憑依八神君がどうにか綾小路を退学にさせようと奮闘する話 作:bb
4話でパートナー筆記試験編は終わる予定です。
綾小路と須藤は堀北の提案で、学力が低い生徒のパートナー探しをする為に放課後一年生が多く集まるケヤキモールに足を運んでいた。
唯一Dクラスが他クラスよりも有利に交渉を行える相手は同じ一年Dクラスだが、昨日の揉め事以降目立ったアクションはない。
「クソッ、どいつもこいつも足元見やがって……! ポイント出せだの、もっと学力の高い奴と組みたいだの、高飛車な奴ばっかじゃねえか!」
須藤が苛立ちを隠さずに頭を掻きむしる。学力に不安を抱える彼にとって、この合同筆記試験は文字通り死活問題だ。パートナー探しが難航すればするほど、焦燥感が募っていくのも無理はなかった。
試験まであと十日ほど、堀北としてはいち早く須藤のパートナーを見つけ出して勉強に専念させてやりたいところだろう。
パートナー探しを手伝いたいと懇願する須藤を拒まなかったのも、それが理由と考えられる。
「なぁ鈴音、やっぱり俺と組んでくれそうな奴とか居そうにねえよ。早いとこ八神と会った方がいいんじゃねえのか?」
須藤の言うことは尤もだ。既に学力の高い生徒を買収する為に、二年Aクラスと二年Cクラスが動き出しているのは間違いないだろう。
八神自身、Dクラス内でも打診を受けている生徒がいると言っていた事から、買収戦略はクラスという指標を無視して行われていると見ていい。
優秀な生徒達が売れていくのは時間の問題だ。Dクラスは宝泉の指示で一組もペアを組んでいないと言っていたが、それは宝泉が要求するラインを他クラスが満たした時点で終わりを迎えてしまう。
──現に、今日になって一年Dクラスから二人の生徒がパートナーを確定させている。
「その件については考えていたわ、でも直接彼らのクラスに出向いても昨日と同じ展開になるだけよ。話し合いの場を設けるには、宝泉君に気づかれず八神君と接触する必要があるの」
「確かにそうか、宝泉の野郎がいたら皆殺気立って話し合いにすらなんねえからな」
須藤の意見も一理あるが、堀北の考えとは少しズレていた。
「……そういう意味ではないのだけれど」
「え、違うのか? じゃあどういう意味だ?」
一年前とは違い、息を吐くように辛辣な言葉をチクチクと飛ばすことはせず眉間を抑えるだけに留めた堀北を見かね、綾小路が分かりやすく須藤に解説を始める。
「堀北は宝泉がこの試験に求めていることと、八神が求めていることは別だと考えてるんだろう。宝泉は恐らく、須藤達を救済する代わりに対価が欲しい。だが八神はオレ達と同じで、クラス内の学力が低い生徒を救済したいんじゃないかと考えてる──だろ? 堀北」
「ええ、その通りよ」
しかしその言葉を頭の中で噛み砕いていくと、須藤の中にまた別の疑問が浮かび上がる。
「質問に質問を重ねて悪いんだけどよ、なんでそんな風に思ったんだ? あの時八神はそんなこと一言も言ってなかった気がするし、むしろ宝泉の肩を持ってたような気がすんだけど」
「言葉だけを聞けばそうなるわね。でも彼の頬を見たでしょう? あの怪我と宝泉君を止めようとした時の表情を見れば分かるわ。彼は、宝泉君に逆らえないのよ──表向きは、ね」
確実な証拠はないが、堀北達は既に暴力でクラスを支配していた男を知っている。そのやり方と、それによって支配されていたクラスメイトの表情も。
昨日聞かされた一年Dクラスの状況はそれと酷似している。少し違和感があるとすれば、八神の言動が支配されている人間にしては少しちぐはぐであること。
「昨日、八神君は自然に一年Dクラスの内情について教えてくれたわ。恐らく宝泉君の策は、ペナルティなんて無視して最後まで売れ残ること。そして私達に多額のポイントを要求することよ」
「堀北の言う通り、それが最終的な狙いなら八神の行動は理にかなってない。そう考えると、まだ交渉の余地があると思って良さそうだな」
「結局、一回話し合わねえとどうにもならねえってことだな?」
八神は宝泉の暴力によって支配され、表面上はそれに従わざるを得ない状態にある。しかし、彼は精神まで完全に屈しているわけではない。
彼は宝泉を恐れつつもクラス外の人間を利用して操ろうとしているか、あるいは宝泉の支配から脱するために裏で独自の立ち回りを試みていると堀北は予想していた。
この読みが正しければ、こうしてモール内を歩いてるだけであちら側から何かしらのアプローチがあるはず──そう考えていた矢先、唐突に綾小路の端末から通知音が鳴り響く。
足を止め、端末を取り出す綾小路。画面にはOAAからの通知が表示されている。
「どうした、綾小路?」
立ち止まった綾小路に須藤が振り返る。綾小路は特に表情を変えることもなく、画面に表示された文字をそのまま二人に提示した。
「パートナー申請が届いた」
「はぁ!? 申請だぁ!?」
須藤が素っ頓狂な声を上げ、綾小路の手元へ身を乗り出すようにして画面を覗き込んだ。
「嘘だろオイ……! 一年Dクラス、白鳥……学力評価A!? な、なんでいきなり学力Aの奴からお前に申請が来るんだよ!? お前、裏でなんか交渉でもしてたのか!?」
目を見開いてパニックに陥る須藤。学力Aの生徒といえば、どのクラスも喉から手が出るほど欲しい超優秀な人材だ。本来なら多額のプライベートポイントを要求されてもおかしくない相手が、向こうから一方的に申請を送ってきたのだから、狼狽するのも無理はない。
「いや、何もしてないし心当たりが全くないな」
綾小路は取り乱す様子もなく、淡々と画面上のデータをスクロールしていた。
「な、なぁ鈴音! これはどういうことだ? 宝泉の罠か? それとも、綾小路が俺らの知らないとこでなんかやらかしたのか!?」
身振り手振りを交えて大騒ぎする須藤に対し、堀北は一切動じることなくただ静かに眉をひそめた。
「とりあえず静かにしてちょうだい。今考えてるわ」
パニックになる須藤と、平常心を崩さない綾小路。その対極的な二人を他所に、堀北の思考は高速で回転していた。
──あまりに唐突すぎるわね……何のメリットもなく、学力Aの生徒が自ら綾小路君を選ぶなんてあり得ないわ。
堀北は鋭い視線を巡らせ、賑わうモール内の店舗や通路を観察する。
すると、少し離れた広場の中央──噴水の脇に置かれた木製ベンチに、一人の男子生徒がぽつんと腰掛けているのが目に入った。
その男子生徒はこちらと視線が合った瞬間、悪びれる様子もなくひらひらと軽やかに手を振ってみせる。
堀北は手元の端末を操作し、OAAに登録されている白鳥の顔写真を開く。
画面の中の顔と、ベンチで優然と笑みを浮かべる少年の顔立ちを素早く照合すると──間違いなく、本人だった。
「なるほど、そういうことね」
このあまりにタイミングの良すぎる申請。そして、こちらを試すように遠くから送られてきた合図。
それが八神の意図による仕掛けであり、彼からのメッセージであると堀北は看破した。
「……行くわよ」
「へ? 行くってどこにだよ鈴音」
綾小路の肩を掴んで揺らしていた須藤を意に介さず、堀北は迷いのない足取りでベンチに座る白鳥の元へと歩き出した。
堀北達がそこに辿り着くと、白鳥は簡潔かつ丁寧に要件を伝え始める。
「どうも先輩方、驚かせてごめんなさい。でも俺は八神君に先輩方を呼ぶよう頼まれただけなんで、詳しいことは八神君に聞いてください。今から伝える場所に行けば落ち合えるはずなんで」
あ、さっきのパートナー申請は拒否っといてくださいね。言わなくても分かると思いますけど、念の為──悪びれもせずにそう言い放ち、集合場所を端的に伝えた白鳥はそれ以上の言葉を残さず人混みの中へあっさりと消えていく。
彼の後ろ姿を視界に収めながら、堀北は小さく息を吐き出す。その胸中には確かな安堵が広がっていた。
やはり自分の読み通り八神はこちらとの交渉に前向きであり、上手く運ぶことができれば難航していたパートナー問題を一気に解決し最大の山場を越えられるかもしれないと。
だが、そんな堀北の思考とは裏腹に綾小路の思考は八神に対する評価を改めていた。
──見事な手際だな。
八神に限った話ではない、誰であろうとホワイトルームから送り込まれた刺客──その可能性は常に念頭にある。
現時点で八神が白か黒かを判断できる材料はない。たった今自分にパートナー申請を送ることで合図としたのも、三人の中なら一番リスクが少ないからだと考えれば自然。
須藤に送ればそのまま申請を承諾されてしまうし、堀北に送れば交渉材料として利用されてしまうかもしれない。
だが表向き学力Cの自分に送れば、万が一承諾されたとしても白鳥含め誰の利益にもならず拒否するしかなくなる。
──オレを経由した理由は明白だ。一連の流れだけで八神、もしくは白鳥が「綾小路清隆は迂闊にパートナーを決められない事情がある」ことを知っているという根拠にはならない。
「何をしているの綾小路君、早く行くわよ。後輩だからといって、あまり待たせてはこちらの印象が悪くなるわ」
「……そうだな、悪い」
綾小路は端末を開きパートナー申請を拒否すると、そのまま堀北達の元へ歩き出した。向かう先は──八神が待つ、高育お馴染みの密談場所だ。
◇◇◇
──ケヤキモール内にあるカラオケ店の最奥に位置する個室。防音性に優れ、ドアを閉め切ってしまえば外部へ声が漏れる心配もない。人の目を盗んで密談を行うにはこれ以上ない格好の場所と言えた。
堀北は扉の取っ手に手をかけ、ガチャリという音と共に開くと個室内に足を一歩踏み入れる。
「失礼するわ」
そこには、奥のソファーに並んで腰掛ける二人──八神拓也と七瀬翼の姿があった。
「堀北先輩、綾小路先輩、須藤先輩。わざわざ足を運んでくださってありがとうございます」
姿を現した堀北たちを目にすると、八神はすぐさまソファーから立ち上がり、深々と頭を下げた。その隣で、七瀬もまた礼儀正しく一礼してみせた。
「こちらこそ、セッティングを任せてしまってごめんなさいね。本当は立場上、私達の方で何とか話し合いの場を設けたかったのだけれど……こうして前向きな姿勢を見せてくれるのは凄く助かるわ」
「いえいえ、そこはお互い様ですよ堀北先輩」
須藤は周囲を警戒するように通路を振り返りながら部屋へと入り、最後に綾小路が静かな足取りで室内へと足を踏み入れ後ろ手で扉を閉めた。
二人の向かい側に堀北が座り、その隣を即座に須藤が貰い受け、綾小路は須藤の隣に腰かける。
──綾小路は表情を変えることなく、向かい合う二人の些細な挙動を観察していた。八神の整った顔立ちに浮かぶ柔和な笑み、そしてその隣で毅然とした佇まいを見せる七瀬を。
密室の中で、双方の視線が交差する。
「──それじゃあ、お互いに無駄な時間を使いたくはないでしょうし、早速今回の合同筆記試験に関する本題に入らせてもらえるかしら」
堀北が静かに口を開き、両手を膝の上で組んだ。
「ええ、では前置きは省いて僕達の方針から伝えますね。僕達は、今後を見据えて学力に不安のある生徒をカバーし合う形での協力関係を結びたいと思っています」
──良し。
八神から語られたその言葉を聞いた瞬間、隣に座る須藤の身体から目に見えて緊張が抜け、深く安堵の息を吐き出す。堀北もまた、わずかに緊張の糸を緩めた。
一先ずこの話し合いが互いにとって有意義なものになると確信する。
だが、堀北は決して甘い期待だけで交渉を進めるような愚か者ではない。
「こちらも同じよ。私としては、ポイントの関係ではなく互いに助けるべき人を助けるという対等な協力関係を結びたいの。ただ──貴方達にどこまでその権利があるのか、教えてもらえないかしら」
当然の問いだ、一年Dクラス内で頂点に立っているのは間違いなく宝泉である。宝泉からの命令をクラスが徹底している以上、八神と七瀬がこの場で堀北達と取引を行ったとて肝心のパートナー申請を拒否されてしまえばどうしようもない。
「……一応、さっき先輩方も話した白鳥君含め学力B-以上の生徒達は説得済みです。僕と七瀬さん含め、八人は手を貸せると思ってもらえれば」
「八人……Dクラス内の状況を考えると、かなり多いわね」
今日パートナーを見つけ出した二人の生徒、そして宝泉を除いた学力上位層の残りはほぼ全て八神が水面下で押さえている計算だ。
この時点で、二年Dクラスの学力E判定を受けている生徒達は全員カバーできる。
すると、ここまで黙って二人のやり取りを見守っていた七瀬が背筋を正して真っ直ぐな瞳で堀北へと言葉を添えた。
「ただ、八神君の説得に応じた内何人かは無償で手を貸すことに不満を持っています。高くても三万ポイントは要求されると考えてください」
「むしろ、そういった考えの生徒と交渉の余地を残してくれるだけありがたいわ。理想はお互い無償で助け合うことだけれど、最優先は退学しないこと。多少は必要経費だと割り切っているから安心して」
ここで意地を張れば、説得に応じてくれた一年生を落としてしまう可能性が高い。堀北はあくまで他クラスとマネーゲームを行いたくないだけで、確実に生徒を買い取れる保証があるならばやむを得ないと考える。
話し合いが期待以上の速度でまとまっていく様子を、端に座る綾小路は一切の口を挟まず静かに観察していた。
「僕達のクラスはその八人と、パートナー探しに苦戦している生徒達十五人──計二十三組のペアをDクラス同士で作りたいと考えてます」
「その代わりと言っては図々しいですが、私達が提示するたった一つの条件をのんでいただきたいんです」
「……聞かせてもらえるかしら」
「今後もこうして学年合同の試験やイベントが起きた時、堀北先輩のクラスがどんな状況でも僕達に何かしら手を貸して欲しいんです。上級生との信頼関係を、この試験だけで終わらせたくはないので」
堀北にとって、それはまさに渡りに舟とも言える圧倒的な好条件だ。
一年Dクラスの学力上位層を押さえ、同時にこちらの学力に不安を抱える生徒全員の受け皿を提示されたのだ。他クラスとのマネーゲームに巻き込まれることなく、クラス全体の退学リスクを最少限に抑え込むことができる。
「ええ、もちろん──」
堀北は迷うことなく即決し、八神の提案に賛意を示そうと口を開く。
だが──その言葉を遮るように、ここまで沈黙を保っていた綾小路が静かに声を上げた。
「話の腰を折るようで悪いんだが、二人に少し聞きたいことがある」
不意に挟み込まれた制止の言葉を耳にし、堀北は驚いたように隣の綾小路へと視線を向ける。
八神は少しだけ眉を下げ、首を傾げながら穏やかな視線を綾小路へと向けた。
「えっと、何でしょうか? 綾小路先輩」
「オレ達にとっては凄くありがたい話なんだが、宝泉を置き去りにして取引をするのは大丈夫なのか?」
あの横暴極まりない宝泉の目を盗み、クラスの半数以上もの生徒を裏で動かす。もしこの密談や独断での協定が宝泉の耳に入れば、八神がただで済むはずがない。頬にできた痛々しい傷が示す通り、相手は容赦なく暴力を振るう人間だ。
普通であれば、一度でも恐怖に侵された人間は加害者の意向に反するような立ち回りを避けるはず。だが八神はリスクを冒してまで動き回っている。
「大丈夫と豪語できる余裕は全くありません。でも、今後を見据えるなら──Aクラスを目指すなら、この特別試験だけは絶対に妥協したくない……いや、妥協しちゃいけないんです」
「優秀な生徒を売ることで目先のポイントを得るより、今後を見据えてクラスのまとまりを重要視しているからか」
八神と七瀬は頷き、その言葉を肯定する。
「宝泉君のやり方で売れ残った生徒達が自暴自棄になり、クラスポイントを損なう行動に出れば僕達はクラス間競争において詰んでしまう。だから上位と下位の溝が取り返しのつかないことになる前に流れを止めたいんです」
宝泉の独裁によってクラスが崩壊するのを防ぎたい、そう八神の口から語られた理由は理路整然としており表情や仕草にも一切の嘘を感じさせない。
──少なくとも、オレが今回の取引で八神達とペアを組むことはない。だが気がかりだ。
視線の端で捉えた微かな違和感。八神の隣に佇む七瀬が、時折こちらへと向けてくる探るような視線。
八神とのやり取りに意識を向けつつも、その奥で何かを品定めするように注がれる七瀬の眼差しが綾小路の意識に小さく不穏な引っかかりを残していた。
「もし宝泉がごちゃごちゃ言ってきやがったら俺を呼べよ八神! 後輩の為なら一肌脱いでやらぁ!」
須藤は力強く自分の胸をドンと叩き、頼もしげに口角を上げた。後輩の覚悟に感化されたのかいつになく男気を見せている、が。
堀北は呆れたように須藤を一蹴し、現実に即した合理的な助言を与える。
「そんな無責任なことを軽々しく言わないで須藤君。申し訳ないけど、宝泉君が暴れたとして学年が違う私達では面倒を見きれない。ただ、この学校は悪事の証拠さえ提出できれば相応の処罰を与えてくれる。それを視野に入れておいた方が良いと思うわ」
須藤と堀北は既に八神を信用していた。今この場で八神を信用しない理由がない。利害も一致し、譲歩して友好的な態度で交渉に応じてくれる相手を疑えるものか。
八神は堀北からの助言を受けて少し照れくさそうに微笑みながらも、その奥に芯のある強い意志を宿らせて言い切った。
「ありがとうございます、先輩方。でも僕は、Aクラスを目指す上で宝泉君は必須だと考えています。ただ乱暴だから、喧嘩っ早いからと歩み寄ることを辞める気はありません。それに今回の試験で結果を出せれば宝泉君の意見だって変わるかもしれませんしね」
──歩み寄ることを、辞めない……
堀北の脳裏に一年前の自分がフラッシュバックする。
入学当初の堀北は学力も素行も劣る須藤を単なる足手まといと見なし、早々に切り捨てようとしていた。だが綾小路からの助言を受け、諦めずに須藤と何度も衝突しながらそれでも歩み寄ることを選んだ。
その結果かつての問題児だった須藤は今や学力を著しく伸ばし、二年Dクラスを支える強力な人材として自分の隣で頼もしく胸を張っている。
自分自身が身をもって体験した歩み寄ることの価値を、この一年生はすでに理解し実践しようとしているのだ。
そんな八神の精神的な成熟さに、堀北は確固たる信頼を寄せていた。
「……良い覚悟ね、八神くん。その言葉を聞けて安心したわ」
堀北はわずかに表情を緩めると、まっすぐな視線で八神を見つめ返した。
「貴方の提案──計二十三組のペア結成、全面的に呑ませてもらうわ。具体的なペアの割り振りについては、今から互いのOAAを確認して決めましょう」
「──ありがとうございます!」
八神はパッと表情を明るくさせ、隣の七瀬と顔を見合わせて安堵の笑みを浮かべた。
それからの作業は極めてスムーズに進んでいく。
堀北と八神は学力の低い生徒と優秀な生徒の組み合わせを、万が一がないよう慎重かつ迅速に最適化していく。
ポイントの支払いが発生するであろう生徒のリストも共有され、交渉は完璧な形で妥結へと至った。
「ペアの申請は宝泉君の目を眩ますために明日以降、時間をズラして順番に行っていきましょう。一気にやると勘づかれますからね」
「ええ、異論はないわ。何か問題が起きたらすぐに連絡を頂戴」
「はい。では僕達はこれで失礼します」
八神と七瀬はソファーから立ち上がり、丁寧にお辞儀をした。
「須藤先輩、綾小路先輩も、本当にありがとうございました」
「ああ、こちらこそ助かった」
「おう! 気をつけてな!」
頼もしげに手を振る須藤に見送られ、八神と七瀬は扉を開けて部屋を後にした。
静まり返った室内で、堀北は深く満足げな息を吐き出す。
「……思わぬ大収穫だったわね。これで私達のクラスは、山場を越えられたと言ってもいいわ。後はクラス報酬を得られるかどうかってところかしら」
「そうだな」
弾む声で語る堀北に対し、綾小路は短く相槌を打つにとどめる。
閉ざされたドアの向こう──去っていった八神達の後姿を脳裏に浮かべながら、綾小路は自身のパートナー探しをする為に動き出すことを決めた。
「まだ時間あるしちょっと歌ってくか?」
「……デンモク、使われた痕跡があるわね。私達が来るまで歌ってたのかしら、あの二人」
◇◇◇
堀北達との取引を終えた八神は寮で七瀬とも解散し、自分の部屋の前まで辿り着く。
鞄から鍵を取り出して差し込もうとした──その瞬間、動作が止まる。
──開いている。
自分が自室の施錠を忘れることなど、万に一つもない。
しかし八神は一切の動揺を見せず、ポケットの中で端末を操作して録音を開始する。万が一学校側の人間や第三者によるトラップであった場合、証拠を残さなければならない。
息を殺し、無音でドアをわずかに押し開け、隙間から室内へ視線を滑らせる。
そして──玄関に並べられた小ぶりなローファーを目にした瞬間、八神は緊張と警戒を緩めた。
八神の知り合いに、こんな強引かつ無礼なアプローチを仕掛けてくる生徒は一人しかいない。
溜息を一つ吐いて部屋に入り、扉を閉めると。
「不用意な接触は避けるべきだって、わざわざ言わないと分からなかったかな?」
リビングへと踏み込みながら放たれた声には先程までの柔らかさなど微塵もなく、ベッドに寝そべり行儀悪く足を放り出してくつろぐ少女──天沢一夏に向けて苛立ちを隠さずに告げた。
「あはっ、お帰り拓也。デート楽しかった?」
くすくすと笑う天沢に悪びれる様子は全くない。
八神は天沢の傍まで寄ると、普段の彼からは想像もつかないほど冷淡な瞳で見下ろし。
「黙れ。そもそも僕達の接触が他の人間に知れたら不信感を抱かれて余計なリスクが増えるかもしれないのに、何でよりによってこんな方法で会いに来たんだ。上からの命令は君も理解してるはずだろ」
「はいはい、お説教ご苦労様──っ」
その言葉が終わるよりも早く、八神は天沢の胸ぐらを容赦なく掴み上げ強引に目を合わせた。ベッドのシーツが一気に引き絞られ、天沢の身体がわずかに持ち上がる。
「──戯言を言っている場合じゃないんだよ」
八神の喉奥から絞り出された声は地を這うように低く冷たい。先程まで堀北たちに見せていた温和で健気な面影など欠片もない。瞳の奥には、自らが緻密に積み上げた計画がたった一つの愚行によって瓦解しかねない事に対する、凶暴なまでの苛立ちだけが渦巻いていた。
「僕がどれほど薄氷を踏む思いで盤面を作り上げてるか、一夏なら理解できるはずだ。僕と一夏の繋がりが公になれば、綾小路どころか学校側や他クラスにも不審感を抱かれる。一度芽生えた疑惑は二度と拭えない。それが僕の計画を破綻に近づけるって分からないほど愚かじゃないだろ」
至近距離で放たれる八神の威圧感。
だが胸ぐらを力強く掴まれている当の天沢は、眉一つ動かすことなくケラケラと小さく喉を鳴らし。
「そんな怖〜い顔しないでよ、別に拓也の邪魔しようってんじゃないんだからさ」
天沢は抵抗する素振りすら見せず、八神の手に自分の細い指先をそっと添える。愛おしむように、あるいは嘲笑うかのように。
「拓也は相変わらず余裕がないよね。女子が部屋にいたくらいでビクビクしちゃってさ。あ、それともそういう顔ってまだあたしにしか見せてなかったり? だったらちょっと嬉しいかも、特別扱いってことだもんね」
「からかうのもいい加減にしろ、僕は──」
「分かってるって」
天沢は八神の言葉をあっさりと遮る。彼女は掴まれた胸ぐらなど気にも留めない様子で、その瞳の奥に確かな鋭さを宿らせて八神を見つめ返した。
「本気で先輩に勝つつもりなんでしょ? その情熱は買ってあげるし、あたしだって別に足引っ張るつもりはないよ」
天沢は八神の手首をすんなりと叩いて自らの身を解放させると、ベッドの上で軽やかに姿勢を正した。
「あたしなりに足並みは揃えてあげる。現に先輩のこと見かけても声かけるの我慢してるんだよ? 分かって欲しいなあ、あたしがどれだけ拓也の意思を尊重してるのかさ」
天沢はふっと笑みを和らげ、ベッドから立ち上がると八神の顔を覗き込むようにして囁いた。
「計画が崩れるのを怖がってカリカリしてる暇があるなら、あたしに協力してもらえばいいのに。拓也になら使われてもいいかなって思ってるし──何でもしてあげるよ?」
「組む気はない。あとそういう誘い文句は今後一切誰にも使わないでくれ、一夏は人を使う側の人間だろ」
「あたしより強い人に使われる分には悪くないかもって思っただけだよ〜だ。実際、拓也の作った枠組みに素直に収まってくれるような甘い相手じゃないってことくらい誰よりも分かってるはずでしょ?」
からかうような口調の裏に仕込まれた、真実を射抜くような指摘。
八神は深く吸い込んだ息を静かに吐き出し、胸中で暴れかけた苛立ちを理性で押し殺すように瞳を細めた。
「途中で寝返る可能性は?」
「ん〜五分五分かな? あたしは勝った方の味方だから……なーんて」
「勝敗が決まる前に寝返る可能性が五分五分なら却下だ。合鍵を渡してくれ」
天沢は悪戯っぽく微笑むと、八神の横をすり抜けるように歩き出す。
綿密な計画の破綻を極限まで恐れ苛立ちを露わにする八神と、どんな窮地でも余裕を崩さずどこか楽しげに危険な領域へと足を踏み入れる天沢。
同じホワイトルームという異質な環境で育ちながらも、対極的な思想を持つ二人の間には張りつめた緊張感がいつまでも漂っていた。
「あたしが綾小路先輩とパートナー組んだら迷惑ー?」
「冗談でも笑えないね。あと早く合鍵を渡してくれるかな」
「ちぇっ、せっかく暇潰しに家事とかやってあげようと思ったのに。やっぱりあたしより七瀬ちゃんみたいな子がタイプだったりする?」
「暇なら友達の一人でも作って遊んだらどうかな。あと、スペアの合鍵も渡してね。持ってるだろ?」
それを聞いた瞬間、思わず「うげっ」と声に出して顔を顰める天沢。渋々ポケットから合鍵を取り出して八神に手渡すと、足早に部屋を去っていった。
彼女は一人、寮の廊下を歩きながらにやにやした笑みを隠さずに先程まで自分がいた部屋を振り返る。
「相変わらず詰めが甘いよね〜そこが可愛いんだけどさ」
先程合鍵を潜ませていたポケット──ではない反対のポケットから合鍵を取り出す。合鍵を一つ作ってしまえば、スペアなどいくらでも増やせる。
もちろん足がつくような真似はしていない、そこだけは天沢でも徹底する。兎にも角にも、天沢一夏という少女は胸中に秘めた真意を八神にさえ悟らせずに隠し通したのだった。
「まっ、元気そうでよかった!」