「どうしたんだい杏子、昨日からずっとその調子じゃないか」
「……別に」
そう言いながら新しい菓子の袋を開ける。
気付けばベッドの周囲には食べ終えた包装が散乱していた。
杏子は彼女の教会の一室で、菓子類をやけ食いしていた。
菓子類を始めとして、ジャンクフード、焼き菓子、ドリンクなど。
彼女の師匠や鍛冶師の少年が見たら卒倒しそうなほど、栄養が偏った食生活をここ数年ずっと続けていたが、彼女の健康に支障もなければ、体型だって変わっていない。
それは彼女の体質のせいか、或いは魔法少女になったことの影響か。
しかし杏子はそんなことに欠片ほどの興味はなかった。
飢餓の記憶の影響か、平静を保つために食べる。そんな習慣が根付いてしまっているのだ。
「村正と別れてから、君は一歩も部屋から出ていないね」
「あいつの名前を出すんじゃねぇ。あいつは……マミを選んだんだ」
——誰かの為に戦うことが辛いなら俺に任せろ。
名前を聞くと、思い出したくもない声が勝手に蘇る。
それを記憶に埋没させるために杏子はチョコレートに齧りついた。
「……ねぇ杏子、ちょっと聞いてくれるかな」
「しつこいぞ、もうあいつの所には……」
「およそ二週間後、見滝原にワルプルギスの夜がやってくる」
「なんだって!」
ワルプルギスの夜、その名前を聞いた杏子は飛び起きると、キュゥべえに詰め寄った。
「何で分かる?」
「僕達は魔法少女をサポートする役目もあるんだよ? 彼女ほどの魔女の魔力を察知できるのは当然じゃないか」
「……そいつは本当なのかよ」
その魔女の伝説は杏子も知るところだ。
曰く——最強の魔女である。
曰く——現れたが最後、災害のような被害を撒き散らす。
いつから存在しているのかはわからないが、途方もなく強大で、何人もの魔法少女が挑み、未だに誰も倒せないほどの魔女であると、魔法少女の間ではもっぱらの『噂』だ。
「ワルプルギスの夜の強さは、正直言って僕にもよくわかっていない。ただ、普通の魔法少女が挑んで敵う相手ではないことは確かだ。当然、杏子でもね」
「……じゃあアタシが、村正やマミと協力すれば……!」
「いいや、それでも結果は分からないよ」
「なに?」
杏子、村正、マミ。
まだ未熟なさやかは戦力として数えづらいので除外するとして、ほむらに関してはまだまだ未知数な部分が多いものの、少なくとも足手纏いにはならなそうだ。
そして杏子としては、実際に戦った村正とマミの実力は高く評価し、認めている。
この近郊にいる魔法少女としては、彼らはかなりの実力者であろうことは間違いない。
彼女達が徒党を組んで、それでも勝てないという現実が、杏子には全く想像できなかった。
「見滝原には村正を含めて五人の魔法少女がいるけど……むしろ、ワルプルギスの夜の力は、それ以上だと推測するのが妥当だよ」
「なんだって……!」
「遥か昔から現代までに誰にも討伐できなかった魔女だからね。今までに多くの魔法少女が立ち向かって返り討ちにされてきた」
町を守るため、腕試しのため、あるいは己の正義を貫くため。
様々な理由で過去にワルプルギスの夜に勝負を挑んだ魔法少女がいたことだろう。
その中には当然、徒党を組んでいた魔法少女達もいただろう。五人程度の規模なら尚更。
杏子は自身の強さには自信があったが、キュゥべえの推測は妙な説得力を感じられた。
「じゃあ……大人しくやられるしかねぇのかよ」
「方法は二つ。一つは町の住人達を一人残らず避難させること。でもこれは現実的じゃないね。そこで僕としては二つ目を提案したい」
「何だよ」
「ワルプルギスの夜を倒すことさ」
「はぁ? お前が無理って言ったんだろうが」
杏子は呆れたようにキュゥべえを見下ろす。
キュゥべえ自身が現状の戦力では難しいといっておきながら、撃破を推奨することに対して心底小馬鹿にした表情だ。
「さやかと交戦した時……鹿目まどかという少女が後ろにいたのを知ってるかい?」
「あの、ちょっとぼんやりした……」
「まどかが魔法少女になれば、ワルプルギスの夜は確実に倒せる」
「……五人程度の魔法少女じゃ無理、って相手なんでしょ?」
「まどかについては例外だよ、僕が見た中でも規格外だ。彼女はとんでもない素質をもっているからね」
魔法少女の素質によって、魔法少女としての強さに影響する。
そのことについては承知していたのだが、個人差がそれほど出るというのは初耳だった。
「その子、村正やマミ以上だっての?」
「悪いけど比較にすらならないね……僕の計算上、魔法少女になったまどかは、あらゆる魔女を一撃の下に粉砕できるはずだよ」
「なっ……」
「それほど彼女が含有する魔力量は途方もない量だ。ワルプルギスの夜だって、彼女なら簡単に倒せてしまうだろうね」
杏子にとってキュゥべえとは、元々何を考えているのかわからない生き物であったし、それほど信用を置いているわけでもない。
だが、なんとなく嘘はつかない相手だと思っているし、少なくとも、自分の経験ではキュゥべえが偽りを口にしたことはなかった。
信頼はできないが、そういった点では信用していた。
「……ふぅん、つまりまどかって子が魔法少女になることが、ワルプルギスの夜を倒して街も守れる唯一の方法ってわけ?」
「現時点ではそう考えるよ。ワルプルギスを倒すにはまどかの力は必要になるだろうね」
「……まどかって奴に全部背負わせるってことかよ。胸糞わりぃな」
「だったら見滝原を諦めるしかない。でも、マミ達はそれができないからこそ、勇敢にワルプルギスの夜に挑み、多くの魔法少女達と同じようにソウルジェムを散らすんだろうね」
「——ちッッ!」
舌を弾く杏子の脳裏には、救世主という言葉が過って行った。
災厄の魔女に対抗できる唯一の存在という意味では、これほどこの言葉が似合う者はいない。
杏子の記憶の中にある、まどかの気弱そうな表情からは、そんな気配など微塵も感じられなかったが……。
しかし、あの気弱そうな少女に、過酷な運命を背負わせる。
その考えが杏子の胸の奥で小さく疼いた。
「……ん? だったらアンタはどうして、そのまどかって子に契約をもちかけない?」
「持ちかけているよ。ただ、気が進まないらしくてね」
「ワルプルギスの夜が襲来する事を踏まえてか?」
「いいや、まどかにはまだ話していないよ。僕が話したのは杏子だけさ」
キュゥべえの返答を聞いた杏子は、すぐに伝えるべきだろうと思ったし、それは自分でなくてもそうするだろうとも考えた。
これは人助けではなく、自分の縄張りのために必要なことだから。
そんな言い訳がましい理由を過らせながら。
「……そのまどかって子の契約の持ちかけさ……ひょっとしてうまくできなくて困ってる?」
「そうだね、困っているといえば困ってるよ。このままでは見滝原市も危ないしね」
「……だったら、アタシが協力してやろうか」
「杏子がかい?」
「ああ、ワルプルギスが見滝原を滅ぼすってのは、こっちも都合が悪いからな」
「それはそうだけど。近頃の君は、随分と献身的に僕を手伝ってくれるね」
「たまたまだよ。ただの気まぐれさ」
そう、気まぐれなのだ。
全ては彼女の気まぐれであり、もし問い詰められれば自分のためと言い張れるだけの理由もある。
これは他人のための善意なんかじゃない、見滝原という自分の縄張り候補が消えると都合が悪いだけなのだ。
決して、いけ好かない鍛冶師の言葉に絆された訳ではないのだと、心の中で誰かに言い訳をしていた。
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「そう……佐倉杏子とそんなことがあったのね」
「どうでもいいけどよ。なんで当然みたいな面して俺の家で朝飯食ってやがる」
目の前で俺が出した緑茶を啜る暁美は、とても不法侵入者とは思えないほど、この家に馴染んでいた。
ちなみに招いたわけではなく、起きた時には平然と居間を歩いており、俺を見るなり「おはよう」と挨拶してきた。
おかしい……戸締りはしていた筈なのに。
仕方ないので二人分の朝食を用意した後、共に手を合わせたのだ。
「あと二週間後、ワルプルギスの夜がやってくるわ」
「……勝てそうか?」
「ごめんなさい。それは……わからない」
実際に戦った経験のある暁美ですら、現段階での戦力に不安を感じているらしい。
マミや暁美に加えて、俺と最近メキメキと力を付けてきたさやかの四人でも不安が残るというのはイメージが湧かない。
それほどに俺の仲間達は皆、強力な魔法少女なのだから。
今度こそ、部屋に完璧な沈黙が訪れた。
それほどまでに『ワルプルギスの夜』は絶望の象徴に違いない。
遠くない未来に待ち受ける終焉の存在に、俺達は度し難い『未知』への恐怖と不安を覚えずにはいられなかった。
黙って思案する俺の顔をじっと見つめる視線に気づいて顔を上げると、アメジストのような瞳と目が合って、つい逸らしてしまう。
「何だよ? 俺の顔に何か付いてるか?」
「いえ……そういう訳ではないのだけど」
人の顔をガン見していたことを指摘されたのが恥ずかしかったのか、少し赤くなった彼女は視線を下に逸らす。
関係ないが、こいつ色白だから赤くなると分かりやすいな。だからどうってわけではないが。
「千子村正。あなたには、その……感謝してるの」
「感謝? 俺が何かしたか?」
自身の今までを振り返ってみるが感謝される覚えはない。
むしろ、彼女には未来を掻き乱す危険人物くらいに思われていると思ってたんだが。
「巴マミが、美樹さやかが、魔法少女の真実を知った上で生き残って……しかも、協力関係を築けている。私一人では実現できなかった。だから、その……ありがとう」
言葉尻を小さくしながら礼を言う暁美に、笑顔を返して首を振る。
「礼なんざいいさ。本当に俺は余計な世話を焼いてるだけだからな。やりたい事をやってるだけで感謝までされたら、ますます張り切りたくなるだろ? そうだな、とりあえず妖刀を百本くらい打ってみるか? 中には当たりが混じってるかも……」
「待ちなさい、いや、ほんとにやめて……」
感謝の言葉を伝えていた筈の暁美の視線が、まるで放っておいたら何をしでかすか解らない問題児を見る目に変わるのを自覚する。
「分かった、やめよう。まあいいさ。感謝なんて不要だよ。俺だって守りたいもののために、暁美達を頼りにするんだから。ギブアンドテイクって奴さ」
「それでも……あなたという変数が、私の旅を終わらせてくれるかもしれない。だから……ほんとに感謝してるのよ」
いつになく素直な暁美に一瞬目を丸くした後、微笑みながら暁美を賞賛した。
「お前さんは仏頂面だけれど優しいんだな」
「仏頂面で悪かったわね……」
そんな会話を続けていると、不意にメールの音が響く。
現在時刻は六時半——多くの学生が目を覚ます時間帯なのだろう。
そして、そんな時間帯にメールをしてくる俺の知り合いは一人だけだ。
毎日律儀におはよう、とメールを送ってくれる友人に俺も返信するのが朝の日課になりつつある。
素早く返信すると、あることに気付く。
「暁美、お前さんは朝早くからここにいたみたいだが……学校の準備はできてんのか? 弁当とかよ」
俺が起きてきたのは五時半頃だったが、その時には居間にいた。
暁美がどこに住んでいるのか知らないが、この家は山の上に建っているので、間違っても近所ではないだろう。
……となると、こいつ何時に起きたんだ?
「抜かりないわ」
すると、暁美は不敵な笑みを浮かべ、鞄を漁ると『昼食』を取り出した。
それは所謂——ゼリー飲料と呼ばれているもので。
「わずか数十秒でエネルギー補給出来る優れものよ」
「……まさか昼飯とは言わないよな?」
「そのまさか、よ」
真面目な顔で不真面目な食生活をひけらかす元病弱少女に眉間を押さえる。
いや、今日はたまたま『これ』なだけで普段はちゃんとしたものを食べているのだろう。
いや、そうであってくれ、お願いします。
一縷の望みを賭けて問いかける。
「……料理は?」
「しないし出来ない。必要ないもの」
「……この、戯けェッッ!」
その日、千子家に雷が落ちた。
そして——急いでもう一つ弁当を拵えた。
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「……千子、村正……くんだよね?」
爽やかな朝の光が差し込む通学路で、不意に後ろから声をかけられた。
振り返ると、制服の第一ボタンまでキチンと留めた、どこか育ちの良さそうな少年が立っていた。
その左腕は包帯で吊られているわけでもなく、ごく自然に身体の横に添えられている。
「……上条、先輩……ですか?」
「あはは、正解! さやかから聞いてたんだ。千子くんっていう後輩が、あの時、屋上で僕の演奏も聴いてくれたってね。お礼が遅くなっちゃってごめん」
屈託のない笑顔で頭を下げる上条恭介。
あの日、魔女の結界で精神的に追い詰められ、自暴自棄になっていた姿はどこにもない。
さやかが己の魂を質に入れて奇跡を願い——その成果が、いま目の前で元気に歩いている。
胸の奥に小さなチクりとした痛みを覚えつつも、なんとか笑みを浮かべた。
「お礼を言うのはこちらですよ。とても素晴らしい演奏でした。……それより、学校に復帰されたんですね。おめでとうございます。腕の具合はどうですか?」
「うん! 自分でも信じられないんだけど、主治医の先生も首をひねるくらいの快復力でね。指の動かしにくさも全くないんだ。……奇跡って、本当に起きるんだね」
奇跡、か。
その言葉の裏にある『代償』を知っている。
当然、それを口にするわけにはいかないのだが。
「……そいつは、本当に良かった。またバイオリンを弾けるようになって、一番喜んでんのはさやかですよ」
「さやかには本当に感謝してるんだ。入院中もずっと励ましてくれたしね。……それにしても、千子くんは物静かそうだね。さやかは『ちょっと口は悪いけど、根はすごくいい奴なんだよ』って言ってたけど」
「あのバカ、余計なことを……」
眉間を寄せると、上条先輩は楽しそうに笑った。
言葉を交わすうちに、互いの距離が少しずつ縮まっていく。
気取らない上条先輩の性格も手伝って、思いのほかあっさりと意気投合していた。
不意に、気になっていた疑問を投げかけた。
「そういえば上条先輩。あの時屋上で弾いていた曲……さやかに聞いたんですが、『亜麻色の髪の乙女』って曲でしたっけ。俺はクラシックなんてサッパリなんですが、すごく引き込まれました」
その瞬間だった。
——カチリ。
何かのスイッチが切り替わる音が聞こえた気がした。
「……君、いまドビュッシーの話をしたかい?」
「へ?」
「あの曲はね、クロード・ドビュッシーの『前奏曲集 第1巻』第8曲。1910年に発表された作品なんだ! タイトルはルコント・ド・リールの詩に由来するとされていてね。彼の作品の中でも特に旋律の美しさと繊細な音の色彩感が際立っているんだよ!」
「お、おう……?」
さっきまでの爽やかで物静かな雰囲気は一瞬で雲散霧消していた。
上条先輩の瞳には爛々と怪しい情熱の火が灯り、身乗り出すようにして怒涛のトークを叩き込んでくる。
「ドビュッシーの凄さはそれだけじゃない! 従来の機能和声に縛られない響きや、全音音階、五音音階なんかを使って、それまでとは違う音の世界を切り拓いたところにあるんだ! 例えば彼の『牧神の午後への前奏曲』なんてまさに近代音楽の幕開けと言ってよくてね、あの冒頭のフルートのソロが提示する曖昧な調性感というのはだね——」
「あ、あの、上条先輩……?」
「さらに言えば、『亜麻色の髪の乙女』にはヴァイオリン編曲もあってね! これがまた——!」
——徳川だ! 徳川がいる!
マシンガンのような語り口に思わず圧倒される。
一度音楽のスイッチが入ってしまった天才バイオリニストの暴走を止める術などなかった。
彼に音楽の話題を振ったことを今さらながら猛烈に後悔した。
登校風景の広がる通学路で、流暢かつ超ハイスピードでクラシック音楽の歴史と魅力を語り続ける上条先輩に、白目を剥きかけながら相槌を打ちつつ、なんとか質問を投げかける。
するとあら不思議。一の質問に対して十の答えが返ってきて、とってもお得な気分!
すれ違う見滝原中学の生徒たちが、好奇の視線を注いでいくのが地味に辛い。
「——というわけで、室内楽における弦楽四重奏の役割というのは非常に多層的で……おや?」
上条先輩がふと足を止めた。
視線の先には、見滝原中学校の校門。
いつの間にか、地獄の弾丸トークに晒されながら学校まで辿り着いていたのだ。
「やあ、もうこんな時間か! いやあ、千子くん、君は本当に聞き上手だね! こんなに楽しく音楽の話ができたのは久しぶりだよ!」
「……は……はは……そいつは、……光栄です……」
た、助かった……!
魂が口から抜けかけている俺の肩を、上条先輩は晴れやかな笑顔でぽんと叩いた。
「また放課後か登校中に、今度はバッハの無伴奏ヴァイオリン奏鳴曲について語り合おう! じゃあね、千子くん!」
「あ……待っ……」
冗談じゃねぇ! とは、言わなかった。
軽やかな足取りで校舎へ走っていく上条先輩の後ろ姿を、呆然と見送る。
その場に膝から崩れ落ちそうになった俺の前に、影が落ちた。
「おはよー、村正。……って、何その死にそうな顔?」
現れたのは、元凶の幼馴染である美樹さやかだった。
「……さやか、お前って実はめちゃくちゃすげぇ奴だったんだな」
「え……? なんで急に褒められたの?」
重い足取りで教室に向かう。
そういや、今日の三時限目が音楽だったなと嫌なことを思い出して——ソウルジェムが濁った。
初心者故の質問なのですが、本筋や原作にないオリキャラの長編ってどうなんですかね?