オリキャラ注意です。
視界のすべてを覆い尽くすような、どこまでも無機質な白い空間の中で、暁美ほむらはぽつんと佇んでいた。
天井も壁すらも見分けがつかない。
ここがどこなのか、なぜ自分自身がここに立っているのか、記憶の糸口すら掴めないまま、彼女は戸惑いがちに首を傾げた。
視線をふと足元へ落とし、胸元に垂れる二本の長い髪束に触れる。
三つ編みに結い上げられた髪の感触と、鼻腔を突くツンとした薬品の匂い。
鼻梁に触れる金属フレームの感覚にハッとして指先を伸ばすと、そこには見覚えのあるメガネがあった。
——昔の、己の姿。
昔? 昔とはいつのことだろうか。
手繰り寄せようとしても記憶はモヤに包まれてはっきりとしない。
無菌室のような冷ややかな静寂の中、ぽつんと一人取り残されている事実に、ほむらの小さな胸はぎゅっと絞られるような寂しさに苛まれた。
冷たい床を踏みしめ、肌を刺す静けさに恐怖を感じて肩をすくめた、その時だった。
『——わたし、鹿目まどか。まどかって呼んで』
ふわりと、足元から弾むような影が躍り出た。
ひょっこりと顔を出したのは、桃色の髪を揺らす小さな『お友達』。
続いて、眩い金色の髪をなびかせた少女もその隣に並ぶ。
二人ともほむらより幾分か背が低く、小さな体をしていたけれど、誰よりも強くて頼もしい存在であることを、ほむらはなぜかよく知っていた。
——そうだ、二人は魔法少女だったんだ。
やがて、まばゆい白の世界は仄暗い不気味な闇へと塗り潰され、影の底から形を歪めた異形の怪物たちが次々と這い擦り出てきた。
だが、ほむらの心に恐れはなかった。
桃色のお友達が構えた光の弓から放たれる幾筋もの矢が、そして金の少女が操る無数の白い銃身から吐き出される弾が、怪物たちをバタバタとなぎ倒していく。
何も恐れるものはない。この二人と一緒なら、どこまでも行ける。
さぁ、歌を歌おう。
パン、パンと手拍子を打ち、トントンと足を踏み鳴らす。ラッパを吹き鳴らし、太鼓をドンドンと威勢よく叩く。
陽気な楽器の音色に合わせ、小さくて可愛らしいお友達が朗らかな声を弾ませて歌う。
列をなして、胸を張り、一歩ずつリズムを刻もう。みんな一緒の勇敢な行進曲!
ルンパカ、ルンパカ。愉快な音色を奏で、互いに手を差し伸べて助け合いながら、ぐんぐんと前へ進む。
視界を塞ぐ闇がどれほど深くなろうとも、さらに前へ、もっと前へ。
そうして——ちょうど、夜空の月がひとつ巡ったころ。
突如として、猛烈な嵐が吹き荒れた。
叩きつけるような暴風に、ほむらは顔の前で腕を交差させ、三つ編みの髪を押さえながら咄嗟に両目を強く瞑った。
風の唸り声に混じり、ぴちゃぴちゃと湿った何かが弾ける嫌な音が耳を叩く。
頬に飛び散る、生温かい液体の感触。
なんだろう——?
おそるおそる瞼を開いたほむらは、ぴたりと動きを止めた。
音が、途絶えている。
さっきまでみんなで笑い合いながら歌っていた行進曲が、跡形もなく消え去っていた。
みんな……?
引き攣る首をギシギシと動かし、ゆっくりと後ろを振り返る。
そこには、赤ぐろく波打つ不気味な泉と、そこにぷかぷかと浮かび、沈んでいく『お友達』の姿があった。
無数の穴があけられた体。千切れかけたボタンの目からは、絶え間なく真っ赤な雫がボタボタと滴り落ちていた。
「──────」
ほむらの時が凍りついた。
血の気が引き、体中の熱がサーッと引いていく。
手足の指先から冷気が侵入し、芯まで氷のように冷たく固まっていくようだった。
びゅうびゅうと、耳元で風ではない何かが哭いている。すぐ側で自分を呼んでいる。
カタカタと震える瞳孔をそちらへ向けると、ようやく視界が焦点を結んだ。
目の前に佇む白い獣が、毛並みの揃った前足を優しく差し出していた。
——僕と契約して、魔法少女になってよ。
ああ、なんと素晴らしいことだろう。その白い動物は、どんな願い事だって叶えてくれる、救世主のような優しい味方だったのだ!
——鹿目さんとの出会いをやり直したい。彼女に守られる私じゃなくて、彼女を守る私になりたい。
誓いを口にした瞬間、ほむらの小さな掌の中に眩い輝きを放つ宝石が立ち現れ——気付けば、再びあの真っ白な部屋の中に立っていた。
壁に掛けられたカレンダーの数字を目で追い、ほむらは真実過去へ戻れたのだと、胸を躍らせて喜んだ。
さあ、ルンパカ、ルンパカ歩き出そう! 今度は絶対に上手くいく。
『お友達』の後ろをついていくだけじゃない。今度は私が、私の手で二人を守るんだ。
前と同じように二人へ駆け寄り、笑顔を交わして仲良くなって、三人肩を並べて戦うんだ。
ルンパカ、ルンパカ。規則正しくリズムを刻み、踏み出していく。
大丈夫、きっと大丈夫。みんなと手を繋いでいれば、恐ろしいものなんて何一つない。
前に、前に、前へ。
またしても月がひとつ満ちるほどの時を重ねた、その時。
狂風が街を吹き荒さんだ。燃え盛る炎が街並みを呑み込んだ。
——地獄が、再びやってきた。
天を覆うほど巨大な魔女が降り立ち、牙を剥いて『お友達』を痛めつける。
金色の少女が力尽きて倒れ伏し、その横で桃色の少女が握りしめる宝石は、見る影もなく真っ黒に染まりきっていた。
直視することすらためらわれる酷い傷を負い、浅く荒い呼吸を繰り返しながら横たわる少女。
けれど、胸がかすかに上下している。まだ息がある。その事実に、ほむらは胸を撫で下ろし、ひとまず安堵した。
しかし——桃色の少女は突然苦しげに胸をかきむしり始め、ドス黒く濁りきった宝石が、鋭い音を立てて砕け散った。
そして少女は——今まで自分たちが討ち倒してきた、恐ろしい怪物へと姿を変えた。
またしても引き戻された白い部屋の中で、ほむらは悟った。
自分たちはあの愛くるしい白い獣に、騙されていたのだと。
三度目の世界。そこでは新たに、青い装束を纏った『人魚』の少女が仲間に加わった。
けれど——棘のある言葉を交わすばかりで、青い人魚とほむらはどうしても手を取り合うことができなかった。
それでも桃色の少女と人魚はいつも寄り添うように仲が良く、金色の少女もまた、まっすぐな正義感を燃やす人魚を眩しそうに見つめ、好ましく思っていた。
世界をやり直すたびに、みんなとの足音が狂い、歩調がズレていく。
ルンパカ、ルンパカ。奏でられるのは、ギスギスと耳を刺す歪な不協和音。
やがて、宝石を黒く濁らせた人魚は静かに海の底へ沈んでいき、二度と浮き上がってくることはなかった。
隠された残酷な真実を知ってしまった金色の少女は、溢れ出る涙を拭いもせず、絶望の悲鳴を上げながら銃口を『お友達』へと向け、引き金を引いた。
狂気に囚われ暴れる金色の少女を、桃色の少女もまた、ボロボロと涙を溢れさせながら弓をかけ、射ち倒す。
そして——またしても地獄の幕が上がる。
土砂降りの雨が打ちつける中、冷たい地面に横たわるほむらと、桃色の少女。
二人の手に握られた宝石は、どちらも真っ黒に濁りきっていた。
けれど、物語はここで幕を閉じることはなかった。
──ほむらちゃんは……過去に戻れるんだよね……?
途絶えかける意識の中、桃色の少女が残された最後の魔力を振り絞り、ほむらの宝石の汚れを優しく拭い去ったからだ。
——バカなわたしを助けてあげてくれないかな?
溢れ出る涙をぬぐい、ほむらは桃色の少女と固く誓いを交わした。
たったひとつの約束を果たし、彼女を救い出すため、ほむらは一人静かに歩み出す。
ルンパカ、ルンパカ。誰もいない空間に、虚しい行進曲の足音だけがどこまでも響く。
ルンパカ、ルンパカ。ルンパカ、ルンパカ。ルンパカ、ルンパカ。ルンパカ、ルンパカ。
もう何十回、何百回繰り返しただろう。
けれど、どれほど足が重くなろうとも踏み出すのを止めることはできない——止めることなど、許されなかった。
歌を口ずさむこともなく、楽器を奏でることもなく、音も色彩も失われた世界でひとりぼっちのパレードを続けていると、ふと、遠くから硬質で重厚な音が耳に届いた。
カン、カン、と冷たい鉄を打つ、規則的な金槌の音。
引き寄せられるように音のする方へ顔を向けると、そこには固い表情を崩さない、無愛想な鍛冶師の姿があった。
ほむらが縋るようにその手へ向けて細い腕を伸ばした——その瞬間。横からぬっと伸びてきた細い指先に、ぐっと手首を掴み上げられた。
『そろそろ起きていいよ。姫様?』
暗闇の向こうから、キツネのように目を細めて嘲笑う巫女の声が、頭の芯へねっとりと響き渡った。
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「ん、んん……っ、ここは……?」
夢の世界で不意に掴まれた手首の感触が残っているかのように、ほむらは重い瞼を必死に押し上げ、白濁した意識を闇から現実へと引き戻す。
ぼやける視界。自分がなぜこんな状況に陥っているのか、混乱する思考を整理しようとしたその時、室内の空気が動いた。
「——おはよう、眠り姫」
「っ!?」
唐突に、視界のわずかな隙間へ滑り込むようにして、巫女服を着た女が現れた。
心臓が跳ね上がり、身体を強く引き跳ねて後方へ飛び退こうとする。
じゃらりと、鋭い金属音が鼓膜を刺した。
それと同時に、ほむらは己が置かれた凄惨な状況を突きつけられる。
武器や魔導具の持ち込みを徹底的に警戒されたのだろう。
左腕の盾をはじめとする一切の装備は取り上げられ、両手首は頭上へ引き上げられた状態で、何重にも重厚な銀の鎖で強固に縛り上げられていた。
魔法少女特有の超人的な筋力を腕に込め、手首の皮膚が擦れ千切れかねないほどの力任せで引きちぎろうと身体を捩る。
しかし、無機質な鎖はびくともせず、冷たい冷気を放つばかりだ。
ジャラジャラと不快な金属音だけが狭い部屋に空しく響き渡る。
全身の毛穴からじんわりと脂汗が滲み出るまで抗い続けた末、ほむらは荒い肩息を吐き出し、がくりと腕の力を抜いた。
そんな彼女の無力な様を、巫女服の女は口元にニヤニヤとした歪な笑みを浮かべ、楽しげに見下ろしている。
完全に手足を封じられ、無力化されている屈辱に、ほむらは血が滲むほど強く唇を噛みしめた。
真っ白な頬に、羞恥と怒りの混ざり合った赤みが挿していく。
「……何の、つもり?」
「おや、主語が抜けているよ? 国語は不得意かな?」
「答えなさいッ!」
「はは、そう怖い目で見つめないでおくれ。せっかくの愛らしい顔が台無しだ。はじめまして、暁美ほむらちゃん。私は千子蓮華」
「千、子……!?」
その名が鼓膜を打った瞬間、ほむらの紫紺の瞳が険しく細められた。
時空を超えて巡り合った、あの頑固で無愛想な鍛冶師の少年と同じ姓。
同性の他人という可能性を本能で切り捨てる。
他人の空似という言葉では片付けられないほど、顔立ちが似すぎていたからだ。
しかし、ほむらの動揺など鼻で笑うように無視し、蓮華は静かな足取りで滑るように距離を詰めてきた。
「君は、実に素晴らしい力を持っているね」
蓮華は白く滑らかな指先を伸ばし、馴れ馴れしくほむらの頬をなぞりながら、蜜のように甘い声で耳元に語りかけてくる。
その声色には、嘘や胡散臭さといった上辺だけの欺瞞は感じられない。心底からの称賛であることは確かだった。
「私はね……力というものは、持てる者が世界を望む形へ打ち直すために与えられた小槌だと思っているのさ。君は今の理不尽な世界に、疑問を抱いたことはないかい?」
「……?」
「愚かな一般人を守るためだけに、選ばれた魔法少女たちが人知れず魔女と傷つけ合い、血を流すこの世界のことさ。魔法少女達の献身と犠牲の上に成り立っている人間社会──ああ、なんて嘆かわしいことだろうね!」
「……何が言いたいの?」
意図を掴みかね、警戒を強めるほむらに対し、蓮華はさも親しげな態度でその隣へ滑り込み、細い肩に腕を回してきた。
その一連の動作には、語りかける相手と同じ視線に立ち、親密さを演出するという計算し尽くされた意図が透けて見える。
これまで幾人もの無知で無垢な人間を言いくるめ、手玉に取ってきたであろう巫女の老練な手管。
ほむらの華奢な肩をしっかりと抱き寄せながら、蓮華はなおも歌うような抑揚で、朗々と高説を騙り続ける。
抽象的で捉えどころのない言葉選び。だが、どこか壮大で素晴らしい理想を語っているかのような錯覚を抱かせる独特の空気感。
知識のない者が聞けば、いつの間にか呑み込まれ、心酔してしまうであろう説法。
「御託は結構よ。早く本題に入りなさい」
だが、幾重もの地獄を潜り抜けてきたほむらにとって、そんなまやかしは何の響きも持たなかった。
結局のところ、蓮華が何を目論んでいるのかは霧の中だ。
——次の、おぞましい言葉を聞くまでは。
「だからね、君にも手を貸してほしいわけさ」
「……何を?」
「一般人を間引いてね、魔法少女が頂点に立つ世界を作るんだ」
「──」
「ああ……魔女の餌にしたりもするから、正しくは『家畜』にする、と言うべきかな」
あまりにも軽やかに、日常の挨拶でも交わすような口調で吐き捨てられた言葉に、ほむらは息を呑んで固まった。
──何を言っているの、この女は?
荒唐無稽だとか、非現実的だとか、そう言った次元の次元ではない。
倫理観、論理的思考、そのすべてが根本から狂っている。
だが、蓮華の瞳には微かな狂気と確信が宿っており、本気でその歪んだ理想を描いていた。
己の思想が間違っているとも、実現不可能だとも微塵も疑っていない態度。
千子蓮華という存在は、心底から魔法少女こそが人間に代わるべき高等種族であると、疑いもなく信じ切っているのだ。
ほむらの背筋に、ねっとりとへばりつくような強い気持ち悪さと恐怖が走った。
冷たい冷汗が背中を伝い落ち、鳥肌となって全身へ広がっていく。
「もっとも、人間の軍隊ごときならどうとでもなるが、神浜をはじめとして、国中の魔法少女どもが束になって出てきたら、こちらの勝算は良くて二割といったところだろうね」
蓮華の分析は極めて冷静であり、客観的な戦力差を正確に弾き出していた。
魔女を意のままに使役できる彼女の異能をもってすれば、どれほど武装した人間の兵士であろうと足元にも及ばないだろう。
しかし、束になった魔法少女が相手となれば話は別だ。
いくら魔女を繰り出したところで撃破されてしまえば、そのグリーフシードが敵の手に渡り、相手を利することになってしまう。
「魔法少女の世界……馬鹿らしいわ。世界があなたの思い通りになると思っているの?」
「なるんじゃなくて、するのさ。——おっと、話が逸れてしまったね。そこでだ、君にお願いしたいことがあるんだよ」
「お断りよ」
「最後まで聞いておくれよ……」
食い気味に即答され、蓮華はわざとらしく大袈裟に肩を落としてみせた。
だが、ほむらは取りつく島もなく冷ややかな視線を向けるだけだ。
「君の持つ魔法は、時間を自在に操るのだろう? それに……君がこの時間軸の人間ではないということも、私は知っている」
「——ッ! どうしてそれを!?」
「不用心だよ、君もあの子も。あの屋敷なら昔、私もよく遊び場にしていたんだ。壁に耳を立てて盗み聞きするくらい、造作もないことさ」
「……悪趣味ね」
汚物を直視するかのような軽蔑の眼差しで吐き捨てられ、蓮華は胸を痛めたフリをして大袈裟な仕草を見せた。
だがすぐにそんなお芝居を捨て去ると、「まあいいさ」とばかりに言い訳を放棄し、その懐からソウルジェムを取り出してかざしてみせた。
「私の固有魔法は『蒐集』。ソウルジェムやグリーフシードを取り込み、魂を解析することで、その魔力を自分に上乗せしたり、固有魔法を『刀』として召喚できるのさ」
そのあまりにも規格外で破格すぎる能力に、ほむらは息を呑み、絶句した。
通常、魔法少女が授かる魔法は一人に一つだけだ。それを複数自由に扱えるとなれば、戦術の幅は無限に広がる。
ましてや、後天的に魔力の容量そのものを際限なく拡張できるのだとすれば、その脅威は計り知れない。
「でも、魔法を召喚するには制約があってさ。契約した時の『願い』を教えて貰う必要があるんだ。面倒だよねぇ……。だから数週間前まである組織に属して、コツコツと集めていたんだけど」
「そう……それで? 私を魔女に落とすつもり?」
「言ったろ? それだけじゃ駄目なんだ。だから君の綺麗な声で教えてくれないか?」
蓮華は滑らかな巫女服の袖を優雅に揺らし、まるで一輪の毒花のように美しく、けれど底の知れない狐のような笑みを深く深く刻み込んだ。
一歩、また一歩と悠然たる足取りで距離を詰め、凍りつくように冷たい指先でほむらの顎をすくい上げる。
品定めするように、けれど狂おしいほど愛おしげに持ち上げた。
「君は——何を願って魔法少女になったんだい?」
その問いかけが、密室の冷えた空気を震わせた瞬間。
ほむらは、己のすべてを懸けて相手を拒絶する烈火の双眸で蓮華を射抜いた。
そして——迷うことなく、蓮華の頬へ向けて、唾を吐き捨てた。
「消えなさい」
この願いは絶対に渡さない——その意志を証明するように、ほむらの瞳は猛烈な殺意を宿して燃え上がっていた。
だが、顔面に唾を吐き散らされた蓮華の反応は、ほむらのあらゆる予測を遥かに逸脱していた。
「……な、なにを……笑っているの……?」
蓮華の顔面が、歓喜の表情によって歪んでいたのだ。
千子蓮華という女は、己を貫くほどの強烈な敵意を向けられたその瞬間、激怒するどころか、身を捩るような歓喜を覚えていた。
敗北が決定的な状況に追い込まれても無駄な命乞いの声を上げず、さりとて絶望に屈して無気力になるわけでもなく、牙を剥いて敵意を向け続けるその凛とした佇まいに、敵ながら狂おしいほどの愛おしさを感じていたのだ。
頬を伝う侮辱の証を、蓮華は怒る様子もなく、恍惚とした表情で指先に絡め取ると、そのまま自身の舌先でゆっくりと舐め取った。
「やっぱり……君は最高だね。益々、欲しくなってしまったよ」
顔を喜色で歪ませた蓮華は、なおも体を捩って抗おうとするほむらの背後へ、すうっと滑り込んだ。
そして、その華奢で細い身体を、まるで愛しい恋人を慈しむかのように強く、深く抱きしめた。
背中から伝わってくる、冷たい肌の感触と相手の体温。
ほむらは全身の毛穴が逆立つような激しい生理的嫌悪感に苛まれながらも、ぎちぎちと嫌な音を立てる銀の鎖に力なく腕を預け、ただ冷酷な殺意を込めた眼差しで後方の蓮華を睨み続けた。
何十重もの時間を巻き戻し、幾度となく地獄の底を這いずり回ってきた。
絶望など、とうの昔に吐き捨てるほど味わい尽くしている。
どのような残虐な拷問も、精神を削り取る摩耗も、まどかを救い出すという彼女の魂の誓いを揺るがす術にはなり得ない。
「……せいぜい……笑っていなさい」
掠れた声で小さく吐き捨てたほむらの呟きに、蓮華は心底愛おしそうな熱い吐息を漏らし、満足したようにゆっくりとその身体を離した。
「──いいよ、今はまだ耐えてごらん。君のような強い心が崩れ落ち、打ち砕かれる時の絶望は……きっと、甘く熟しているだろうからね」
不気味かつ気持ち悪い敵キャラを意識したのですが、怒られないか少し心配です。