夫に書類の上で「病死」させられた奥様は、故人の身軽さで生き直します ~縁談も無心も呼び出しも、あいにく死んでおりますので~ 作:kuratn
月命日の朝は、よく晴れた。空は高く、風は乾いて、墓参りをするには上等すぎる日和である。
墓地は王都の北の丘にある。石畳の坂を、花をひと抱えして上る。朝の空気は洗い立てで、坂の途中の糸杉で小鳥が鳴いていた。倍注文の白い花束――ではない。あれは伯爵家の註文で、こちらは私物である。野の白い花を、仕入れ値で一束。
「お花代は、身内価格ですの」
誰にともなく言い訳をして、墓前にしゃがむ。
立派になった白大理石に、私の名前が彫ってある。ヴェロニカ・リンデンタール。享年二十四。安らかに眠れ、と。
眠っていないのだけれど。
自分の
伯爵家の倍の花は、すでに石の前に山と積まれていた。その脇へ、野の花をことりと置く。大仰な白百合の隣で、野の花はいかにも居心地が悪そうで、それがなんだか自分のようで、少し笑った。墓前の生花が絶えない、と近ごろ噂だそうである。絶やしていないのは、主にわたくしである。
――そのときである。
砂利を踏む音がして、影が伸びた。振り向いて、扇を持つ手が半拍止まる。
夫である。
ダンクマール・リンデンタール伯爵。供も付けず、喪章だけつけて、亡き妻の墓前に立っている。むこうも私に気づいて、石のように固まった。
墓と、私と、夫。三者面談である。当の墓の中身が立っているのだから、これほど間の抜けた構図もない。
「あ……」
「う……」
沈黙の間、夫の額に汗が浮くのを、私は扇の陰から見ていた。よく晴れた朝で、坂を上れば汗もかく。かくけれど、あれは坂の汗ではない。
先に折れたのは、あちらだった。
「望みは……何か?」
「はて……?」
私は立ち上がり、完璧な礼を差し上げた。膝を折る深さも、首の角度も、婚礼の日に教わったとおりである。教わった相手に向けて使う日が来るとは、あの日は思わなかった。
「私は故人の遠縁ですの。――よい奥様でしたそうですわね。お棺が、ずいぶん軽かったとか」
軽かった、のところで、夫の喉が上下した。言いたいことはいろいろあるのだろう。けれど言えば、その先に続く問いは全部、ご自分の首へ帰っていく。妻が生きているなら、あの死亡届は何なのか。あの葬儀は、あの棺の中身は、何だったのか。
夫は口を三度開いて、三度閉じ、絞り出すように言った。
「……墓に、近づくな」
「あら。どなたの墓に、どなたが、ですの?」
返事は、なかった。夫は
……あの人は、墓に詫びに来たのだ。
花を倍にして、石を立派にして、それで帳尻が合うと思っている。詫びる相手は石の下ではなく、たったいま目の前で礼をした女だということは、考えの外らしい。石は文句を言わないから、詫び先として都合がいいのだろう。
◇
同じ日の夕、リンデンタール伯爵邸に、みすぼらしい荷馬車が着いた。降りたのは数珠と鈴を提げた祈祷師である。曰く、屋敷の井戸が夜ごと鳴くのは障りの証。当主はすがるように頭を下げ、金貨で祓いを頼んだ。祈祷師は井戸を三度回り、鈴を振り、たいそう険しい顔で「根が深い」と唸ってみせた。なお井戸が鳴くのは、滑車が古いからである。油を差せば済むことに、金貨が一枚消えていく。
◇
坂の下で、日傘が待っていた。
「お参りでしたか?」
にっこりとほほ笑む彼。
「ええ。身内の墓ですの」
彼は倍の花の話と、坂の上の鉢合わせの話を聞いて、少しだけ黙った。日傘の柄を持ち直して、それから、傘をこちらへ傾ける。
「ヴェラ嬢。故人に、昼食のご予定は?」
「……あら」
思わず、まじまじと見上げてしまった。生真面目な顔は、いつも通りである。いつも通りの顔で、この人は、墓参り帰りの故人を昼食に誘っているのである。
「ございませんわ。故人の予定帳は、本日、昼から空いておりますの」
「では、埋めましょう」
彼は嬉しそうに笑った。
丘の下の食堂で、豆のスープを二皿。湯気の向こうで市場帰りの人足たちが笑い、匙が皿に当たって鳴る。墓前の静けさから一番遠い音の中で、スープはよく染みた。塩気と、豆の甘みと、竈の煙のにおい。生きている昼というのは、こういう味がする。予定帳の今日の日付に、『昼食』と一行が増える。墓参りと同じ頁に並ぶと、その一行はずいぶん、あたたかい字に見えた。
――帰り際、市場の噂がもうひとつ届く。曰く、「伯爵家に、新しい縁談があるらしい」。