機動戦艦ナデシコ 前日譚 プラネテス 最後のデブリ屋 ―木星蜥蜴になった人々―【ナデシコ30周年&佐藤竜雄監督追悼作品】 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
レオが掴んだ遺跡の力は、あまりに強大で、あまりに危険だった。
生身の人間の脳では、そこから溢れ出す膨大な情報を、到底処理しきれない。
相転移の力を安全に制御するには――人間の側が、根本から「変わる」しかなかった。
レオは、遺跡から得た断片的な知識をもとに、1つの技術体系を独自に、手探りで構築していった。
人間の神経系に直接接続し、脳と機械とを1体化させるナノマシン――後に「IFS(イメージ・フィードバック・システム)」と呼ばれることになる、あの技術の、原始的で粗削りな祖形。
だが、その施術は凄惨の1言に尽きた。
満足な麻酔も清潔な設備もない環境で、体内に無数のナノマシンを注入し、神経系と強引に融合させる。
想像を絶する激痛と高熱、そして高い確率で待ち受ける死。
それでも施術の志願者は絶えなかった。
「どうせこのままでも、遠からず死ぬ」
「なら、力を得て、1矢報いてから死ぬほうがましだ」。
クリスは、この施術を止めようと、必死に動いた。
彼は保守技師として、基地の医療物資の管理にも1部関わっていた。
彼は、危険な自作ナノマシンの精製に必要な試薬の在庫を、記録上「破損・廃棄」として、こっそり減らし続けた。
だが、それはすぐに露見した。
その夜、クリスはレオに呼び出された。
「爺さん。あんたのやってることは、俺たちへの妨害だ。仲間の中には、あんたを消せ、と言う奴もいる」
クリスは、動じなかった。
「消したきゃ、消せばいい。だが、その前に、聞け。お前がやってるのは、進化じゃない。仲間を、人間じゃない何かに、作り変えてるんだ。それは、ネルガルがお前たちを〝資産〟としか見なかったのと、何が違う?」
レオは、しばらく沈黙した。
「……違わない、のかもしれない」
レオは、絞り出すように言った。
「でも、クリスさん。俺たちには、もう、これしか道がないんだ。あんたには、わからないよ。生まれた瞬間から、数字として、消耗品として、扱われてきた人間の気持ちは」。
クリスは、目を閉じた。
「……わからん。お前の言う通りだ。俺には、わからん」
クリスは、静かに認めた。
「だが、1つだけ言わせてくれ。お前が、どんな化け物になっても――俺は、お前が、あの地球の空の下で、幼馴染に〝必ず呼ぶ〟と約束した、あの少年だったことを、覚えてる」
レオの、氷のような瞳が、ほんの1瞬、揺れた。
彼は、クリスに背を向けた。
「試薬は、返してもらう。……あんたを消すのは、やめさせる。あんたは、俺たちの、数少ない〝記録者〟だ。地球が俺たちにしたことを、あんたが、いつか、誰かに伝えてくれるなら――それも、悪くない」
その言葉に、クリスは息をのんだ。
レオは、気づいていたのだ。
クリスが、密かに記録を取り続けていることに。
そしてそれを、黙認していた。
憎しみに沈みながらも、レオの中には、まだ「真実を遺したい」という、人間らしい願いが、かすかに残っていた。
だが、クリスは、ここで諦めなかった。
彼は、施術で死ぬ者を1人でも減らすため、闇市場のツテを総動員し、まともな麻酔薬と、神経保護剤の密輸ルートを、たった1人で開拓した。
「作り変えるのを止められねえなら、せめて、痛みと、死ぬ確率を、減らす」
彼が持ち込んだ薬によって、施術の致死率は、目に見えて下がった。
皮肉にも、木星の民を「怪物」に変える手術を、最も安全にしたのは、それを最後まで止めようとした老人だった。
レオは、その事実を知り、複雑な表情でクリスを見た。
「あんたは……本当に、お人好しだな。俺たちを止めたいのか、助けたいのか、どっちなんだ」
クリスは、静かに答えた。
「どっちもだ。……人間ってのは、そういう、面倒な生き物なんだよ」