【完結済】機動戦艦ナデシコ 前日譚 プラネテス 最後のデブリ屋 ―木星蜥蜴になった人々―【ナデシコ30周年&佐藤竜雄監督追悼作品】 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
西暦2195年、火星圏。
異変は、あまりに突然だった。
何の前触れもなく、火星近傍の宇宙空間が青白く歪み始めた。
それはまるで、巨大な1輪の花が宇宙の闇の中で咲き誇るように、空間そのものが裂け、めくれ、そして開いていく――チューリップの跳躍門。
次の瞬間、ぽっかりと開いたその門から、無数の物体が津波のように猛然と噴出した。
木連の無人兵器群。
「て、敵襲! 総員、戦闘配置!」
地球連合軍は混乱の中、必死に反撃を試みた。
だが――まるで歯が立たなかった。
相転移エンジンによる常識を無視した異常な機動。
地球の最新鋭の兵器は、照準を合わせることすらできなかった。
わずか数時間のうちに、難攻不落と謳われた火星のネルガル基地は完全に制圧され、精鋭を誇った地球連合軍艦隊は壊滅した。
だが、ここでも、あの掟は、確かに生きていた。
木連の無人兵器群は、軍事施設と艦隊だけを正確に破壊し、火星のコロニーに暮らす民間人の居住区には、1発の砲火も浴びせなかった。
それは、狂気の軍勢の中に、たった1つ残された、いびつな理性の証だった。
逃げ惑う民間人たちは、後にこう証言する。
「あの怪物は……なぜか、俺たちには、手を出さなかった」と。
だが、その事実の意味を、このとき理解できる者は、誰もいなかった。
突如として空間の裂け目から現れ、圧倒的な力ですべてを破壊し尽くし、また来た門の彼方へと音もなく消えていく――その正体不明の敵に対し、辛うじて生き残った兵士たちは、その得体の知れない怪物に1つの名を与えた。
「木星の方角から来やがる……あの、爬虫類みたいに冷たくて、言葉の通じない怪物……『木星蜥蜴(もくせいとかげ)』、だ……!」
その恐怖の名は、瞬く間に地球圏の全体へと広まっていった。
誰も、その怪物の正体が、かつて地球自身が希望と共に送り出し、そして無慈悲に見捨てた、同じ人間であることを知らなかった。
この火星の惨劇の中に、1人の少年がいた。
名を、テンカワ・アキト。
火星に暮らす、ごく普通の少年だった。
彼は、木星蜥蜴の突然の襲撃で、家族を、故郷を、そして日常のすべてを、1瞬にして失った。
だが――軍事施設が標的とされる中、彼の暮らす居住区だけは、あの掟によって、砲火を免れていた。
彼は奇跡的に、たった1人、生き延びた数少ない生存者の1人となった。
彼はまだ知らない。
自分を生かしたその「掟」を、木星の氷の底で1人の老人が命がけで刻み込んだことを。
そしてこの日の絶望が、やがて彼を、1隻の戦艦――ND-001ナデシコへと導くことになることを。
6億km彼方の木星圏の司令部で、レオは火星制圧の報告を受け、深く満足げに頷いた。
クリスは、モニターに映し出される火星の惨状を見て、思わず吐き気を覚え、口を押さえた。
だが、彼はその惨状の中に、1つの事実を見出していた。
民間人の居住区が、無傷であること。
「……守られた。あの掟が、火星でも、罪のない人間を守った」
彼が全記録をコウイチロウに託すべき「その日」を、これ以上、先延ばしにはできない。
ちょうどそのとき、木星の報告班が新たな情報を告げた。
「レオ様。地球連合とネルガルが、我々を『木星蜥蜴』と呼び、恐れ……そして、我々への対抗兵器の開発を、大急ぎで進めている模様です」
レオは、それを聞き、ゆっくりと笑った。
「来たか。盗んだ俺たちの牙で、俺たちに歯向かうつもりか。いいだろう。見せてもらおうじゃないか――地球の、まがい物の正義とやらを、な」