村正は招待された廃墟の前に到着する。
間近で見る『旧風見野市美術館』は荘厳な宮殿を連想させ、かつての栄華と衰退を象徴しているかのようだった。
埃を被った工具や機械が散乱している円形のホールを通過した先、正面の大扉を蹴り開けると、待ち伏せや罠を警戒しながら進む。
白大理石の広すぎるホールは複数の通路が派生していたが、幸い村正が迷うことはなかった。
何故なら、ご丁寧に濃厚な血痕による『道標』が引かれていたからだ。
「なんて惨いことを……」
眉間に皺を寄せながら地面に引かれた血の跡を辿る。
長大な廊下へと続く道標は地下への階段を下っていた。
冷えた空気を浴びながら、村正は音もなく駆け下りる。
階段の終わりに打ち捨てられていた——おそらく被害者の遺体の前に膝を付いて両手を合わせた後、そのまま通路を道なりに進む。
そこは一階のホールと同等かそれ以上の広大な地下空間が広がっていた。
林立する太い柱が十メートル以上もの遥か頭上の天井を支えている。
周囲の柱や天井には妖しい紫色の光を放つ電灯が吊り下げられていた。
「くふふふっ! まだ傷も癒えてないでしょうに、よく一人でのこのこやってきましたねぇ、この馬ァ鹿ッ‼︎」
辺りに視線を巡らせていた村正のもとに、心底小馬鹿にしたような笑い声が届く。
八十メートルほど先、ちょうど地下空間の中央の柱の影から優木沙々が姿を現した。
「てめぇ……!」
「くふふふ、怒りで我を忘れた馬鹿ほどやり易い相手はいませんねぇ」
鋭い殺気を向ける村正に構わず、沙々は笑い声を響かせる。
ソウルジェムを胸の高さまで掲げ、杖を突き出す沙々は、挑発するように声を反響させる。
「ここまで来たら挨拶は要らないでしょう? 私はお仲間に来られると困りますしねぇ〜。水を差されたら興醒めでしょう!?」
「……」
「さぁ、どうしました? もしかしてビビっちゃってますか〜?」
挑発を繰り返す沙々に村正は周囲に視線を転ずる。
——十中八九、罠であることは間違いない。
柱の陰に敵がひそんでいることは既に察知している。
しかし今の村正には関係なかった。
どれだけの敵がいようと正面から叩き潰してやると殺意を募らせる。
怒りに突き動かされるままに村正は足を踏み出そうとして、
「っ?」
それに気が付いた。
(なんだこれは……?)
石床にうっすらと光を放つ、無数かつ不気味な模様が張り巡らされている。
色は赤みがかった紫。ちょうど周囲を照らす電灯の明かりに隠れるようにして広がっていた。
模様は床一面に広がっており、柱の影や割れた石床の隙間にも、逃げ場を塞ぐように紫の線が這っている。
電灯の光に隠蔽される模様に双眸を細める村正だったが、
「どうしましたぁ? まさかここまできて尻尾巻いて逃げてくれませんよねぇ!」
沙々の言う通り、ここで引き返す選択肢はありえない。
この床の模様は彼女の『魔法』か。あるいは別の何かか。
病院の屋上で彼女は自身の魔法を『洗脳』だと言っていなかったかと考えて、やめた。
これが何であろうと関係ない。相手が何を策していようと、知ったことではない。
そもそも村正は刀の間合いまで近づかなければ、何も始まらない。
思考にあるのは、目の前の相手をぶちのめすという、たった一つの
村正が紫の陣に踏み込んだのと同時。
「──くふっ」
沙々の落とした笑みが、戦闘の合図だった。
石床を蹴り砕き、村正は疾走する。
「があああああああああああああっ!!」
「やれぇ、てめぇ等ぁ!!」
村正の咆哮と沙々の号令が衝突し合う。
沙々のもとへまっしぐらに突き進む村正に対し、四方から襲いかかるのは髑髏の仮面にローブを纏った邪教徒のような使い魔達。
柱の影から躍り出た使い魔達は、その手に持った刃を村正に突き刺さんとしてきた。
「オラァッ!」
それを村正は一蹴する。
逆刃の剣を振るって全ての攻撃を迎撃し、死角からの刺突に対応してのける。
そのまま吹き飛ばされ、勢いを減退させられないまま、使い魔達は柱に叩きつけられて霧散させられる。
にやつきながらグリーフシードを孵す沙々によって更なる刺客が現れては飛びかかる。
眉間を歪める村正は、迫る刃を裏拳で弾いてのけると、その鋭い拳打で敵を粉砕する。
自分を目掛けて一直線に向かってくる獰猛な鬼を前に、彼我の距離が二十メートルを切ろうかという瞬間。
沙々は、村正に背を向けてあっさりとその場から逃げ出した。
「——っ!?」
「おー怖い怖い! 捕まったら本当に殺されちまう!」
笑みを浮かべながら後退する女に、村正の怒りがまた一つ炸裂した。
沙々は柱の陰へ飛び込み、身を隠しながら逃避を続行した。
(遊んでんじゃねぇよ、死にてぇのか!)
広大な地下空間を目一杯に使って逃げ回る沙々はことごとく村正の怒りを駆り立てた。
にやついた笑みがそれを更に助長させる。挑発とわかっていても癇に障る。
怒りの咆哮とともに柱を砕きながら迫る鬼の形相に、やはり女はにやにやと笑うだけ。
まるで鬼ごっこのようだった。白兵戦を得意とする村正の足の方が遥かに速いが、襲いかかってくる使い魔達によって沙々への接近を何度も阻まれる。
頭上の紫の電灯、そして足もとの模様。
妖しい不気味な光に挟まれた村正の苛立ちの表情が、盛大に歪んだ。
「ほら、ちゃんと私を守れよぉ、くふ、くふふふふふふふふふ!!」
柱の影から飛び出した無数の青色の蜘蛛の使い魔達に、沙々は笑う。
青色の蜘蛛達の群れが村正を襲う。
「──がるぁああああああッ!!」
「ぐッッ!?」
雄叫びを上げて爆発的な加速を敢行した村正の突きが、青蜘蛛の波を貫いて、沙々の首の皮一枚のところを通過した。
柱を破砕するほどの威力の突きが、攻撃の余波のみで沙々の体を吹き飛ばし、彼女の肩に乗っていた一匹の赤い子蜘蛛がそそくさと柱の陰に逃げていく。
その勢いに逆らわず床を転げ回る沙々は、すぐさま杖を突き立て、素早く体勢を立て直した。
「やっぱり、近付かれたらヤベェなぁ……!」
頰を埃で汚しながら、忌々しそうに笑みを歪める沙々。
彼女を守ろうと青蜘蛛達が殺到する一方、村正もまた歯を嚙んでいた。
(外した……!)
決定的な好機を逃した己の不甲斐なさに歯噛みした。
いつもの自分ならば間違いなく攻撃を叩き込める間合いだった筈だ。
舌打ちをしながら村正は迫り来る敵を打ち払う。
しつこいほど絡み付こうとする青蜘蛛達を、鋭い動きで殴っては蹴り飛ばした。
そうしているうちに距離が開いてしまった沙々を村正は再び追う。
(次だ。次で必ず仕留めてやる)
血走った瞳に殺意を秘めた村正は、敵を猛追する。
意識の片隅で常に警戒を払っていた強力な伏兵も、新手の魔法少女も、罠も切り札も何もない。
薪をくべられた火床の炎のように、村正の怒りは膨れ上がる。
だが──その認識は違う。
沙々の——正確には蜘蛛型の魔女『誘致の魔女 アリアドネ』の切り札は、とっくのとうに作動していた。
「──」
最初の違和感は、敵の動きの変化だった。
散々蹴散らしてきた子蜘蛛どもが、村正の動きに徐々に追随してきていた。
(敵の速度が上がっている……? いや違う。これは、まさか──)
「くふっ」
その効果は、村正に自覚を与えないほど、最初はゆっくりと。
「くふふふっ」
そして時を経るごとに、如実に顕現していた。
「くふふふふふふふッ」
吊り上がった沙々の唇が愉悦を孕む中、村正ははっきりと己の『異常』を認知する。
(——なん、だ?)
四肢が重い。全身が鉛のようだ。
敵の速度が上がっているのではない。その逆だ。
徐々に村正の動きが鈍っているのだ。
「──ようやく効いてきたみたいですね。このクソ野郎がッ!」
沙々が地面に唾を吐くのと同時。
飛びかかる蜘蛛の一撃が、とうとう村正を捉えた。
「っっ!?」
浅く裂かれた己の背中に村正は瞠目する。
掠り傷とはいえ背中に帯びる焦熱に汗を流す。
体を半回転させ、肘鉄で青蜘蛛の使い魔を殴り飛ばす。
しかし敵の強襲は止まらない。今までの鬱憤を晴らすように、殺された同胞の仇を討たんと村正への逆襲を開始する。
振るわれる一撃を弾き飛ばすも、あまりに己の動きが遅過ぎる。
感覚に反して肉体の動きがあまりに付いていけていない。
回避が間に合わず、防御の回数が徐々に増えていく。
(これは……間違いねぇ。動けば動くほど、何かが絡まってきやがる……!)
村正は察した。
今まさに降りかかっている己の『異常』を。
「くふっ、今更気付きましたぁ? 誘致の魔女の力は『低下』。こいつの結界内に侵入した時、そいつの身体能力を強制的に低下させる。……その効果は敵が動けば動くほど重ねがけされるってわけです」
沙々は己の魔女の『結界』の特性を丁寧なまでに説明する。対して顔を歪ませるのは村正だ。
この紫色の陣の正体は、魔女特製の『蜘蛛の巣』であり、絡め取られた獲物は村正だった。
ならば、巣にかかった獲物に蜘蛛が毒牙を刺さぬ道理もないだろう。
「くふふっ! もう逃げられねぇよ! てめぇの体には、呪いの糸が絡まりまくってるからなぁ!」
沙々の言う通り、彼女を散々追いかけ回した村正の体は見る影もなく弱体化している。
ここから全力で抜け出そうとしたところで、何度敵に襲われるかわからない。
更に回避や防御などに行動を費やす度、再び『低下』の呪いが全身に降りかかる。
これ以上なく、魔女の『罠』は怒り狂う鬼を陥れていた。
「さぁ、嬲り殺してやる! てめぇ等、やれぇ!!」
沙々の号令が轟き渡った瞬間、残り全ての使い魔が柱の影から姿を現した。
兵隊のような使い魔、騎士のような使い魔、邪教徒の使い魔。
それぞれ、その手に握られているのは──数多の『大砲』。
「────」
村正はそれを見て凍り付く。
沙々の口端が吊り上がり、その手が振り下ろされた瞬間、怒涛の砲弾が村正を襲った。
「っっ!?」
結界外に脱出しようとする村正の体を、とうとう火炎の砲弾が捉える。
視界を紅く染め上げる火球の直撃を浴びる。
「——があっ!?」
着弾と同時に爆発。そして飛び散る獲物の絶叫。
「死に晒せぇ!」
沙々の嗜虐的な笑みをもって放たれる一斉砲撃。
使い魔が歓声を上げ、凶悪な鬼を葬らんと砲撃の嵐を浴びせる。
地面に吐き出される血さえ蒸発し、地下空間が大量の魔力と熱に支配される。
沙々の指揮の下に放たれる砲弾の雨は、的確に村正の命を削っていた。
「くふふふふふふっ! これで縄張りはいただきです♪」
圧倒的な蹂躙劇を前に、沙々の興奮が絶頂に達して、哄笑をまき散らした。
もう何発目とも知れない爆炎が地下空間に炸裂する。
「ぐっっ、がぁ……!?」
血を吐きながら、それでも倒れるまいと踏みとどまる村正は、全身に負った傷から熱されたことにより凝固した血の塊を地面に落としていた。
「しぶてぇなぁ、ったく……」
嬲るように悦に染まった視線をそそいでいた沙々も、膝を折ることさえしない村正に眉をひそめた。
しかしすぐに、余裕の笑みを纏い直す。
——これで終わりだ、と。
蜘蛛の巣は村正を逃しはしない。
村正の足もとで光る模様は見えない蜘蛛の糸でその体を雁字搦めにしている。
今も『低下』の呪いを生じさせており、この結界内から脱出など許さない。
動けない村正を武器で串刺しにすればそれで終わるが、危険を冒して近付く必要もない。
必要以上に急ぐ理由もない。このまま遠距離から着実に命を削り取る。
散々痛めつけられて傷付いたあの鬼は、もうまともな回避行動も取れないだろう、と。
彼女は『巫女』から貰った情報では、彼を相手取る時、最も気をつけなければならないのは、防御を無視して相手を切り裂く妖刀だと聞いていた。
しかし、遠距離からならそれは脅威ではない。
それに加えて飛び道具を持たない村正は、遠距離を攻撃する手段がない。
沙々が勝利を確信する嘲笑をこぼす。
一方で握り締められたその鍛冶師の拳からは、憤怒の感情が滲み出ていた。
「クソが……クソが……クソがァッ!」
歯を食い縛りながら唸る。
脳内は真っ赤な怒りに支配されていた。
それは己に対しての、沙々達に対しての、不条理に対しての怒りだった。
視界が揺れて、思考は攪拌する。
残酷な世界を呪い、弱肉強食の摂理を呪い、魔法少女の理を呪う。
きっと、魔法少女になったあの夜から何もかも許せなかった。
最初から一度も納得なんかしていなかった。
魔女によって家族を奪われた怒りの火が、目の前の魔法少女によって少女の未来を歪められた瞋恚の炎が。
胸に刻まれた喪失の『傷』の痛みが、怒りとともに燃え上がる。
しかし、確かなことは——このままでは力尽きて、この怒りまで、自分と一緒に消えてしまうということだ。
「——ッッ!」
それだけは認められない。
たとえ命を守れなかったとしても、胸の傷が己を苛もうとも、村正だけはその炎を忘れてはならないのだ。
祖父が死に際に託した想いを、少女が流した涙の意味を。
『魔法』なんてものに運命を歪められた者達の怒りと涙を、決して忘れてはいけないのだ。
「──舐めんなよ」
村正は吐き捨てた。
顔を上げて、勝利の笑みを浮かべる魔法少女を睨み付ける。
そして彼は、首元の赤い手拭いを解き、額に巻いた。
間も無く——それは始まった。
「——鍛造開始」
長くなったので、次の話で沙々との決着にする予定です。