機動戦艦ナデシコ 前日譚 プラネテス 最後のデブリ屋 ―木星蜥蜴になった人々―【ナデシコ30周年&佐藤竜雄監督追悼作品】 作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった
ガニメデ第3居住ドーム。
凍える金属の壁に囲まれた、労働者たちのわずかな休息の場。
そこで、1本の古びた記録メディアが、人々の手から手へと、大切に回されていた。
20世紀に作られた地球のアニメーション――『ゲキ・ガンガー3』
単純で、荒唐無稽で、そしてどこまでもまっすぐな物語だった。
最初、労働者たちはそれを笑い飛ばした。
だが、上映が繰り返されるうちに、その笑いは静かに消えていった。
彼らの現実には、正義も報いも明日への希望も、何ひとつなかった。
だからこそ、画面の中で高らかに叫ばれる「絶対的な正義」と「決して諦めない熱血」が、渇いた心に深く沁み込んでいく。
クリスは、この現象を、誰よりも警戒していた。
この無邪気な熱血アニメが、いつか「聖典」となり、数万の人間を狂信の兵士へと変えてしまうのではないか。
罪深いのは、それを狂信の依り代へと変えてしまうほどの、絶望のほうだ。
クリスは、思案の末、1つの賭けに出た。
彼は、居住ドームの上映会に、そっと別の記録メディアを紛れ込ませ始めた。
彼が古い資料をかき集めて再構成した、地球の宇宙開拓の記録映像だ。
月に初めて人が立った日の映像。
無謀にも小さな船で火星を目指した、名もなき開拓者たちの記録。
そして――デブリ屋たちの、泥臭くも誇り高い労働の記録。
「これも、正義の話だ。ただし、こっちは――本当にあった、俺たちの先祖の話だ」
レオは、その映像に、奇妙に惹きつけられた。
遺跡に触れて以来、彼はときおり原因不明の激しい頭痛と、鮮明すぎる幻覚に襲われるようになっていた。
だが不思議なことに、その混沌は、ゲキ・ガンガーを観ているときと、そしてクリスの流す開拓記録を観ているときだけ、嘘のように静まった。
「なあ、爺さん」
ある夜、レオはクリスに尋ねた。
「あんたの流す映像に出てくる連中は、なんであんなに、楽しそうなんだ。俺たちより、ずっと貧乏で、ずっと危険なのに」
クリスは静かに答えた。
「そいつらは、自分の意志で、宇宙に出たからさ。誰かに使われるためじゃない。自分の夢のために、飛んだんだ。……その違いは、でかいぞ、レオ」
その言葉は、遺跡の力を宿し始めた彼の胸の奥深くに、火種のように落ちた。
クリスの賭けは、しかし半分しか成功しなかった。
彼の流す開拓記録は、確かに1部の者の心に「誇り」を根づかせた。
だが大多数の、より深く絶望した者たちにとっては、健全な誇りと、狂信的な正義。
その境界が、絶望の熱の中で、少しずつ滲んでいく。
クリスは、記録装置に声を吹き込んだ。
「記録その102。信仰の芽が、育っている。俺の抵抗は、焼け石に水だ。だが、焼け石に水をかけるのを、やめるわけにはいかん」
だがその夜、彼は思いがけない光景を目にする。
レオが、こっそり1人の少年に、あの開拓記録のコピーを手渡していたのだ。
「これ、お前にやるよ。ゲキ・ガンガーより……こっちのほうが、なんか、いい」
クリスは、物陰でそれを見て、拳を握った。
届いた。
たった1人だが、確かに、届いた。
だが同時に、彼はレオの手のひらが――映像を差し出したその手が、うっすらと青白い光を帯び始めているのを、見逃さなかった。
健全な種を蒔くその同じ手が、すでに、人ならざる力に、侵され始めていた。