とある兄妹の生存戦略   作:富屋要

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第五話 井戸の底の事実

 眼球の集合体のような魔物の死骸からほんの数メートル、実質十メートルも歩かずに行き着いた先で、グレイとキエラの二人はポカンと口を開けて立ち尽くした。

 

 地上と比較すれば、位置は台所と裏口を出たすぐのところにある井戸の辺り。井戸とこの地下の深さを比べれば、地上からの距離は大体同じ。

 

 だから壁の裏かその奥の土の中に、地下水の貯まり場があるだろう。

 

 そう想定はしていても、このような現実は想定していなかった。

 いや、先の魔物と遭遇した足元の状態を考えれば、想定はできたはずだ。

 

「ヤバい。これは聞かなくても分かる。ヤバい! 何とかの精霊とか関係なくてヤバい!」

 

 キエラがこのように興奮気味になるのは、精神的に切羽詰まった時のものだ。

 

 義妹の感想にはグレイも同意だった。この家に住み始めてから十五年、全く気が付かずにいた自分の間抜けさに、思わず手で顔を覆ってしまう。

 

 見かけは平静でも、顔を手で覆うのがグレイの反応だ。

 

 二人の目の前には、小さな地底湖が広がっていた。湖よりは池と言う方が相応しいか。家の面積の三分の一あれば良さそうな大きさしかない。池が広がるのは家の外方面なのは幸いと言えるか。

 

 自宅の間取りから大体井戸のある辺りだろうと見当をつけた斜め上には、井戸の形と同じ穴が開いていて、昼過ぎの陽光が水面を照らしている。

 

「ひょっとして家がヤバいの、このせい?」

「可能性は高い」

 

 グレイの声が平坦で冷静そうなのは、危機感やら焦燥やら感情面が一杯一杯になったからだ。興奮しているようなキエラとは対照的だ。

 

 先程の魔物の位置から良く見えなかったのは当然で、水に削られてできたらしい空間は、水面から天井まで高いところでも二メートルもない上、剥き出しの土や岩やらから出来ている。魔力の光で灯す加工などされていないし、二人の慣れ親しんだ季節を問わず常に冷たい水による靄も水面を薄く覆っている。

 

 グレイの危機感を煽るのは、この貯水池だ。

 

 水が流れ込んでいるのか出しているのか、少なくない水量の音が二人の立つ反対側から聞こえてくる。

 

 水が流れていれば、当然水による地盤への侵食がある訳で、この地下道がなくても天井が抜け落ちる危険があったはずだ。

 

 そこへ、この地下道を作った者が何者であれ、地盤を弱体化させた。

 

「井戸を掘った人からすれば、幸運だったつもりだったんだろうなぁ……」

 

 地面を二、三メートル掘ったら底が抜けて、貯水池のようなこの場所を発見したのだ。近場に田畑のある区画でもなく、普通に生活する分には決して水に困ることのない場所として、独占していたのかもしれない。

 

「過去に何があったのかはどうでも良いとして……」

 

 唐突に口をつぐんで静かになったキエラを見遣り、凝視する先へと視線を移す。

 ほとんど無風の中、水面を漂う靄が、つぅと揺れた。

 

「何か……いる?」

 

 グレイは眉根を寄せて、杖を握る手を強めた。

 底の深さまには興味がなく気にも留めていなかったが、それなりの深さがあるらしい。光の屈折で見かけよりも浅そうな水底でも、大きな姿が泳いでいるのがちらりと見えた。

 

「下がって!」

 

 言うや否やキエラは前を向いたまま胸元を押し、グレイに二、三歩下がってたたらを踏ませると、自身も後ろに軽く飛び退く。

 

 直後、ザバリと水面を割って二人が足場にしていた石畳に、何かが乗り上げた。

 

 半身を乗せたのは、甲虫に似た奇怪な生物だ。鎌を思わせる長い節足の前足は四十センチ程、昆虫らしい複眼と牙のようなアゴと触角を備えた黒い頭部は全体的に平らで、水中での活動に適応した形をしている。タガメのような長い前足を持つゲンゴロウ、という形容が近いか。

 

 甲虫にしては異常なのは、前足に開いた沢山の穴から激しい蒸気を上げている点だ。

 

「『熱殻の抱手(スチーム・ハガー)』!?」

 

 どうして家で使っている井戸にこんなのが棲んでいるんだよ、と驚きの声をグレイは上げた。

 

 現れた魔物は、何かを抱きしめようとするかのように、前足をカチカチと鳴らしている。名前の由来の一部だ。

 

 近辺の池や川に棲む昆虫似の魔物の一種だ。獲物を捕まえる長い前足を含めても、全長は一メートルを越える程度。繁殖期でなければ同族でも食い殺す凶暴さながら、船上や陸にいる生き物を襲うことは滅多にない。また構造上水中を生存の場としているため、危険性は比較的低いとされている。

 

 特徴は長い節足の前足の他、刃物のような鋭いアゴに備わる毒腺と、関節の隙間から噴き出す蒸気だ。毒は著しく生命力を削るだけでなく、一時的に視力を奪う特殊な効果があり、蒸気は簡単に皮膚を爛れさせる高温だ。前足にしがみつかれた生物は、毒と盲目と火傷に苦しみながら、強靭なアゴに噛み千切られて息絶えることになる。

 

魔よ滅(Take Th)……」

 

 名前とその由来から来る厄介さを咄嗟に頭の中に浮かべ、魔法で吹き飛ばそうとしたグレイより早く、魔物は飛沫を上げて水中へと帰ってしまった。

 

 魔法を警戒した訳ではないだろう。そこまでの知性はない。

 

「……有り難いっちゃ有り難いけどな……」

 

 いつでも魔法を唱えられる準備をしつつ、立ち去ってくれたことに小さく感謝する。

 先程の眼球の塊のような魔物の奇襲で、全身が痛みに軋みを上げている。もう一戦追加なんてお断りしたい。

 

「……うん。大丈夫そう」

 

 水中を目で追っていたキエラは、熱殻の抱手(スチーム・ハガー)が十分に離れたのを確認してから、ふうと息を吐いた。

 

 光の届く範囲では、あれ一匹しかいない。

 

「……あれ、スチーム・ハガー……っていうんだ」

 

 靄に隠されて見えなくなった魔物の名前を初めて聞いたと、キエラは目を丸くした。陸に上がって追ってくる習性がないとは知らない顔だ。

 

「後で勉強だ」

 

 迂闊に水場に飛び込めば命に関わる。厳しい顔で告げる義兄に、苦悶に顔が歪んだ。

 

「とりあえず、今回は引き上げよう」

 

 スチーム・ハガーのいる水の中に入る意思はなく、動ける範囲で家の敷地分は調べ切ったはずだ。未踏の通路のうち、最初の空間の一本は二人の私室の方向にあるが、敢えて目を瞑り見なかったことにする。

 

 これなら新しい戦闘をせずに済むと安堵したのは、キエラも同じだ。グレイより小柄で近い場所にいたのでダメージは大きい。出血の止まった額の傷だけでなく、身体のあちこち青あざだらけになっている自信がある。

 

「まだ調べていない場所が幾つもあるけど?」

 

 それでも念のために確認を取れば、疲れた顔でグレイは首を横に振った。

 

「情けない話、ちょっと疲れた。戦闘って呼べそうなのは一回しかなかったけどな。それよりも、色々と相談しなくちゃいけないことがある」

 

 この地下道が思いの外傷んでいたのは想定外の事態だ。おそらくこの貯水池の水による土砂の侵食が、最大の要因だろう。このままでは遠からず上に建っている自分達の家だけでなく、近所の幾つもの家屋に倒壊の危険がある。

 

 この地下道を探索するのは、当分先の話になるな。

 

 家財道具全部持って別の場所に引っ越した方がずっと楽だろうと分かっていても、なぜか本気で検討しようとは考えない自身に、グレイは内心で苦笑した。

 

     ◇◆◇

 

 帰路は順調だった。

 というより、家の外周の半分程しか歩いていないのだ。正確には、居間から台所、そして外の井戸までと、家の敷地の半分だ。亡き両親の寝室兼物置や、自分達の私室のある部分については調べていない。

 

 それで疲れるなど、まずあり得ない。

 

 しかしそれだけの歩数でも、三つの天井の崩落個所が見つかったのだから、火急的な対処が求められる自宅の危機だ。

 

 キエラも貯水池を見てから危機的状況に思い至るも、どこから手を付け、どう処理していけば良いのか分からずにいた。

 

「この手の考える仕事は兄さんに丸投げ」

 

 そう言っていつもならグレイに頼りきりになるところを、珍しく頭を使って混乱している状態だ。

 

 何せ、天井の石板が墓標のように斜めに突き出た残骸を通ろうとした時だ。

 半分に割れた石板を踏んだ途端、床諸共足が沈んだのだ。慌てて飛び退いて事なきを得たものの、石板そのものは緩んだ泥土に完全に埋もれてしまった。

 

 石板の土が水を吸っていたのは、最初通った時から分かっていた。

 

「それでもこんなになっていたなんて……」

 

 水の浸食がどれ程に深刻か、キエラに思い知らせるには十分だった。

 

「ここの探索なんかより、これ以上崩れないようにするのが最優先だな」

 

 グレイの顔色も悪い。

 

 浮き沈みする石床に苦戦しながら通過し、途中で眼球の塊のような名も知れない魔物の死体を回収する。

 

 狩った当初は調べるのは当然だという態度だったのに、キエラは難色を示した。気持ちの悪い生き物だから嫌だと。

 

「想像してみろ。こんなのが無数にいて、家の下を這いずり回っているのを。そのうち床下から家の中に入ってくるかもしれない」

 

 気色悪いと良い顔をしなかったキエラに、どことなく顔色を悪くしたグレイの答えだ。

 単なる探究心でこんなおぞましい見かけの生き物の死骸を回収したのかと思えば、意外と切実な問題もあったようだ。

 

 嫌すぎる光景を脳裏に思い浮かべ、キエラも回収には我慢した。

 

「でもこの袋、もう使えない。使いたくない」

 

 いつどこでお宝に巡り合えるか分からないので、常に持ち歩いている布袋に死体を詰められてしまった時は心の中で涙した。

 

 もう一つの天井の残骸が散らばっている場所は難なく通り越し、居間の床が抜けた最初の空間まで、動く存在に出会うことはなく帰り着けた。

 

 スケルトンの残骸から、錆びたシミターと盾でも回収しておこうかと考え、止めておく。古道具屋でも買い取りは拒絶される気がしたからだ。

 

 ロープを登り、居間に辿り着く。

 

 こうして二人の地下道の調査の一回目は終わったのだった。

 

 




“Creature Crafter Simplified,” Mythic Magazine #13より
スチーム・ハガー
*Creature Description(クリーチャーの外観)
・“Steaming(蒸気)”。”Insect-Like(昆虫っぽい見かけ)”。
*Creature Ability(クリーチャーの能力)
・“Poison(毒)”。”Vision(視覚)”。”Common(普通)”。


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