夫に書類の上で「病死」させられた奥様は、故人の身軽さで生き直します ~縁談も無心も呼び出しも、あいにく死んでおりますので~ 作:kuratn
追悼慈善会の花の見積もりは、皮肉なことに、うちの帳場へ来た。
お仕着せの小僧が差し出した書付には、大奥様のご指定として、こうある。『白薔薇、三百』。
「亡き奥様が、こよなく愛した花だそうです」
「まあ」
初耳である。当のご本人に。
白薔薇三百。値を弾くと、なかなかの金額になった。私は帳場で筆を舐め、見積もりを二通り書くことにする。一通り目は、仰せの通りの白薔薇三百。二通り目は――。
「故人の好みではございませんわね。故人は、野の花がお好きでしたそうよ」
「え? どうして分かるんです?」
「ご縁者に聞きましたの。確かな筋ですわ」
野の白い花と季節の青を主に、白薔薇はほんの締めに一輪ずつ。値は、三分の一。趣意の欄には一言添えた。『故人のお好みに、忠実を期しました』。
翌日、返事が来た。安い方で、と一言である。大奥様のご指定はどうなったのかと小僧に聞けば、家令どのの一存だとか。台所事情のよく知れる、いいお返事である。
◇
会の当日、花市は総出で搬入だった。
王都の集会堂は、吹き抜けの広間に夏の光が落ちる、石造りの建物である。石の匂いのする裏口を、切り水の香が押しのけて通る。若い衆が野の花の桶を運び込み、私は搬入口の日陰で束の割り振りの指図をする。広間がみるみる野の花で埋まっていく様は、祖母の家の庭をそのまま広げたような眺めである。青と白の間で光が揺れて、風の通り道まで庭に見えてくる。故人の追悼会場として、これ以上の忠実はない。ご本人が申すのだから、間違いない。
四年のわたくしを悼む席なら、絹よりも薔薇よりも、この花たちのほうが、よほど正直である。
表玄関の方角に、義母がいた。
クリームヒルト大奥様。喪の色の正装で、扇を手に、招かれ客を迎えている。四年前の婚礼以来、遠目にも初めて見るお姿である。背筋が、勝手に伸びた。あの家の躾というものは、骨まで浸みているらしい。
浸みてはいるが、震えては、いない。
それだけ確かめて、私は頭巾を直し、搬入口の日陰へ戻った。王都でわたくしの顔を知る、数少ないお一人である。花市の売り子の顔まで見る道理はないにせよ、わざわざ目を合わせる趣味も、こちらにはない。
会は、盛況だった。ただし、大奥様の思惑とは、だいぶ違う方角に。
開け放した窓の下を通ると、扇の陰の話し声が、切れ切れに降ってくる。
「ほら、例の……花市に、お出になるという」
「まあ、こわい。でも、少し素敵ねえ」
「お花のお好きな幽霊ですって。今日のこの野の花も、なんだか、ねえ?」
追悼の会で、追悼される当人の幽霊話が社交の華である。噂を払うために開いた会だと聞くけれど、薪を集めて火が細るためしはない。
そして肝心の花については。
「白薔薇を並べ立てないのが、かえって慎ましくて、感じがようございますこと」
「大奥様のご趣味かしら? 見直しましたわ」
ご趣味は白薔薇三百でしたのよ、とは、誰も知らない。面目というものは、こういうふうに、本人の知らない帳尻で立ったり潰れたりするのである。
◇
夕暮れ、集会堂のひとつ裏の通りで、日傘と落ち合う。
菩提樹の並木が、長い影を石畳に落としている。親族席の勤めを果たしてきた人は、めずらしく、少しくたびれた顔をしていた。
「故人の偲ばれ心地は、いかがでした?」
「花だけは、ようございましたわ」
「でしょうね。……あの花を選んだ帳場に、心当たりがあります」
「あら。どこの達筆かしら?」
並木の下を、ゆっくり歩く。彼はひとつだけ、勤めの話を落とす。
「会場の入り口に、募金の箱がありました。『伯爵家を通じ、領地の救済に充てらるる』と」
「ご立派な口上ですこと」
「領地の救済は、本来、先代の基金の仕事です。その基金の中身がいまどんな有様か、目付のわたしが、いちばんよく知っています。……穴の空いた樽に皆で水を注ぐのを、樽の栓を抜いた当人が、腕組みで見物している図です」
声は静かで、けれど怒っている。この人の怒りは、声を荒げない。数字の合わないときの顔で、合わない理由を、じっと見ているだけである。
「善意のお金まで、あの穴に吸われますのね」
「吸われるでしょう。……今は、まだ、止められません」
今は、まだ。その四文字を、私は手帳の隅に書きつけるように、胸の内へ刻んでおく。
並木の切れる角で、彼はふと足を止め、広間の方角を振り返った。
「……今日の会場は、どなたかの庭のようでした」
「あら。どなたの庭かしら?」
「さて。……山査子の、似合いそうな」
似合いますわよ、とは言わないでおく。言わない代わりに、帰ったら生垣の山査子に、たっぷり水をやろうと思った。
◇
同じ夜、伯爵邸の奥の間で、クリームヒルトは手文庫を開けた。灯りは手元の蝋燭が一本きりである。数えた金貨を封筒に収め、宛名は西の橋の周旋屋。用途の欄は、空白のまま。書けない用事ほど高くつくことを、この人は誰より知っている。廊下の足音が遠ざかるのを待ち、封蝋の匂いの中で手が一度だけ止まり――それから、何事もなかったように動く。使いに持たせる朝まで、封筒は手文庫のいちばん底で待つのである。
――会の帰り道である。
川沿いの通りに、夜店の組み立てが始まっていた。紅白の幕、提灯の列、芝居小屋の
「夜市の季節、ですわね」
誰にともなく言って、私は手帳の先の頁を、ぱらりと一枚めくっておいた。