32話です。
それから諸事情によりタイトル等を変更しました。
夕刻——キュゥべえの導きに従い、杏子が足を運んだのは見滝原のショッピングモールだった。
道幅は十分に広い。しかし、放課後を迎えた生徒たちの波は絶え間なく押し寄せ、普段風見野の街並みで暮らす杏子には、鬱陶しさしか感じられなかった。
思わず舌打ちが出そうになるのを、辛うじて押し殺す。
「ここら辺に、その『まどか』って奴がいるんだな?」
「ああ。彼女の魔力の波動を感じるよ。きっと近くにいるはずだ」
「……チッ、やるしかねぇか」
キュゥべえの誘導に従い、まどかの反応を追う。
見ず知らずの他人に危険な契約を持ちかけることへ複雑な感情を抱きつつも、魔女によって街ひとつが吹き飛ぶとなれば悠長なことも言っていられない。
そう自分に言い聞かせ、杏子はファストフード店の自動ドアをくぐった。
(……あれは、佐倉杏子? どうしてここに……)
その背中を、ある少女の鋭い視線が射抜いていることにも気づかずに。
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「恋の相談ですわ」
「……恋?」
「私、さやかさんやまどかさんに秘密にしてきたことがありますの」
「へ?」
ファストフード店の一角。意を決した眼差しを向ける仁美を前に、さやかは奇妙な緊張感を覚えていた。隣のまどかも不思議そうに首を傾げている。
なぜこのような事態になったのか——それは放課後、いつものように村正との稽古のため、急ぎ足で彼の教室へ向かおうとしていた時のことだ。
親友の一人である志筑仁美が真剣な面持ちで遮り、放課後に話を聞いてほしいと告げてきたのだった。
それ自体は珍しいことではない。
それがさやかの幼馴染である上条恭介が復学した今日でなければ。
さやかの祈りによって奇跡的に腕の自由を取り戻した幼馴染——上条恭介が、いつの間にか退院し、まさに今日復学してきたばかりだったのだ。
学校で彼の姿を見た瞬間、さやかは驚きのあまり叫びそうになったほどだ。
しかし……最近の彼女といえば、村正とマミによる
「私……ずっと前から、上条恭介君のことをお慕いしていましたの」
「——え」
仁美の告白に、さやかは息を止めた。
胸を直接殴られたかのような衝撃。
さやかの知る限り、仁美と恭介の間に接点など無かったはずだ。
恭介の口から仁美の名を聞いたこともなければ、仁美がそんな素振りを見せた記憶もない。
「あ、はは……まさか仁美がねぇ。なーんだ、恭介の奴も隅に置けないねぇ……」
動揺を必死で覆い隠し、戯けて笑ってみせる。
だが、胸中はずたずたに掻き乱されていた。
痛々しいほど引き攣ったさやかの笑顔を、まどかは言葉を失って見つめることしかできなかった。
「さやかさんは、上条君とは幼馴染でしたわね」
「あ……うん。まあ、腐れ縁っていうか、なんというか」
「本当に……それだけですの?」
「…………」
「私、決めましたの。もう自分に嘘はつかないって」
仁美は迷いのない瞳で、さやかの正面から視線を据えた。
「あなたはどうですの、さやかさん? あなた自身の本当の気持ちと、向き合えますか?」
「仁美……」
「私、明日の放課後、上条君に告白しますわ」
今の自分の感情が何なのか、さやかには判別がつかなかった。
肯定しても否定しても、すべてが嘘に思えて口が開かない。
「丸一日だけお待ちします。さやかさんが後悔なさらないよう、上条君に気持ちを伝えるべきかどうか……お決めになってくださいませ」
仁美は優雅に立ち上がり、そのまま店を後にした。
残されたさやかの頭の中で、あらゆる思考が濁流のように渦巻いていた。答えなど出ようはずもなかった。
おぼつかない足取りで席を立つさやか。まどかが悲痛な表情で寄り添おうとするが、
「さやかちゃん……」
「ごめん、まどか……ちょっと、一人にして欲しい……」
俯いたまま、ふらふらと去っていく背中を、まどかは追うことができなかった。
さやかの苦悩は痛いほど分かる。
けれど、それ以上に——今の彼女に踏み込めば、永遠に拒絶されてしまうのではないかという恐怖が、まどかの足を竦ませていた。
「さやかちゃん……」
遠ざかる親友の背中に、彼女の名前を呟き、祈ることしかできない。
その時だった。
「……なあ。アンタが『まどか』で間違いないか?」
背後からの唐突な問いかけに、まどかは弾かれたように振り返った。
視界に飛び込んできたのは、赤い髪と赤眼の少女。一瞬で昨日の記憶が鮮烈に蘇る。
さやかを容赦なく叩きのめした、あの少女だと。
「やあ、まどか。久しぶりだね」
「昨日、マミさんが言っていた……杏子ちゃん、だよね? それにキュゥべえも……」
「ここ、座るよ」
「あ、あの……」
制する間もなく、先程まで仁美の座っていた向かいの席へ乱暴に腰を下ろす杏子。
ただでさえ荒々しい戦闘を間近で見せつけられた恐怖がある。
押しの強さに、まどかは気圧されるしかなかった。
「アンタに大事な話があって来たんだよ。突然で悪いけど聞いてくれ」
「……私に?」
「ああ」
杏子は冷めたポテトを一本つまんで口に放り込み、まどかの手元——ソウルジェムの指輪がないことを確認した。
「アンタ、『ワルプルギスの夜』ってのを知ってるか?」
「わ……ぷ? ごめんなさい、ちょっと知らないかな……」
「まあそうだろうね。魔法少女じゃないんだし。簡単に言えば、最強の魔女だ」
「最強の……」
「現れただけでひとつの都市が吹き飛ぶ。生憎とアタシも生で見たことはねぇけどさ」
「!」
「こいつが言うには、そんな化け物があと二週間かそこらのうちに、この見滝原に現れるんだと」
「そ、そんな……!?」
見滝原の消滅。この街で家族や友人と暮らしているまどかにとって、それは絶対に看過できない悪夢だった。
「正直、アタシはマミ達がいれば何とかなるんじゃねぇかと思ってた。だけど、キュゥべえは無理だって言うんだ。……だろ、キュゥべえ?」
「僕の見解はそうだね」
杏子の肩の上に乗った白い獣が、感情の失せた声で追認する。
「ま、マミさんやさやかちゃん……千子くんが戦っても……勝てないの!?」
「マミや村正は強力な戦力だ。特に村正は極めて異質な存在と言っていい。そこにさやかやほむらを加えても……なお足りないだろうね」
「うそ……っ!」
まどかの顔が悲痛に歪む。
彼女にとってマミや村正は、物語に出てくる英雄そのものだった。
どんな恐ろしい怪物が現れても、彼らが力を合わせれば退けられると信じていたのだ。
その希望を、淡々と打ち砕かれる。
「……村正の奴は戦うよ。マミもだ。止めようが絶対止まらねぇ。あいつらは誰かを見捨てるなんて真似ができる奴らじゃねぇからな。……けどさ、ワルプルギスの夜を倒せる魔法少女の『素質』を持った奴がいるって話を聞いてね」
「——! それって……もしかして」
「まどか。君が魔法少女になってくれれば、ワルプルギスの夜を倒すことができる」
「私が……」
「街を守るには奴を倒すか……住民全員を避難させるしかねぇ。だが、魔女が来るなんて言われて避難するバカがどこにいる?」
「そうだね。一般人には魔女の姿が見えない以上、事前の避難は不可能だ」
災厄として処理されるだけの現実。
中学生の言葉など、誰も耳を貸すはずがない。
街を、家族を、そしてマミたちを守りたいのなら、まどかが契約して倒すしかない——そう突きつけられているのだ。
「そ、そんなこと急に言われたって……私、どうしたらいいか分からないよ……」
「まあな。ホイホイ飛びつかないだけ賢明だよ」
契約を踏み止まるまどかに一定の理解を示しつつも、それとは別の思惑が杏子の胸中にはあった。
すべてを救う手段が目の前の少女にしかないのなら、どうにかして利用したい。
マミや村正と、見知らぬまどかを天秤にかければ、どちらへ傾くかなど自分でも分かっていたからだ。
(あいつらがここにいたら、絶対アタシを殴って止めるんだろうな)
分かっている。彼らがこんな犠牲を望まないことくらい。
けれど、迷わず死地へ向かうであろう彼らを救う方法はこれしかない。
彼らが選べない非情な手段を選べるのは、自分だけなのだから。
「話は聞かせてもらったわ」
「——! お前は、たしか……」
「ほむらちゃん……!?」
背後から唐突に響いた冷徹な声。
振り返った先にいたのは、杏子の後をつけてきた暁美ほむらだった。
縄張り外である見滝原へ現れた杏子を不審に思い尾行してみれば、耳を疑うような会話が交わされていたのだ。
まどかの守護者を自負するほむらにとって、決して見過ごせない提案。
「まどかを契約させるわけにはいかないわ」
「そりゃ……アタシだって無理強いはしたかねぇよ。けど、ワルプルギスの夜を倒すには、この子を契約させるしかないんだろ!?」
「……そう。今回は、このパターンなのね」
「……? 何言ってんだ、アンタ?」
どこか遠くを見つめるようなほむらの瞳。
怪訝な表情を浮かべる杏子を無視し、ほむらは無機質な声で呟く。
「千子村正が、そんな解決策を望むと思っているの?」
「——ッ! うぜぇんだよ! 言われなくたって分かってんだよそんなこと! でも、あいつらがやらねぇならアタシがやるしかねぇだろうが!」
図星を突かれ、杏子が激昂する。
自分が正しくないことなど痛いほど自覚している。
それでも、これ以上、大切なものを失わないための手段がこれしかないのだ。
「……高望みなんて、するべきじゃなかったのかしらね」
「あぁん!? 何をごちゃごちゃと言ってやがる!」
「この時間を無駄にするつもりなら——仕方ないわ」
ほむらの表情から一切の感情が削ぎ落とされる。
そこに宿るのは、純粋で絶対的な殺意。
「——っ、なっ!?」
次の瞬間、ほむらの姿が杏子の視界から完全に消え去った。
油断などしていない。目を離してもいない。
それなのに、認識の隙間すら与えず姿を消してみせたのだ。
そして——彼女が契約させようとしていたまどかの姿も、そこには無かった。
「なんだってんだよ……クソッ……!」
相手の手札があまりにも見えなさすぎる。
杏子は消化しきれない苛立ちを抱えたまま、説得を断念せざるを得なかった。
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空はどんよりとした灰色の雲に覆われていた。
陽光を完全に遮断した重厚な雲海を見上げ、一雨来るな、とさやかは思った。
『お稽古事、やめるの? 仁美ちゃん』
『受験勉強のために、時間を割きたいんですの』
なんてことのない日常の記憶が、脳裏を掠める。
さやかが魔法少女の存在を知るよりもずっと前、朝の通学路で交わした他愛もない会話。
良家のお嬢様である仁美は多数の稽古事を掛け持ちし、その全てで優秀な成績を修めていた。
さやかは純粋に彼女へ畏敬の念を抱いていたものだ。
『仁美ちゃんだって、両立は難しいよね』
『そうですわね……きっと、両方とも疎かになってしまいますわ』
なぜ今になって、あんな会話を思い出しているのか。
答えは明白だった。今の自分が、耐え難い矛盾に押し潰されそうになっているからだ。
(もし……恭介に気持ちを伝えて、付き合うことになったら……あたし、魔法少女はどうすんの……?)
恋と魔法少女の両立。
誰かと愛を育む一方で、人知れず化け物と殺し合う日々。
そんな未来が成立するとは到底思えなかった。
その恋人が一般人であるならば、なおのこと。
恋を取れば魔法少女としての責務が揺らぎ、魔法少女を取れば普通の少女ではいられない。
(あたしが戦わなくたって、マミさんや村正が街を守ってくれる……?)
頭を激しく振る。
自分の損得だけを優先するそんな考え、昨日自分が否定した『身勝手な魔法少女』と何が違うというのか。
それだけは、絶対に自分を許せなくなる。
だが——そんな倫理観以上に、さやかの心を病むほどに苛んでいたのは、別の醜い感情だった。
(仁美のこと……『裏切り者』だなんて、思っちゃった……!)
仁美は、さやかの恭介への想いを知っていたはずだ。
それなのに、どうして自分を差し置いて恭介に告白できるのか。
そんな的外れで身勝手な逆恨みを親友に抱いてしまった己の醜悪さに、猛烈な吐き気が込み上げる。
「あたし……最低だ……」
自己嫌悪の渦は底なしに落ちていき、胸元のソウルジェムがドロリと光を濁らせていく。
ぽつり、と冷たい水滴が頬を撫でた。
自責の声に呼応するように空が震え、一粒、また一粒と雨粒が落ちてくる。
それは瞬く間に、視界を奪うほどの激しい豪雨へと変わった。
——あの日も、こんな雨だった。
「村正……あんたは……こんなあたしを、どう思う……?」
思い起こされるのは、魔法少女になった日の病院の屋上。
己を庇い、血を流しながら立ち続けた少年の背中が脳裏に焼きついて離れない。
あの日、幼馴染を抱きしめながら、不覚にも目を奪われてしまった、あの泥臭い守護者の背。
そんな少年の高潔さと、今の自分の薄汚さを比較して——さやかの中で、冷酷な結論が形作られていく。
「そうだよ……あたしは魔法少女なんだ……」
感情の失せた目。ふらつく足取りで、彼女は雨の中に漂う魔女の気配を追い始めた。
「魔女を探さなきゃ……」
激しさを増す雨は——止む気配すらなかった。
村正の霊圧が消えた……!