夫に書類の上で「病死」させられた奥様は、故人の身軽さで生き直します ~縁談も無心も呼び出しも、あいにく死んでおりますので~   作:kuratn

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26. 一周忌

 一年前、私はこの席で、自分のお葬式に参列した。

 

 今日は同じ席で、自分の一周忌に参列している。進歩がないようだけれど、これでなかなか、大きな進歩である。何しろ今日は、帰りに、このヴェールが要らない。

 

 大聖堂は、去年より賑やかである。厳修(ごんしゅう)のお指図で、聖歌隊は倍、燭も倍、白い花は三倍。ちなみに花の納めは花市で、見積もりと束の指図は帳場の達筆が承った。自分の一周忌の花を自分で束ねるのも、これで見納めである。

 

 席次も、去年の再演だった。喪主の席に夫。その隣に義母。親族の列に叔父。少し離れて、ヴィーデマン商会の父娘。末席に、濃いヴェールの「亡き夫人の遠縁」。

 

 去年と違うものは、二つ。祭壇の脇に、王室評定所の評定官エーヴァルト様の席が設えてあること。それから、このヴェールの下が、喪の黒ではなく、春色であることである。

 

 法要は、滞りなく進んだ。倍の聖歌隊が、倍の声で、故人の安らかな眠りを歌い上げる。ご心配なく。当の故人は、昨夜もぐっすり眠っております。

 

 歌が終わり、香の煙が細くなる。

 

 ――そのときである。

 

 祭壇の前に、老審問官アンゼルム師が立った。四角四面の顔が、満座をゆっくりと見渡す。

 

「ご参列の方々に、当局より申し上げる。本日、教会は、この葬礼について糺すべきことがございます」

 

 大聖堂が、水を打ったようになる。

 

 最初の宣は、静かだった。一年前、当局は本葬礼につき非公開の申告を受理し、〈保護の留保〉を宣したこと。本件が今日まで秘されてきたのは、当局の受理せるところであること。申告者の名は、バルドゥイン子爵――ざわめきが走る中、師は続けて、一枚の書状を読み上げた。

 

「申告者バルドゥイン子爵は、本日に先立ち、リンデンタール伯爵位の継承権を放棄する旨、当局と評定所とに届け出ておる。……本件の糺しにより、申告者が利を得ることは、ない」

 

 どよめきの矛先が、迷子になった。従弟が従兄を追い落とすのだろうという分かりやすい筋書きが、いま最初に潰されたのである。手回しのいいことである。誰の手回しかは、聞くまでもない。

 

 そして師は、文書庫の封を、満座の前で開いた。

 

 封蝋の割れる音が、高い天井に、ぱきりと響く。ヴェンツェル先生が進み出て、手元の副封と一枚ずつ引き合わせていく。

 

「棺の検分記録。埋葬前夜、人夫二名の立会のもと検めたるところ、棺の中身は――砂嚢と、石灰」

 

 満座が、揺れた。

 

「死亡診断書の認証写し。署名はモーザー医師。……医師モーザー、前へ」

 

 医者は青い顔で、しかしまっすぐに歩み出て、宣誓した。診ていないこと。署名の日、王都の競馬場にいたこと。署名の代価は金貨十枚、名目は「弔慰」――周旋屋の帳面の写しが、支払いの日付ごと読み上げられて、金の筋を裏書きする。

 

 次は家令である。ヴィンフリートは震える声で、届書の整えも、触れの発送も、指図のままにしたことを認めた。保身の男は、保身の順に転ぶ。転んだ先が証言台なのは、あの雑な名簿仕事への、いちばん似合いの報いである。

 

 最後に、ズザンネが立った。

 

「あてらに暇が出たのは、『ご逝去』の前の日でございます。その朝まで、奥様は、お庭の花に水をやっとられました」

 

 まっすぐな領地訛りが、高い天井へ吸われていく。日付の勘定は、誰の胸の内でも同じ答えを出す。使用人の全員に暇を出した翌る日に、人がひとり、流行病で急に死ぬものだろうか――。

 

 夫は、立ち上がろうとして、立てなかった。

 

「ダンクマール伯。申し開きは?」

 

「わ、私は……妻は……」

 

 妻は。その先が、続かない。生きている、と言えば偽装の白状であり、死んだ、と言えば棺の砂嚢が反証する。一年、抽斗の奥へ押し込んできた言葉の続きを、この人はとうとう、満座の前で探す羽目になったのである。

 

 老審問官は、それ以上は追わなかった。追う代わりに、静かな声で、満座に問う。

 

「――では、夫人は、どこにおられるか?」

 

 私は、立ち上がった。

 

 末席から祭壇へ、石の床を歩く。一年前と同じ道、一年前と同じ靴音である。違うのは、歩く先に棺がないことと――祭壇の脇に、初めから、あの生真面目な人が立っていることである。打ち合わせどおりの立ち位置で、打ち合わせにない目をして、こちらを見ている。

 

 私はヴェールの端に、指をかけた。

 

 指先が、一度だけ震える。怖いのではない。一年ぶんの朝と晩が、いっぺんに指先へ集まってきたのである。黒枠の触れの朝。花市の音の洪水。夕立の手巾。焦げた菓子。雪の夜の、袖をつかんだ冷たい手。ぜんぶ、この布一枚の下で拾ってきたものである。

 

 持ち上げる。布一枚は、羽根のように軽い。一年着ていたにしては、あっけないくらいの軽さである。

 

 春色の肩から、ヴェールが滑り落ちた。

 

「――あいにく」

 

 満座の息を、ひとつ吸う。

 

「生きておりますの」

 

 大聖堂が、割れた。どよめきと、悲鳴と、椅子の倒れる音。義母の顔から色が消え、ロザリンデ嬢の目が見開かれ、叔父はなぜか十字を切っている。生きている女に十字は要らないのだけれど、あの方の中では、私はまだ半分幽霊らしい。

 

 喧噪(けんそう)のまんなかで、老審問官だけが、四角四面のままだった。

 

「静粛に。――では、糺しを始めます」

 

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