下りた部屋から見えたように、通路に入って数歩のところで光はなくなり、落ちた天井の成れの果ての石の塊が床に散乱していた。
光が消えていたのは落ちた石板のあった箇所だけで、無事なところは変わらず淡い魔力の光を放ち続けている。
石板の落ちた天井を見上げ、グレイは溜め息をついた。
石板の跡にはまだ天井を固める土が残っていて、家の床板が見えるまでには到っていない。
「……何なら、これも直さないとダメか?」
愚問なのは分かっている。
歩数的に居間の端、家を支える柱の一本の近くだ。放っておけば天井を支える土が崩れ続け、その上にある自分達の家まで倒壊しかねない。
天井の崩れていない前方後方からの光があっても、転がる石の欠片で足元は危うい。
つまずきそうになりながら石を避けて先に進めば、小さな空間となった。台所の辺りだ。
広さはグレイやキエラの私室よりも狭いだろうか。正面と左に道が分かれているだけで、目を惹くものは何もない。
正面は裏庭の薪置き場の下を通る感じか。
左手の先は、またも天井の石板が一部剥がれ落ちている。位置的にはかまどの真下になるだろうか。
「……これって、ヤバい?」
さすがにキエラも家の倒壊の危機に気づき始めた。
「ヤバいな」
グレイは肯定した。
床下に未知の地下空間――良くすれば迷宮――が見つかったと、喜んでいられる状況ではなくなっている。どれくらい昔から存在していたのかは分からないが、上の家の広さ程の範囲で天井の崩落が三ヶ所も見つかっている。建設時の欠陥か老朽化か、はたまた上に建つ家が問題なのか、原因が何であれ自分達の家が巻き添えで崩れ落ちかねない危機だ。
「何とかなる?」
「……こういう時の補強工事の本があったような……?」
落ちてくるかまどを想像して天井を見上げるキエラを目に入れず、山と積まれた蔵書の中身を思い返す。土木工事関係の本を何冊かを脳裏で選別しておく。後で掘り返して詳細を読み直すべきだろう。
「まあ、本の話は後回しにして、先にあっちも見ておこう」
グレイの視線は左手の瓦礫の先、裏口を出て井戸のある方向に向けられていた。
淡い魔力の光で照らされて見える範囲では、二人の私室程度のこの空間より広いものがあるようだ。
「井戸水も悪さしているなんて、ならないでくれよ?」
そちらの落ちた天井の石板は落ち方が良かったのか、大きな破損はしていなかった。反面、落ちた石板が床を破壊して床に食い込んで石碑か墓石のように立ち、割れた床の石板がめくり上がって比較的平坦だった床を凸凹にしている。半ばまで欠けた床の石まで立ち上がり、心なしか行く手を阻んでいるかのようにも見える。
幸いと言うべきか、こちらも石板が落ちただけで、剥き出しになった天井の土まで大量に落ちてはいない。
しかしほんの数メートルすらもない距離なのに、瓦礫の先はこれまでの魔力光が全くない暗闇だ。これまでよりも冷たい風が微かに吹き付けてくる。
「……あぁ、これはダメだな……」
床の石板も濡れているのを見て、グレイの口から絶望の声が漏れた。
先がどうなっているのか、何となく理解できてしまう。
それだけに、井戸水に原因があるのか別の要因なのか、奥に何があるのか分からなくても、不穏な状況なのは変わらない。
戻ろうかとの考えが一瞬浮かぶものの、先を促した手前、言葉を翻すのもためらわれる。
その気もそぞろになった隙間が不味かった。
石板を踏んだ途端、グジュリと湿った音を立てて足元が沈み、水がしみ出してくる。慌てて体勢を立て直そうにも、くるぶしまで埋まった片足はさらに沈み込んでいく。
思わず伸ばしてしまった手が、順調に歩を進めていたキエラの肩を掴んだ。
「え!?」
グレイに後ろへ引っ張られる形になったキエラが驚きの声を上げる間もなく、二人の頭が硬い音を上げた。
キエラは後頭部を、グレイは眉間と鼻を押さえてうずくまってしまった。
「な、何よ、もう……!?」
「すまんっ! 足を取られた」
素人同然の失敗にグレイが頭を下げるも、キエラは義兄を見ていなかった。
斜めに突き出た石板の下の方に目が固定され、動きが止まる。
否、止められた。
目玉、だった。
いくつもの眼球がくっ付いて固まり、ヒトの頭ほどの大きさの球状になっている。
それが何らかの生物だとは、ぎょろぎょろとせわしなく動き回る眼球たちの動きから知れる。
「……ひっ!」
おぞましい姿に喉の奥から小さな悲鳴を絞り出したのを合図に、複数の眼球とキエラの目が合った。
◇◆◇
大きなカタツムリとするには不気味でおぞましい存在に、グレイも息を飲んだ。
無数の眼球が寄り集まった歪な球体を支えているのは、ナメクジやカタツムリのような濁った肉色の腹足だ。だが突き出た触角の類はなく、目玉の球体を置く台のよう。
義妹の様子がおかしいのもすぐに分かった。奇怪な眼球の塊を凝視したまま、動きが止まっている。
視線を浴びたグレイも、ギョロギョロと動く眼球の群れに目を奪われかけた。おぞましい見かけのくせに、オモチャのような動きをする眼球に目を惹きつけられて止まない。
しかしそれも一瞬のこと。
「意識を混濁させる系か!?」
眼球の群れにそういう能力があると察し、頬を叩いて混濁しかけた意識を元に戻す。
「キエラ!」
グレイの声にキエラはハッとすると、我に返るように頭を振った。
グレイはグレイで、ぬかるみに沈んだ足を無理矢理引き抜き、キエラを引き剥がそうとする。
だが二人の反応は遅かった。
石板の残骸の石や水や泥が一メートルほどの高さの宙に浮き上がった。
何事かと身構えた二人に、瓦礫の礫は横殴りの暴風となって殴りつけたのだ。攻撃する手段を持たないように見えて、念道力のようなものを持っていたらしい。
骨を何本も砕くような激痛に顔を覆い、グレイはぐぅと苦痛の呻きを漏らした。足が抜けたのは不幸中の幸いか。防御の魔法のかかった品を身に着けていなければ、これだけで死んでいたかもしれない。
「……腕輪様々だな……」
場違いな感想だと思いつつも、左手で杖を握り直しながら、右手で左腕に嵌めた魔法の腕輪を、詰め物で厚くなった布の上から撫でる。
一部の眼球共がこちらの動きを伺っているのを感じながら、杖の先端を掲げる。
「
意識を混濁させようとする魔物の目に見えない力を感じながら、耳から入って記憶に残らない言葉でつづられた呪文をグレイは唱えた。
デニスに向けたような手心を加えたものではない。あの時は一帯を縄張りとする顔役に、自分の知らない殺しがあったと知られるのを避けるための手加減だった。だが魔物相手ならそのようなものは必要ない。後先考えない全力ではなくとも、それなりに威力を高めた一撃だ。
生み出された青白い光は、眼球の塊のような魔物の周囲の宙に浮かんだ瓦礫の群れを、何もないかのように突っ切ると魔物に命中した。
「こンのォ!」
キエラも似たような魔装具を身に着けているため、グレイよりも近くにいたのに目に見える傷は額と頬からの出血ぐらいだ。
痛い思いをさせられた怒りか、不甲斐ない姿を晒させられた恥辱からか、いずれにせよ魔物に意識を混濁させられることなく、すかさずキエラのシミターの切っ先が深々と突き刺さった。
二人のどちらが致命となったのかは分からない。
口のない魔物に断末魔を思わせる大きな身震いをしたしばし全身を震わせてから、くたりと潰れ、一つ一つの眼球から生気が失われていく。
完全に動きがなくなったと確認してから、息絶えたことを二人は実感した。
「……死んだ?」
「多分な」
それでも、いつまた動き出しても対処できるように気を抜かないキエラに、周辺に怪しい動きがないか伺うグレイが答えた。
ようやく安堵の息をついてから、キエラはシミターを魔物の死骸から引き抜いた。怪我の痛みに顔を歪め、壁にもたれかかる。
「何なの、こいつ?」
「知らん」
グレイの回答は簡潔だ。
痛みもそうだが、使った<
「俺も初めて見る。読んだ本の中にもあった記憶はない」
精霊や低級の悪魔の一種などでなく、物質界に根差した存在であるのは、未だ残っている死骸から分かる。物質界に来た異界の存在なら、死ねば死骸は消滅するはず。
分かるのはそこまでだ。
「……後で調べてくれるんでしょ?」
グレイに否やはない。
新種の魔物であれば、相応の場所に出ればそれなりに名は売れるだろう。
功名心ばかりではない。
自宅の下にこのような見たことも聞いたこともない不気味な生物が棲んでいたなどと、気持ちが悪いにも程がある。奇襲要素があったからこそすれ、たかだか全長四、五十センチの魔物にここまで痛めつけられては身としては、危険度が高すぎる。
「……進む? 帰る?」
「……進もう」
痛いし疲れたし帰りたいのは山々だ。しかしまだ家の敷地分も歩いていないし、対峙した魔物は一体だけだ。頭上は自宅だし、せめて家を一周するぐらいの距離は歩いておきたい。
「ああ、それで気が緩んでいるのかもな」
その気になればいつでも帰れる。
これでは慎重さに欠けても仕方あるまい。
怪訝な顔をしたキエラに、油断するなと声をかけてから、グレイは先を促した。
無数の眼球の付いた魔物。
*Mythic Fate Question。
・この魔物の詳細はIQ 1レベルのセービング・ロールで分かるか? Exceptional No。新種か何か。街の図書館で調べる程度では分からない。
【挿絵表示】