「…………血が足りねぇ。圧倒的に血が足りてねぇ」
起床して、貧血でぼんやりとした頭のまま朝食の準備をする。
昨日――病院での死闘によって、かつてないほど身体を損傷させてしまった俺は、回復魔法でどうにか人前に出られる程度には修復できていた。
しかし、それはあくまで表面上の話だ。
失った血液はもちろん、破裂した内臓や砕けた骨までは回復が追いつかず、今も傷ついたままである。
重い身体に鞭を打ちながら登校の支度をしていると、一人暮らしの家に、俺以外の声が響いた。
「体調が優れないようだね。大丈夫かい?」
「……てめぇ、どういう了見でここにいやがる? ハァ……朝から嫌な面を見ちまったな」
「酷いな。僕は君の力になりたいだけだよ」
「ミルクでも出してやるから、飲んだら失せな。お前に構ってやる気力がねぇんだ」
居間へ向かい、冷蔵庫にあった牛乳を皿に注いでキュゥべえの前へ差し出す。
すると、奴は黙って猫のように舐め始めた。
コイツ、見た目は可愛らしいし、会話もできる。そのうえ散歩もトイレの世話も必要ないから、ペットとしてはかなり優秀なんだよな。
しかも、抜け毛もアレルギーもないときた。
そんな阿呆なことを考えながら、テレビをつける。
今日の天気だの、汚職議員の自殺だの、女子中学生を狙った連続殺人事件だの――テレビから流れるニュースキャスターの声をBGMにして朝食の準備を進めていると、突然、呼び鈴が鳴った。
現在の時刻は、午前五時半頃。
こんな時間に約束もなく訪ねてくる人間など、きっとまともではない。
警戒心を最大限に高め、玄関の引き戸を開ける。
「おはよう。お邪魔するわ、千子村正」
そこに立っていたのは、魔法少女――暁美ほむらだった。
おかしい。住所は教えていないはずだ。
彼女の姿を確認し、そっと引き戸を閉めようとする。
だが、その隙間へ暁美が素早く足を滑り込ませてきた。
「少し、あなたと話したいことがあるの。入れてくれる?」
「……お茶でも飲んで待ってろ。今、朝飯を用意してんだ」
学校では駄目なのか。どうやって住所を突き止めたのか。
突っ込みたいところはいくらでもある。
だが、今までこちらから協力を持ちかけても、にべもなく断られてきたのだ。
ここで逃せば、次にまともな会話ができる機会がいつ訪れるか分からない。
まさに千載一遇の好機である。
逃すものか――そう考え、暁美に尋ねる。
「苦手なもんとかあるか? こんな時間だ。何も食ってねぇだろ」
「必要ないわ。魔法少女に食事は必要ないもの」
「んな話をしてんじゃねぇ。不健康な生活をしてっと、ますます不機嫌な顔になっちまうぞ」
会話の席に着かせるため、多少強引に朝食を勧める。
しかし……佐倉といい、コイツといい、魔法少女ってのはどうしてこうも不健康なのか。
巴先輩を少しは見習えってんだ。
「つっても、米と焼き魚におひたし……あとは味噌汁くらいのもんだけどよ。和食は口に合わねぇか?」
「……悪いわよ。いきなり押しかけて、朝食までいただくなんて」
「だったら来る時間を考えろってんだ。まあ、一人分も二人分も変わんねぇよ。遠慮せず食ってけ、食ってけ」
「そう……じゃあ、お言葉に甘えるわ」
しばらくして朝食が出来上がり、食卓へ配膳する。
白米に焼き魚、味噌汁。そして副菜のおひたし。
これぞ、日本の朝食という組み合わせだ。
配膳を終えると、二人で手を合わせて朝食を摂る。
しかし、食卓には似つかわしくない顰め面を浮かべる暁美を見て、声をかけた。
「やっぱり、口に合わなかったか?」
「いいえ……とても美味しいわ。けれど、一ついいかしら」
「なんだ?」
「最初に言うべきだったと思うのだけれど……」
暁美は鋭い眼差しを、呑気に食卓の角へ陣取っているそいつへ向ける。
「どうしてキュゥべえが平然とミルクを飲んでいるのかしら?」
「その反応は理不尽だ。先にここにいたのは僕じゃないか」
「俺としては、どっちもどっちだがな」
ふてぶてしい侵入者と、非常識な早朝訪問者の双方に突っ込みを入れる。
特に暁美は、どうやって俺の住所を――。
いや、野暮か。
未来を知っている可能性がある彼女だ。
俺の住所を調べるくらい、文字どおり朝飯前なのだろう。
「あなた、ソウルジェムの秘密を知ったのでしょう? コイツは人間の敵なのよ?」
「知ったうえでこうしてる。認めたくはないが、命を助けられたのは事実だしな。それに、飯の席に立場も何もねぇ。飯を食ってる間は、誰だろうと等しく客として扱うさ」
「僕に食事は必要ないのだけれど……不思議だね。真実を知った子は、例外なく僕を糾弾するのに」
「お前さんは、いっぺん呪われた方がいいと思うがね」
信じられないものを見るような目を向けてくる暁美。
だが俺は、石ころにされたことについては、もうそれほど恨んじゃいない。
もっと何かありそうな気もするが、今のところは単純に嫌いなだけだ。
巴先輩のことは……許せないが。
だから雑に扱うし、契約は妨害するし、たまには酷い目にも遭わせる。
だが、それだけだ。
本当にコイツを糾弾する資格があるのは、俺ではなく、契約させられた少女達だ。
俺は……親不孝な話だが、この身体をそこそこ便利だと思っているしな。
「それより、暁美に良いニュースと、とても良いニュースがある。どっちから聞く? 言っておくが凄いぞ。驚くぞ?」
「……じゃあ、良いニュースから」
「鹿目先輩が、契約に対して後ろ向きになった」
「――っ」
昨日、魔女との戦いが終わった後のことだ。
俺が一度目の土下座をした頃には、暁美は既に姿を消していたため、事情を知らないのだろう。
何とか巴先輩に許してもらった後、俺は鹿目先輩と美樹から詳しい経緯を聞いた。
二人が上条先輩のお見舞いへ行った帰り――結局、都合が悪かったらしく本人には会えなかったそうだが――病院で孵化寸前のグリーフシードを発見したらしい。
そこで美樹とキュゥべえが監視に残り、鹿目先輩が巴先輩へ助けを求めに向かった。
その頃、多分俺は別の魔女と戦っていた。
そこからは、巴先輩と対立した暁美を蓑虫へ変え、結界へ侵入。
その際、鹿目先輩は、巴先輩の支えになるために魔法少女になろうと考えていることを伝えたらしい。
しかし、巴先輩はそれを良しとはしなかった。
――鹿目さんは、千子君が傷ついてでも現実を見せようとした理由が分かる?
――きっと、同情や憧れだけで魔法少女になるべきじゃないわ。
――命を投げ出してもいいと思えるほどの願いのためでなければ、簡単に決めてはいけないの。
その時、過去の記憶が蘇って動揺した鹿目先輩を優しく支えた巴先輩には、本当に頭が上がらない……だというのに。
その日のうちに、再び鹿目先輩へ強烈なトラウマを刻み込んだ馬鹿野郎は誰でしょう?
――はい、俺です。
満身創痍の俺が、高速で巴先輩のもとへ突っ込み、その直後に片腕を失った挙句、戦闘中には魔女に喰われ、最後にはその体内から飛び出して
結果として、鹿目先輩はその日の肉料理を食べられなかったそうだ。
返す返すも恥ずかしい。
それを指摘された後、二度目の土下座が炸裂したことは言うまでもない。
そんなこんなで、鹿目先輩は契約を躊躇するようになったのだ。
ちなみに、彼女を傷つけた詫びとして何か要望はないかと尋ねたところ、
――だったら、千子くんに髪飾りを作ってほしいな。
とのことだったので、最高のものを誂えるつもりである。
ということは……よく考えたら鹿目先輩が、俺にとって最初の客になるのか。
「……それなら、とても良いニュースというのは?」
鹿目先輩が契約に後ろ向きになった経緯を伝えると、複雑そうな顔をしていた暁美がおずおずと尋ねてきた。
鹿目先輩至上主義の彼女からすれば、今の話だけでも十分に吉報だったのだろう。
俺は胸を張り、自信満々に世紀の発見を口にする。
「とても良いニュースはな……グリーフシードはリサイクルできる」
「聞き捨てならないね。どういうことだい?」
暁美ではなく、キュゥべえが食いついた。
仕方がないので、発見に至った経緯から説明してやろう。
「あれは……魔女退治が終わった後のことだ――」
「村正。急を要する事態なんだ。簡潔に説明してくれ」
「……やけに急かすじゃねぇか。半分はお前のせいなのによ」
恨みを込めた視線を投げかけると、当のキュゥべえは不思議そうに首を傾げた。
「僕のせい?」
「お前が回収に来なかったせいで、魔女と二連戦する羽目になったんだよ。グリーフシードから孵化した魔女をもう一度倒したら、またグリーフシードに戻ったんだ」
コイツが来なかったのは、美樹と一緒に結界へ閉じ込められていたせいなのだが、こっちはそのせいで余計な体力を使ったのだ。
むしろ感謝してほしいくらいである。
この方法を普及させれば、魔法少女達は今より安定して生き残れるようになるのだから。
「これでグリーフシードを手に入れるために、新しい魔女を探す必要もなくなる。どうだ、大発見だろ?」
「ええ……とても良いことを聞いたわ」
「村正。そのリサイクルは、僕達のエネルギー回収効率を著しく損なう行為だ。君は自分が何をしているのか、分かっているのかい?」
「そういえば、キュゥべえ。お前に聞きたいことがあるんだよ」
暁美が薄く口角を上げる一方で、キュゥべえはいつもの呑気さを消し、真剣な口調で制止してきた。
ちょうどいい。
これを機に、核心を突いてみるか。
俺は、コイツがろくでもない秘密を隠していると睨んでいる。
「魔女を初めて見た時から、少し違和感があったんだ」
「違和感?」
「あんな化け物を、どうして『魔女』と呼ぶのか。魔女を倒して手に入るグリーフシードが、どうして魔法少女のソウルジェムを浄化できるのか。そもそも、最初の魔女はどこから現れたのか。色々と疑問だったんだ」
初めて魔女に遭遇した時に抱いた疑問。
魔法少女として戦ううちに生まれた疑問。
それらを一つずつ繋ぎ合わせていくと、何となく全容が見えてくる。
「それで、よく考えればヒントは最初からあったんだよな。魔女の卵のグリーフシードはソウルジェムの『穢れ』を吸い取って孵化する。つまり、この穢れが魔女の材料だと仮定すると――」
「…………」
「穢れが溜まり過ぎた時に、何が起こるのか分からないソウルジェムと、どこから生まれたのか分からないグリーフシード。どちらも同じ穢れを宿す性質を持っている」
「千子村正――!」
俺を止めるため、拳銃を抜こうとする暁美。
それより早く、俺は結界を展開し、彼女を球状の障壁へ閉じ込めた。
巴先輩にも、こんな具合に拘束されたんだろうな。
「続けようか。ソウルジェムに穢れが溜まり過ぎると、そこから魔女が生まれる。これしかねぇと思うんだよな……で、どう思う? キュゥべえ」
「面白い推理だ。君は小説家になった方がいい」
「そりゃどうも。こちとら鍛冶師志望なんだよ」
湯呑みに残っていた玉露を飲み干し、食事を終える。
話の逸らし方が絶望的に下手くそなキュゥべえは、観念したように白状した。
「その通り。魔法少女の魂が燃え尽きる時、彼女達は魔女に変わる」
「随分とあっさり認めるんだな」
「隠しているつもりはなかったんだ。知らなくても、別に問題はないからね。それから、僕達は人類に仇なすために、こんなことをしているわけではないんだ」
「宇宙のため……だっけ? 宇宙のためだろうが何だろうが、それで誰かを泣かせてりゃ世話ねぇぜ」
「今この瞬間にも、一秒に四人ずつ増えている君達が、どうして特定の個人の不幸だけを問題視するのか、僕には不思議でならないよ」
悪びれることなく、キュゥべえは淡々と言う。
本性を現したというより、俺が知らなかった一面が露わになっただけなのだろう。
「村正。君は素晴らしい魔法少女だ。君の命が燃え尽きる時――きっと強力な魔女になる。その時、君は宇宙を救うための大きな助けとなるだろうね」
「そうかい。やっぱり、お前さんは敵なんだな――それと、ミルクは飲み終わったな?」
「――きゅっぷっ!」
キュゥべえの脳天へ鉄槌を振り下ろす。
飯を食い終わったのなら、もう客ではない。
そこまで恨んじゃいないが、敵だと分かった以上、容赦する理由もなかった。
動かなくなったキュゥべえを一瞥し、結界の中で腕を組み、こちらを睨んでいる暁美を解放する。
「……やはり、あなたは危険なイレギュラーだわ」
冷たい声色。
けれど、それは怒りではなく、諦めと深い悲哀を帯びた声音だった。
「あなたを観察して分かったわ……あなたは強い。そして、それ以上に『狂っている』」
「酷い言い草じゃねぇか」
淡々とした言葉。
だが、その声には確かな重みがあった。
「それで、どうするの? ここまで知って、それでも魔法少女の契約を見逃すつもり?」
「俺のやり方は変えない。契約する前に真実を伝えて、一度は止める。だが、最後はそいつ自身の意思を尊重する」
「やはり、そういう考えなのね。でも、それは無責任よ。本人が覚悟を決めたつもりでも、理想なんて簡単に崩れ去る」
「それは……未来を見た結果か?」
痛みに耐えるように言葉を紡ぐ暁美へ尋ねる。
コイツが本当に未来を見ているのなら、きっとろくな結末は訪れなかったのだろう。
でなければ、こんな顔になるはずがない。
「巴マミは正義を信じた。それでも、理想に裏切られて狂った。美樹さやかは願いを信じた。けれど、やはり理想に裏切られて絶望した――選択の先には、避けようのない破滅が待っている」
声が、僅かに震えていた。
その瞳は、残酷な現実を知る者の目だった。
巴先輩は魔女を倒し、人々を守ることで、自分の信じる正義を保っている。
美樹の奴は……きっと何かを願い、その願いに裏切られたのだろう。
暁美の言うことは、正しいように思えた。
やがて、その表情が僅かに崩れる。
怒りではない。警戒でもない。
もっと奥深くにある、長い間蓋をしてきた何かが覗いたような顔だった。
きっと彼女は、何度も同じ結末を見てきたのだろう。
信じたものが折れる瞬間を。願いが呪いへ変わる瞬間を。
守りたかったものが、手の中から零れ落ちる瞬間を。
だからこそ、彼女は誰にも選ばせたくないのだ。
しかし、俺の脳裏にも過去の光景が蘇る。
燃える工房。揺らめく魔女の影。
掌から零れ落ちていった命。
契約して力を得ても、救えなかった過去。
祖父を救えず、妖刀に身体を刻まれながら魔女を殺す日々を、呪わなかったといえば嘘になる。
それでも、巴先輩や鹿目先輩、美樹の顔が思い浮かぶ。
どれほど呪わしい力であろうと、その力を得たことで守れた人がいるのも、紛れもない事実だった。
「そうか――でも、選べなかった後悔は、一生消えない」
後悔はある。
だが、だからといって、選んだ過去をなかったことにしてはいけない。
「人生ってのは、命よりもずっと重いんだ」
そうだ。俺は、ただ正しいことをしたいわけじゃない。
人生が終わる時、己の歩んだ道は間違いではなかったと、自分自身の心に誇れる生き方をしたいのだ。
たとえ傷ついても。間違えても。
自分で選んだという事実だけが、最後には魂の拠り所になる。
「……俺は信じてるよ。巴先輩や美樹のことを。彼女達が選んだ道を。たとえ間違いでも、選んだ本人を信じて支える。それが、俺の貫く我儘だ」
暁美の顔に浮かんだものは、呆れとも、嘲りとも違っていた。
何か――迷子の子供のような、心細さ。
そんな表情を浮かべた暁美が、ぽつりと呟く。
「あなたは愚かね。破滅すると知ってなお、そんな甘いことを言えるのだから」
「……前にも、似たようなことを言われたよ」
佐倉にも、似たようなことを言われたな。
俺の生き方ってのは、現実主義者から見れば相当愚かしく映るらしい。
悪いが、そういう性分だ。簡単には変えられない。
「俺からも、一ついいか?」
「何?」
「暁美って、未来が分かるんだよな? その割には、俺のことをあまり知らねぇっつーかよ。巴先輩や美樹と比べて……徳川風に言うなら、『解像度』が低い気がするんだよな」
「何が言いたいの?」
目つきを鋭くした暁美へ、疑問を投げかける。
よく考えれば、暁美は俺に散々振り回されている。
俺がそれほどの危険人物なら、契約前に排除するなり、いくらでも手を打てたはずだ。
そもそも未来が完全に分かっているのなら、わざわざ巴先輩へ喧嘩を売り、返り討ちに遭うような真似もしないだろう。
そして、キュゥべえは暁美と契約していないと言っていた。
それらの事実を繋ぎ合わせ、俺は一つの可能性へ辿り着く。
「暁美――お前、未来から来たのか?」
問いを投げた瞬間、部屋の空気が止まった。
湯気も。時計の音も。呼吸さえも。
全てが遠のいたように感じられた。
暁美ほむらの瞳が、初めて大きく揺れる。
それは、図星を突かれた人間の顔だった。
同時に――長い間たった一人で抱えてきた秘密を、誰かに見つけられてしまった子供のような顔でもあった。
普段はほとんど表情を変えない彼女が、目を見開いたまま俺を凝視している。
それだけで、答えとしては十分だった。