【完結済】機動戦艦ナデシコ 前日譚 プラネテス 最後のデブリ屋 ―木星蜥蜴になった人々―【ナデシコ30周年&佐藤竜雄監督追悼作品】 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
救援の道を完全に、そして永遠に断たれた木連。
極寒と猛烈な放射線が支配するこの過酷極まる環境で、地球からの補給なしに生き延びる方法は――もはやたった1つしか残されていなかった。
それは、人間であることをやめること、だった。
レオは、木星圏の全住民を最大の大ドームに集めた。
「同胞たちよ。地球は、俺たちを見捨てた。もう、俺たちは地球人じゃない。この木星で生き抜くには、俺たち自身がこの星に完全に『適応』するしかないんだ」
彼が示した道――それは、全住民へのIFSナノマシンの施術だった。
子供も、老人も、赤子さえも。
「これは、退化じゃない。進化だ!」
レオは高らかに宣言した。
「悪の地球帝国を打ち倒す、正義の戦士として生まれ変わるんだ!」
クリスは、その光景を、なすすべもなく見ていた。
だが、彼は最後の抵抗として、レオに1つの条件を認めさせていた。
「せめて、赤子と、幼い子供だけは、施術を、成人まで待たせろ。育ちきってない神経に、IFSを入れれば、100パーセント死ぬ。お前が守るべき〝弱い者〟ってのは、まず、あの子たちのことだろう」
レオは、長い沈黙のあと、頷いた。
「……いいだろう。子供は、待たせる。それも、掟だ」
こうして、数百人の子供たちが、人間のまま、猶予を与えられた。
クリスは知らない。
その子供たちこそが、後の時代、木連の中で唯一「対話」を選ぶ、和平派の萌芽となることを。
彼はまた1つ、未来へ種を蒔いていた。
「あんたも、受けるか、クリスさん」
ふいにレオが問うた。
クリスは、長い沈黙のあと、静かに、しかしはっきりと首を横に振った。
「俺は……最後まで、人間のままでいるよ、レオ。誰かが、覚えていなきゃならないんだ。お前たちが、かつて、ただの夢を見る人間だったってことを」
レオは、しばらくクリスを見つめていた。
そして、周囲に誰もいないのを確かめると、声を潜めて言った。
「爺さん。1つだけ、教えてやる。……俺たちは、いつか、地球に攻め込む。それは、もう、止められない。だが、あんたは違う。頃合いを見て、逃げろ。俺が、手を回す。あんたには……生きて、俺たちのことを、書き残してほしい」
クリスは、息をのんだ。
レオは――怪物になりつつあるこの男は、最後の最後まで、クリスという1人の人間に、「真実の記録者」としての役割を、託そうとしていた。
「……レオ」
クリスの声が、震えた。
「お前は、やっぱり、優しい子だよ。こんな地獄の底でも」
施術を終えた人々は、もはや痛みも寒さも恐怖も感じなくなっていた。
だがその代償に、彼らは多くのものを失った。
他愛のない冗談に笑うこと。
誰かの死を心から悲しむこと。
人間を人間たらしめていた無数のささやかな感情が、ナノマシンによって少しずつ最適化され、削ぎ落とされていった。
クリスは、その夜、記録装置に、これまでで最も長い声を吹き込んだ。
「記録その311。木連の民、全住民IFS化を選択。彼らは、化け物になった。だが、忘れるな。化け物にしたのは、地球だ。俺たちだ。そして、この記録を遺せと言ったのは、その化け物の、王だった。それと――子供たちは、まだ、人間だ。あの子たちが、いつか、この憎しみを、終わらせる鍵になるかもしれん」
彼の声は、静かな怒りと、深い哀しみと、そしてほんのかすかな希望に、満ちていた。