夫に書類の上で「病死」させられた奥様は、故人の身軽さで生き直します ~縁談も無心も呼び出しも、あいにく死んでおりますので~ 作:kuratn
噂の続きは、三日で届いた。噂というのは花と同じで、旬のものから先に市場へ並ぶのである。
伯爵家の新しい縁談。お相手は、ヴィーデマン商会の一人娘。王都で指折りの豪商の家で、お
「ロザリンデ嬢。十九だそうですよ」
教えてくれたのは、店の常連の仲買人である。商人の縁談は商人の耳が早い。花市の帳場というのは、王都の噂の川下で、座っているだけで大抵のものが流れてくる。
「商会は爵位が欲しい。伯爵家は金がいる。まあ、よくある取り合わせでさ。……にしても、奥様が亡くなってふた月もたたないうちから、随分と急ぐもんだね」
「急ぎますわねえ」
帳面の手を止めずに、相槌を打つ。打ちながら、胸の内で何かが、ちりりと音を立てた。
おや、と思う。
この感じは、覚えがない。報せで死んだときも、しんとしていた胸である。墓で夫に会ったときも、乾いたものだった。それがいま、十九の見知らぬお嬢さんの名前ひとつで、火種のような熱を持っている。帳面のインクが、一箇所だけ滲んだ。ペンを握る指に、知らないうちに力が入っていたのである。
十九。二十歳で嫁いだ私と、ひとつしか違わない。あの子はいま、婚礼支度の絹に囲まれて、何も知らずに指輪の寸法でも測られているのだろう。
金貨一千枚の持参金と、金の要る伯爵家。四年前と、そっくり同じ形の縁談である。違うのは、あちらの持参金が家一軒ではなく千枚の金貨で――そして先の妻が、書類の上で死んでいることだけ。
「……わたくしのときは、腹が立ちませんでしたのに。おかしなものですわね」
「何がだい?」
「いいえ。こちらの話ですの」
自分のことでは動かない胸が、他人のことだと動く。四年かけて仕舞い込んだ「怒る」の
◇
夜、山査子の家の台所で、作戦会議である。
会議、といっても、出席者は二名である。卓の上には彼の帳面と、私の焼いた堅焼き菓子。焦げたのは、席に着く前に選り分けておいた。竈の火が落ちて、部屋には蝋燭がふたつ。会議室としては、いささか手狭で、いささか居心地がよすぎる。
「調べの現在地を、お話しします」
バルドゥイン子爵は、帳面を開いた。
「先代が遺した領民救済の基金から、この数年で相当の額が消えています。
「まあ。流行病の備えのお金を」
「ええ。……それで、金の要る従兄には、持参金付きの縁談が要る。縁談には、妻の座が空いている必要がある。急ぎの理由は、たぶん、それだけです」
それだけのために、人ひとりが書類の上で死んだのである。
「あの縁組、お金の匂いしかいたしませんわね」
「匂いだけでは、商人は止まりません。ヴィーデマン商会ほどの家なら、なおさら。爵位というのは、それだけの買い物ですから」
「では、お嬢さんは」
「……縁談の駒でしょう。どこの家でも、あることです」
どこの家でも、あることだ。四年前の私にも、あったことである。
卓の上の蝋燭が、じり、と鳴った。堅焼き菓子を割る音が、静かな台所には妙に大きい。
「子爵様。ひとつ、伺いますけれど」
「はい」
「このお話、放っておいたら、どうなりますの?」
「――従兄は持参金で穴を埋め、基金の帳尻は闇に沈み、ロザリンデ嬢は何も知らないまま、あの家の奥方になります」
何も知らないまま。虚偽の死亡届の上に建った家の、次の奥様に。
あの別邸の、風の音しかしない午後を思い出す。誰も来ない廊下と、一人ぶんの茶器と、白いままの手帳。あれを「どこの家でもあること」の棚に載せて、次の誰かに回す気には、なれない。
私は堅焼き菓子をひとつかじって、決めた。
「では、次の会議はいつにいたします?」
「……会議、ですか?」
「ええ。議題は決まっておりますでしょう?」
手帳を開き、次の金曜に『作戦会議』と書き込む。書いてから、自分で少し笑ってしまった。弔いと仕入れで始まった故人の予定帳が、いまや会議の日程まで抱えている。
「作戦会議……ですか?」
「そうですわ。故人の予定帳も、賑やかになりましたこと」
「賑やかついでに、菓子の当番を決めましょう。……この焦げていないのは、うまい」
彼はにこやかにサクっと焼き菓子をかじった。
「あら。次回は焦げた方も味見していただきますわね。ふふっ」
「……え?」
彼はパチクリと目を見開いた。
◇
――その翌週である。花市の帳場に、若いお嬢さんの客が立った。上等な外套を、目立たないように着た人である。お嬢さんは思い詰めた顔で、小さな声で言った。
「あの……先の奥様のことを、伺いたくて」