夫に書類の上で「病死」させられた奥様は、故人の身軽さで生き直します ~縁談も無心も呼び出しも、あいにく死んでおりますので~   作:kuratn

11 / 23
11. お祓い騒動

 夏は、匂いから来た。

 

 朝の花市に百合の香が濃くなり、水売りの氷は飛ぶように売れ、競りの声は日除けの下でいっそう威勢がいい。切り水の桶に朝日が刺さって、束ねる手の甲まで青く光る。帳場のインクは、うっかりすると昼前に固まる。故人になって、初めての夏である。生きて迎える夏が、こんなにやかましいものだとは、別邸の四年は教えてくれなかったのである。

 

 その盛りの朝に、あれは来た。

 

 鈴の音である。

 

 市場の入り口に古びた荷馬車が停まり、数珠と鈴を提げた男が降り立った。どこかで聞いた道具立てだと思ったら、お屋敷の井戸を清めたという、例の祈祷師である。男は市場の真ん中で袖を払い、よく通る声で口上を述べた。

 

「この市には、亡き貴人の霊が憑いておる!」

 

 朝の花市が、しんとした。

 

 半拍おいて、どっと沸く。やじ馬というのは、王都でいちばん早起きな生き物である。

 

「祓って進ぜよう。さる高貴なお方の、たってのご依頼での」

 

 鈴が鳴る。塩が撒かれる。撒かれた先は、うちの帳場である。

 

「ちょいとお待ちよ!」

 

 ペトロネラの怒声が、競りの声をまとめて黙らせた。

 

「うちの帳場を祓うんじゃないよ! 数字が狂う!」

 

「し、しかし、霊というものは帳場に憑くと相場が」

 

「憑いてるのは達筆だよ! 塩なんぞ撒いたら、インクが湿気るじゃないか!」

 

 言い合う二人の間で、当の霊は、帳面に散った塩をそっと払っていた。祓われる側の見物というのは、なかなかできない経験である。

 

 祈祷師が、ふとこちらを見た。目を細め、数珠を握り直す。

 

「……おぬし。妙に、影が薄いの」

 

「よく言われますの。四年ほど、日陰におりましたので」

 

「道理での。むう、念のため、清めておこうかの」

 

「まあ。お代は、お屋敷持ちかしら?」

 

 鈴を三度振られ、ぬるい聖水を額に一滴いただいた。ありがたいことである。効き目のほどは、のちほど。

 

 騒ぎを収めたのは、結局のところ銭金の話である。ペトロネラが「商いの邪魔賃を取るよ」と凄むと、祈祷師は急に商人の顔になった。

 

「わ、わしとて好きで来たのではない。周旋屋(しゅうせんや)の口利きでな。お屋敷の御用は、西の橋のあすこが、まとめて回してくるんじゃ」

 

「あすこの口利きは、お祓いまで扱いますの?」

 

 帳場から口を挟むと、祈祷師は塩の袋を抱え直して、こともなげに言った。

 

「扱うとも。この春の、ご葬儀の人夫の口入れも、あすこの仕事じゃ。……お屋敷から此度も金貨一枚いただいておるでな、念入りにやらんと義理が立たん」

 

 ご葬儀の人夫。棺を運びながら「軽うございましたなあ」とこぼした、あの二人である。葬儀の万事とお祓いが、同じ窓口から出てくる。覚えておいて損はなさそうな符合である。帳面の隅に書くかわりに、胸の帳面へ書き留めておく。

 

 帰り際、祈祷師はペトロネラに袖を引かれ、詫び代わりにと白い花をひと束買わされていた。

 

「魔除けには、白い花がええそうじゃの」

 

「あら、お目が高い。……故人のお好みですのよ」

 

 幽霊除けの花を、幽霊の帳場で買って帰る。世の中の帳尻というものは、だいたいこのあたりで合っている。男は市場を三周し、四隅に塩を盛り、最後にたいそう険しい顔で唸ってみせた。

 

「……根が、深い」

 

「あらあら」

 

 根の深さなら、保証する。何しろ、四年ものである。

 

       ◇

 

 お祓いの効き目は、てきめんだった。ただし、逆向きに。

 

「お祓いをしたってことは……本当に出るんだねえ」

 

 客というのは、そういうふうに考えるものらしい。噂は「出るかもしれない」から「出ると決まった」へ格上げされ、白い花はまた品薄になり、隣の区からわざわざ幽霊見物の客が来る。ペトロネラは笑いが止まらない。

 

「あの祈祷師、月に一度呼ぼうかね」

 

「お代が金貨ですわよ」

 

「なら、年に一度だ」

 

 現金な雇い主である。

 

       ◇

 

 夕方、店じまいの帳場に、日傘が寄った。昼間の顛末は、とうに耳へ入っているらしい。

 

「お清めを、受けられたそうですね」

 

「ええ。ぬるい聖水を、額に一滴」

 

 私はその額を指さして、胸を張ってみせた。

 

「わたくし、祓われておりますわね」

 

「効いていないようで、何よりです」

 

 冗談の顔をせずに言って、彼は帳場に残った塩を指先でつまみ、几帳面に紙へ包んだ。インクが湿気るといけません、だそうである。

 

 祓われる、というのは、つまり「あなたは死んでいる」と表を向いて言われることである。昼間は見世物のつもりで笑っていたのに、日の落ちた帳場で思い返すと、鈴の音の名残が薄ら寒い。世間さまにとって、わたくしは、塩を撒いて追い払う影らしい。

 

 その影に向かって、この人は「効いていないようで、何よりです」と言うのである。生きているのが、何より。回りくどいにもほどがあるけれど、回りくどさというものは、ときどき、まっすぐより温かい。

 

 鈴の音の名残は、それで消えた。

 

 ――帰り支度の雑踏の中である。

 

 人波の向こうから、女の声がした。花の担ぎ売りを呼び止めて、道を尋ねている。

 

「もし。リンデンタールの奥様のお墓は、どちらの丘へ行けばよろしいんやろか」

 

 振り向いたときには、声の主は人波に呑まれていた。

 

 ――領地の(なま)りである。それも、聞き覚えのある。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。