落ちた。

 

 コジローは刃についた血を払う。

 

「雅さに欠ける首だが──此度は贅沢も言えまい」

 

 獣族の女が子供を抱き締めている。

 

 言葉は通じない。

 

 だが、礼を言っているのだろう。

 

 コジローは軽く手を上げた。

 

「礼には及ばぬよ」

 

 遠くから戦いの音が聞こえた。

 

 金属音に怒号。さらに遠くで、何かが爆ぜる。

 

 コジローがそちらを見る。

 

「さて」

 

 長刀を鞘へ戻した。

 

「まだ終わりではないらしいな」

 

 ◇

 

 雨で煙が落ちたせいか、獣族の追跡は速かった。

 

 ギュエスを先頭に、何人かの戦士が森を走る。

 

 俺と新入りもその後を追った。

 

「先輩! あいつら速すぎねえか!」

 

「僕に言わないでください!」

 

「先輩は魔術で何とかしろよ!」

 

「人を何だと思ってるんです!?」

 

 しばらく走ったところで、ギュエスが片手を上げた。

 

 一斉に止まる。

 

 木々の向こうに馬車が見えた。

 

 荷台には子供が何人も詰め込まれている。

 

 泣いている子。

 

 ぐったりしている子。

 

 その横では、まだ捕まったままの子供たちが列を作らされていた。

 

「黙って早く乗れ!」

 

 男が子供の背中を乱暴に押す。

 

「泣くんじゃねえ! 早くしろ!」

 

 子供が転んだ。

 

 別の男が腕を掴んで引き起こす。

 

 ギュエスの牙が剥き出しになる。

 

 今にも飛び出しそうだ。

 

『待ってください』

 

 小声で止める。

 

 正面から行けば、子供を巻き込む可能性がある。

 

 俺は地面へ手を向けた。

 

『僕が崩します』

 

 男たちの足元。

 

 馬車から少し離れた場所。

 

 子供たちの立っていないところだけを狙う。

 

「『泥沼!』」

 

「うおっ!?」

 

「なんだ!」

 

 地面が突然ぬかるみ、何人もの足が沈む。

 

『今だ!』

 

 ギュエスたちが飛び出した。

 

 獣族の戦士は速い。

 

 動きを封じられた男たちを次々と倒していく。

 

「後ろだ!」

 

「分かってます!」

 

 回り込んできた一人へ岩砲弾(ストーンキャノン)。

 

 腹へ直撃し、男が吹き飛ぶ。

 

 ギースも子供の前に立ち、へっぴり腰ながら剣を振り回して牽制している。

 

「こっち来んな! 俺ぁ剣はからっきしなんだからな!」

 

「それ敵に言わない方がいいですよ!」

 

「おっと!」

 

 戦闘は長く続かなかった。

 

 雨で視界と嗅覚を取り戻した獣族に、足場を奪う俺の魔術まで加わった。

 

 最後の一人が倒れた。

 

 ギュエスはすぐに馬車へ向かい、荷台へ飛び乗った。

 

 子供たちの縄を切っていく。

 

『もう大丈夫だ』

 

 小さな女の子へ声を掛ける。

 

『怪我はないか?』

 

『う、うん……』

 

 女の子は涙を拭った。

 

『ありがとう……』

 

 ギュエスの表情が僅かに緩んだ。

 

 俺も荷台を覗く。

 

 みんな怯えているが、見る限りひどい怪我はない。

 

『無事でよかったです!』

 

 ギュエスがこちらを見る。

 

 ほんの一瞬、牢屋で俺を見下ろしていた時とはまるで違う顔をしたが、すぐに荷台へ視線を戻した。

 

 そこには攫われた子供たちが何人もいる。

 

『こいつら……これだけの村の子供を……!』

 

「おいおい、そう怒るなよ」

 

 背後から声がした。

 

 全員が振り返る。

 

 いつの間にいたのか、一人の男が木の陰に立っている。

 

 その腕の中には獣族の女の子。

 

 首元には剣。

 

「……飼主」

 

 聞き覚えのある声だった。

 

「なんでてめえがここにいやがる」

 

「ガルスさん……?」

 

 ウェンポートでルイジェルドの密輸を条件に、俺たちへ仕事を持ってきた男。

 

 攫われた子供たちを助けるのが、あの時の依頼だったはずだ。

 

 それが今、獣族の子供を人質にしている。

 

「一応、何をしてるんですって聞いていいですか?」

 

「見りゃ分かるだろ」

 

「ですよね……」

 

 ガルスが鼻で笑った。

 

 話を聞けば、ガルスたち密輸組織は最初から一枚岩ではなかったらしい。以前の救出依頼も、聖獣を売らせないためだけではなく、仲間の計画を潰して自分が得をするためのものだった。

 

 そのうえガルスは、ドルディアの戦士団へ情報を流して俺たちと鉢合わせさせ、ルイジェルドが戦士団を相手にしている隙に村を襲うつもりだったという。

 

 実際には予定と違い、戦士団はルイジェルドたちとの一件でザントポートに釘付けになった。だが、ガルスにとってはそれでも十分だったのだろう。

 

 仲間の計画を潰し、俺たちまで囮に使い、自分はドルディア族の子供を売る。結局、ガルスにとっては使えるものを使っただけだったのだ。

 

「で?」

 

 ガルスが言う。

 

「こっちへ付く気はねえか?」

 

「何を言ってるんです?」

 

「お前だって獣族には酷い目に遭わされたんだろ。俺を見逃しゃ、それで終わりだ」

 

 悪くない提案だ。

 

 俺が命を賭けてまで助けたい相手は多くない。

 

 少なくとも、見ず知らずの子供一人のために死ぬ義理はない。

 

 けれど、目の前で子供を攫う側につく。

 

 それはもっとない。

 

「悪いですけど」

 

 杖を握る。

 

「子供を攫う側には付きません」

 

「そうかよ」

 

 ガルスが笑った。

 

「なら、選択を誤ったな!」

 

 ガルスの剣が持ち上がった。

 

 切っ先が少女の首を離れ、そのまま大きく振りかぶられる。

 

 斬る。

 

 そう見えた。

 

『その子を離せ!』

 

 ギュエスが正面から飛び出した。

 

 同時に左右後方の茂みが弾け、二人の獣族の戦士が姿を現してガルスの背後へ斬りかかる。

 

 正面からギュエス、左右後方から二人の戦士。

 

 三方向からほぼ同時に襲い掛かる。

 

 逃げ場はない。

 

 ──はずだった。

 

「馬鹿が」

 

 振り上げられていた刃は、少女へ落ちなかった。

 

 フェイント。

 

 ガルスは少女の身体を正面へ突き飛ばした。

 

『っ!』

 

 ギュエスの剣が止まる。

 

 咄嗟に武器を捨て、飛んできた少女を両腕で抱き止めた。

 

 その隙にガルスは背後へ振り返り、一人目の剣を紙一重で外して懐へ潜り込んだ。

 

「ぐっ──!」

 

 刃が腹を貫く。

 

 血を噴きながら、戦士が地面へ崩れた。

 

 もう一人が横から斬りつける。

 

 ガルスは半身でかわしざまに斬り返した。

 

『がっ!』

 

 戦士が怯んだところへ、さらに蹴りを叩き込む。

 

『ぐあっ!』

 

 獣族の男の身体が宙を飛んだ。

 

 その先には、少女を抱えたギュエス。

 

『なっ──!』

 

 避ければ子供が巻き込まれる。

 

 飛ばされた仲間がまともに身体へぶつかり、二人まとめて体勢を崩した。

 

 ガルスは、もう走り出していた。

 

 速い。

 

 このままでは子供ごと斬られる。

 

『くっ!』

 

 ギュエスは抱えていた少女を咄嗟に後方へ放り投げた。

 

 少しでもガルスから遠くへ。

 

 その直後、ガルスの剣が走った。

 

『ぐあっ!』

 

 ギュエスの胸が斜めに裂け、血を撒き散らしながら身体が地面へ叩きつけられた。

 

『ギュエス!』

 

 致命傷か!? 

 

 いや、呻き声が聞こえる。

 

 生きている。

 

 だが、立てない。

 

 三方向から襲い掛かったはずなのに、ほんの数秒で全員潰された。

 

「……嘘だろ」

 

 横でギースが息を呑んだ。

 

 ガルスは追撃せず、すぐに身を翻してギュエスが逃がした少女へ向かう。

 

「させるか!」

 

 杖を向ける。

 

 だが、ガルスは少女へ飛びつき、その身体を抱え上げてこちらへ向けた。

 

「くっ……!」

 

 撃てない。

 

 まただ。

 

 少女の首に剣が添えられ、俺たちはもう一度動きを止められた。

 

「新入り……知ってるんですか、あれ」

 

「ああ……」

 

 ギースの声が震えていた。

 

「北神流だ」

 

「しかもアトーフェ派かよ……」

 

 ギースの顔が引きつった。

 

「多人数相手の実戦を得意にする連中だ。それも、こいつはそこらの使い手じゃねえ」

 

 ガルスがニヤリとする。

 

「よく知ってるな、猿野郎」

 

 剣を肩へ担ぎ直した。

 

「そう、俺が北聖──『掃除屋(クリーナー)』ガルスだ」

 

 聖級。

 

 階級だけなら、王級のギレーヌより一つ下。

 

 だから何とかなる、とはさっきの光景を見た後には思えなかった。

 

 三人で同時に襲い掛かって、それでも数秒だった。

 

「どうした、飼主。さっきまでの威勢はどこ行った?」

 

(この卑怯者が……なんて言ってやりたいけど)

 

 俺は動けなかった。

 

 コイツは強い。

 

 たとえ魔眼を使ったとしても、人質を無傷で助けながら俺たちだけでこいつを倒せるのか。

 

 不可能に近い……。

 

 ガルスが口の端を吊り上げる。

 

「それとも、今ので怖気づいちまったか? ならそこで大人しくしてな。その方がお互いのためだ」

 

 ガルスも警戒している。

 

 俺が大雨を降らせた魔術師だと分かっているのかもしれない。

 

 そうだ、このまま行かせる。

 

 それが一番安全なのではないか。

 

 俺が命を懸けてまで助ける相手は決まっている。

 

 知らない子供のために死ぬ必要なんて──。

 

「……なんだよ」

 

 返事をしない俺を見て、ガルスが鼻で笑った。

 

「本当に来ねえのか。つまんねえな」

 

 剣を少女の首元へ添えたまま歩き出す。

 

「んじゃーな、飼主。仲間になりたかったら声を掛けろよ」

 

 ガルスは少女を連れたまま俺の横を通り過ぎ、そのまま背後へ回っていく。

 

 振り向けばいい。ただ、それだけなのに──振り向けない。

 

『た、助けて……!』

 

「……っ」

 

 背中から小さな声がした。

 

 見なくても、あの子が俺に手を伸ばしているのが分かった。

 

「ッ! 先輩!」

 

 ギースが叫ぶ。

 

「このままでいいのかよ!?」

 

 分かってる。

 

 でも、さっき三人がほんの数秒で倒された光景が頭から離れない。

 

 人質もいる。下手に動けば、あの子が死ぬ。俺だって死ぬかもしれない。

 

 だから今は、動かない方が──。

 

『助けて……!』

 

 もう一度、声がした。

 

 歯を食いしばる。

 

 振り向けない。

 

 その時だった。

 

「ガルァァァ!」

 

 白い影が、俺たちの横を駆け抜けた。

 

「ぐっ!?」

 

 聖獣が、ガルスの剣を持った腕へ噛みつく。

 

 その瞬間、考えるより先に身体が動いた。

 

 振り向きざまに杖を向け、ガルスと子供の間へ風を叩き込む。

 

 二人が離れる。

 

「てめえ!」

 

 少女をガルスから離れた場所へ滑らせると、近くにいた獣族の戦士がすぐに抱き止めた。

 

 聖獣は俺の前へ戻ってくる。

 

「グルルルル……!」

 

 完全にやる気だ。

 

「てめえ、飼主……やっぱりやりやがったな!」

 

 ガルスが憎々しげに俺を睨む。

 

「犬まで使いやがって。随分と汚え真似するじゃねえか!」

 

 どういう言いがかりだよ。

 

 俺はけしかけていない。

 

 こいつが勝手に飛び込んできたのだ。

 

「へへっ……先輩」

 

 新入りが俺の横へ出てきた。

 

 剣を構える。

 

 腰は少し引けていた。

 

「俺がここで死んだら、後で格好よく戦ったことにしといてくれよ」

 

「それは自分で生き残って証言してください!」

 

「はっ! そりゃ厳しいな」

 

 聖獣、新入り、そして俺。

 

 三人でガルスと向かい合う。

 

 完全に引くに引けなくなった。

 

 胸の奥で、鼓動が激しく鳴っている。

 

 ……こうなったら、やるしかない。

 

 とことんやってやろうじゃないか! 

 

 俺たちは今、『デッドエンド』を名乗っている。

 

 スペルド族の評判を良くする。

 

 そう約束して、その名前でここまで旅をしてきた。

 

 杖を握り直し、ガルスへ向ける。

 

「ガルスさん、すみませんが」

 

 右目へ魔力を流した。

 

「デ(・)ッ(・)ド(・)エ(・)ン(・)ド(・)は(・)悪(・)者(・)じ(・)ゃ(・)ダ(・)メ(・)な(・)ん(・)で(・)す(・)!(・)」

 

「正義漢気取りかよ。クソ面白くもねぇ……」

 

 ガルスは悪態をつきながら、剣先を下げる。

 

 来る。

 

「先輩」

 

 新入りが小声で言った。

 

「少しだけ時間を稼いでくれ」

 

「策が?」

 

「北神流なら引っ掛かる手が一つある」

 

 信用していいのだろうか。

 

 イカサマで牢へ入った男だぞ。

 

「……分かりました」

 

 でも、他に手はない。

 

 未来が重なった。

 

 ガルスが走り、聖獣も迎え撃つように突進する。

 

 ガルスが聖獣へ下から剣を振り上げる。

 

「『エクスプロージョン』!」

 

 聖獣を巻き込まないよう、ガルスの目の前に小さな爆発を起こす。

 

 だが、ガルスは地面へ飛び込むように転がり、聖獣の下を抜けた。

 

 未来が変わる。

 

 起き上がりざまの斬撃が次々と俺に放たれる。

 

「っ! (次は右から、その次は上からか)」

 

 予見眼でガルスの動きを追いながら、俺はガルスとの間に岩をせり上げ、後ろへ跳んで距離を取る。

 

「ちっ、これを避けるかよ!」

 

 ガルスは叫びつつ踏み込み、斬撃を放ってくる。

 

 見える。

 

 回避できる。

 

 エリスより速い。

 

 けれど、エリスほど読みにくい独特のリズムがあるわけでもない。

 

 そう思ったところで、未来のガルスが唐突に剣を持つ手を変え、身体をひねりながら跳躍した。

 

 一瞬、それが何かわからなかった。

 

 何のための動きなのか。

 

 意味が読めない。

 

「っ!」

 

 反射的に横へ動いた次の瞬間、足の甲へ激痛が走った。

 

「ぐっ……!」

 

 短剣が刺さっている。

 

 ガルスはブーツに仕込んでいた短剣を、足で投げたのだ。

 

 動きも、投げられる短剣も未来には見えていた。

 

 それでも、その意(・)味(・)ま(・)で(・)は(・)読(・)め(・)な(・)か(・)っ(・)た(・)。

 

「終わりだ!」

 

 剣が来る。

 

「ガルァァッ!」

 

 聖獣が肩へ噛みついた。

 

「邪魔なんだよ!」

 

 ガルスが振り払い、白い身体が木へ叩きつけられる。

 

「この!」

 

 岩砲弾(ストーンキャノン)を放つ。

 

 ガルスは剣で打ち落としたが、衝撃で剣が手から飛んだ。

 

 今だ、と思った。

 

 だが未来の中では、ガルスが屈んで足元に落ちていた剣を掴んでいる。

 

「……あ」

 

 そこでようやく分かった。

 

 いつの間にか俺は、さっきギュエスが捨てた剣のところまで下がらされていた。

 

 未来は見えていた。

 

 だが、その一つ一つが俺をここへ追い込むためのものだとは、気づけなかった。

 

「終わりだっつってんだろ、あがくなよ飼主ぃ!」

 

 ガルスが剣を拾い、踏み込む。

 

 間に合わない。

 

 俺は最後の望みを賭けて、両手へ魔力を集中させる。

 

 未来では、次の一撃で俺が斬られていた。

 

「北神流奇抜派──落涙弾!」

 

 背後から新入りの声が飛ぶと同時に、黒い小袋が俺の頭上を越えた。

 

 ガルスの顔色が変わり、剣を止める。一瞬迷った末、両腕で顔を覆った。

 

 袋がぶつかり、灰が舞う。

 

 ただの灰? いや、何でもいい。隙だ。

 

 集中させていた魔力を一気に解放する。

 

 次の瞬間、俺とガルスの間で炎を伴った爆発が起こった。轟音と衝撃に、身体が後方へ吹き飛ばされる。

 

「ぐっ……!」

 

 背中から地面へ叩きつけられ、息が詰まった。視界が大きく揺れ、一瞬意識まで飛びかける。

 

「……っ」

 

 全身が痛い。特に足なんて洒落にならない。

 

 足の甲に刺さっていた短剣は、吹き飛ばされた拍子に抜けたらしい。それでも傷口は焼けるように痛む。

 

 それでも、意識はある。

 

 顔を上げると、爆心地から黒煙がもうもうと立ち上っていた。

 

 何も見えない。

 

 けれど、手応えはあった。

 

 間違いなく当たった。それも、まともに。

 

「先輩!」

 

 新入りの声が聞こえた。

 

 そちらを見る。

 

 生きている。

 

 新入りも無事だ。

 

 聖獣も、木の根元で身体を起こそうとしている。

 

「……やった、か?」

 

 思わず声が漏れた。

 

「ああ、今のは──」

 

 新入りが答えかけ、その顔が不意に固まった。

 

「……!?」

 

「どうしました?」

 

「せ、先輩! ガルスが──!」

 

「え?」

 

 振り返る。

 

 その頃には、風に流された黒煙が薄くなり始めていた。

 

 その向こうには、抉れた地面と焦げた草、折れた枝が見える。

 

 だが──ガルスの姿がない。

 

「……ガルス?」

 

 どこへ──。

 

 ミシッ、と頭上で枝が軋んだ。

 

「……っ!」

 

 見上げる。

 

 薄暗い木々の上で、何かが動いた。

 

 ガルスだった。

 

「嘘だろ……」

 

 額から血を流し、服も焼け焦げている。爆発は確実に効いていた。

 

 それでも倒れず、巻き上がった黒煙に紛れ、俺たちが目を離した一瞬で近くの木へ取り付いていたのだ。

 

 ガルスの目が、真っ直ぐ俺を捉える。

 

「飼主ぃ……!」

 

 ガルスが枝を蹴った。

 

 しなった枝の反動と落下の勢いをそのまま乗せ、両手の剣ごと俺へ降ってくる。

 

「死ねぇッ!」

 

 まずい。

 

 俺はまだ地面に倒れたまま、足にも力が入らない。

 

 右目へ魔力を流す。

 

 未来が重なった。

 

 見えたのは、振り下ろされた刃が俺の頭へ食い込む光景。

 

 避ける──無理だ。

 

 転がる──間に合わない。

 

 魔術は──駄目だ。完成する前に斬られる。

 

 あ。

 

 死ぬ。

 

 ガルスの刃が目前に迫る。

 

 その瞬間。

 

 ──キン。

 

 澄んだ金属音が鳴った。

 

「……あ?」

 

 ガルスの刃は、俺の頭へ届く寸前で止まっていた。

 

 横から伸びた長い刀が、その剣を受け止めている。

 

 さっき見えた未来には、こんなものはなかった。

 

 いつの間にか、見覚えのある背中が俺の前に立っていた。

 

 長い髪に、見慣れた長刀。

 

「随分と危ういところへ入り込んだものだな、ルーデウス」

 

「……コジロー、さん?」

 

「ああ」

 

 見間違いじゃない。

 

 ガルスは刀を蹴るようにして反動をつけ、地面へ転がると、すぐに身体を起こして後ろへ跳んだ。

 

「てめえ……誰だ」

 

「何、ただの棒振りにすぎぬ」

 

「棒振りだぁ?」

 

「そこの小僧とは縁があってな。旅の連れというところだ」

 

 ガルスが俺を見て、もう一度コジローを見る。

 

「……こんなのが、まだいやがったのか」

 

「コジローさん」

 

「何かな」

 

「ガルスは北聖です」

 

「ほう」

 

 コジローの目が僅かに細くなる。

 

「北神流、であったか」

 

「知ってるんですか?」

 

「名だけはな。剣を見るのは初めてだ」

 

 なのに、少し楽しそうに見えた。

 

「なるほど。では丁度よい」

 

「何が丁度いいんです?」

 

「どのような剣か──見れば分かる」

 

 いや、相手は北聖なんですけど。

 

 俺が未来を見ても殺されかけた相手なんですけど。

 

 しかも今、爆発まで食らって、それでも殺しに来た男なんですけど。

 

 そんな感想を抱く俺とは反対に、ガルスの顔が歪んだ。

 

「……てめぇ、舐めてんのか!」

 

 地面を蹴る。

 

 あれだけ傷を負っていても速い。

 

 ガルスは剣を振るい、返しの横薙ぎから柄打ち、さらに蹴りへと繋ぐ。

 

 だがコジローは半歩ずつ身体をずらすだけで、そのすべてを外していった。

 

「なっ……」

 

 ガルスの表情が変わる。

 

 コジローの長刀が軽く動いただけで剣先が地面へ逸れ、その返す刃をガルスが飛び退いてかわした。

 

 胸元の服が浅く裂ける。

 

「ほう。今のを避けるか」

 

「……っ!」

 

 その言い方は、まるで試しているみたいだった。

 

 ガルスも気づいたらしい。

 

 今度は足元の泥を蹴り上げる。

 

 目潰し。

 

 だがコジローは顔を逸らすことすらせず、雨で濡れた地面を滑るように一歩前へ出た。

 

 泥がその後ろへ落ちる。

 

「な──」

 

 ガルスが身体を捻り、剣から拳、柄打ち、蹴りへと攻撃の形を次々に変えていく。

 

 さっき俺が何度も意味を読み切れなかった動き。

 

 それでもコジローは驚かない。

 

 むしろ、笑っていた。

 

「ほう、面白い」

 

「剣に拘らぬか。足も使えば、地も使う。周囲のものすら戦へ組み込む。そこにあるのはただ勝利のみ、か」

 

「卑怯だって言いてえのか?」

 

「いや。私の好みではない、というだけよ」

 

 コジローは笑った。

 

「戦とはそういうものであろう。勝つために使えるものを使う。何を恥じることがある」

 

 ほんの一瞬、ガルスの顔に意外そうな色が浮かんだ。

 

 それから獰猛に笑う。

 

「……そうかよ。なら遠慮はいらねえな!」

 

 踏み込む。

 

 今度は最初から攻撃を絞らない。

 

 剣が拳へ変わり、蹴りが柄打ちへ繋がり、その途中でさえ軌道が変わる。

 

 コジローは避けている──いや、違う。

 

 ほとんど動いていない。

 

 必要なのは、僅かな半歩だけだった。

 

 刀を僅かに傾け、刃に合わせていなす。

 

 それだけで、ガルスの攻撃はすべてそこを通れなくなる。

 

「くそっ!」

 

 ガルスが左へ動けば、コジローも一歩。

 

 右へ逃げれば、また一歩。

 

 そうして下がった先で、ガルスの背後に木が迫った。

 

「……!」

 

 ガルスが止まった。

 

 俺にも分かった。

 

 いつの間にか逃げ道がなくなっている。

 

 さっき俺がやられたことと同じだ。

 

 いや、もっとひどい。

 

 ガルスには選んでいるつもりがあった。

 

 だが実際には、最(・)初(・)か(・)ら(・)選(・)ば(・)さ(・)れ(・)て(・)い(・)た(・)。

 

 ガルスの顔から、さっきまでの笑みが消える。

 

「俺で遊んでいやがるのか?」

 

「さて」

 

 コジローの笑みが深くなる。

 

「初めて見る剣ゆえ、少々興が乗ったやもしれぬな」

 

「ふざけんな!」

 

 ガルスが強引に踏み込み、立て続けに刃を打ち込む。

 

 一度、二度、三度。

 

 それでもコジローは崩れず、息すら乱れていない。

 

 ガルスだけが、少しずつ追い込まれていく。

 

 やがて大きく後ろへ跳んで距離を取った。

 

 息が荒い。

 

「お前、ほんとに何者だ……? あのスペルド族のほかにも、こんな奴がいやがったのか……?」

 

 コジローは答えず、ただガルスを見ていた。

 

 やがて、ゆっくりと長刀の切っ先を下げる。

 

 追撃するつもりはないらしい。二人の間には十分な距離があり、しばらくは雨音だけがその間を埋めていた。

 

「なるほど。これが北神流か」

 

 コジローが静かに言った。

 

「十分見せてもらった。ここまでにしておくがよい」

 

「……何だと?」

 

「勝負はついた、ということよ」

 

 ガルスの顔が歪んだ。

 

 息は荒く、爆発で負った傷もある。武器だって、さっきまでのようには揃っていない。

 

「……ふざけやがって」

 

 それでもガルスは退かなかった。

 

 足元へ落ちている剣へ視線を走らせる。

 

 まだやる気だ。

 

 それを見たコジローの目が、僅かに細くなった。

 

「そうか、退かぬとあらば是非もない」

 

「まだだ!」

 

 ガルスの足が跳ね上がり、地面の剣が宙を舞った。

 

 同時に懐から二本の短剣が放たれ、さらにガルス自身もコジローとの間合いを一気に詰める。

 

 正面からの剣、死角を狙う短剣、そして本人。

 

 俺なら、予見眼がなければどれか一つで終わっていただろう。

 

 だが、コジローは一歩進んだ。

 

 長刀が閃く。

 

 宙を飛んだ剣が弾かれ、二本の短剣は半ばから断たれた。

 

「な――」

 

 それでもガルスは止まらない。

 

 腰へ手を伸ばす。

 

 まだ何かある。

 

 最後の隠し刃を抜こうとしている。

 

 ――その瞬間だった。

 

 それまでガルスの動きを受けていたコジローが、ここで初めて、明確に決着を取りにいったように見えた。

 

 一閃。

 

「……がっ」

 

 ガルスの身体が止まった。

 

 腰へ伸ばしていた手から力が抜け、二、三歩よろめいた末、そのまま雨に濡れた地面へ倒れる。

 

 もう動かなかった。

 

 さっきまで聞こえていた荒い呼吸も、今はない。

 

 コジローはそれ以上刃を振るわず、長刀についた血を払うと静かに鞘へ納めた。

 

「……コジローさん」

 

「ああ」

 

「ガルスは……」

 

 そこで言葉が止まった。

 

 見れば分かる。

 

 ガルスは死んでいた。

 

 ついさっきまで喋り、俺を殺そうとしていた男が、もう動かない。

 

 頭では分かっている。

 

 ガルスは最後まで戦うつもりだったし、コジローは一度攻撃を止めていた。あのままガルスがそこで戦うのをやめていれば、少なくともコジローの方から斬りかかることはなかったはずだ。

 

 それでもガルスは来た。

 

 だから、そういうことなのだろう。

 

 理屈では分かる。

 

 それでも俺には、簡単には割り切れなかった。

 

「……殺したんですね」

 

 自分でも妙なことを聞いたと思う。

 

 コジローは俺を見た。

 

「奴は最後まで退かなかったのでな」

 

 それだけだった。

 

 言い訳するでもない。誇るでもない。後悔しているようにも見えない。

 

 人が一人死んだこととはまた別に、その淡々とした態度が妙に引っかかった。

 

 この人にとって、命を奪いに来た相手へ剣で応じることは、俺が思っているよりずっと当たり前のことなのかもしれない。

 

 俺はしばらく言葉が出なかった。

 

 コジローがただ者ではないことなんて、とっくに分かっていたつもりだった。

 

 魔大陸を旅してきて、剣を振るうところは何度も見ている。魔物を斬るところだって、何度も見てきた。

 

 強い。

 

 ものすごく強い。

 

 それくらいは知っていたはずなのに、本当は知っていたつもりだっただけなのかもしれない。

 

 地面に倒れたガルスへ目をやる。

 

 北聖であり、ギュエスたち三人をほんの数秒で戦闘不能にした男だ。

 

 俺は予見眼で一秒先を見ながら戦った。それでも何度も殺されかけ、新入りと聖獣がいなければ、とっくに死んでいた。

 

 ガルスが爆発で傷を負っていたとはいえ、コジローは最後まで余裕を失わなかった。

 

 泥を使おうが、武器を投げようが、攻撃の途中で手を変えようが、最後まで隠し刃を残していようが驚きもしない。

 

 まるで、そのすべてを見届けた上で答えを出していたようだった。

 

 ぞくり、と背中が震える。

 

 怖い、というのとは少し違う。

 

 これまでずっと一緒に旅をしてきた男なのに、今になっても底が見えない。

 

「……コジローさんも、まさか未来とか見えてませんよね?」

 

「はて」

 

 コジローがこちらを見る。

 

「見えれば面白かろうが、生憎そのような眼は持っておらぬよ」

 

 冗談めかした答えだった。

 

 でも、だったらなおさら分からない。

 

 俺には未来が見えていた。それでもガルスが何をしようとしているのか、最後まで読み切れなかった。

 

 この人には未来なんて見えていない。

 

 それなのに、ガルスが次に何を使い、どこへ動き、何を狙うのかを、先回りするように潰していた。

 

 ――この男は、いったいどこまで「見えて」いるのだろうか。

 

 いや。

 

 この人が見ているのは、未来じゃない。

 

 今だ。

 

 それも、俺には底が見えないほど深く。

 

 相手の目や手足、呼吸、立っている場所、間合い、地面に落ちた武器。その全部を見て、そこから先を読んでいる。

 

 少し剣を習った程度の魔術師でしかない俺には、その境地がどれほどのものなのか到底分からない。

 

 未来が見える眼を手に入れたばかりの俺には、それが何より恐ろしく見えた。

 

「先輩!」

 

 新入りの声で我に返った。

 

「ぼさっとしてる場合じゃねえ!」

 

「あ、はい!」

 

 そうだった。

 

 まだ全部が終わったわけじゃない。周囲には攫われた子供たちもいるし、倒れた獣族の戦士たちもいる。

 

 まず、自分の足の傷に治癒魔術をかける。焼けるようだった痛みが引いたところで、立ち上がった。

 

「ぐっ……」

 

 声がした。

 

 ギュエスだ。

 

 胸を押さえながら、どうにか身体を起こそうとしている。

 

『動かないでください』

 

 俺はそちらへ向かい、胸の傷を見る。

 

 かなり深いが、致命傷ではなさそうだ。

 

 治癒魔術をかける。

 

『……なぜ』

 

『何がです?』

 

 ギュエスは俺を見た。

 

『俺はお前を牢へ入れて、話も聞かなかった』

 

『そうですね』

 

『それでも、なぜ俺を助ける』

 

 少し考える。

 

『だって、死なれたら、後で文句を言えないじゃないですか』

 

『……』

 

『だから、ちゃんと生きていてください』

 

 一瞬、ギュエスは呆けたような顔をしたが、やがて小さく笑った。

 

『そうか』

 

 それ以上は何も言わなかった。

 

「ところで」

 

 俺はコジローを見る。

 

「そもそも、どうしてコジローさんがこの森に?」

 

「昨日(さくじつ)、宿の前でガルスの名を耳にしてな。少々気になって、後を追った」

 

「ガルスを?」

 

「うむ。だが森の奥で奴らが散ってな。油壺を持つ者を放っておくわけにもいかず、そちらを追った」

 

「それで、その人たちを?」

 

「ああ、幾人か止めた。その後、子供を攫って逃げる者とも行き合ってな。片付いたところで戦いの音が聞こえたゆえ、こちらへ来たというわけだ」

 

 袖を見ると、血が付いている。

 

 コジローのものではないだろう。

 

「……なるほど」

 

「遅参したことは詫びよう」

 

「いえ、気にしないでください。」

 

 確かに遅かった。

 

 俺は死にかけたし、ギュエスも斬られた。

 

 でも、コジローがいなかった場所で助かった子供もいる。

 

 なら、何も言うことはない。

 

「戻りましょう」

 

「ああ」

 

「おう」

 

「ワン!」

 

 ギュエスたちが子供を集め、ガルスの亡骸は獣族の戦士たちが運ぶことになった。

 

 聖獣も俺の横へ来る。

 

 コジローは何事もなかったように歩き出した。

 

 その背中を見ながら、ふとエリスの顔が浮かぶ。

 

『ちゃんと帰ってきなさいよ』

 

 宿を出る前に言われた言葉を思い出す。

 

 俺も、帰らないとな。

 

 雨の中、俺たちは村へ戻った。

 

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