誰かいっぱい生み出してくれ
落語、それはただ座布団の上に座り語り客を楽しませる江戸から継承されてきた伝統芸能である。他の能楽や雅楽などの伝統芸能に比べれば歴史は浅いかもしれない。だがそれでも確かに繋がれてきた文化だ。
「と、いうお話でございます」
座布団の上で男が頭を深々と下げると静寂が訪れた会場が大きな拍手に包まれる。男が袖に消えてからしばらくしてもその熱の余韻は収まらない。
「いや〜初めて見たけど凄いなぁ。阿良川そそぎ、まだ若いのにここまでやるとは…」
記者の男、樫尾広久は率直な感想をポツリと口にする。彼の落語は何度か見たことはあったが画面越しで見るものと直接肌で感じるものでは当然だがものが違う。
「さてとどう記事にしたものかなぁ」
頭をポリポリと掻きながら今見たものを言語化しようと頭を回す。阿良川そそぎはネット活動をしているからか若者の客層が多い、普段落語を見に来ない者でも彼の落語をみたことがあるという若者はいるだろう。それだけ知名度がある人物についての記事を書くのだ、文字に起こすのも慎重になる。
余韻が完全に冷めきったあと会場近くの喫茶店でノートパソコンを立ち上げて記事を考えていた。コーヒーと軽食を注文しリラックスしてさきほどの演目を思い返す。何度も文字に起こしては消してを繰り返す。文字にするのは簡単だが陳腐なものになってしまいライターとしてのプライドがそれを許さない。
「一人なんすけど大丈夫っすか」
店の扉が開かれた。聞き馴染みのある声が聞こえたので思わず顔を入り口の方に向けるとそこには先ほどまで多くの人を熱狂させていた男の姿があった。
「阿良川そそぎ!!」
「カシオさんカツサンド貰って良いっすか?」
思わず店中で大声を上げてしまい恥ずかしい思いをしたが結果としては良かった。何故か阿良川そそぎと同じテーブルに座り食事をしている。ご飯を奢るからと言ったら快く受け入れてくれた。
改めて目の前にいる男を見ても会場を熱狂に包んだ人物とは思えないほどさっぱりしていた。今も届けられたミックスジュースを飲みながらカツサンドを頬張っている。
阿良川そそぎ、阿良川一剣に師事する20歳で二つ目になった実力派の若手。阿良川魁星が現れるまでは彼が二つ目最年少記録の保持者だった。抜かれた今でも22歳、1歳離れた阿良川魁星と並んで注目される新星。
これらの情報と目の前の彼をどれだけ見比べてもそのような人物だと思えないがさっきの演目を観たので情報が事実だと認識できる。オンとオフが激しいタイプなのか、それともただ疲れているだけなのかは分からないが沈黙も辛いので取り敢えず話を振る。
「そそぎ君今日の落語凄かったよ。分かってはいたけれどやっぱり動画で見るのとは何もかもが違うね」
「あざっす。でも俺的にはイマイチだったんでそこまで褒められてもというか…そういうい感じっす」
そそぎ君はそう言うとミックスジュースを一飲みする。彼の落語はあの場にいた誰もを満足させていた筈なのに何に満足出来ていないのだろうか。気になる、とても気になるあれだけの落語をする彼が一体何に悩んでいるというのか?記者としての本能が疼く。
「一体何を悩んでいるんだい?一応僕は君より年上だし嫌じゃなかったら話を聞くよ?」
「まぁ別に隠してないんで良いっすけど…」
僕の提案をアッサリと受け入れた彼は話始める。
「前にも俺の落語を見たことがあるって言ってたけどそれって配信でってことで合ってますか?」
「まぁそうですよね、アレと比べると生で見る方が凄いってよく言われます。でもそれじゃ駄目なんですよ」
「この娯楽が飽和していて選択肢が無数にある現代、一生師匠はその中で落語を選ばせるって言ってたんですけどそれには賛同です。今の時代の娯楽の中心はインターネットだと思ってます、なんでライブ配信や動画でも生と同じ感動を届けられたら落語は再び天下を取れます」
「でもまだまだ完成にはほど遠いんですけどね」
熱の籠もった物言いから一転そう笑って締めた。笑って誤魔化そうとしているがその目に宿る熱は全く隠せていない。噂には聞いていた、阿良川そそぎは画面越しでも本当の感動を届けようとしていると。そんなのは不可能だと俺は否定していたが直接彼の熱を浴びた後だと実現するのではないかと期待せずにはいられない。
「ゴメンそそぎ君、僕は勝手に君を侮ってたみたいだ」
「それ絶対他の阿良川にしちゃ駄目っすよ冗談抜きで。大丈夫な人もいるけど大多数にはブチギレられるっす」
僕の謝罪に目をパチクリさせて一拍置いて爆笑するそそぎ君、確かにだいぶ失礼なことを言ったかもしれない。指摘されて手で口を塞ぐがをれには全く意味は無かった。
「まぁ今は良いっす。発言から馬鹿にするつもりは無いんだろうなって思ったんで」
謝罪を言おうとしたがいつの間にか注文されていたパンケーキが届けられる。目にも留まらぬ速さで飛びつきモグモグと幸せそうに頬張る彼の姿を見て邪魔するのは野暮だと思い謝罪はあとに回した。
「カシオさんごちそうさまでしたっす」
「いや、こちらこそ話を聞かせてもらえて良かったよ。それにすまなかった。」
「あぁそんな深々と頭下げなくても別に気にして無いんでいいっすよ。さっきも言ったけど悪意は感じなかったし」
会計が終わり店の外に出たタイミングで謝罪する。そそぎ君はこう言ってくれているが自分なりのケジメなのでちゃんと頭を下げる。
「代わりと言ってはなんだが折角たくさん話したんだ最高の記事を書いてみせるよ」
「はい、楽しみにしてるっすね」
そう言って彼とは別れる。帰りの電車を待つホーム、電車が来るまでの間でノートパソコンを立ち上げ記事を書き始める。先ほどまでとは異なり一度手を動かしたらキーボードを叩く手は止まらない。結局何本も帰りの電車を見送ってしまったが記事を書けたので結果オーライだろう。いずれ完成されるであろう彼の落語に思いを馳せて樫尾広久は眠りについた。