夫に書類の上で「病死」させられた奥様は、故人の身軽さで生き直します ~縁談も無心も呼び出しも、あいにく死んでおりますので~ 作:kuratn
申立ては、受理された。
冬の残りは、支度に暮れていく。証しの書付が揃えられ、証人の顔ぶれが固まり、封の外の段取りが組まれる。台所の卓には封蝋の赤い滴が点々と増え、彼の指は近ごろ、いつもインクの色である。ズザンネの誓約の書付には、几帳面な繕いのような字が並んだ。字は人に似るのである。年越しの鐘は、市場で聞いた。ペトロネラの音頭で、市場の仲間と、生者と故人のごちゃまぜで聞いた、騒がしくてあたたかい鐘である。鐘の数は、数えなかった。数えなくても、隣の賑やかさで足りていたからである。
年が明けて、教会から一周忌法要の召集が出た。召集は教会の名で出る。親族一同、欠席はできない。法要の席が、そのまま糺しの場になることを、伯爵家側はまだ誰も知らない。知っているのは、こちらの帳面二冊と、当局と、証人の顔ぶれだけである。
「評定官どのの同席も、整いました。エーヴァルト様という、沙汰の口上しか喋らないと評判のお方だそうです」
「まあ。頼もしいこと」
「ええ。沙汰に、余計な言葉は要りませんので」
◇
仕立て屋の鏡の前に、私は立った。
喪服は、丁寧に畳み直して仕舞った。春のあの日、古着から二日で仕立て直した、故人生活の一着目である。ずいぶん世話になった。世話になったから、そろそろ休ませて差し上げるのである。
「ご不幸の、明けで?」
「ええ。わたくしの、ですの」
「……はあ」
仕立て屋は分からない顔のまま、寸法を取った。物差しが肩を渡り、袖を下り、そのたび鏡の中の輪郭が、少しずつ春の形になっていく。鏡の中の女は、春に喪服を仕立て直した女と、同じ女である。同じ女なのに、頬の色が違う。四年の別邸で薄れていた血の色が、花市の一年ちかくで、ちゃんと戻っている。生き返りというものは、書類より先に、頬から始まっていたらしい。
◇
その晩の台所で、彼は帳面を閉じたまま、長いこと黙っていた。
段取りは、もう
「……白状を、ひとつ」
「伺いますわ」
「立証が進むほど、怖かった。あなたを生き返らせることが、あなたをあの家へ返すことになるのが。……わたしの沈黙は、あなたのためだと思っていました。半分は、わたしのためでした」
蝋燭の火が、彼の手元で小さく揺れた。
「故人のままのあなたなら、金曜は、ずっと来ると思っていたのです」
金曜。書類の山と、焦げた菓子と、二冊の帳面の金曜である。この生真面目な人は、その金曜を失うのが怖くて、封の重さを一人で抱えて、春からずっと黙っていたのである。私のためが半分、自分のためが半分。上等な帳尻だと、私は思う。片方だけの帳面より、両方載っている帳面のほうが、よほど信用できる。
四年、待つことすら求められなかった女に、毎週欠かさず来る金曜があった。その金曜が、この人の怖さの中身だったのだ。怖さの中身まで、正直な人である。
「子爵様。わたくしの戻る先は、家ではございませんの。予定ですわ」
手帳を開いて、見せた。一周忌の日付の下に、新しい一行を書き入れる。
『生き返る』
「生き返っても、金曜は金曜ですの。……お約束いたしますわ」
彼は頁を長いこと見て、それから、生真面目にうなずいた。
「では、その次の金曜の分も、いまから予定に」
「あら。気の早いこと」
◇
リンデンタール伯爵邸では、一周忌の「
――そして、一周忌の朝が来る。
山査子の家の窓に、大聖堂の鐘が届く。春の匂いのする風が、生垣の若芽を揺らしている。まる一年前、黒枠の触れを三度読み返した朝と、同じ季節の匂いである。
今日の欄には、朝のうちに書き込んである。『生き返る』。去年の春、弔いの日付しかなかった帳面の、いちばん新しい一行である。
私は春色の一枚を着て、その上に、濃い喪のヴェールを重ねる。会場までは、去年と同じ「遠縁のヴェラ」である。会場からは――。
鏡に一礼して、家を出た。鞄の中の予定帳が、静かに重い。重いのは紙ではない。書いた字のほうである。