Magia Chronicle   作:ケルヌンノス錦田

30 / 31
30話目です。
削除した話は現在書き直してます。


過去【杏子】

 

 

 

「ここは……教会か? 随分と荒れているようだが」

 

 かつて神を崇めるために築かれたであろう二階建ての聖堂は、半ば崩壊しかけていた。

 あちこちの石造りが砕け落ちた外観からは、途方もない年月と、人々の記憶から忘れ去られた哀愁が漂っている。

 正面玄関の真上では、全身を削られ顔半分を失った女神の石像が、慈愛とも冷笑ともつかない微笑で俺たちを見下ろしていた。

 

 なぜ杏子は、俺をこんな場所へ連れてきたのか。

 ここが、彼女の「願い」とどう関係しているのか。

 疑問を募らせる俺の隣で、杏子が口を開いた。

 

「ちょっとばかり長い話になる……よっと」

 

 勝手知ったる我が家のように、崩れかけた玄関から教会内へ侵入する杏子。俺も戸惑いながらその背を追う。

 念のため周囲を見回し、人影がないことを確かめてから、半壊した扉をくぐった。

 屋根の大半が崩落した聖堂内には、降り注ぐ陽光が眩しいほど差し込み、割れた床タイルの隙間からは雑草が青々と茂っていた。

 その光の束が、かろうじて原型を留めている祭壇を静かに照らしている。

 廃墟と呼ぶほかない空間を、杏子は慣れた足取りで突き進み、祭壇の後ろで足を止めた。

 

「……ここはね、アタシの親父の教会だったんだ」

 

 割れたステンドグラスを見上げながら、杏子がぽつりと語り始める。

 

「この場所に来て、何を感じた?」

「……人々に捨てられた教会、だな。だが敷地の広さや石像の佇まいを見るに、かつてはそれなりの栄華があったんだろう」

「そう見えるか? アタシの親父はね、正直すぎて優しすぎる人だったんだよ。毎朝新聞を読むたびに涙を浮かべて、本気で世界を憂いているような奴でさ。『新しい時代を救うには、新しい信仰が必要だ』ってのが、親父の口癖だった」

 

 それはきっと、彼女がおそらく誰にも話すつもりのなかった傷口。

 それを今、俺に見せようとしているのは——俺がかつての彼女と同じ過ちを犯そうとしているからなのだろう。

 自分と同じ絶望の底へ落ちていく俺を見たくないのか。あるいは真の理解者を求めているのか。

 

「だからさ、ある時から教義にないことまで信者に説くようになったんだ。当然、信者の足は途絶えたよ。本部からも破門されてさ。誰も親父の話なんて聞こうとしなくなった」

 

 信仰の拠点である宗教において、神父自らが教義を曲げれば信者が離れるのは当然の帰結だ。

 だが、当時の幼い杏子にしてみれば、正しくあろうとする父親を拒絶する人々に怒りを覚えるのも無理はなかった。

 職を失い、生活は困窮を極めた。

 

「……悔しかったよ。許せなかった。誰もあの人の正しさを分かってくれないのが、我慢できなかった。だから……アタシはキュゥべえと契約したんだ。『みんなが親父の話を真面目に聞きますように』ってね」

「……そこで、奴か」

 

 病に倒れた母親、それでも毎日のように街へ繰り出す父親。

 痩せこけ、唇を乾かせた妹は、いつしか「お腹すいた」としか言わなくなった。

 この飽食の時代にあって食べ物すら買えない貧困の底で、幼い杏子は必死に家族を繋ぎ止めようとしていたのだ。

 

「翌朝にはさ、教会はおしかける人でごった返していたよ。恐ろしい勢いで信者が増えてね。アタシはアタシで、晴れて魔法少女の仲間入りさ。親父の説法がいくら正しくたって魔女は倒せない。だからそこはアタシの出番だって、馬鹿みたいに意気込んでた。『アタシと親父で、表と裏から世界を救うんだ』ってさ!」

 

 自嘲的な笑みだった。

 まるで夢に破れた大人が、かつての幼い自分を蔑むような、歪んだ微笑。

 

「……でもね、あるときからくりが親父にバレた。大勢の信者が集まっていたのは信仰のためじゃなく、魔法の力で狂わされていただけだって知った時……親父はブチ切れたよ。娘のアタシを『人を惑わす魔女』だって罵った。……笑っちゃうだろ? アタシは毎晩、本物の魔女と命を懸けて戦ってたってのにさ」

 

 家族のために魔女と命懸けで戦い続けた結果、その家族から「魔女」と拒絶される皮肉。

 

「それで親父は壊れちまった。最期は……悲惨だったよ」

 

 酒に溺れた神父は教会を閉ざし、最期は家族を巻き込んだ無理心中。

 

——たった一人、杏子だけを残して。

 

「アタシの祈りが、家族を壊したんだ」

「…………」

「この教会の無惨な有様は……アタシの罪の形だよ」

 

 滲み出る過去の痛みが、彼女の表情を苛む。

 言葉を失う俺の前で、彼女はふっと肩の力を抜いた。

 

「そのとき心に誓ったんだ。もう二度と、他人のために魔法なんて使わない。この力は全部、自分のためだけに使い切るって……」

 

 杏子の利己的な立ち振る舞いの根幹にあるのは不誠実さではなく、あまりにも残酷な経験則から生じた『失敗への恐怖』なのだ。

 

「だからさ……アンタを見てられなかったんだよ。他人のために血を流して倒れていたアンタを見て、アタシと同じ過ちを犯してるって思ってさ」

「……そうか。そういうことだったのか。すまねぇ、お前のことを誤解していた」

「よしてよ。同情してほしくて話したんじゃないんだ。そんな顔すんなって」

 

 淡々とした口調を作ろうとしながらも、彼女は気まずそうに苦笑する。

 過去を抉り出した胸中は、穏やかであるはずがない。

 

「だからさ……アタシと一緒に戦わないか? 一緒に、自業自得の人生を歩もうよ。……なんか、変な言い回しだけどさ」

 

 照れ隠しのように笑い、手を差し出してくる杏子。

 だが俺は、その手を静かに見つめたまま、言葉を紡いだ。

 

「すまねぇ……やっぱり俺は、お前の考えに賛同することはできねぇよ」

「──なっ!?」

「俺には命より大事なものがあってな。そいつは最近、石ころに変えられちまったが……それでも俺の胸の中にある。だから俺は、まだ真っ直ぐ立っていられるんだ」

 

 毅然とした俺の声音に、杏子は息を呑み、怯む。

 

「ここで曲げちまったら、そいつが折れちまう。俺の魂が……千子村正の芯鉄が折れちまうんだよ」

「お前……なにを……」

「杏子は『俺を見てられなくなった』と言ったが……逆に俺は、今の杏子のこと……見ていられなくなったよ」

 

 狼狽する彼女へと歩み寄る。

 視線の先にあるのは、今も彼女の胸元で揺れるロザリオ。

 どれほど利己的に振る舞おうと、彼女が捨て去ることのできなかった「祈り」の証。

 

「誰かのために戦うのが辛いなら、杏子の分まで俺が戦うから」

「──!?」

「だから、思い出まで捨てるな。大事にしまっておけ」

 

 杏子には理解できなかっただろう。

 他人のための奇跡が悲劇しか生まないことを、身を削って知っているはずなのに、自分と同じ地獄に進んで飛び込もうとしているのだから。

 

「杏子は今まで通りに生きていい。そして意地を張るのに疲れたら、ひとつだけ約束してくれ」

「……なにをだよ」

「自分を騙すような──汚い言葉を使うな」

 

 ——————————————————

 

 遠ざかる少年の背中へ、杏子が無意識に手を伸ばし——そして、止めた。

 その代わりに完全に背中が遠のいた廃墟の闇のなかで、悔しげな呟きがひとつ漏れた。

 

「……バカヤロー。アタシ直々の誘いを断りやがって……」

 

悔しさと寂しさが混ざり合った、弱々しい呟き。

 

「……胸が、痛いよ……」

「——落ち込んでいるようだね」

 

 突如として静寂を破った声に、杏子は弾かれたように顔を上げた。

 祭壇の陰から悠然と姿を現したのは、白い獣——キュゥべえだった。

 

「しかし、誤解は解けたと言っていたし、別れの言葉も敵対的なものではなかった。諦めるには早いんじゃないかな?」

「フン……アタシには分かるんだよ。あいつとアタシを隔てる一線がさ」

  

————————————————————

 

「……さて。そろそろ出てきてどうですか。つけて来ているのは分かってますよ」

 

 教会を後にし、十分に距離を離した路地裏で俺は足を止めた。

 杏子とのやり取りが終わったあたりから視線は感じていたが、害意がなかったため放置していたのだ。

 

「一人……いや、二人いますね」

 

 俺の声に促され、路地の陰からおずおずと二つの影が姿を現した。

 

「……って、マミに、さやかか?」

「ごめんなさい、盗み聞きするつもりはなかったのだけれど……」

 

 バツの悪そうな顔で謝罪するマミ。

 その隣で、さやかは俯いたまま唇を噛みしめている。

 おそらく、杏子の過去を聞いてしまったのだろう。彼女がなぜマミの元を去り、あんな生き方を選ぶに至ったのかを。

 

「どうして尾行なんて……?」

「佐倉さんは強力な魔法少女だから……もし村正君の命を脅かすようなら、止めるつもりだったの」

「まあ、確かに彼女は強かったです。ですが、命を奪うだなんて大袈裟ですよ」

「村正君と会う前に、美樹さんが彼女に相当痛めつけられていたのよ」

「さやかが……!? おい、大丈夫なのか!?」

 

 正義感の強いさやかだ、杏子と衝突すれば無事では済まないだろう。

 

「だがな、やっぱり無茶な喧嘩はよくない。相手は俺より経験のあるベテランなんだぞ?」

 

 俺の言葉に、さやかは顔を上げ、憤怒と悔しさに満ちた目を向けた。

 

「だって……っ! あいつはっ、理由があったとはいえグリーフシードのために人を見殺しにするような奴だったんだよ!?」

 

 必死に涙を堪える青い双眸。

 俺はその視線を逃げずに受け止め、ふっと口元を緩めた。

 

「さやかが俺のために怒ってくれたのは、すごく嬉しい。でもな……それでお前が傷つく方が、俺はずっと悲しいんだよ」

「……っ!」

「気持ちは分かる。俺が逆の立場なら同じようにブチ切れていただろうさ。だが、そうして喧嘩した俺がボコボコになって帰ってきたら、さやかはどう思う?」

「……そりゃあ……心配するわよ……」

「だろ? だからさ、あまり無茶はしないでくれ」

「ご、ごめんなさい……」

 

 しゅんと項垂れるさやかの頭に手を伸ばし、安心させるように優しく髪を撫でる。

 彼女は頬を赤くしながらも、振り払おうとはしなかった。

 それを見守るマミさんの瞳にも、どこか微笑ましい色が浮かんでいる。

 殺伐とした路地裏に、穏やかな空気が満ちていく。

 だが、魔女使いの存在や、いずれ訪れるという『ワルプルギスの夜』を考えれば、さやかにも己を守る力が必要なのは確かだ。

 

「俺も、さやかの力になれるようもっと頑張るからさ」

「……うん」

「そうね。それなら——魔法の座学も、応用の訓練も、少しペースを上げていきましょうか」

「えっ」

 

 マミの明るい提案に、さやかが固まったような声を漏らした。

 

「まだ早いと思って手加減していたけれど、私の落ち度だったわ。どんな魔女や魔法少女と対峙するか分からないのだもの。万が一に備えて、あらゆる状況に対応できるよう鍛えておきましょう?」

 

 魔法少女になったさやかに対し、実技は俺が、魔法の座学はマミが担当している。

 新人の頃に徹底的に叩き込まれた俺から言わせてもらえば……マミの指導は愛が深い分、滅法きつい。

 身を心から案じ、せめて魔女退治から生還する確率を高めようと、膨大な知識を親身になって徹底的に叩き込むのだ。

 やられた方は思わず泣き叫びながら喜んでしまうほどだ。

 俺は彼女の座学を『魔法の試練(マギア・ブレイク)』と勝手に呼んでいる。

 顔を引きつらせるさやかに、マミさんは満面の笑みで「頑張りましょうね」と追い打ちをかける。

 

「は、はい……」

 

 乾いた笑みを浮かべて頷くさやか。

 ご愁傷様と言うほかない。

 

————————————————————

 

「……ふむ」

 

 荒れ果てた教会内。

 横になって背を向ける杏子の傍らで、キュゥべえは静かに佇んでいた。

 

「やれやれ、困ったな。早く鹿目まどかを契約させたいのだけれど……村正が何を吹き込んだのか、なかなか僕の計算通りに進まない。マミまで彼の影響を受けて、僕を敵視している」

 

 小さく肩をすくめる動作。感情を持たないはずのインキュベーターの声に、わずかな歪みが混ざる。

 

「村正……君は一体、何者なんだい?」

 

 少年の異質な存在感を思い描き——そして、思考を打ち切った。

 なぜか、彼の顔を思い浮かべることに奇妙な忌避感を覚えたからだ。

 

「興味深い観察対象ではあるけれど……最近は君の存在が、少しばかり疎ましく思えてくるよ」

 

——まったく腹立たしい。

 

 その言葉が脳裏を掠め、キュゥべえは即座に思考を払拭した。

 腹立たしい、などという概念は人間に特有の不合理な『感情』だ。

 インキュベーターにそんなものが存在するはずがない。

 

「あり得ないな。僕たちに感情など存在しないのだから。……とはいえ、少々強引に手順を進めるべきかもしれないね」

 

 鹿目まどかとの契約。それこそがインキュベーターにとって最優先されるべき至上の命題。

 

「彼女たちがどんな反応を示すか、僕には予測もつかないけれど」

 

 人間の情緒など、理解する必要も興味もない。

 涙の痕を頬に残して眠る杏子を一瞥し、キュゥべえは淡々と次の策を巡らせる。

 

「——すべては宇宙のためだ。きっと彼女たちも、理解してくれるよね?」

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。