誤字報告ありがとうございました。
無味乾燥な四限目が終わり、今は昼休み。
四時間目の授業は英語で、隣の席の人と英会話をしなければならなかったのだが、始まった瞬間、隣の女子が携帯を弄り始めてしまったため、ひたすら虚無の時間だった。
体の傷には慣れている筈なのに、心の傷はどうしてこんなに痛むのだろうか。
そんなことを考えていると、教室では他愛もない喧噪が繰り広げられていた。
そんな教室を出て、いつもの俺の昼食スポットで飯を食う。
別棟の一階。理科室の横、購買の斜め後ろが俺の特等席だ。
そこは、俺が調べた中でも特に人通りが少なく、よほどの変人でもない限りわざわざ昼休みに立ち寄る場所ではない。
そのため、いつも昼食はそこで食べていた。
最近は巴先輩達に誘われることが多くなったため、あまり使わなくなっていたが。
いつも通りの日常だった——ただ一つを除いて。
「徳川が体調不良とは、あいつ大丈夫かな……」
そう、徳川が体調不良で欠席しているそうなのだ。
今朝、彼の友人らしき人物が、俺に暴言を吐きながら教えてくれた。
ついでに、二年の『志筑仁美』なる先輩も欠席しているという、どうでもいい情報まで添えて。
徳川とはそれなりの付き合いになるが、あいつが体調を崩したところなんて見たことがない。
なので……別に心配とかではまったくないのだが、珍しいこともあるものだと思ったのだ。
どうでもいいことを考えながら歩いていると、そろそろ目的地。
独り静かな昼餉を堪能しよう――と、思ってたんだが……。
「あ、あの……どうも」
「…………どうも、こんにちは」
珍しいことに先客がいた。
しかも、その人は特徴的な髪色が多い見滝原では珍しい黒髪のショートカットの女子だった。
今日は、やけに珍しいことが続く……ん? そういえばこの人、どこか見覚えがあるな。
「あ、あのさっ!」
すると、その少女は続けて俺に問いかけた。
「私の事……覚えてるかな……? ほら、スーパーのレジで……!」
記憶を探り、しばらくして思い出した。
確か、佐倉に手料理を振る舞う際に立ち寄ったスーパーで財布をぶちまけていた少女だ。
「ああ……あの時の。お久しぶりです」
「――! 覚えててくれたんだ……! 嬉しい……! とても嬉しいよ、恩人!」
ぱぁっと顔を輝かせ、ハイテンションで喜ぶ少女。
なにがそんなに嬉しかったのかよくわからないが………喜んでるなら良いのかな?
「そんなに喜んでくれるなら、拾った甲斐があったってもんだよ」
「うん……あ、あのさ」
さっきまでの喜び様とはうって変わって、真剣な表情になる。
その変わりように、普通より感情の幅が大きい人だなと思う。
何か言い辛そうに、けれど勇気を振り絞って口を開いた。
「私と、と、友達になってくれないかな……!」
「へ?」
腰を九十度に曲げ、頭を勢いよく下げる少女に、思わず呆気に取られてしまう。
いかんいかん……返事しないとな。
「もちろん喜んで。俺も友達はあまりいないので」
「〜〜〜! やった、やったよ! 勇気を出して良かった〜!」
嬉しそうに飛び跳ねる彼女に苦笑する。
ほんと……感情表現の豊かな人だ。
でも、こんなに喜んでくれるもんだから、こっちまで嬉しくなってくる。
目の前の少女は、嬉しいなら嬉しいと頬を染めて笑い、楽しいなら楽しいと全身を使って、まるで隠す気など最初からないみたいに表現する。
その真っ直ぐさは、俺には少し眩しかった。
ただ、同時に危うくもある。
誰かに手を差し伸べられただけで、世界の色が変わってしまうような人間は、きっと寂しさや悲しみにも簡単に呑まれてしまう。
そこにつけ込む輩は、きっと少なくない。
「そういえばお名前は? 俺は千子村正」
「ああ、そうだった。千子村正か……良い名前だ。おっと、ごめんよ。君には是非とも名前で呼んで欲しいからね」
そう言って少女は姿勢を正して俺に名乗る。
「呉キリカ――キリカって呼んでおくれ、恩人」
———————————————————————
「それでさ――村正?」
「はい、どうしました?」
「なんでさっきから敬語なのさ?」
その後——連絡先を交換し、昼飯を二人並んで食べていると、ふと、キリカ先輩が不機嫌そうに尋ねる。
自己紹介した後で知ったのだが、彼女は三年生だ――つまり、巴先輩と同じ先輩だ。
失礼かと思い、一応敬語に直したんだが……どうやらお気に召さなかったらしい。
「ん? じゃあキリカ。タメ口の方がいいのか?」
「うん! そっちの方が良いな。敬語はいらない、呼び捨てで呼んで欲しい」
「そうか……ならそうするな」
「うん! あぁ、今日は最高の日だ……!」
「そんな大袈裟な……」
全身で喜びを表現してくるキリカに苦笑する。
コロコロ変わる表情は見てて飽きない。
美樹あたりと仲良くなれそうだ、なんて感想が浮かぶ。
すると、キリカは頬を膨らませる。
「大袈裟なんかじゃないさ! 友達になれた挙句、連絡先までゲットして……人生薔薇色……いや、黄金のエルドラドだ!」
「黄金郷になっちまうのかい……」
うーん、なんでスーパーで小銭拾っただけの俺と友人になれたくらいでここまで喜ぶのか。
わけがわからず頭を捻っていると、この空間に白い獣が現れた。
「やぁ、キリカと村正。珍しい組み合わせだね」
「あ、しろまる」
「てめぇ、どの面下げて目の前に出てきやがった」
「やれやれ、随分と嫌われたものだね」
今朝の件もあり俺の中では、こいつの存在はもはや黒虫以下だ。
しかし、何故わざわざ俺の前に現れたんだ?
無駄に体を潰されるのは不本意だろうに。
いや、まさか……用があるのは俺じゃなくて隣のキリカの方なのか?
「キリカ。例の契約についてなんだけどね」
「またか、君もしつこいなぁ」
「キリカっ! そいつから離れな!」
「え、えええ! 私……村正と、手を……!」
やっぱりキリカが狙いだったか。
俺はすぐにキリカの手を取り、キュゥべえから距離を取り、契約を阻止する。
キリカの様子が少しおかしくなっているが、契約は止めさせてもらう。
いや……本人が契約を望むならそれまでだが。
「キリカ、こいつとの契約は気をつけてくれ」
「う、うん……というか、村正はしろまるが見えてるの?」
「ああ……理由はわからんがな」
しろまるってキュゥべえのことか?
キュゥべえに愛称をつけるくらい親しい間柄なら契約の危険性がある。
掴んだままのキリカの手を——正確には指を見る。
ソウルジェムはないということは、まだ契約はしていないということだ。
「キリカ。友人として警告するが、この生き物は最悪だ」
「酷い言い草だね。僕は君達の願いを叶えてあげてるのに」
「やかましい、話しかけんじゃねぇ、耳が腐る」
「村正は……しろまるが嫌いなの?」
「ああ、大嫌いだ」
「ふぅん……そうなんだ」
キリカが俺の視線を追って、それから尋ねた。
しろまる、なんて愛称で呼んでいるキリカには悪いが、これは譲らん。
すると、キリカは目を細めると、俺の予想外の行動に出る。
俺から離れ、キュゥべえに駆け寄り、そして。
「じゃあ——私も嫌いだ!」
キュゥべえをサッカーボールのように蹴り飛ばした。
ええっ! 親しそうだったのに⁉︎ 案外そうでもなかったのか?
お星様になったキュゥべえを見送り、呆然とする俺をよそにキリカが得意そうに胸を張る。
「さて、邪魔者はいなくなったね」
「ナイスキックだキリカ。でも気をつけて……キュゥべえとはできれば契約しないで欲しい」
「たしか、『魔法少女になってよ』って奴?」
「それだ。でも魔法少女っていうのは……」
魔法少女の契約の秘密を事細かに説明する。
キュゥべえ正体や目的、魔法少女の体のこと、魔法少女の末路——それら全てを包み隠さず話すと、キリカはキュゥべえに怒ったり、俺の身を心配したりと忙しそうだった。
「——という訳なので、あいつに話しかけられたら蹴り飛ばしてくれ。なんなら話しかけられなくても蹴っ飛ばしてくれ」
「……でも、村正は魔法……少女なんだよね。男の子なのに」
「俺は例外中の例外だけどな」
未だに呼称に困るんだよな、男の魔法少女って。
これといって良い呼称が思い付かないのでこのままにしているだが。
「あ、別に気に病む必要ねぇぞ? これはこれで便利だし、それに鉄を打つのに魂の在処は関係ねぇしな」
「うーん。そんなものなの?」
「そんなもんさ。だから俺のために契約はしないでくれ。キリカが死んでも叶えたい願いがあるってんなら、止めねぇけどな」
「だったら必要ないね。だって私の願いはさっき、君が叶えてくれたんだから」
キリカが満面の笑みではっきりと答える。
笑みを向けられ、思わず顔を背ける。
ボーイッシュな印象に隠れていたが、こうして笑うとかなり整った顔立ちをしている。
彼女の態度を疑問に思うところはあるが、そうしているうちに予鈴がなる。
「じゃなあ、キリカ……また今度」
弁当の包みを片付け教室へ向かう。
キリカは名残惜しそうにしていたがこればかりは仕方ない。
というか、三年生なら受験とかあるんじゃないのか?
俺が心配することじゃないかもしれないが、受験生に学業を疎かにさせるわけにはいかなかった。
———————————————————————
「動かないんだ……もう、痛みさえ感じない。こんな手なんて……」
放課後の夕焼け空を背に呟くように語る幼馴染――上条恭介に、さやかはすぐに言葉を返せなかった。
今年の春先、幼馴染を襲った大きな不幸は、入院が長引くにつれ、彼の心にも暗い影を落としていた。
「恭介……大丈夫だよ、きっと……リハビリだって頑張ってるし、恭介ならきっと……」
「……諦めろって言われたのさ」
「……!」
「もう演奏は諦めろってさ……先生から直々に言われたよ」
どこぞの鍛冶師の少年と違い、友人も多く社交的なさやかは、他人の心の傷には敏感であった。
しかし、さやかの励ましの声さえも、今や彼には届かない。
「今の医学じゃ無理だってさ……もう、ダメなんだ。僕の手はもう二度と動かない……奇跡か、魔法でもない限り、絶対に……」
奇跡や魔法。
彼の容態は、そんなもの空想上の希望がなければ救われない程に深刻だったのだ。
――あたしは……知ってる。
そう、彼女は知っているのだ。
現代の高度な医療さえ凌ぐ奇跡や魔法の存在を。
しかし、脳裏をよぎるのは、血を流す少年の姿。
人間性さえ削ぎ落としたかのように魔女を斬り刻むその姿は、さやかに契約を思い留まらせるには十分すぎるほど凄惨だった。
――恭介……あたし、あたしは……!
視界の端の窓際には、白い獣が座り込んでいた。
その獣こそ、少女の願いを叶える契約の調停者。
――君の願いは彼の腕の治療かい?
獣はさやかにのみ聞こえる声で問いかける。
その声に従い、獣と契約すれば彼女の願いは成就される。
彼の幸福を願うなら、獣の声に首を縦に振ればいい。
戦いの運命を受け入れるだけで、彼を救えるのだから。
だが――答えを出せなかった。
「……ごめん」
「え?」
「もう帰ってくれないか……さやか。……一人にしてくれ」
天才バイオリニストと評され、事実、類稀な才能を持ち、それに見合うだけの努力をしてきた。
しかし、それらを毟り取られ、好転しない状況の只中にあっては慰めも優しさも、きっと意味を為さない。
「……またね」
さやかはただの中学生。
医療関係者でもなければ知識がある訳でもない。
まして、天才と呼ばれた彼の苦しみを理解することはできない。
ただ、幼馴染が深すぎる絶望の中で壊れていくことだけは理解していた。
自分はそんな彼に、適当な励ましで希望を持たせ、自分だけが良い子に見られたかっただけのポーズを取っていたのではないか。
そう思った瞬間――さやかは途端に自分が情けなくなった。
悲しさや情けなさが綯い交ぜになり、逃げるように病院を立ち去り、病院の近くにある公園のベンチに座り込み項垂れていた。
「本当にいいのかい? さやか」
「……うん。いいの」
「まあ、僕から無理強いすることはできないからね。けど、忘れないで。君が望めば彼の怪我は完治できるんだ。それだけは忘れないで」
「……それじゃ、駄目なんだよ」
キュゥべえの言葉を遮るように、さやかは首を横に振る。
さやかは、ベンチの上で拳を握りしめた。
契約すれば救える。
その事実は、希望なんかじゃなかった。
救えるのに救わない自分。
救いたいのに踏み出せない自分。
その二つが胸の中でぶつかって、息が苦しくなる。
誰かを助ける願いは、綺麗なものだと思っていた。
でも今は、その綺麗さに自分の汚さを照らされている気がした。
「だってあたし……恭介のこと、全然わかってなかった。ただ、かわいそうって……全然真剣じゃなかった。本当に恭介の気持ちを考えてなかった……!」
治してあげたい。確かに本心からの祈りだろう。
だが、さやかは気づいてしまった。
自分は本当の意味で、彼の苦しみや絶望に寄り添えていなかったのではないか、と。
「あたしが魔法少女になって恭介を治すのって……あいつに笑ってほしいんじゃなくて……あたしに、笑ってほしい。結局、そんな汚い理由だったんだ。あたし、嫌な子だよね……」
キュゥべえは心底理解し難そうに首を傾げた。
「まぁいいさ。さやかの気が変わったら、いつでも呼んでくれ。僕は君の力になるからね」
「ありがとう……でも駄目だよ。あたし、なんにもできない。恭介の手を治すことができるのに……できるのに選ばない卑怯者なんだ……怖いんだ、命懸けの戦いが……!」
さやかの両手は震え、嗚咽混じりの声になる。
「魔法少女になって、ボロボロになって魔女と戦ってさ……けど、その見返りは恭介じゃないと嫌なの。あたしは、恭介のバイオリンを聞きたいんじゃなくて、ほんとは恭介の心を欲しがってたんだよ……」
「――! さやか……それは」
「こんなあたしだから、恭介は嫌いになったんだ……! こんな最低な女だから……!」
「まずい……魔女の口づけだ。早く村正に伝えないと」
心の弱った人間につけ込み、破滅させる――魔女の口づけ。
さやかの首筋には、箱型の『ソレ』が刻まれていた。