夫に書類の上で「病死」させられた奥様は、故人の身軽さで生き直します ~縁談も無心も呼び出しも、あいにく死んでおりますので~ 作:kuratn
弔問客の第一号は、丸い体つきの老男爵夫人である。
亡き祖母の、若い頃からのお友達だという。山査子の家の応接間――といっても、祖母の残した古い長椅子がひと組あるだけの部屋――で、私は故人のために香を焚き、故人の茶器で、故人を偲ぶお茶を淹れた。
なお、給仕をしているのが当の故人であることは、この際措く。
香は、戸棚の奥にあった祖母の残りものである。火を移すと、細い煙がまっすぐ立って、覚えのない匂いがした。祖母の家の匂い、というものを、私はこの家に来て初めて知ったのである。
「まあまあ、ウルズラの茶器。懐かしいこと」
老夫人は青い絵付けの湯呑みを両手で包み、目を細めた。それから、居住まいを正す。
「今日はね、ヴェラさん。亡くなった奥様の――ヴェロニカ様の、お人柄を伺いたくて参りましたの。ウルズラがあんなに案じていた孫娘さんが、どんな方に育って、どんなふうに逝かれたのか。……お墓に持っていく話が、欲しいのよ」
さて。故人の人柄を、故人が語る。妙な注文だが、引き受けるしかない。
「気の利かない、地味な方だったと伺っておりますわ」
「あら」
「お話も下手で、社交も苦手で。四年もお嫁にいらして、王都に一度も顔をお出しにならなかったくらいですもの」
「まあ……それは、寂しい方ねえ」
「ええ。ですけれど」
湯気の向こうで、言葉が勝手に続いた。
「手仕事は、丁寧な方でしたそうよ。繕い物と、帳面つけと、庭いじり。誰も見ていない仕事ばかり、妙に上手におなりになって。……ご本人は存外、退屈していなかったようですわ」
「あなた、よくご存じねえ」
「遠縁ですので」
便利な言葉である。
「最期は、お苦しみになったのかしら?」
「いいえ、ちっとも」
これだけは、自信を持って請け合った。
「当人は、けろりとしたものだったと伺っておりますわ。……むしろ、清々していたとか」
「あらまあ。それは、何より」
それから老夫人は、私の知らない祖母の話をたくさんしてくれた。若い頃のウルズラが市場の男と大喧嘩をして、翌日には貸しをひとつ作って帰ってきた話。口は悪いが、値切った先の店の子どもには飴を買った話。そして――嫁いだ孫娘を案じて、王都から領地の教会まで、内緒で様子を聞きに行っていた話。
「教会で、司祭様に何を聞いていたと思います? 『あの子は、ちゃんと食べているか』ですって。それから『あの子は、笑うことがあるか』。……変な人よねえ。手紙で本人に聞けばいいのに」
聞かれても、あの頃の私は「息災です」としか書かなかっただろう。祖母はたぶん、それを知っていたのだ。
「あの人ね、最後の年に言っていたのよ。『あの子には、わたしの家を継がせる。あの家には釘一本も渡さない』って。……何か、思うところがあったのでしょうねえ」
おばあさま。
茶器を持つ手が、少しだけ重くなる。文のやり取りだけの、遠い祖母だと思っていた。その人は遠くから、ちゃんと見ていてくれたのだ。孫娘が「静養」の名で仕舞い込まれたことも。たぶん、その意味も。この茶器の青も、この家の山査子も、あの遺言の釘の一本も、ぜんぶ――。
「――ヴェラさん?」
「いえ。故人も、喜んでおりますわ。こんなに偲んでいただいて」
「そうねえ。……それにしてもあなた」
老夫人は、ひょいと眼鏡を上げた。
「若い頃のウルズラに、よく似てらっしゃること」
湯呑みの中で、お茶がわずかに揺れた。
「……よく言われますの。遠縁ですので」
「そうよねえ。血は争えないわねえ」
老夫人はころころ笑って、それ以上は何も聞かずに帰り支度を始めた。年の功というのは、聞かない技術のことかもしれない。
◇
玄関先まで送りに出ると、生垣の外にちょうど、見知った日傘が停まるところだった。書類の束を抱えたバルドゥイン子爵である。
「おや、お客様でしたか?」
「ちょうどお開きですの」
老夫人は私と彼を順繰りに眺め、それはそれは楽しそうに目を細めた。
「あらあら。……まあまあ」
「ご、誤解ですわ」
「何も申しておりませんよ。ほほ」
ほほ、ではない。老夫人は上機嫌で馬車に乗り込み、窓から身を乗り出して言った。
「ヴェラさん。また偲びに参りますからね。次はもっと、湿っぽくないお話を聞かせてちょうだいな」
馬車が角を曲がるのを見送って、彼が首を傾げる。
「……湿っぽくない話、とは?」
「さあ。故人の交友の広さに、驚いておりますの」
夕暮れの生垣で、山査子の白い小花が揺れている。祖母の見ていた庭である。管理人はやかんに水を汲み、湯呑みをもうひとつ、棚から下ろした。
――その翌週である。今度の先触れは、夫家の親族からだった。曰く、「形見分けの儀について、ご相談いたしたく」。形見も何も、故人の持ち物は一切合切、あの家に置いてきたはずなのだけれど。
狙いは、たぶん、この家である。