【完結済】機動戦艦ナデシコ 前日譚 プラネテス 最後のデブリ屋 ―木星蜥蜴になった人々―【ナデシコ30周年&佐藤竜雄監督追悼作品】 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
木星圏の地下深くに築かれた巨大な工廠は、いまや昼夜を問わず休むことなく稼働し続けていた。
その恐るべき兵器群の中核をなす2つの技術が、ついに完成の域に達した。
1つは、超空間跳躍を可能とする巨大なゲート装置。
彼らはそのかたちから「チューリップ」と名付けた。
この門をくぐることで、6億kmという絶望的な距離すらも1瞬で跳び越える――彼らはその現象を「ボソンジャンプ」と呼んだ。
もう1つは、IFSによる脳波の直接コントロールで、無人でありながら生き物のように精密に動く無人兵器群だった。
だが当初、木連はまだ有人でのボソンジャンプを成功させてはいなかった。
生身の人間が跳躍すれば、演算ボソン端末に転移先のイメージを正しく伝えられず、圧死あるいは消滅してしまう。
ゆえに彼らは、あらかじめ命令を刻み込んだ無人の機体を跳ばせるしかなかった。
パイロットの命を1切危険に晒さずに済むその方式は、皮肉にも、かつて人命を「消耗品」としか見なかった地球への意趣返しでもあった。
ある日、レオがクリスを、完成したばかりの巨大なチューリップの前へと呼んだ。
「クリスさん、見てくれ。これが、俺たちの『正義の門』だ」
クリスは、絞り出すように問うた。
「なあ、レオ。お前は、本当にそれが正義だと信じているのか。地球には、何億という罪のない市民がいるんだぞ」
レオは、1瞬、その問いに答えを詰まらせた。
だが次の瞬間、彼はにっこりと笑った。
「罪のない市民? ……クリスさん。悪の帝国に、罪のない人間なんて、1人もいないんだよ。それが、正義の掟だ」
クリスは、確信した。
レオはもう、決して戻れないところまで行ってしまった。
だが、クリスは、諦めなかった。
「レオ。俺は、お前を止められない。だが、これだけは言っておく。憎しみは、鏡だ。お前が振り上げた拳は、必ず、同じ形で、お前に返ってくる。地球にも、お前と同じことを考える人間が現れる。〝敵に、罪のない者などいない〟――そう言って、木星に鉄槌を下す人間がな」
だが、この日、クリスは黙っているだけではなかった。
彼は、この数年、密かに準備してきた「もう1つの記録」を、レオに手渡した。
それは、レオがまだ人間だった頃の――地球のスラムで、仲間と安酒を酌み交わし、幼馴染に「必ず呼ぶ」と笑って約束した、あの日々の記録だった。
クリスは、着任以来、レオの過去を、断片的に、しかし執念深く集め続けていたのだ。
「お前が、どうしても地球を焼くというなら、止めはしねえ。だが、その前に、これを見ろ。お前が〝悪の帝国の民〟と呼ぶ連中と、昔のお前が、何も変わらなかったってことを、1度でいいから、思い出せ」
レオは、その記録を受け取ったまま、長いあいだ、動かなかった。
彼の氷のような瞳の奥で、何かが、確かに揺れていた。
彼は、それをポケットに深くしまい込んだ。
「……預かっておく。いつか、見るかもしれん」
それは、拒絶ではなかった。
狂気に沈みゆく王の中に、まだ人間だった頃の自分を「見たい」と願う、最後の理性が、かすかに残っていた証だった。
クリスは、その背中を見送りながら、記録装置に刻んだ。
「記録その402。王に、鏡を渡した。……いつか、あいつが、それを覗き込む日が来ると、信じたい」
「跳躍装置、稼働準備、完了」
感情のない声が工廠に響いた。
「……木星圏外縁部に。正体不明の船影を、1隻、探知」
レオの目が、鋭く細められた。
「ネズミが、1匹か」
それは、木連の存在をなお探ろうとする、ネルガルが放った密偵の影だった。
次なる悲劇の頁が、いままた、めくられようとしていた。