——病院の屋上。
昨日の戦闘の傷跡など最初から無かったかのように消えた屋上には、さやかを含む大勢の方々が立ち並び、期待の表情で中心にいる人物を見つめている。
「……では、聞いてください」
中心の人物——病衣に包まれた上条先輩が彼の父親らしき人物にバイオリンを渡され、戸惑いながらもそのバイオリンを手に取り、車椅子に乗ったまま頭を下げる。
そして、意を決してバイオリンの弓を弦に当てると——美しい音楽を奏で始めた。
「すごいな……何の曲なのかはわからんけど」
俺は思わず呟いた。
その曲がクラシックであること以外、何の曲なのか門外漢の俺には分からなかったが、そう簡単に弾ける曲でないことは素人目にも理解できる。
きっと才能もあるのだろうが、それ以上に努力を積み重ねてきたのだろう。
そうでなければ、聴く者の心など動かせまい。
「『亜麻色髪の乙女』ドビュッシーの曲でね……恭介の好きな曲の一つなんだ」
俺が溢した呟きに隣にいたさやかが教えてくれた。
その瞳が潤んでいるのは見間違いなんかじゃないだろう。
それにしても快活そうな印象を持つさやかが、クラシック音楽を語ったのを見て、少しだけ意外に思いつつ、彼のために覚えたのだろうかと思うと、胸が痛くなる。
——俺は、こいつを魔法少女にしてしまったのだと。
罪悪感から逃れるように周りに目を向けると、さやかを始めとする関係者の方々は涙ぐんでおり、彼の両親らしき人物に至ってはポロポロと涙を流している。
——どうしてこうなった……?
そんな観客達の中で場違いにも程がある俺は……今朝の出来事に想いを馳せた。
—————————————————————
「ギャアアアアアアアア⁉︎ ギブ、ギブ! すみませんでした!」
魔女使いの魔法少女との激戦の後。
俺をツンデレ呼ばわりしやがったさやかにキャメルクラッチを喰らわせた後、しばらくしてマミに止められ、渋々技を解いた。
居た堪れない気持ちを抱えながら周りを半目で睨みつけるが、あんな醜態を晒してしまった後では格好も付かず、既に姿を消していた暁美を除く全員から微笑ましそうな視線を投げかけられた。ちくしょう。
とにかく、無事に敵を退けたことを確認した後、俺達は解散し、鹿目先輩達の背中を見送っていた時。
「ねぇ、今日さ……ちょっと付き合ってよ」
後ろから声をかけてきたのはさやかだった。
腰を摩りながら、それでもまっすぐな視線で俺に言う。
「……夕方、恭介のお見舞いに病院に行くんだけどさ、よかったらあんたにも来て欲しいんだ」
「病院? なんで俺が?」
今の俺が病院に行こうものなら、間違いなく急患として連れて行かれてしまうことだろう。
妖刀『籠釣瓶』の副作用——あの妖刀はあらゆる魔法を喰らってしまうので、当然、回復魔法を使って傷を癒すこともできない。
つまり魔法を使って傷を癒せない俺は、火傷だらけ切り傷だらけの、どう見ても病院に見舞いに来る側ではなく運び込まれる側だ。
そんな状態であるため、病院側に迷惑をかけないように丁重にお断りしようと思ったのだが……。
「ダメ、かな……?」
不安そうに上目遣いで俺に尋ねるさやかを見て、俺は言葉を引っ込めた。
——ほんと、女の子はズルいと思う。
そんな顔をされたら断れる男はいるのか? 或いは俺がとんでもなくチョロいのか。
困り果てながら俺が返答に窮していると、徐々にさやかの顔が捨てられる前の子犬のように曇っていく。
それを見て、慌てて返事を返す。
「……俺みたいな部外者が行って迷惑じゃないなら」
自分でもどうかと思うような返事。もっと気の利いた事を言えないものか。
しかし、そんな俺の内心を知らないさやかは、顔を輝かせる。
「ほんと……! じゃあ、今日の夕方に病院の屋上に来て! 約束だからね!」
「え……? お、おい! 一体何かあるんだ?」
「えへへ、秘密!」
言いたい事だけ言い残して上機嫌に去っていくさやか。
一体何があるんだとか、そもそも夕方じゃなくて何時って示して欲しいとか、言いたいことは色々ある。
しかし、昨日まで沈んでいた彼女が少しだけ元気を取り戻したみたいで、俺も少し——安心した。
————————————————————
そんなわけで夕方……より少し早く病院の屋上で待機していたのだが、気付けばゾロゾロと人が集まり出して、さやかが来るまで周囲の「あいつ、何時からいるの?」という奇異の視線が少し痛かった。
上条先輩の演奏会が終わり、小さなコンサート会場の人々が帰ってしまった後、屋上に残っていたのは、俺とさやかの二人だった。
「……で、どうして俺をここに? あ、嫌だったわけじゃねぇよ? タダで聞くのが申し訳なくなるくらい素晴らしい演奏だったと思う」
「でしょ! やっぱり分かっちゃうか〜!」
「過去一でテンションが高い⁉︎」
上条先輩の演奏会について感想を伝えると、飛び上がりそうなほど、体いっぱいに喜びを伝えてくるさやかに若干引いた。
しかし、途端に真剣な顔になって、自分のソウルジェムを差し出してくる。
「村正。これがあたしの守りたかったものだよ」
「…………」
「あんたはさ、自分のせいで……とか思ってるんでしょ。でも、あたしは契約したことを後悔してないって伝えたかったんだ」
どうやら気を遣わせてしまったらしい。
彼女が俺をここに連れて来てくれたのは、きっと俺が彼女を契約させてしまったことを悔やむあまり、みっともない面をしていたせいだ。
社交的な彼女は、そんな俺を見てられなかったのだろう。
だから、彼女の守りたいと思うものをこうして俺に見せることで覚悟を示してくれたのだ。
「えーっとね? それで、お願いがあるんだけど……」
「……? お願い? 言ってみてくれ」
急に勢いを無くしたさやかの様子を疑問に思い、尋ねる。
口をもごもごさせ、深く考え込んでいるさやかを静かに見つめて、答えを待つ。
「……あ、あの、良ければ、だよ?……」
視線を上げる。
相変わらず複雑そうな表情をしながら、それでも真っ直ぐな瞳で俺に勢いよく頭を下げる。
「た、戦い方の……ご、ご教授を、よ、よろしくお願いします!」
それを見て、報いようと。
彼女の期待に必ず応えようと、そのひた向きな瞳を見て、そう思った。
きっと、彼女を魔法少女にしてしまった後ろめたさもある。
おそらくこの感情はずっと俺に付き纏うだろう。
もしかしたら罪滅ぼしめいた打算もあったのかもしれない。
でも。
でも、それ以上に。
「……ああ。よろしくな」
その目に宿った覚悟に、俺は全力で応えたいと思った。
――――――――――――――――──
空が暗くなる。
しかし、太陽はまだ完全には西の空に沈み切っておらず、夜と夕方の境界が曖昧になっていた。
さやかに連れて来られた場所は見知らぬ公園だった。
一見すると、かなりの広く感じた。
といっても、それは単純に遊具が少ないせいで広く見えているだけなのだ。
端っこの方にブランコと、小さな砂場があるだけで、他には、シーソーもなければジャングルジムもない、滑り台すらない。
何だろう、もしかしてああいうことだろうか。
公園の遊具の危険性、子供の安全を考えた結果、みたいな話で遊具が撤去されてしまったのだろうか。
最近の小学生の間では、もう遊びといえば野球、それに次いでサッカー、みたいな習慣は、なくなってしまったのだろうか。
いや、俺も一年前まで小学生だったけどよ。
そんなくだらない感想を頭の中で垂れ流していると。
「ここなら大丈夫でしょ? さあ、ガンガン鍛えちゃって!」
「今からかよ? 親御さんが心配すんぞ」
「だいじょーぶ、ちゃんと遅くなるって連絡しといたから」
俺達がこんな寂れた公園にいるのは鍛錬のためだ。
確かにここなら人目はつかないけれども。
ま、やる気があるのはいい事だ。
俺は刀を召喚すると、引き抜いた剣を隅に置き、鞘だけを持ってさやかと相対する。
「口で言うより、こっちの方が分かりやすい。これから始めることの中で、色々なことを感じてほしい」
マミと違って言葉で丁寧に説明できるほど、俺の頭のデキは良くない。
迷惑と負担をかけてしまうかもしれないが、彼女にも後で頭を下げてさやかの指南役を頼み込んでみよう。
「……あ、あたしの武器は、刃を潰してないよっ……?」
「大丈夫」
さやかの懸念をその一言だけで受け止める。
慢心でもなく、単純に経験と実力の差を鑑みた結果だ。
さやかは喉を鳴らして、サーベルを構える。
「さぁ、やろうか。どこからでもかかってくるといい」
剣を構えて臨戦態勢に移ったさやかは、機を見計らって飛びかかってきた。
思い切りの良さといい、剣の鋭さといい、光るものはありそうだ。
元々彼女は運動が得意だと鹿目先輩から伺っている。
だが……。
「正面からの突撃。わかりやすい」
「!?」
斬撃が不発に終わったさやかは踏鞴を踏んだ。
やはり、武術の心得は無いのかフェイント等もなく、剣を力任せに振り回すだけだ。
その技術を今から教える訳だから当然と言えば当然だが。
乱れ斬りを往なしながら考察する。
繰り出される斬撃には威力も速度も乗っている。きっと使い魔なら……いや、弱めの魔女ならこのままでも通用する。
なるほど……これなら短期間で強くなれそうだ。
「——っ! 当たら……ない!」
「いや、かなり筋がいい。俺より強くなれるかもな」
「涼しい顔して言われても……ねぇ!」
「おっと」
さやかの振り下ろしを、鞘で流す。
俺は別段特別なことはしていない。反撃もせず、ひらりひらりと躱しているだけだ。
速く動くわけでもなく、剣捌きを見せつけるわけでもなく。
ただ、さやかの周りで円の動きを踏みながら、淡々と立ち回っているだけ。
攻撃を躱すことちょうど五十回目、すれ違い様に足を引っかけると、あっさりと公園の芝生に倒れ込む——ところに腕を回し、転倒を防ぐ。
「お疲れ様。休憩にしようか」
「はぁ……はぁ……うん、ちょっと休憩……いだっ!」
「隙あり——敵の言葉を信用しちゃいかんぞ? ……冗談だ、剣を下ろして」
へろへろになったさやかの額を指で弾くと、水をかけられた猫のように警戒して近寄らなくなってしまった。
さやかを何とか宥め、休憩を取らせる。
——最初に比べて………良くなってる。
顔に浮かぶ大量の汗を腕で拭うさやかを、じっと窺う。
訓練開始時に比べてさやかの動きは格段に──とは言い過ぎかもしれないが、随分と変わっていた。
その様は、戦いの中で俺が教えたことをひたすら反復してきたような愚直なひた向きさを感じさせる。
悪く言うと俺の指示以上のものができない、教師の思惑を超えられない、ということなのだが、取りあえず今はそれを置いておく。
——さやかの課題は防御……後は、技と駆け引き——欲を言えば、敵の攻撃を外から叩き、受け流す『技』を伝授したい。
現状と欠点を見抜き、指摘しているが……マミほど分かりやすく教えられているだろうか。
ワルプルギスの夜が来るまで時間はあまり無いが、その間にどうにか防御、そして技と駆け引きの一端を体に覚えさせたいと、曲がりなりにも教師としてさやかとの訓練の着地地点を思い浮べる。
足りないもの、不得意な分野、そして長所。
それらを独自に考察しつつ、俺はさやかについてわかったことをまとめていく。
——スピードと回復能力がさやかの武器かな……。
真っ先に脳裏に思い浮かんだのは、速度と手数にものを言わせた激しい猛攻。
両手で武器を扱えるようになれば言うことなしだ。
真正面からの速い斬り合い。実に自分好みの戦法である。 ──と、そこまで考えてはっとした。
自分好みに誘導……さやかを己の色に染めようとしていることに気付き、いけないいけない、不味い不味い、と顔をブンブン振るう。
具体的な戦闘型の決定はさやか自身に委ねなければ。
他者の理想を押し付けてもいいことにはならない。
魔女との戦い方に関しては、ほぼ必ず。
あくまで自分は基礎を教えるだけで、誘導してはいけないのだと厳しく戒めた。
——だが、俺みたいな自傷前提はダメだ。
さやかの固有魔法は強力な『回復魔法』だ。
俺のように自傷を前提にゴリ押しが可能だが……俺は好ましくない。
俺は妖刀の呪いで仕方なく取っている戦法なのであって、これは本来、褒められた戦い方ではない。
マミにも心配をかけるし、自分が傷付くことに何も感じなくなるってことは、きっと人間じゃなくて魔女と同じ……いや、それ以下だ。
強さをひたすら求め、恐怖心を麻痺させてしまっている自分自身に、目を伏せる。
これまでの過去を振り返りながら、それでも変わることのできない己に愚かな感情と矛盾を抱いて、嘲笑する。
彼女は俺とは違う。
だって彼女には——守りたいものがハッキリとあるのだから。
彼女ならきっと
「……訓練の続き、しようか」
「は、はいっ!」
「次は徐々に反撃するから、頑張れよ」
「え゙」
どこかくすぐったい感情を覚えながら、さやかの剣を弾き鞘の先端を突き出し、さやかの悪手を指摘するように、腰や腕を小突く。
大した力も込められていないのに、さやかの体はそれだけで尻餅をついてしまった。
それでもめげずに何度も突っ込んでくるさやかを苦笑まじりに往なし、背中を小突き、突き飛ばす。
寂れた公園に、少女の悲鳴が響いていた。