機動戦艦ナデシコ 前日譚 プラネテス 最後のデブリ屋 ―木星蜥蜴になった人々―【ナデシコ30周年&佐藤竜雄監督追悼作品】 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
食料配給50パーセント削減という、あまりに非情な通達は、限界まで張り詰めていた木星圏に、最後の火を放った。
決行の日は、意外なほど静かに訪れた。
IFS適合者たちを先頭に、武装した移民たちが、ネルガルの現地管理施設へと暗い坑道を伝って雪崩れ込んだ。
まともな戦闘訓練など受けたことのない警備隊は、その圧倒的な力の前に瞬く間に制圧された。
わずか数時間後、木星圏のネルガル管理機構は、完全に武装した移民たちの手に落ちた。
だが、ここでクリスの打った楔が、初めて確かな形をとる。
制圧の混乱の中、逆上した一部の若者が、投降したネルガルの管理官たちを「皆殺しにしろ」と叫んだ。
だが、レオが、それを制した。
「やめろ! 武器を捨てた者に、手を上げるな! それが、俺たちの掟だ!」
逆上した若者は食い下がった。
「こいつらは、俺たちの仲間を、何千人も見殺しにしたんだぞ!」
レオは、静かに、しかし揺るぎなく言った。
「だからこそだ。あいつらと、同じになるな。俺たちは、正義の側だ」
物陰でその一部始終を見ていたクリスは、両の拳を握りしめた。
守られた。
あの掟が、守られた。
制圧されたネルガルの管理官たち――120人あまりの命が、レオの1言で、救われたのだ。
クリスは、震える手で記録装置に刻んだ。
「記録その240。本日、蜂起成功。そして――120人。あの掟が、120人を救った。俺の細工は、無駄じゃなかった」
それは、この地獄の中で、彼が掴んだ、2つ目の、そして最大の小さな勝利だった。
ドームの中央で、レオが全宇宙へと向けた通信回線を開いた。
「地球連合、ならびに、ネルガル重工に告ぐ」
レオの声は、静かで、しかし鍛え抜かれた鋼のように冷たく揺るぎがなかった。
「本日をもって、我々は、あなた方の非道な支配から独立する。我々の正式な名は――『木星圏ガニメデ・カリスト・エウロパ及び他衛星小惑星国家間反地球共同連合体』。略して、木連(もくれん)だ。そして、あなた方に、対等な外交権と、完全なる独立を要求する」
通信は地球圏の主要な回線すべてを強制的にジャックして流された。
あまりに突然の、そして信じがたい宣言に、地球連合政府もネルガルの重役たちも、1瞬、その意味を理解することができなかった。
「木星圏? 独立、だと? あれは、ただの労働区画だぞ」
彼らにとって木星の民は、もはや「人間」ですらなく、生産設備の1部だった。
同じ頃、地球連合軍の執務室で、コウイチロウはこの通信を傍受し、愕然としていた。
そしてコウイチロウの脳裏に、あの匿名の男の、最後の言葉が蘇った。
『近いうちに、木星で決定的なことが起きます』
「――当たった。あの男の言った通りだ」
コウイチロウは、すぐさま立ち上がった。
上層部へ、警告と、そして交渉の必要性を具申するために。
ネルガル本社の緊急役員会では、しかし、下されようとしていた決断は、対話でも鎮圧でもなかった。
1人の役員が椅子に深く背を預けたまま、冷酷な提案を口にした。
「……面倒だ。切り捨てましょう。通信も、航路も、すべて遮断する。木星圏など――最初から、この宇宙に存在しなかったことにすればいい」
だがこのとき、コウイチロウは初めて、ネルガルに1泡吹かせる。
彼は、匿名の男から受け取った膨大な記録の1部を、密かに役員会の議事録システムに紛れ込ませていたのだ。
役員たちが「木星など存在しなかったことにしろ」と嗤ったその瞬間、その発言のすべてが、改竄不可能な形で、記録された。
コウイチロウは、暗い執務室で、静かに呟いた。
「言ったな。……その言葉、1言残らず、証拠にさせてもらう。いつか、必ず、貴様らの喉元に突きつけてやる」
役員たちは知らない。
自分たちの嗤いが、10年後、自分たちを断罪する、動かぬ証拠になることを。
反撃の刃は、もう、静かに研がれ始めていた。