夫に書類の上で「病死」させられた奥様は、故人の身軽さで生き直します ~縁談も無心も呼び出しも、あいにく死んでおりますので~   作:kuratn

7 / 23
7. 無心のお手紙

 叔父の手紙は、三枚組である。

 

 一枚目は、時候の挨拶と、亡き姪への涙ながらの追悼である。二枚目は、両親を亡くした姪をいかに慈しんで育てたかの、覚えのない思い出話である。『あの子の笑顔だけが、わが家の灯でございました』とある。あの家で笑った記憶は、あいにく手元にない。三枚目で、ようやく本題が来た。

 

『ついては、亡き姪の遺産について、育ての親として一言申し上げたく――』

 

「なるほど」

 

 山査子の家の台所で、向かいの席のバルドゥイン子爵が、生真面目に三枚目を眺めている。金曜の訪問のついでに、と言いつつ、この人は近ごろ、週の半分はこの台所で書類を広げている。管理人としては、家がよく使われて何よりである。

 

「公証人の事務所へも、同じ趣旨の文が届いたそうです。ヴェンツェル先生は『拝読しました』の一行で返したと」

 

「先生、お強いこと」

 

「あなた宛てのこれは、いかがなさいます?」

 

「もちろん、お返事いたしますわ」

 

 彼の眉が、わずかに動いた。

 

「……お返事を、なさるのですか?」

 

「放っておくと、次はもっと厚いのが参りますのよ。ああいうお手紙は、早めに、丁寧に、折るに限りますの」

 

 紙とペンを引き寄せる。一枚目は、礼儀正しく書きすぎて、無心を受ける側の手紙になった。破棄。二枚目は、正直に書きすぎて、果たし状になった。破棄。読み上げたら、向かいの生真面目な顔が「それは出せません」と真顔で止めたのである。三枚目で、ようやく釣り合いが取れた。故人の縁者として、礼儀正しく、心を込めて。

 

『拝復。ご無心の趣、確かに承りました。

 

 あいにく、故人ですので。

 

 故人の財布は開かず、故人の心は、もう痛みませんの。

 

 なお、育てていただいたご恩につきましては、故人が生前、四年前の婚礼にてお支払い済みと伺っております。ご確認くださいませ。 ――亡き姪の縁者・ヴェラ』

 

「……最後の一文は、いささか」

 

「あら。事実ですのに」

 

 事実である。あの縁組で、叔父は伯爵家から支度金を受け取った。私という支度で。

 

 ペン先が、そこで少しだけ止まった。

 

 二十歳の春の食卓を、久しぶりに思い出したのである。今度の縁組はお前のためだ、と言った叔父の声。悪い話ではない、伯爵夫人だぞ、と。皿の上のスープが冷めていくのを、ただ見ていたのを覚えている。私は「はい」と言った。あの頃の私は、「はい」以外の言葉を、あまり持っていなかったのだ。持たされて、いなかったのだ。

 

 怒ってもいい場面だった、と今なら分かる。あのときも。このお手紙にも。

 

 けれど、怒りは来ない。胸の奥を探っても、そこにあるのは静かな乾きだけである。冷めたスープを見ていたときと、同じ乾きだ。

 

「……まあ、便利な体ですこと。死んでおりますと、腹も立ちませんのね」

 

「――それは」

 

 彼が何か言いかけて、やめた。この人はいつも、言わないことを、言わないと決めるまでに一拍かかる。その一拍が、妙に誠実である。

 

「いえ。……返事の文面は、完璧です」

 

「でしょう? 故人は、文章が上手ですの」

 

 封をして、蝋を落とす。それで用件は終わりのはずだったのに、二人してなぜか文面を読み返し、「ご確認くださいませ」の一行で同時に噴き出した。笑うような文ではないのである。ないのだけれど、夜の台所で読む断り状というものは、妙に可笑しいのである。蝋燭の火が、笑い声のたびに揺れた。

 

 笑いながら、胸の隅で小さく思う。怒れない女が、怒りの代わりに覚えたのが、この断り状の書き方なのだろう。悪くない代用品である。当面は、これでいい。

 

 ――――。

 

 その週のうちに、噂は市場を出て、貴族の耳に届いたらしい。

 

「亡き伯爵夫人の幽霊が、花市に出るんですって」

 

 店先で、お忍びらしい貴婦人がひそひそと連れに囁いていく。お買い上げは、魔除けだという白い花束である。連れの侍女は、青い顔で市場の四隅へお辞儀をしていた。四隅のどこにも、幽霊はいないのだけれど。強いて言えば、お会計の窓口にいる。

 

「白いお花は、魔除けになりますの?」

 

「なるとも。亡くなった方の好きだった花を飾ると、悪いものが逃げるのよ」

 

「まあ。……では、季節の野の花もお入れいたしますわね。故人のお好みですの」

 

「あら詳しい。ではそれも」

 

 魔除けの効き目は保証しかねるが、花の見立ては保証する。

 

 花市の白い花は、おかげで品薄になった。仕入れを倍にして、帳面をつける。幽霊の風評被害ならぬ、風評利益である。ペトロネラは上機嫌で、鼻歌まじりに白薔薇を並べ直していた。

 

 帳場の隅で、手帳を開く。弔いの日付は、相変わらずそこにある。ただ、その前後に、仕入れだの傘だの昼食だのの字が増えて、頁がずいぶん、混んできた。混んだ頁を眺めるのは、存外、悪くない心地である。

 

 その混んだ頁の真ん中に、次の弔いの日付が待っている。月命日が、近い。倍の花に、幽霊の噂に、祈祷だなんだと騒がしいあのお家のことである。今度のお参りは、少し、賑やかなことになりそうな気がした。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。