機動戦艦ナデシコ 前日譚 プラネテス 最後のデブリ屋 ―木星蜥蜴になった人々―【ナデシコ30周年&佐藤竜雄監督追悼作品】 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
木星圏の状況は、悪化の1途をたどっていた。
ネルガル本国は、地下で進む恐るべき事態を知らぬまま、ただ資源のノルマだけを際限なく吊り上げ続けた。
木星圏の死亡率は、もはや統計として記録することすら憚られる水準に達していた。
そして、限界を超えた心が最後にすがりついたもの――それが『ゲキ・ガンガー3』だった。
もはやそれは娯楽でも慰めでもなく、1つの明確な「信仰」へと変貌を遂げていた。
居住ドームの中央には、いつしか廃材で組まれた粗末な祭壇のようなものが設けられていた。
教義は恐ろしいほどシンプルだった。
地球=悪の帝国。
ネルガル=その手先。
そして、自分たち木星の民こそが=正義の心を持つ、選ばれし者。
信じることをやめた者から順に心を病み、静かに命を絶っていった。
生き残るために、人々はより熱心な「信者」になっていくほかなかった。
レオは、その信仰の中心にいた。
クリスは、この状況を、なんとか押しとどめようと、最後の抵抗を試みていた。
「レオ。お前は、みんなに担がれてる。だが、その〝正義〟は、本物か? 地球に、お前の幼馴染がいるって言ってたな。あの子も、〝悪の帝国の民〟なのか?」
レオの表情が、1瞬、揺れた。
「……あいつは、違う。あいつは、関係ない」
「そうだ。関係ない人間が、地球には何億といる。〝悪の帝国〟なんてものは、どこにもいない。いるのは、ネルガルの重役室に座った、ほんの1握りの人間だけだ。憎むなら、そいつらを憎め」
クリスの言葉は、確かにレオの理性に届いていた。
だが――彼の背後には、すでに数1000の、狂信という以外に生きる術を失った人々がいた。
「爺さんの言うことは、正しいよ」
レオは、疲れた声で言った。
「でもな。理屈は、腹を満たさない。みんなは、〝正義〟を食って、生きてるんだ。それを取り上げたら、みんな死ぬ。俺は……みんなを、死なせたくない」
クリスは、返す言葉を失った。
狂気が、唯1の食糧になっている。
正気を説くことは、その食糧を奪うことに等しい。
だが、クリスは諦めなかった。
彼は、別の一手を打った。
信仰そのものを否定するのではなく、その信仰に「本物の掟」を刻み込むことにしたのだ。
彼は、レオにこう囁いた。
「なあレオ。ゲキ・ガンガーの主人公はな、絶対に、非戦闘員には手を出さねえ。弱い者を守るのが、正義だ。もしお前たちが〝正義の味方〟を名乗るなら――その1線だけは、絶対に、守らせろ。それが守れねえなら、そいつはただの悪党だ」
レオは、その言葉を、長いあいだ噛みしめた。
そして、次の集会で、彼は数百の信者の前で高らかに宣言した。
「聞け! 我らの正義には、掟がある! 戦えぬ者、弱き者には、決して手を上げぬ! それが、ゲキ・ガンガーの、真の教えだ!」
割れんばかりの歓声。
クリスは、物陰でそれを聞き、深く息を吐いた。
狂気は、止められない。
だが、その狂気の中に、たった1つ、「非戦闘員を守る」という楔を打ち込めた。
この小さな1行が、いつか、地球の何百万もの命を救う、最後の防波堤になるかもしれない。
彼は、記録装置に刻んだ。
「記録その178。狂気は止められぬ。ならば、狂気に、手綱をつける。これが、俺にできる、精一杯の細工だ」
だがその夜、事態は最悪の方向へ動く。
基地全体に、けたたましい緊急警報が鳴り響いた。
ネルガル本国からの緊急通達。
無機質な合成音声が全ドームに冷酷に告げる。
「木星圏の、資源生産ノルマ、未達につき。来月より、全区画の食料配給を、1律50パーセント、削減する」
1瞬の静寂。
そして次の瞬間、ドーム全体が地鳴りのような怒りの咆哮に包まれた。
レオが、ゆっくりと拳を握る。
「……もう、我慢の、限界だ」
彼の掌で、青白い光がこれまでにない激しさで渦を巻き始めた。
反逆の狼煙が、いま、上がろうとしていた。
そして、クリスが打ち込んだあの「掟」が、これから始まる戦争の中で、守られるのか、破られるのか――それを試す時が、刻一刻と、近づいていた。