後の帰路は何事もなく、家に辿り着くことができた。
否、宿から家の道程で、襲撃のある方が異常なのだ。
遅ればせながらグレイに気がかりを抱かせたのは、剥いで下着姿にした後、路地裏に捨てたデニスのことだ。
襲撃日和だから襲撃しに来た、という単純な思考を持っていないのは、不本意ながらグレイも理解している。何かしらの理由と目的があって動いていたのは分かるが、それが何かと言えば心当たりはない。
「ま、どうでも良いか」
デニスのことを考えるだけで、不機嫌を通り越して殺意が溢れて来る。相打ちで死にかけたなど屈辱でしかない。
目的が何であれ、当人が半死半生の下着姿でスラム街近くの路地に転がっている以上、完遂されることはあるまい。
そう予想すれば、後はデニスとの遭遇という嫌な出来事は、脳裏が消し去ってしまうに限る。
「でもまぁ、杖を譲ってくれたことは感謝してやる」
強奪したとの形容が正確だが、グレイに頓着はない。
魔術師の杖は、術の行使に当たり術者の肉体への負担を軽減させる効果がある。非魔術師には棒切れ程度の価値しかなくとも、魔術師にとっては高価であると共に、時に生死を分ける相棒だ。
それだけに、デニスが奪還に逆襲する未来は容易に想像できるものの、杖だけ残しておくのも癪に障る。
無論、返してやる心積もりはグレイにはない。
「……取り戻しに来たら、今度こそとどめを刺してやる」
記憶から消そうとしているのか、忘れずに殺意を新たにしているのか、グレイ自身にも良く分からない心境だ。
ガチャリと家のドアの掛け金を回す音で、グレイの思考は現実に戻された。
治安の悪いスラム近くともなると、ドアの鍵も頑丈にせざるを得ない。厚い鉄製の掛け金でドアを閉め、外されないよう大きい南京錠をかける。キエラの鍵開けの実力では、挑むのも厳しい逸品だ。
それが兄妹の家の入口と、裏庭に繋がる小路の木戸に使われている。
ドアを開け、中に入りかけたキエラが、ギョッとしたように足を止め、半歩後退った。
「……はぁっ!?」
素っ頓狂な声を上げ、奥から目を離さないまま、グレイを手招きする。
「何だ一体……」
家の中に驚くような物などはないはずだ。
義妹の態度に疑問を抱きながらグレイも薄暗い中を覗き込み、見えている物の意味が理解できず、束の間脳が理解を放棄した。
「……何で!?」
ようやく絞り出せたのは、それだけだ。
家に入ってすぐ先は居間になっている。
否、なっていた。
かつて居間だった空間には、直径二メートルほどの大穴が口を開けていた。
◇◆◇
本の重みでそのうち床が抜けるんじゃないか?
兄妹間で冗談混じりに何度も交わした会話だ。
しかしまさか本当に床が抜けてしまうなど、二人は想定もしていなかった。
「……本積み過ぎるから……」
「居間にまで本は山積みしていなかったぞ」
修理にどれだけの手間がかかるのか想像して、現実逃避気味に呆然と呟くキエラに、グレイは憮然と反論した。
屋内は木の板張りで、穴の辺りにあったのは食事用の大きめなテーブルと二人の椅子だ。
床の板がへし折れ、テーブルと椅子が穴の底に落ちたのだろうが、落ちた家財は影も形も見えない。それなりに深い穴が出来たようだ。
「いやいや、そうはならないでしょ」
キエラの言う通り、床下の土砂が陥没して穴ができるのはともかく、床板にまで穴ができるのは、どう考えてもおかしい。
つい天井を見上げてしまい、屋根に穴が開いていないのを確認する。原因が屋根にあるなら、床はもっと雨や泥で汚れている。
だとすれば、原因は床にあるはず。
と言っても、何かが突き抜けてきた様子もない。
「留守に間に誰かが入った……とか?」
「それで床板引っぺがして穴を開けた? 床下に何があるって?」
両親に連れられグレイがこの家に住み始めたのは、まだ物心がついたばかりの歳だ。キエラはまだ赤ん坊で、越してきた記憶すらない。
十五年以上の出来事で、今さら床下に誰の用事があると言うのか。使っている鍵もそう簡単に開けられる品でもない。
ギシギシと不安な音を上げる床板の上を恐る恐る歩き、穴の底を覗き込む。
「……はぁ!?」
先程キエラが上げたような声を、今度はグレイが上げた。
床板の下にある土砂が陥没した。それは良い。予想していたことだ。
だがさらにその下、陥没どころではなく突き抜け、下に魔法の光で淡く光る石造りの空間があれば、話は別だ。
「……はぁ!?」
グレイはもう一度声を上げた。
思考が現実を受け入れるのを拒絶する。悪い夢を見ているのかと現実逃避したくても、下から吹き上げてくるかび臭く冷たい風は現実だ。
「どうした……の!?」
不思議に思ったキエラも下を覗き、最後の『の』を驚きのアクセントで跳ね上げた。
「俺にも何が何だか……」
グレイは力なく頭を振ってこめかみを揉んだ。
このミガシンの街が、どこかの古い文明の巨大な遺跡の上に建てられたというのは、以前から言われていることだ。ただし、城が怨霊に取り憑かれているのは墓の上に建てられたからだの、慰霊を行わなかった戦場跡の呪われた神殿だのの、出来の悪い都市伝説の一つとして、だ。
さすがに巨大な遺跡の一部だとは言わないが、家の下二メートルもないところに、こんなものがあるとは考えたこともなかった。
「……で、どうするの?」
キエラが視線で示したのは、穴の底にいる存在だった。
錆びた盾とシミターを持つ骸骨――スケルトンと言う魔物――が一体、下を覗く二人へシミターを振り回しているのだ。
とは言え、落ちた土石とテーブルの残骸の上に乗っても、シミターの先は天井に届かない。さらにその上にいる二人は言うまでもない。
「
杖の先のスケルトンに向けたグレイは、おもむろに<
聞こえても記憶に残らない言葉が紡がれるや、青白い光の玉が中空に生まれ、矢の早さでスケルトンにぶつかりバラバラに砕いた。
「……雑魚だったか……」
軽く一当てして強さを計るつもりが、一発で終わってしまった手応えのなさに、思わず呟きが漏れる。
かける言葉が見当たらない様子のキエラの横を通り、安全な床の上に腰を下ろす。椅子は穴の下に落ちてしまい、かと言って自室に戻るには不安定な穴の横を通らないとならないので、他に落ち着いて傷を癒す場所がないのだ。
「……え……と。これからどうする?」
キエラの視線は、抱えているデニスの持ち物と穴の底を行き来した。
「傷を治す。戦利品を確認する。体力を回復する。それから下の確認に行く」
デニスとの戦いに使った体力より、傷を癒す魔法の方が消耗は激しい。まだ余裕はあるにしてもそれなりに疲労は貯まり、腰を落ち着けたいのは本心だ。
ふうん、とキエラは返すと、異論はないのか穴から離れてグレイの近くまで戻ると、戦利品を床に置いた。
「じゃあ、お茶淹れてくるね」
そう告げると、穴の横に残るわずかな床板の上に足を乗せた。
途端、床板が大きくたわみ、バキリと音を立てて折れた。
「うひゃっ……と」
板と共に下に落ちかけたキエラは咄嗟に飛びのき、伸ばした手が運良く触れた壁を頼みに、かろうじて落下を免れた。
「大丈夫か!?」
キエラの身のこなしなら、落ちても大事にはならないだろうと分かっていても、兄としては心臓が飛び出しそうになった一瞬だ。下にまだスケルトンがいる危険だってある。
「大丈夫、大丈夫」
答えつつも、キエラも心臓がバクバク言っている。
「こっちは使わない方が良いわね」
落ちた床板の破片の行方を追うように穴の底を覗き見、止まるまで瓦礫の上を二、三度跳ねたのを確認する。
「じゃあ、こっちから行くね」
玄関のドアを指差し、キエラは出て行った。
裏に回る通路を使って台所に回るのだろう。裏手には台所があり、通路はかまどに使う薪を運ぶためのものだ。
これからかまどに火を入れて湯を沸かすとなると、戻るまで一時間前後かかるだろう。体力回復には丁度良い時間だ。
ようやく腰を下ろせた安堵感に、溜まった疲労を吐き出すような重い息をつくと、グレイは傷と体力の回復を交互に行うのだった。
*Fate Question
・デニスの持っていた杖は、Ordinary Magic Staffか? Exceptional Yes。他にも何か能力がある。
*Not-So-Ordinary Magic Staff(ちょっと普通じゃない魔法の杖)。デニスの持っていた杖。Ordinary Magic Staff(普通の魔法の杖、金貨百枚)の能力の他、何か特殊能力がある。元持ち主のデニスは、何かあるのは知っていたが、詳しい能力までは分からずにいた。