行っていない業務を敢えて挙げるなら、どこそこに棲んでいる魔物の討伐や、魔物の解体や、魔法の籠っていない普通の宝石の鑑定等だ。
討伐なら衛兵に訴えるか傭兵を雇えという話だし、解体なら受け付けているかどうかはともかく肉屋の領分だし、宝石の鑑定なら専門家に依頼すれば良い。
無論のこと、鎧を着て腰に剣を下げた不審者など一人もいない。仮にいたとしても、ギルド前の守衛に追い返されるのが関の山だ。むしろギルド前でなくても、そのような恰好で街中を歩く不穏の輩は、とうに衛兵が捕えている。
ギルドの職員だろうローブをまとった男女が、巻物やら羊皮紙の束を手にせわしなく行き交い、裕福な商人らしい上等な服を着た男が、ローブ姿と何やら交渉している。
「……こう見ると……何か普通ね……」
「何を期待しているんだ?」
普通の基準をどう定めているのか不明なキエラにグレイは呆れ、そう言えば来るのは初めてだったかと評価を改めた。
「ん~……。どこかのギルドの建物?」
キエラの返答は要領を得ない。
「いや、どこだよ」
尋ねはしても、答えは期待していない。
答えを得るよりも先に、グレイは案内カウンターの前に立っていたからだ。
対面に座るのは、グレイよりも十ほど年上の男だ。
「図書館の利用許可と、魔物の調査をお願いします」
「図書館は一日金貨六枚。魔物は……」
受付の男の目は、グレイの持つ布袋に向いた。
「ええ、これです」
魔物の体液を吸って底が変色した袋を持ち上げる。買ったばかりの本をカウンターの上に置き、杖を立てかけてから、袋の口を開けて男に見せる。
身を乗り出して中を覗いた男は、一瞬で顔色を悪くして顔を背けた。
「そんなのを持って図書館に入るんじゃない。まずは博物学で魔物の鑑識の依頼を済ませてから、もう一度ここで受付しろ」
男は告げてから、手の平の半分大の黄色く塗った薄い木板を差し出した。表面には『博物学』の文字と数字が黒いインクで書かれている。
「……どうも」
番号札を受け取ったグレイの服の裾を、キエラが引っ張った。
「この杖はどうする?」
デニスの持っていた杖のことだ。従来の魔術師の杖の能力の他、何か隠されているのは分かっている。
「もうしばらく調べる。それでも駄目だったら、鑑定の依頼に出す」
昨夜のうちに打ち合わせたはずだ。気が変わったかどうかの確認だろう。
改めて予定を告げてから、グレイは迷いない足取りで博物学の受付のある方角へと向かった。
◇◆◇
博物学が受け付けているのは、動植物や鉱物の調査だ。受付は持ち込まれた相談から、更に幾つかの専門部署に采配するようになっている。
グレイの期待している魔物分類学は、その中の一つだ。そこに飾られている魔物のはく製や標本、模型の類を見学できると嬉しい。
幸い順番待ちはなく、すぐに受付のカウンターの前に立てた。
「これの鑑定をお願いします」
グレイは布袋をカウンターに置き、魔物の死体を半分程露わにした。
とうに生気の失われた無数の眼球が、周辺の光景を捉える。
受付係の男はギョッと半身を引き、完全に死んでいるのを確認してから、興味深そうに顔を近づけた。
「これはどこで?」
「……それについては黙秘で」
家の床下で見つけた謎の通路です、とは言いたくない。
ふむ、と唸っただけで受付係は追求せず、興味深そうに眼を狭めて魔物の死骸に見入った。金属製のペーパーナイフを取り出し、あちこちを軽く突いたり、傷口を広げて中を覗き込んだりと、一通り調べから袋の口を閉じる。
「これはすぐに答えは出せないな」
鑑定する専門の部署を尋ねたのだ。受付でやるよう求めてはいない。いや、そういう意味ではなかったのだが、言葉だけを追えば頼んだことになるのか。
「いえ。どこの窓口に持っていけば良いか教えてもらえれば……」
グレイの言葉を無視して男は席を立つと、手が汚れるのも構わずに布袋を両手で抱え上げた。
「これはこちらで責任を持って預かろう」
「ちょっと!」
唐突にグレイの脳裏に、横取り、の言葉が浮かんだ。思わず伸ばした手が、男のローブの裾を掴む。
「これは新発見かもしれない! じっくりと時間をかけて調査する必要がある」
「ええ。だから調査を依頼しに来たんです。勝手に持っていかないでほしい」
自ら調査を行う腹積もりなのか、グレイが抑えていなければ、受付係は仕事を放り出しそうな剣幕だ。
横取りでないにしても、射幸心なのか好奇心なのかに駆られて仕事を放り出されてはたまらない。依頼書や受領書を書かずに持っていかれるのも困る。功名心はそれ程強くはなくても、成果を他人に譲るお人好しではない。
「ええい、放せ! 市井の魔術師風情が! これは重大な発見かもしれないんだぞ!」
職場放棄する程の新発見とはとても思えないのだが、男の評価は異なるらしい。
「これさえあれば、こんな閑職から解放されるかもしれない! だから……!」
その後何を言おうとしていたのかは分からない。
横から延びてきた杖が、男の頭を掠めた。
キエラだ。
「だから横取りしても良いんだ、なんて言い訳は通じないわよ」
「……でもな!」
気圧されたのも一瞬、元の威勢を取り戻した男の声は、立てた人差し指を口の前に持っていたキエラを見て、すぐに勢いを失った。
「静かにしないと問題になるんじゃ?」
博物学の受付前は幸い人気がなく、男の荒げた声を聞いていたのはグレイとキエラの他は同僚だけだ。隣の受付にいる同僚も、ちらと視線を向けただけで、聞いていなかったふりをして正面を向いてしまう。
喉の奥で何やら唸ってから、受付係は席に戻った。
「……この魔物の調査。それで良いかな?」
「ええ。こんな不気味なのは見たことなかったので……」
答えたのはキエラだ。
申し込んだ当人のグレイは、掴んでいた男のローブの裾から手を放してからは、面倒臭いと言う表情を隠しもせず、傍観することを選んで立っているだけだ。
義兄の対人能力に期待できないのは、キエラとて理解している。この受付係のように、特に義兄に落ち度がなくても、変な騒ぎになるのは珍しくない。
でもだからと言って、こちらに丸投げするのはいかがなものか。内心で文句を並べるのは仕方ない。
「既知のものなのかそうでないのか。既知なら名前や生態なんかの詳細を。未確認なら調べられる範囲で調べてもらえれば」
更に二つ三つと要望を告げるキエラの言葉を、先程の興奮は嘘だったかのように、男はおとなしく書き連ねていった。
「……ふむ。この調査だと、死骸の返却は出来なくなるが?」
「いらないです」
キエラは即答した。
同様の眼球の魔物が家の下でうようよしているかもしれない。それを考えると、胸の内側をナメクジが這い回っているような嫌な気分になる。例え死骸でも、一匹でも多くいなくなるのは歓迎だ。
「調査には一週間から十日。長くても二週間。結果は書類で提出。それで良いかな?」
グレイの方を見遣り、同意に頷くのを確認する。
「ええ。それでお願いします」
「費用は金貨で百十枚。半分の五十五枚を前金で」
「ひゃくぅっ!?」
キエラが悲鳴を上げ、グレイも目を見張った法外な金額だ。先日の収入があるから払えるようなものの、そうでなければ諦めてしまう額だ。
兄妹の反応に、受付係は面白くなさそうに鼻にシワを作った。
「何か? 新発見かもしれないんだ。毒がないか注意が必要だし、寄生している生き物が潜んでいるかも、外からは分からない何かがあるかもしれない。解剖一つするにも、既知の生き物の数倍の警戒と注意が必要になるの、考えるまでもあるまい?」
仮定で話していても、新発見だと確信しているようだ。
キエラは腕を組んで黙考した。
危険性については反論の余地がない。改めて死骸を思い出せば、死んでからも呪いの一つ、かけてきそうな外見をしている。死んで一層不気味さが増した気がしないでもない。
だとしても、提示された金額は高すぎる。持ち去るのを妨害した腹いせ分が上乗せされていそうだ。
「……どうする?」
実際に出費するグレイに視線を向ける。
「頼む」
渋面を隠しもせず、グレイは財布にしている小袋を腰のベルトから外し、キエラに押し付けた。
財布の重さ、あるいは軽さに、キエラは僅かに頬を引きつらせた。半額払うだけで、中身はほとんど空になりそうだ。
「図書館の利用料ぐらいは残る。後はまあ……何とかする」
そっぽを向いた義兄に、金のほとんどがどこに消えたか、想像するのは容易だ。
有り金のほとんど全額を、魔法の習得に使ってしまったのだろう。
魔術師が新たな魔法を習得するには、ギルドへの寄付が不可欠だ。自力で新しい魔法を開発できるならともかく、今のグレイの能力はそこまで到っていない。
「……少しは後先考えて使ってよね……」
小さく愚痴を零しながらも、容赦なくグレイの財布から調査料の半額の前金を払うキエラだった。
◇◆◇◆◇
魔物分類学の調査室は、
受付係の男マリオは、両手で抱えた布袋を落とさないよう慎重に、かつ足早に魔物分類学の廊下を歩いていた。
幾つもの部屋の前を通り過ぎ、やがて行き止まり手前の部屋の前で立ち止まり、ノックする。
部屋の住人の返事があってから、一度大きく深呼吸してから中に入る。
部屋の中は雑多な実験室だ。黒い石造りのテーブルの上には、ビーカーやフラスコ、加熱器具や秤が置かれ、薬品棚には様々な色の薬品が詰まったガラス瓶がずらりと並んでいる。
マリオは器具の類には一切目を向けず、部屋の奥のデスクへと向かった。
「緊急の報告があります」
出たのは緊張で上擦った声だ。
書き付けをしていた人物は顔すら上げず、マリオもそれを咎めることはしない
無言で袋をデスクの上に置き、口を開けて中身を半ば露わにする。無数の眼球が一塊になったような魔物の死骸だ。
書き物の手が止まった。
「それはどこで?」
「先程、調査依頼が入りました。どこで見つけたかは黙秘されました」
ペンをインク瓶に戻し、反対の手でデスクに肘をつき、その上にアゴを乗せる。
「一応、相場の三倍近くの値を付けたのですが、依頼を取り消さなかったので、やむなく……」
金貨百十枚は、断らせるための放言だ。従来は金貨二十枚から五十枚が相場だ。
「つまり、自分が何をしでかしたのか、理解していないと?」
「……そうなります。あと、一人ではなく二人、です」
相手が激発するのを恐れるように、マリオは冷や汗をかいた。
「その二人は?」
「今、図書館で何やら調べ物を……」
感情の伺えない目に見据えられ、小さく震え上がる。
「名前と住み家は分かっているのだな?」
「ええ。それは勿論……」
ローブの襟で冷や汗を拭うマリオのことは、視界に入れても興味はなさそうだ。
「……監視を付けますか?」
「必要ない」
呼吸困難になりつつ、どうにか絞り出した提案は、一言の元に切り捨てられた。
「図書館で何を調べようと、手がかりを見つけることはない」
はい、とマリオが頷くのを、目の片隅で捉える。
「良い。調査書はこちらで適当にしつらえる。それを渡せ」
「……了解しました」
「それと」
アゴに乗せた手の指が一本、死骸の入った布袋を指した。
「痕跡の残らないよう、完全に焼き尽くしておけ」
ひゅっとマリオの喉の奥から息が吐き出された。次いで大きく息を吸い、神罰を恐れる敬虔な信者のように深々と頭を下げ、視線から逃げるように袋を持ち上げると、無礼にはならない速度で部屋を出て行く。
一人残った人物は、考えに耽るようにしばし身動きもしなかった。やがて改めてペンを取ると、何事もなかったかのように、書き物を再開する。
その頭部は、無数の眼球が球状になった、グレイとキエラが持ち込んだ魔物の死骸と酷似していた。
違うとすれば、被り物などではなく、生きている証にギョロギョロと眼球が動くところだろう。
* 目玉の魔物の調査料は1d6×10 gpか? No。2d6×10 gp= 110 gp。
* 家の地下に関係しそうな本は、IQ3レベルのセービング・ロールで見つかるか? No。IQ4レベルか? No。この分ではおそらく禁書庫か、そもそも関係する本は所蔵されていない。
* Random Event発生。
・Event Focus: NPC Action。NPC= 無数の眼球が球状にまとまった魔物。
・Event Meaning: “Work Had”、”Adversities(逆境)”。頑張っている兄妹に新しい逆境を。
【挿絵表示】