「えっと、急に押しかけちゃって、ごめんね? お風呂まで借りちゃって……」
「いえいえ、お気になさらず。鹿目先輩達が風邪をひいちまう方が問題だ」
千子邸の居間。
湯気を立てる少し熱めの緑茶を卓に置きながら、ちょこんと縮こまって正座している鹿目先輩に返答する。
借りてきた猫のように身を小さくし、申し訳なさそうに視線を彷徨わせる彼女は、トレードマークである赤いリボンを外しており、濡れた髪を下ろしているせいか、いつもより少しだけ大人びた印象を与える。
……いや、普段が子供っぽいとか失礼なことを思っているわけではないが。
そんな鹿目先輩の恐縮しきった謝罪を受け流しつつ、俺は視線を彼女の隣へと滑らせる。
その先に転がっているのは、他人の家で『遠慮』という言葉を辞書から引きちぎって捨てたかのように、大の字で爆睡をかます赤い魔法少女——佐倉杏子だ。
運び込まれた直後の、大量出血による死人のような青白さはすっかり消え失せ、今は規則正しい寝息を立てている。
「鹿目先輩がこいつの世話をしてくれたおかげで、助かりましたよ」
あの後、魔法による杏子の傷の応急手当と、グリーフシードで魔力補給を済ませ、ひとまず命の危機は去ったのだが……流石に年頃の少女の泥汚れや風呂の面倒までは見きれないため、鹿目先輩にお願いしたのだ。
「では、ひとまず改めて事情を教えてください。まだ、ちゃんと聞いていなかったから」
「う、うん……! えーっとね、実は……」
湯呑みを両手で包み込むように持ちながら、鹿目先輩はぽつりぽつりと語り出した。
————————————————
「なるほど……そんなことがあったとはな」
鹿目先輩の口から語られたのは、今日彼女たちの身に降りかかった、嵐のような出来事だった。
杏子による鹿目先輩への魔法少女への勧誘と、それを阻止する暁美との衝突。
そして、おそらく暁美と争い、傷ついて倒れていた杏子をたまたま通りがかった鹿目先輩が発見し、この嵐の中で彼女を支えながら、この山上の千子邸を目指したこと。
「そんなことが……」
「うん……杏子ちゃんが千子くんなら匿ってくれるって……」
しゅん、と耳を伏せたウサギのように、小さな体を更に小さくする鹿目先輩。
彼女を責めている訳でもないのに、何故かひどく座りが悪くなる。
なんというか……自分にそんな経験はないはずなのだが、大人しい小動物を理不尽に虐めてしまったような、謎の罪悪感が胸をチクチクと刺す。
「ねぇ、千子くん」
勝手に気まずくなっていると、不安げに揺れながらも、しっかりと芯のある視線を感じて顔を上げた。
「ワルプルギスの夜っていう強い魔女がもうすぐ見滝原にきちゃうって。誰にも倒せないくらい危険な魔女で……街中が、危ないって本当?」
俺は、その『魔女』の名前に目を丸くする。
何で鹿目先輩がそいつの名前を知っているのか、気になることはあるが、まずは——
「直接見たわけじゃありませんが、遥か昔から存在する魔女で数えきれない数の魔法少女が返り討ちに遭ったらしいです」
「そんな……!」
「一度顕現しただけで数万という人間が犠牲になる。紛うことなく『最強』の魔女……って話ですね」
俺の言葉に、こくん、と鹿目先輩が唾を呑む音が鳴る。
かく言う俺も暁美やキュゥべえから聞かされた情報を喋ってるだけなので、ワルプルギスの夜の正確な強さは知らない。
「村正くんでも……倒せないの?」
「うーん、そうですね。まぁ、命懸けのしんどい戦いになるのは間違いないでしょうね」
「負けちゃう……の?」
「大丈夫、絶対に勝てるから」
不安を隠しきれない鹿目先輩の上目遣いが、縋るように俺を射抜き、そんな彼女を安心させるように力強く言い切る。
さて、と一度言葉を区切り、今度は俺の方から重い話題を切り出した。
「さやかが、失踪しました。これより捜索に向かおうと思います」
「嘘……! さやかちゃんが……!? やっぱり、あのこと……」
親友の失踪を伝えられた鹿目先輩は、ハッと息を呑んで口元を押さえた。
だが、その瞳には驚愕だけでなく、さやかの心境が壊れた原因に対する『心当たり』の色が濃く滲んでいた。
「その反応から察するに、何か事情をご存知のようにお見受けしますが……差し支えなければ、教えていただけませんか?」
「……うん。実はね……」
鹿目先輩が痛みを堪えるように語ってくれたのは、学校で彼女自身が見聞した、さやかを取り巻く残酷な状況だった。
——恋愛って、怖い。
話を聞き終えた俺の胸に去来したのは、その一言に尽きた。
『明日、彼に告白する』という、志筑仁美先輩の宣言。
彼女の人となりを深く知る訳ではないが、一見すれば正々堂々とした宣戦布告だ。
そう、きっと彼女なりに親友へ筋を通したのだろう。それ自体は決して責められるべきことじゃない。
ただ……うん、あまりにも間が悪すぎる。
自分よりもさやかを優先し、告白の猶予を与えたことも、さやかが口に出していない恋心を理解してこその気遣いであり、本来なら何の問題もない友情の証だったはずだ。
もしかしたら、それまで長いこと踏み切れなかったさやかの背中を押し、決意を固めさせる最高のキッカケになったかもしれない。
——今の、あの傷だらけの『美樹さやか』でさえなければ。
ソウルジェムの身の毛もよだつ秘密。魔法少女の現実と、避けられぬ末路。
誰にも言えない爆弾を抱えて生きるというのは、思いの外、人間の神経を削り殺すものだ。
でも多分……彼女が壊れた理由は、それだけじゃない。
「俺は今から彼女を追いかけます。手遅れになる前に」
「——行って、どうすんだよ?」
背後から、空気を切り裂くような鋭い声が響いた。
振り返ると、いつの間にか目を覚ましていた杏子が、刺すような冷たい視線を俺に向けていた。
俺は突然の質問の真意が読めず、間抜けな鸚鵡返しをしてしまう。
「……どうする、って?」
「そいつはお前の差し伸べた手を、自分から振り払ったんだろ? そんだけの不義理をしといて、またノコノコ助けられたらさ……アタシなら惨めで死にたくなるね」
杏子の刃のような言葉に、ハッとさせられた。
助けること。命を救うこと。そればかりを考えていたが、『助けられる側』にも感情や尊厳がある——そんな当たり前のことを、俺は忘れていた。
彼女をエゴで助けに行くことが、結果として、彼女の残されたプライドを決定的に壊してしまうのだとしたら?
重い沈黙が居間に落ちる。
鹿目先輩も、杏子も、何も言わない。
俺は視線を窓ガラスに打ちつける雨粒に移したまま、とある日の記憶を幻視した。
そう、あの日も——今日みたいな雨だった。
「そうだな——」
—————————————————————
「はぁ……っ! はぁ……っ! ぐぅっ……!」
魔女の結界——その最深部。
そこは、白と黒の二色だけで構築された、狂気の影絵世界だった。
地面も、壁も、空さえも濃淡を失い、白と黒の鋭い輪郭だけで切り取られている。立体感は狂い、距離感すらも脳を惑わされる異空間。
そんな薄暗い一本道の奥から、毒々しい光が漏れ出していた。
開けた空間の中央。そこに聳え立つのは、血のように赤く染まった異形の塔。
太陽を象った不気味なシンボルが掲げられたそのモニュメントの前で、両手を組み、祈るように膝を折っている黒い影——それが、この結界の主である『影の魔女』だった。
そして今、無数の影の使い魔の群れを前に、美樹さやかは完全に追い詰められていた。
折れた剣を杖代わりにして、辛うじて立っているのが限界。膝はガクガクと笑い、視界は自身の流した血で真っ赤に染まっている。
「なっ……!」
村正に出会う前から戦い続けていたさやかにのしかかる極度の疲労。
それにより一瞬、防御の反応が遅れたさやかの水月に、影の蛇から繰り出された槍のような一撃がまともに突き刺さった。
「がはっ……!」
身体がくの字に折れ曲がり、宙高く放物線を描いて使い魔達の頭上を吹き飛んでいく。
使い魔達は宙を舞うさやかに敏感に反応し、一斉にその不気味な頭を仰ぎ見た。
やがて、容赦なく硬い地面に叩きつけられる。
衝撃で肺から空気が強制的に押し出され、呼吸が止まりかけた。だが、もはや痛みすら遠い。
「……は、はははっ」
仰向けの体勢で、白黒に歪む結界の天井を見上げながら、さやかは壊れた玩具のように笑った。
黒い蛇の群れが、足並みを揃えて彼女のもとへと反転してくる。
自分の最期がこんな場所なのかと思うと、さやかは無性に可笑しくてたまらなかった。
もしこの仕打ちが、自分の綺麗事の願いに対する因果応報と言うのなら——神様ってやつは、あまりにも性格が悪すぎる。
(……ああ、でも)
これが、親友の厚意を逆恨みし、あまつさえ醜い嫉妬を向け、そのうえ——絶対に見捨てようとしなかった少年の救いの手まで振り払ってしまった報いだというのなら。
さやかは、不思議なくらい素直に、この結末を受け入れることができた。
それなら仕方ない。
それなら、これが自分に相応しい末路なのだ。むしろ、こうやって罰せられるのが然るべきなのだと。
数え切れない影の使い魔達が、波となって蠢きながら詰め寄ってくる。
逃げ道など、どこにもない。仰向けに倒れるさやかは、完全に死の影に取り囲まれた。
「……悔しい、なぁ……」
ぽつりと呟かれた涙声は、這いずる使い魔の粗雑なノイズに無情にも踏み潰されていく。
魔法少女——魔女の魔の手から人々を守る、正義の味方。
しかし現実は、肉体から魂を切り離されたゾンビのような体にされ、事情があったとはいえ利己的な他の魔法少女に敗北し、正義すら貫けなかった弱虫。
あまつさえ、その内側にはドロドロとした薄汚い欲求を抱えていた偽善者。
そんな自分が、さやかはたまらなく嫌いになっていた。
「どうして……っ」
本当は、誰かに頼られたかった。必要とされたかった。
大事な誰かを守れる強い人間になりたかった。誰かの生きる力になりたかった。幸せになりたかった。
だから魔法を願った。だから戦った。どんなに痛くても、血を吐いても立ち上がってきた。
なのに。
(どうして誰も、「ありがとう」って言ってくれないんだろう)
土壇場になってようやく認めることのできた、胸の奥底の本当の気持ち。
そのあまりの惨めさに、さやかは自嘲の笑みを深めた。
『ガァアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!』
目の前の影の蛇が、鎌首を大きく振りかぶる。
(……さよなら)
これでやっと、弱くて醜い自分を終わらせることができる。
誰も助けられなかったちっぽけな自分を。何の価値もない自分を。
寂しくて、寂しくてたまらなかった自分を。
(あぁ、あたし……やっと……)
——やっと、傍に居てくれる誰かを、見つけられそうだったのに。
(…………死んじゃうの……?)
さやかは泣き笑いの表情を浮かべ、そっと瞼を閉じかけた——その時。
「——見つけた」
空間を切り裂くような聞き慣れた怒号に、さやかは弾かれたように目を見開いた。
「オオオオオオオオオオオオオッ‼︎」
上空から降臨した流星の如き一撃。
大上段から振り下ろされた白刃が、地面を粉々に砕き割りながら、襲いかかっていた影の使い魔達ごと、さやかの諦観の涙を纏めて吹き飛ばした。
—————————————————
「……行きやがった」
開け放たれた玄関を見つめながら、杏子は嘆息交じりにそう呟いた。
「うん。でも……千子くんらしい答えだったと思うよ」
軽く瞼を下ろし、まどかはつい数分前の光景を思い返していた。
『それでも、あいつが今苦しんでるなら、助けに行く』
『は?』
杏子からの厳しい問いを突き付けられた村正は、窓の外の土砂降りを眺めてそう言った。
話を聞いていなかったのか、と語気を強める杏子に対し、それでも彼は己の考えを曲げず——いや、曲げられなかった。
『さやかを契約させちまった日も、こんな酷い雨だった』
彼の脳裏を過っていたのは、あの病院の屋上での絶望的な戦闘。
魔女使いの魔法少女『優木沙々』との死闘の中で、村正はさやか達を守り切れず、結果的に彼女にキュゥべえとの契約を強いてしまった。
その時のことは、彼の心に深く刻み込まれた消えない傷の一つだ。
そして今。
『あいつは今、迷子になってるみたく、苦しそうだったんだ』
村正は自分の見てきたものを語り、その上で、自分の想いを吐露した。
泣いているのは誰だ。苦しんでいるのは誰だ。
この嵐の中にあって、咲かせなければいけない笑顔は、どこだ。
『間違いだって構わない。傍で力になってやりたい』
自らの心の傷口をこじ開けるように、既に決意を終えた答えを彼は口にした。
『何度でも名前を呼んで、帰る場所はここだって言ってやるんだ』
『……何言ってんだよ、お前』
『ま、助けに行くってより……そうだな。これはただの、俺の個人的なリベンジだ』
そう言い残し、少年は傘も持たずに豪雨の中へと飛び出していった。
振り返らずに駆けていくその背中を見て、まどかは胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じていた。
「こうなったら、千子くんはとっても頑固なんだよ?」
ふふっ、と顔を綻ばせるまどかに、杏子は心底困惑したような顔を作り、呆れたように長いため息を吐き出した。
「ほんっっと……アンタといい、マミといい、アイツといい……見滝原にはこんなお人好しばっかりかよ」
——————————————————
さやかのすぐ側で、頭を振り上げたまま固まっていた影の蛇の懐に肉薄し、瞬時にその首を刈り取る。
「さやかッ! 大丈夫か!? 俺の顔がわかるか!?」
突如として自分の体を抱き起こした人物の正体が、さやかには最初わからなかった。
覗き込んでくる黒い瞳が動揺に激しく震え、肩を摑む指の力が、骨が軋むほど痛いくらいに握りしめられている。
慌てた手つきで取り出されたグリーフシードが、黒く濁ったソウルジェムへと押し当てられた。
「……村、正……?」
「そうだ。……無事、か……!?」
先程のさやかと同じように涙ぐむ村正は、安心したように笑いながら、その声を上擦らせていた。
今の今まで冷たく凍えていたさやかの胸が、痛いくらいに激しく締めつけられ、熱い血が巡り始める。
村正はさやかの安否を確認すると、すぐさま顔を上げた。
その鋭い双眸が、依然として健在である使い魔の群れへと向けられる。
「あとは俺に任せてくれ。さあ……みんなの待つ所に、一緒に帰るぞ」
ゆっくりと立ち上がり、右手に黒鉄の刀を召喚して鋭く構える。
獲物を奪われた影たちの怒りの啼き声が、結界のそこら中から木霊し始めた。
「…………嫌だよ。帰りたくない……」
戦闘が開始され、村正が使い魔達の群れへと猛然と突進する。
これ以上のない孤立無援。
二人を完全包囲する使い魔の数は、ざっと見ても三十。更に結界の奥底からは、次々と新たな影が量産されて湧き出してくる。
今にも飛びかかってきそうな使い魔の津波を前にしても、村正は一歩も引かず、正面から迎え討つ。
「悪者になんかなりたくない……っ! あたしが最低な人間だって、大切な人達に知られたくない……! だからって、都合のいいとこだけ見せるズルい自分にもなりたくなくて……! それでも、どっちかを選ばなきゃいけないなら……!」
刀が閃いた瞬間、先陣を切った使い魔達の胴体が爆砕され、黒い塵となって吹き飛んだ。
一斉に動き出した影の群れへと、村正は疾風のごとく駆ける。
刀身から発せられる輝きが闇を切り裂く度、影の蛇達の首が、胴体が、次々と宙を舞う。
駆け抜ける度に使い魔達は蹂躙され、瞬く間に粉砕されていく。
速くて、鋭くて、圧倒的に強い。
「だったらいっそ——逃げちゃおうかなって……っ」
顔を両手で覆い隠したさやかは、何かに怯えるようにうつむき、拒絶を口にし、懺悔するように己の罪を言葉として落としていく。
そんな悲痛な叫びを受けながら、村正は、さやかに背を向けたままはっきりと口を開いた。
「悪者でもいいじゃないか」
「……え?」
「俺だって同じだ。俺はずっと——お前に対して、負い目を感じていたんだよ」
どことなく悲しげに語る少年の言葉に、さやかは呆然と顔を上げる。
だが少年は振り返らず、影の魔女の本体へと向けて一直線に疾走した。
射程圏内へと一人足を踏み入れたことで、魔女の凶悪な戦意が解放される。
全身の骨格を不気味に軋ませ、臨戦状態へと移行する魔女を前に、村正は地を強く蹴って戦いへと身を投じた。
最短距離で敵の懐へ駆け抜ける。
魔女は侵入者を睨み付け、剝き出しの歪な左腕——巨大な樹木を彷彿とされる鋭利な刃物と化したそれを放った。
大気を抉り取るような轟音と共に、眼下の矮小な影に向かって、必殺の横薙ぎを繰り出す。
「——『一心』!!」
押し寄せる一撃必殺の質量に対し、村正は己の始まりの妖刀を強烈に振りかぶる。
己の肉体を削る自傷の呪いと引き換えに、あらゆる概念的『硬度』を無視する妖刀。
刃が奔ると同時、影の左腕が豆腐のように斜めにぶった斬られた。
切断された魔女の腕と、村正の傷口から吹き荒れる鮮血が宙を舞う。
「村正ッ!?」
「……俺はあの日、俺の不甲斐なさのせいで……さやかを魔法少女にしてしまった」
「それはッ……あんたのせいじゃ……!」
「さやかに戦い方を教えたのだって……本当は自分の罪悪感を紛らわす為だったのかもしれない」
激しい攻防の中、わずかに間を置き、村正は血を吐くように叫んだ。
「俺はな、さやかを……俺自身の罪悪感から逃れるための『道具』に使っちまったんだよ」
「…………っ」
自身の傷を魔力で強引に塞ぎながら、さやかの方へ振り返らずに言葉を紡ぐ村正の声は、激しく震えていた。
しかし、次の瞬間には左足で地面の石畳を爆発させ、一気に音速へと加速しながら、己の誓いを吠えた。
「だから——そんな嘘は、もうやめる」
体を極端に前傾させ、斬り落とした左腕の死角へと疾駆する。
敵を見失った魔女が狂乱し、残された腕を滅茶苦茶に振り回して破壊の波が押し寄せる。
だが村正はそのすべてを紙一重で回避し、魔女の肩を蹴り上がって跳躍すると、残った右腕の関節を正確に叩き斬った。
両腕を失い、棒立ちとなった魔女。
そのがら空きの頭部に向けて、村正は妖刀を真っ直ぐに照準しながら語りかけた。
「俺──さやかのこと、好きだよ。本当の意味で、お前と友達になりたいと思う。だから……さやかの為でも、他の誰かの為じゃなくて、『俺の為に』自分を許してやってくれ。……お前が自分を許す気がないなら——」
全魔力を、切先の一点に極限まで集中させる。
己の死を予感した魔女は、結界中の大量の使い魔を盾として召喚し、村正へと放って技の発動を阻止しようとした——が、一手遅かった。
「俺だって、『正義の味方』の真似事なんざやめてやる」
放たれた突きは、押し寄せる使い魔の群れごと魔女の頭部を完全に貫き、魔女を粉砕した。
邪悪な光が消え失せた事を確認した村正は、ゆっくりと着地し、さやかへと語りかける。
「だから、俺の前からいなくならないでくれ」
「…………駄目だよ。そんなの……あたしの知ってる村正じゃないよ……」
魔女が崩れ落ち、世界を構築していた結界がさらさらと崩壊していく。
白黒の狂った空間が現実に引き戻され、冷たい雨粒が再び二人を優しく叩き始めた。
「あんたは……ムカつくけどさ。本物の正義の味方みたいなあんたに、ちょっと憧れてたんだよ。だからこそ、足手纏いになるなんて嫌だったのに……そんな反則みたいな事言われたらさ……!」
「…………」
「……いいの……? あたし、悪い子だよ……? あんたが伸ばしてくれた手だって、一度振り払ったんだよ……? そんな最低なあたしと、一緒にいてくれるの……?」
「当たり前だろ。一回振り払われたくらいで諦められるなら最初から手なんて取ってねぇんだよ」
不意に胸が詰まって呼吸ができなくなり、さやかは両手を胸の前でぎゅっと固く握りしめた。
言葉にできない、熱くて痛い感情の奔流を持てあましながら、雨に濡れる黒い瞳の少年をじっと見つめ返す。
「……ありがとう」
心の奥底から浮かび上がってきた、偽りのない言葉を、そっと口にした。
それ以上なにか話したら、今度こそ大声で泣いてしまいそうだった。
それを聞いた村正は、ひどく照れくさそうに鼻の頭を掻き、笑った。
「こちらこそだ」
それ以上はもう言葉にならなかった。
さやかは声を上げて泣きながら、村正の胸に強く顔を埋めた。
——————————————————
どれくらいそのままでいたのか。
ついに涙も枯れ、さやかは虚脱感とともに体の力を抜き、俺に寄りかかる。
更にしばらく続いた沈黙を破ったのは、さやかのほうだった。
「あたしね……、仁美のこと、裏切り者だって思っちゃった……」
ぽろりと言葉を零したさやかは、俺の反応を待たず、続ける。
「仁美は、あたしためを想って言ってくれたのに……なのに、こんな酷いこと……! 最低だ。救いようがないよ……!」
さやかは、震える体を両手でぎゅっと抱きながら、心の内を語ってくれた。
経緯は鹿目先輩が教えてくれた通りだった。
しかし、彼女が何に苦しんでいるのか、その胸の内は、彼女だけのものだ。
親友を妬み、恨んだ気持ちと、そんな自分を戒める気持ちがないまぜになって、さやかの心を蝕んでいる。
きっと、「そんなことないよ」なんて慰撫の言葉に意味はない。
それで慰められていると思っているのは、無関係の第三者のみで、本気で悩んでいる人間にとってそんな陳腐な言葉なんて何の価値もない。
そもそも、さやかは優しい言葉なんかでは、きっと自分の醜さを許せない。本当に面倒な性格をしていると思う。
なら、俺は。
俺のやり方を貫くしかないだろう。
まったく、本当に嫌になる。こういうことばかり考えついてしまう自分に。
「だったら……決着をつけようぜ」
「……は?」
俺の言葉に豆鉄砲をくらった鳩のような表情のさやか。
古来より、お互いぶつかったときは河原で殴り合って雌雄を決するのが少年マンガの習わしだ。
こんなやり方はまちがっているんだろう。
それでも今の俺にはこれしかできない。
「志筑先輩を悪者にしたくないんだろ? だったら、正々堂々と勝負すれば、『敗者』はいても『悪者』はいなくなる」
「ちょ、ちょっと! 一体どういうことよっ⁉︎」
面白いぐらいに慌てふためくさやかに、俺は覚悟を決めて言った。
「これは命令です。上条先輩に告白すると言いなさい」
次回、さやかvs仁美。