憑依八神君がどうにか綾小路を退学にさせようと奮闘する話 作:bb
楽しんでいただければ幸いです。
筆記試験当日──教室には張り詰めた緊張感が漂っていた。綾小路は自分の席につき、静かに端末の画面を見つめている。
試験開始までの期間──二年Dクラスは一年Dクラスと協力関係を結び、結果パートナー探しに難航していた生徒の全てがペアを組むことに成功した。
これにより綾小路のパートナー候補は狭まり、かつ大半の生徒が二年Aクラスと二年Cクラスの買収戦略に巻き込まれている状況で表向き学力Cの彼がペアを組む難易度は高い。
綾小路にとってこの試験の目的は、一年生に紛れ込んでいるであろうホワイトルーム生を特定することではなく退学を回避すること。
極端な話、退学を回避さえ出来ればパートナーがホワイトルーム生であろうがなかろうが彼にとってはどうでもいい。
例えパートナーがホワイトルーム生でなくとも、退学に追い込まれる可能性は十分あるからだ。
ならば優先すべきは、試験当日までにパートナーを見つけられなかった場合に受けるペナルティを回避することと綾小路は判断した。
結果的に、綾小路は一年Bクラスから学力C-の生徒をパートナーとして選定しペアを組むことに成功。
しかしその過程でホワイトルームからの刺客を特定するには至らず、身近に接した人物全員が等しく要注意人物である事に変わりはない。
特に一年Cクラスの椿は不自然な程あからさまにパートナーを組みたがっていた。
──オレを狙う生徒とパートナーを組みに行くことも視野に入れていたが、それを読まれて当日まで接触されなければこちらが足元をすくわれてしまう。
綾小路はパートナーの弱みを握り、ペナルティや土壇場での裏切りを抑止する手段も検討したものの今年の一年生達は全体的に隙がなく、払うリスクとリターンが釣り合わないと判断して断念していた。
──面倒な事になるが、今後の予定が少し前倒しになる程度であれば何ら問題はない。
綾小路は朝からパートナーの生徒へ何度か連絡を送っていたが、未だに既読すらついていない。
最悪を想像せずとも、綾小路の立場であればこの状況を理解するのは容易だ。
綾小路のパートナーは、この試験を棄権する可能性が高い。
──仕方ない、予定通りやるか。
開始を告げるチャイムが鳴り響くと同時に、綾小路は迷いなくペンを走らせ全教科満点を狙いに行く。
空き時間を使って綾小路は随時端末を確認するが、やはり試験が終わってもパートナーは連絡に応じない。
試験が終わり、生徒達が解散していく中綾小路は担任である茶柱の元へと向かった。
「茶柱先生、少しいいですか」
「綾小路か……別に構わんが、手短に済ませてくれ」
廊下の物陰で二人きりになると、事態を把握していない茶柱はいつもと何ら変わらぬ様子で綾小路に視線を送った。
「要件を聞こうか」
「その前に一つ聞かせてください。今回の試験でパートナーが退学となった場合、501点以上を取っていても連帯責任で退学になりますか?」
「一年生が退学となった場合、という意味だな? それはない、だが500点を下回っていた場合に不正の巻き添えをくらうかどうかは私の判断が及ぶ範囲じゃないぞ」
予想通り、流石にそこまで強引なルール設定はできていない。初日の説明でそれは分かっていた為わざわざ確認する意味は薄いが、確認を飛ばして契約を頼めば違和感を持たれる。
茶柱が自身の協力者であると、月城に勘づかれたくはない。
「なら、オレのパートナーが全教科0点だった場合に数学の1点を買わせてください。一年前と値段は変わってませんよね?」
茶柱は一瞬だけ目を見開く。
「……1点を買うとなれば必要なのは10万ポイントだぞ。一年たった今でも決して軽い金額ではない」
「分かってます。何も今払うわけじゃありませんよ、採点が終わってパートナーの合計点数が0点だったら買わせてもらうってだけです。1点以上取ってれば買いませんよ」
茶柱は、はっと短く息を吐くと真剣な眼差しで綾小路を見つめ直した。
「良いだろう、条件が揃えばお前の端末から自動で引き下ろされるぞ。その時お前の端末に10万ポイントがなければ契約は無効だ。いいな?」
「ありがとうございます。それで構いません」
茶柱に短く礼を言うと、綾小路は静かにその場をあとにした。相手の罠を不発に終わらせ、己の生存を確定させた綾小路の足取りに一切の揺らぎはなかった。
──もしオレのパートナーがホワイトルーム生だったなら、最低限連絡には応じて油断を狙いそうなものだ。それに今回の試験は第三者がペアの内訳を好きに知れるわけではない、オレのパートナーを知る事が出来る人間は限られている。
綾小路は、恐らく自分のパートナーが誰かの意図で試験を棄権する状況に追い込まれたと考える。そしてそれを行うには、その生徒が綾小路とペアを組んでいることを知れる立場にいなければならない。
──単純に考えれば、同じ一年Bクラスの誰か……もしくは仲のいい誰かということになる。だが全ペアの内訳を知っている教職員が生徒に吹き込んだ場合は話が別だ。
むしろ一連の流れは、そうやって綾小路に刺客の立ち位置を絞り込ませることでミスリードを誘っているようにも思える。
だからといって自分のパートナー周りを白とする事も出来ず、結局刺客の候補は一年生全員である事に変わりはない。
今日に至るまで綾小路と一言も会話を交わしていない生徒が裏で手を回している可能性すら否定できない状況だ。
◇◇◇
試験当日の夜──自室で試験の反省と今後の方針を整理していた堀北鈴音は、突如として甲高く響く端末の着信音に思考を中断された。
「──っ、誰なの? こんな時間に……」
画面に表示されている名前は八神拓也──一年Dクラスの協力者だ。
無事に試験を終えた後での連絡に、堀北は胸騒ぎを覚えて妙に落ち着かない。通話ボタンをスライドさせ、端末を耳に当てると。
「もしもし、堀北よ。どうしたの八神君」
『あっ、堀北先輩……! 夜分遅くに申し訳ありません。ですが大変なことになってまして、もうどうすればいいか……』
端末越しに向こうから聞こえてきたのは、いつもの穏やかな声音ではなく切迫した焦りと動揺を隠しきれていない八神の声だった。
「……落ち着きなさい。一体何があったの?」
『実は、クラスの生徒数人が今日の筆記試験を無断欠席したんです。その内二人が堀北先輩達とペアを組んだ生徒で……!』
「──なっ!?」
思わず口に手を当て、息をのむ。予想だにしない言葉につい端末を握る手元に力が込められた。
無断欠席、それが意味する絶望的な帰結を堀北が理解できないはずもなく。
「無断欠席って……どういうことなの!? Dクラス同士で組んだペアは全員、無事に申請を終えて試験に臨んでいたはずでしょう!?」
『そのはずだったんですが、いつまで経っても登校してこなくて……僕や七瀬さんが何度も連絡したんですがずっと無視されてる状況なんです』
「そんな……! 理由は聞いてるかしら? もし正当な理由があれば、学校側に伝えて後日試験を受けさせてもらえるかもしれないわ」
『……欠席した生徒達の部屋に直接向かって話を聞いたんですが、全員重度の体調不良だから試験を受けられなかったと主張しています。ただ……』
八神はそこで一拍置き、苦渋を噛み締めるように声を落とした。
『おかしいんです。学校側に病院と保健室の利用記録を確認してもらったんですが、今日体調不良で訪れた一年Dクラスの生徒は一人も存在しませんでした。それに部屋のドア越しに声をかけても「来ないでくれ」「放っておいてくれ」と怯えた様子で繰り返すばかりで鍵を開けてすらくれなくて』
堀北の脳裏に警鐘が鳴り響く。不可解すぎる体調不良という主張、しかも聞くところによれば欠席していた生徒は二人以上いるらしい。
堀北の頭脳が急いで状況を整理していく。八神の報告の端々に混ざる微妙な引っかかり──欠席した生徒達の特定の共通点に思い至り、堀北は冷や汗が背筋を伝うのを感じた。
「八神君、確認させて。その無断欠席した生徒達が組んでいたパートナーは……誰なの?」
『……堀北先輩のクラスで言えば、須藤先輩と軽井沢先輩のパートナーを務めていた二人です』
「──ッ!」
最悪の予感が的中した。もしこの状況が誰かの悪意によって意図的に起こされているものなら、生徒を無差別に狙うことはしないだろう。
須藤と軽井沢、どちらも現在の二年Dクラスにおいて欠けてはならない重要な人物だ。
──クラスの中心人物を狙った犯人がいる。
だが、堀北の疑念はそこで終わらなかった。八神の言い回しには、まだ何かを伏せているかのような含みがあったからだ。
「……待ちなさい。貴方はさっき数人と言ったわね。須藤君と軽井沢さんのパートナーだけなら二人と言うはずよ。他に、誰のパートナーが欠席したの?」
静寂が電話越しに落ちる。八神は深く、痛々しい溜息を吐き出した。
『……隠しても意味はありませんね。実は、欠席したのは合計で四人です。あとの二人は……二年Aクラスの先輩とペアを組んでいた生徒です』
「二年Aクラス……誰か、までは分からない?」
『だいぶ早い段階でペアを組んでいたので、特定するのは難しいですね……僕達も堀北先輩と交渉の準備を進めるので手一杯でしたから』
堀北の言葉が詰まる。二年Dクラスだけでなく、二年Aクラスの生徒まで同時に狙い撃ちにされている。これが単なる偶発的な体調不良などであるはずがない。明らかに、誰かが意図して引き起こした罠だ。
「間違いないわ、これは仕組まれた罠よ。一年Dクラスの生徒を棄権させた人間がいるわ……!」
堀北の脳裏に真っ先に浮かんだのは、暴威によって一年Dクラスを恐怖で支配しようとしていた男の顔だった。
「八神君、確認させてちょうだい。宝泉君に怪しいところはなかったかしら? どんな些細なことでもいいわ」
『宝泉君ですか……ここ一週間、出来る限り監視してましたが特に怪しいところはありませんでしたね。堀北先輩と取引したこともバレましたけど、めげずに話したら折れてくれましたよ』
「表ではそう言って、心の中では八神君を逆恨みしている可能性だってあるでしょう。彼の人間性は信用ならないわ」
語気を強める堀北に対し八神は静かに、そしてきっぱりとそれを否定した。
『いいえ、堀北先輩。今回に限っては宝泉君に罪はないと思います』
「どうしてそう言い切れるの?」
『もし宝泉君が犯人なら、二年Aクラスの先輩とペアを組んだ生徒が狙われるのはおかしいんです。彼らは宝泉君の望み通り先輩方の買収戦略に乗っかってます、宝泉君にとって彼らは裏切り者じゃありません』
二年Dクラスとペアを組んだ生徒だけが棄権させられているなら宝泉が犯人である可能性は高い、だが実際は違う。宝泉が犯人だとすればこの事件は理にかなっていない。
『宝泉君は乱暴ですが、合理的な判断はできる人です。もしこの件を仕組んだ犯人がいるなら、それは須藤先輩達と二年Aクラスの先輩達が退学になることで得をする人間だと思います』
「確かにそうね……なら宝泉君じゃないとすれば、まさか──」
堀北の脳裏に浮かんだのは、この一年間散々Dクラスを苦しめてきた男──龍園。
「八神君、欠席した生徒は全員学力が高いわよね。二年Cクラスとは関わりがあったのかしら?」
『はい、二年Cクラス……龍園先輩のクラスですよね。僕含め、学力の高い生徒は打診を受けてたはずですが……もしかして、龍園先輩が犯人だと考えてるんですか?』
「八神君は日が浅いから、彼の人間性について深くは知らないでしょう。彼は己の利益になるなら喜んで邪道を歩く男よ。現に数ヶ月前の学年末試験でも、龍園君の相手をしたBクラスが似たような罠にはまってるわ」
堀北の口から、龍園の悪行が矢継ぎ早にこぼれ落ちる。一年前、須藤を利用して暴力事件をでっちあげた件。宝泉と同じように恐怖政治でクラスをまとめあげていた件。ルールをすり抜け、他者の足元を掬うことに関して龍園の右に出る者はこの学校に存在しないと。
『確かに、卑怯なやり方をとってもおかしくはないですね。ただ不可解じゃないですか? ペアの内訳を龍園先輩が知るのは難しいと思うんですが……』
「いえ、よく考えればそれ程難しい話じゃないわ。元々買収しようとしていた学力の高い生徒と話すタイミングで、誰と組もうとしているかを脅して聞くだけでいいもの」
『それはどうでしょう、咄嗟に嘘をつくことだってできますよね。そもそも学力の高い生徒は高値で売れます、二年Dクラスとペアを組むと判断すること自体簡単ではないと思いますが』
八神の客観的な意見を聞き、堀北は言葉を詰まらせる。
パートナーを組んでしまえば二度と取り消せない上に、ペアを組んだ生徒の端末から誰と組んだかを見ようとしても分からないようになっている。
ペアを組んだ生徒が口外しない限り、ペアの内訳を知ることはほぼ不可能と言っていい。
消去法で内訳を割り出す方法もあるが、こうして狙った相手を退学に追い込める確率は相当低いものだろう。
八神の意見は客観的で正しい。龍園が怪しいのは、堀北の彼に対する先入観と印象だけであり何ひとつ証拠はない──今のところは。
「……脅しが通じたのかどうかは被害者から直接聞かないと分からないわね、八神君の意見も間違いではないわ」
『龍園先輩がDクラス同士で組むことを知っていれば、その前提が変わりますけどね。一年Dクラスの学力が高い生徒は二年Dクラスの学力が低い生徒と組む、そう絞り込めます』
加えて、堀北達は一気にペアを組まず日にちをズラして順番に申請を行っていった。
八神と堀北が話し合って決めた日程だが偶然にも──須藤と軽井沢がペアを成立させた日は他に一年の学力が高い生徒と二年の学力が低い生徒の組み合わせでペアを組んでいない。
つまり、Dクラス同士で組むと知ってさえいれば特定は容易。
──だけど、一体どうやって? 一年Dクラスと私達が協力関係を結んだなんて、あの日から今まで誰にも話していなかったはず。
堀北は固く目を閉じ、ここ二週間の記憶の糸を手繰り寄せる。龍園が、Dクラス同士と手を組むと知る機会があったとすれば、それは一体いつであるか──?
思考が過去へと遡り、やがてある光景でピタリと止まる。
──試験説明を受けた翌日。宝泉達が二年のフロアにやってきて、大暴れした日のこと。
宝泉が伊吹の首を掴んで暴れ──七瀬と八神が必死に止め、司馬先生がやってきて事が収まったあの凄惨な現場。
あの時、龍園も渦中にいた。そして騒動が収まった直後、八神は龍園と堀北の目の前で、深く頭を下げたのだ。
──「先輩方、宝泉君に代わって謝罪します。入学早々迷惑をかけて申し訳ありません。あんな事をした手前図々しいお願いなのは分かってますが……堀北先輩にはまた今度、試験について話す機会を作って欲しいんです」
「──あ……ッ!」
堀北は思わず息を飲んだ。
あの日、あの瞬間。八神は龍園の目と鼻の先で、「堀北と試験について話す機会を作りたい」と口にしていた。
龍園ほどの鋭い男であれば、その一言だけで「一年Dクラスの八神が、二年Dクラスに協力を持ちかけようとしている」と勘づくには十分すぎる。
──繋がった……龍園君はあの時点で、一年Dクラスと私達が接触することを見抜いていた。だからこそ学力の高い生徒に目星をつけ、Dクラス同士のペアを狙い撃ちにできたのね……!
全てのピースが、恐ろしいほどの精度で噛み合っていく。
確信に満ちた説得力と、龍園という男の底知れぬ悪意に対する冷や汗が堀北の背中を伝う。
「八神君……分かったわ。龍園君がDクラス同士の協力関係に勘づく機会は、確かにあったのよ」
『え……本当ですか、堀北先輩?』
電話の向こうで八神が驚いたように息を呑む。堀北の推論が完璧に八神の思惑通りに組み上がったことを確信しながら、八神は声色に絶妙な動揺を込めて見せた。
「試験説明の翌日、宝泉君が二年のフロアで暴れた時のことを覚えているかしら? 騒動が収まった後、八神君は龍園君と私の前で頭を下げたわよね。堀北先輩にはまた今度、試験について話す機会を作って欲しい、と」
『──そういえば……っ、ごめんなさい! 僕が迂闊でした……!』
「勘違いしないで、責める気はないわ。ただ龍園君ほど目ざとい男なら、あの発言だけでDクラス同士が手を組もうとしているのを察するには十分すぎる。私達が協力関係にあると知っていれば、日にちをズラして行われたペア結成から須藤君達のパートナーを特定することは容易だったはずよ」
語気を強める堀北の言葉に電話の向こうで八神は息を呑み、感服したような声を漏らした。
『……なるほど、流石堀北先輩です。確かにそれなら、龍園先輩が特定の生徒を狙い撃ちにする動機も根拠も繋がりますね』
「ええ、可能性は高いと思うわ。問題は、どうやってその証拠を突きつけるかだけれど……」
『僕の方でも、引き続き欠席した生徒達の説得を試みます。何とか彼らの口から龍園先輩に脅されたという言質を取れれば、学校側も動かざるを得ないはずです』
「頼むわ、八神君。何か進展があったらすぐに連絡を頂戴」
『はい。それでは、失礼します』
頼もしい後輩との電話を終えると、堀北は休む間もなくアドレス帳から次の人物を選び、発信ボタンを押した。
数回の呼び出し音の後、繋がったのはいつもと変わらぬ感情の起伏が感じられない平坦な声色の彼。
『……堀北か』
「綾小路君、今大丈夫かしら。大変なことが起きているの」
堀北は八神から聞いた状況──須藤と軽井沢、そしてAクラスの生徒とペアを組んだ一年Dクラスの四人が無断欠席し、部屋に閉じこもっている事実を速やかに伝えた。そして、先ほど辿り着いた龍園犯人説の根拠についても言葉を尽くして説明する。
「このままでは須藤君達が退学になってしまうわ。何か手を打たなければいけないけれど、貴方はどう見る?」
『なるほどな、状況は把握した』
状況の凄惨さに反して、綾小路の返答は冷静そのものだった。
『結論から言えば、須藤達が退学を回避できる可能性は低い。パートナーが0点だった以上、ルール通りなら連帯責任でペナルティが下る。それを覆すには、一年生の不参加が不可抗力によるものだと学校側に認めさせるしかない』
「不可抗力……つまり、脅迫の被害者だったと証明するということね?」
『そうだ。犯人を特定し、一年生達が脅しによって試験を妨害された事実を立証できれば情状酌量の余地が生まれて救済措置が検討されるかもしれない。だが……当事者である一年生が部屋から出てこず、口を閉ざしている以上証拠を集めるのは容易じゃないぞ』
「それでもやるしかないわ。野放しにはしておけない」
『焦って動けば相手の思うツボだ。だが、時間が残されていないのも事実だな。一年生達が本当に体調不良だったと証明するのも、今からでは信憑性に欠ける』
綾小路の言葉は酷く現実的だ。打開策の糸口は見出せたものの、肝心の証拠と当事者の証言という最大の壁が立ちはだかる。
──一方、堀北との通話を終えた八神は手筈通り宝泉に連絡を送る。
端末を耳に当てて数秒、一度目のコール音が鳴り終えるかどうかのタイミングで電話は繋がった。
『──例の件が済んだか?』
「はい、こちらは準備を整えたので後は宝泉君にバトンタッチしますね。後は好きにしてくれてかまいませんから」
先程とは違い、明らかな余裕を含んだ口調。堀北の思考を誘導し、龍園を容疑者へと祭り上げる一連の流れ。全てを裏で組み上げた張本人は、まるで明日の天気を語るかのような気安さで言いのけた。
『策を聞いた時から思ってたがよ、八神お前……相当な悪党だな?』
その声色に八神を責める気は更々なく、純粋な愉悦だけが混ざり込んでいる。ここまでの策を初日に練り、思い通りに盤面を動かす八神の頭脳を宝泉は素直に認めていた。
しかし八神の立場上、練り上げた策にはわざと穴が開けてある。そこをどう埋めるかは宝泉次第だ。
「別に悪意を持ってやってるわけじゃありませんよ」
悪意や憎悪すらもない、ただ目標を完遂するために最も合理的な手段を選択しているだけ──その事実こそが、この少年の底知れぬ異常性を如実に物語っていた。
『クハハッ! じゃあ尚更やべえじゃねぇか、最高だなオイ』
端末の向こうから、凶暴な肉食獣が喉を鳴らすような下劣な笑い声が鼓膜を揺らす。八神の内に潜む底知れない冷酷さを察知し、宝泉は歓喜にも似た興奮で口角を歪めていた。
「とにかく、どんな結果に持ち込むも宝泉君の自由です。ただ──期待してるよ」
八神は表舞台から身を引き、怪物だけを解き放って静観する姿勢を示す。
『偉そうなこと言ってんじゃねえぞ八神、わざわざ言われるまでもねえ。お望み通り、龍園はぶち殺してやるから楽しみにしとけや』
吐き捨てるような言葉と共に通話はプツリと切れ、静寂が部屋を支配した。端末を机に置いた八神は、暗い窓の外──嵐の前の静けさに包まれた夜の校舎を見つめながら静かに目を細める。
◇◇◇
──そこからの時間は恐ろしいほどの早さで過ぎ去っていった。
欠席した一年生四人は、体調不良を名目にその後も5日間にわたって学校を休み続け、堀北は八神と共に何度も彼らの寮を訪れたもののまともな返事はもらえず。
龍園に直接接触して揺さぶりをかけても、彼は不敵な笑みを浮かべて「証拠を出してみろ」とあしらうばかりで決定的な言質は何も掴めない。
同時に狙われたであろう坂柳クラスにも接触したものの、事件の渦中にいる生徒から情報を引き出せない時点で進展は得られなかった。
手詰まりのまま、何ひとつ有効な手を打つことができない焦燥感だけが削られていく。
そして──無情にも一切の猶予は潰え五月一日、特別試験の結果発表当日を迎えてしまう。
特別試験の結果は、各クラスの教室にてデータとして表示しタブレットからでも確認できる形となっている。
二年Dクラスの教室には、異様な静けさと胸を押し潰すような緊張感が充満していた。誰もが口を開かず、試験結果を注視している。
茶柱は重々しく息を吐き出すと、静寂を切り裂くように淡々と結果を告げる。
「……須藤健、及び軽井沢恵。両名のペアの合計得点は、規定の点数に届いていない。よってルールに従い、二人には退学のペナルティが課されることとなる」
「──ふざけんなっ、納得いかねえよ!」
須藤が激しく机を叩いて立ち上がった。顔からは完全に血の気が引き、己の手を見つめながら激しく動揺している。軽井沢もまた、あまりのショックに言葉を失い蒼白な顔で唇を震わせるばかり。
「待ってください、茶柱先生!」
堀北が席を蹴り飛ばすように立ち上がり、教壇の茶柱を鋭く見据えた。
「この結果には納得がいきません! 須藤君と軽井沢さんのパートナーとなった一年生は、脅されて意図的に試験を棄権させられたんです! これは正当な試験結果とは言えません!」
「……気持ちは分かる、堀北」
茶柱は堀北の必死な訴えを受け止めつつも、厳格な面持ちで首を振った。
「だが、欠席した一年生達が不可抗力の体調不良であったという証拠──医師の診断書や保健室の利用記録は存在しない。そして何よりお前達が主張してきた、二年Cクラスの龍園に脅迫されたという言葉を裏付ける決定的な証拠は未だ何一つ提示されていない」
「それは……! ですが、彼らは部屋に閉じこもって誰の説得にも応じず──」
「学校は事実と証拠のみに基づいて判断する。証拠がない以上、彼らは単に自発的に試験を放棄したとみなすしかない。そして、ルールもまた絶対だ。例外を認めるわけにはいかない」
無慈悲な学校側の裁定。
堀北は拳を強く握り締め、唇を噛み切らんばかりに耐えていた。証拠がない、龍園の犯行だと確信を持っていてもそれを立証する術がなければ何の意味もなさないのだ。
須藤と軽井沢の退学処分が、まさに決定づけられようとしたその時──ガラリと教室の扉が勢いよく開いた。
「失礼します、茶柱先生」
現れたのは一年Dクラスの担任である司馬。その声色には平時とは異なる緊迫感が宿っていた。
「司馬先生……ホームルーム中に何の用ですか?」
「先程二年Aクラスにも伝えましたが、須藤と軽井沢の退学手続きを一時中断してもらいたい。事態が急変した」
司馬の言葉に、生徒達が息をのむ。
「急変……? 一体どういうことでしょう」
「先程、一年Dクラスの宝泉が例の試験を欠席していた生徒数名を伴って職員室へ乗り込んできました。そして「二年Cクラスの龍園翔から悪質な脅迫を受け、試験の棄権を強要された」として、龍園および二年Cクラスを正式に訴えまして」
「なっ……!?」
堀北の目が見開かれる。
宝泉が、自ら生徒を連れて龍園を訴え出た──。
「宝泉は被害者である一年生の口から直接、龍園による脅迫の経緯を主張させています。現在、生徒会長の南雲を交えて緊急審議が執り行われることとなりました」
司馬は淡々と事実のみを告げ、茶柱へと視線を向けた。
「それに伴い──審議の決着がつくまで、須藤健および軽井沢恵の退学処分は保留とするようです」
一瞬の静寂の後、クラス中に激しいどよめきが広がった。
土壇場で訪れた、退学処分の保留。堀北は安堵で膝が抜けそうになるのを必死で耐えながらも、頭の片隅で言いようのない違和感を覚えていた。
あの一匹狼で暴君の宝泉が、クラスの被害者を守るかのように表舞台へと躍り出てきたという事実。
一見すれば救いの手に思えるその動きの裏で、宝泉は最後の仕上げを終えようとしていた。
◇◇◇
──重苦しい静寂が漂う生徒会室。
長テーブルの片側には二年Cクラスの龍園翔と、その隣に担任の坂上。そして対面には、一切の緊張もなく不敵な笑みを浮かべる宝泉とその隣で露骨に身を縮こまらせている一年生四名が腰掛けていた。
そんな彼らを囲むように生徒会長の南雲、そして茶柱や司馬をはじめとする関係教員達が成り行きを注視している。
「今回は状況を考え、形式上の挨拶は省かせてもらいます。事件の概要を再確認する為にも、双方の主張を聞くとしようか」
──南雲の言葉により審議が開始され、まずは龍園が先陣を切る。
「ククッ……俺がそこの一年を脅して試験を棄権させたっつー言い分が本気で通ると思ってんのか? どれだけおめでたい頭してやがんだよ」
その声には何の動揺も含まれておらず、目の前の宝泉を嘲るような笑いが滲み出ている。
この事件、龍園はクロではない──しかし客観的に見て潔白とも言い難い。
「あ? 加害者の分際で偉そうだなオイ、お前が裏でコソコソと汚ない手使って俺のクラスの足を引っ張らなきゃ、こんな不毛な時間過ごさずに済んだんだがなぁ?」
宝泉もまた、口角を釣り上げて応酬する。
一見すれば単なる不良同士の罵り合いに見えるが、交錯する二人の視線の奥には相手の手札を探り合う鋭い知性が潜んでいる。
「まず聞いておくが、そこの一年生四人と龍園は面識があるんだな?」
「は、はい……僕達は、試験の説明がされてから二日以内に全員打診を受けました。僕の場合は、5万ポイント払うから二年Cクラスの生徒とペアを組んで欲しいって……」
しかし、それは保留とした。表向き八神が説得したから、ということになっているが実際は宝泉が命令したに過ぎない。
一年生達が龍園と面識がある、これは事実──なら次の問題は脅迫がいつ行われたのか。
「こいつらが打診を受けたのは試験発表から二日以内、そんでDクラス同士が協力することになったのは試験発表から二日後。同調圧力で八神の説得に応じたこの馬鹿共は、裏で龍園パイセンから持ちかけられた買収提案を受けようか心の底で悩んでたのさ」
協力することが決まったからとはいえ、その日にペアを組むわけではない。その時間的猶予が、一年生達に迷いを産ませてしまった。
「結果、一度は龍園パイセンからの提案を受けようとしたらしいな? だがDクラスの連中が八神の提案でどんどん二年Dクラスとペアを組んでいくのを見て、この優柔不断な馬鹿共は後悔した」
「言わせておけば随分と都合が良いじゃねえか宝泉。つまり、そこの一年が俺からの脅迫とDクラスの意向で板挟みになった結果この有様になった、そう言いてえのか?」
最低限の礼儀という体裁を取り繕いながらも、互いに相手の言い分を突く皮肉の応酬。龍園は宝泉の隣に控える一年生達の怯え方に視線を向け、ハッと鼻で笑うと。
「くだらねえハッタリはそこまでにしとけ。俺が脅したってんなら、その証拠をさっさと提示すべきだろ。それがないから今こうして審議が行われている、違うか?」
そして坂上が助け舟を出すように宝泉を追求する。
「その通りです。宝泉君、根拠のない言いがかりで生徒を糾弾することは認められませんよ」
だが宝泉は待ってましたと言わんばかりにポケットから一台の端末を取り出し、テーブルへ放り投げた。
「おいおい、人を舐めんのも大概にしろよ。それはうちの馬鹿が龍園と一対一でお話させられた時の音声データさ。再生してみな」
教員の手によって端末が操作され、室内スピーカーからノイズ混じりの音声が流れ始める。
『──俺達と組めば、今後の学校生活で有利に動けるって分からないか? 金目当てで先輩から強請るようなら、こっちも相応の手段を見せねえといけなくなるが……どうする? 五万で即決するのか、しねぇのか』
重々しい龍園の声が響き渡る。それに続いて、恐怖に震える一年生の「ひ、一人で決められることじゃ……」という悲痛な声と、それを遮るようにテーブルを叩く威圧的な打撃音が室内を満たした。
「──ッ」
坂上が苦虫を噛み潰したような表情を見せる。茶柱や南雲もまた、興味深そうに目を細めた。
再生された音声には、直接的な「試験を棄権しろ」といった明確な命令までは含まれていない。しかし、龍園が一年生に対して脅迫と捉えられてもおかしくない行為をしていたと判断させるには十分な内容だ。
再生が途中でぷつりと切れると、龍園は不快そうに目を細めた。
「ククッ……確かにこれは俺と、そこの一年が話した時の音声だな。だが、明確に俺が試験の棄権を強要したと捉えられる言葉はない。これが証拠になると思ってんなら笑いもんだぜ宝泉」
「この音声の後に脅されたんだとよ、途中で録音が切れてるのは充電のせいらしい。うちの馬鹿共はとことん詰めが甘くて、ほんと申し訳ないぜ」
宝泉は悪びれる様子もなく白々しく吐き捨てた。
棄権強要の直接的証拠がないことなど、宝泉にとっては織り込み済みだ。最初から完全な証拠で龍園を退学に追い込むつもりなどない。
重要なのは、この審議の場において一年生が龍園の脅迫によって精神的に追い詰められた被害者という強い印象を学校側に植え付けること。
一年生四人が同じように証言していき、実際に龍園と面識があることや二人きりになった瞬間監視カメラに映る範囲から移動している事実など──龍園を追い詰める材料がどんどん揃っていく。
「──なるほどな」
南雲が楽しげに口を開き。
「確かに直接的な指示こそ録音されていないが、龍園。お前がそこの一年生に対して圧をかけ、精神的な負荷を与えていたのは事実みたいだ。証拠がないの一点張りで無罪を主張するのは構わないが、心象は相当悪いぜ?」
「南雲生徒会長、それはあまりに飛躍した解釈です! 証拠不十分のまま生徒を処罰するなど──」
「しかし、龍園なら須藤と軽井沢のパートナーを特定して狙い撃ちできたのも事実でしょう坂上先生。それに学校側がざっと監視カメラの映像を確認してたみたいですが、龍園と一年生が二人きりになっている場面だけは一つも見られなかった。証言の内容と一致しています」
「それは単なる偶然だな、怪しい部分をどれだけ言おうが構わねえが俺の主張は変わらず無罪だ。有罪にしたいならもう少しまともな証拠を持ってきやがれ」
龍園は真っ当な反論をするが、宝泉はそれを嘲笑うかのように遮る。
「確かにそうだ、決定的な証拠がない以上龍園を退学にするのは学校としても難しいだろ? だがな……この音声を無視して、被害者であるうちの一年生だけを自発的な試験放棄として退学処分にしてみろよ──戦争が起きるぜ?」
審議の空気は完全に泥沼化していた。確実な証拠はないが、一年生側を一方的に処罰するには龍園側の心象が悪すぎる。学校側としても双方処分か、あるいは何らかの妥協案を選ばざるを得ない局面へと追い込まれたのだ。
互いに引けない重苦しい沈黙が落ちる中、宝泉はニヤリと凶暴な笑みを浮かべ。
「……まぁ、俺も鬼じゃねえ。ここで泥仕合を続けて全員自爆ってのも不毛な話だ。だからよ、落とし所を模索しようぜ? 龍園パイセン」
「ふざけたこと抜かしてんじゃねえぞ、無罪の俺が何でてめえの案に乗らなきゃならねえ」
龍園が危険な光を宿した瞳で宝泉を見つめ返す。宝泉は余裕を崩さず、まずは話を聞けよ──そう前置きすると。
「この四人はな、本当に体調不良が重なって試験を受けられなかったのさ。試験のプレッシャーや二年生からの圧もあり精神的に参っていた事に加え、試験を無断で棄権した罪悪感から今まで黙っているしかなかった──で、どうだ?」
「おいおい、中立の人間がこんなにいる状況ででっちあげの相談か? その度胸だけは認めてやるよ、宝泉」
審議を司る立場でありながら、どこか高みの見物を楽しむような口調の南雲。だがその眼光には、一年生が持ち込んできた図々しいハッタリの真意を探る鋭さが潜んでいる。
対する宝泉は椅子の背もたれにどかっと身体を預けると、相手が生徒会長だろうと意に介さず挑発的に言い返した。
「あ? 何が度胸は認めるだ、偉そうだなオイ。でっちあげじゃねえ、これが真相だぜ?」
「体調不良、という当初の言い分を通すつもりか? だがそこの一年共が病院や保健室を利用した記録はないと書いてあるが、どう証明するつもりなんだ?」
「ハッ、証明だ? そんなもんする必要がねえな。逆にてめえらは、この馬鹿共が体調不良じゃなかったって証拠を提出できんのかよ? 精神的な負荷も相まって外出すら出来なかった可能性があるだろうが」
「何を言い出すかと思えばただの屁理屈かよ、そんな言い分が本気で通ると思ったか?」
「てめえに通るかどうかはどうでもいいんだよ。龍園パイセン、今の話を受け入れるなら退学は要求しないでやるしこの馬鹿共は500点を下回ったペナルティをしっかり受けてもらう」
が、その代わり──そう続け。
「──うちのクラスメイト四人が失うことになる三ヶ月分のプライベートポイント、一人あたり月八万×三ヶ月……合計96万ポイントを二年Cクラスが全額賠償金として補填しろ」
「なっ──横暴が過ぎます!」
坂上が思わず立ち上がった。龍園を退学にはしない代わり、一年生側の損失をすべてCクラスに肩代わりさせる──現実的でありながら、極めて悪辣な要求だ。
「横暴? 正当の間違いだろうが。体調不良といえど、約五日引きこもってんのは間違いなく龍園が圧をかけたことによる精神的負荷が原因と考えられるぜ? クラスメイトが毎日話を聞きに訪問してたのに、まともな受け答えすらできない状態まで追い詰められてたなんて──心が痛むぜ」
そう言い放つ宝泉の口元には、愉快そうな笑みが張り付いたままだ。最初から態度を取り繕うことなど誰も期待していないが、せめて言葉に伴う表情は見せて欲しいものである。
「……ここまでした割に随分と安い要求だな。だが、それで本当に俺が乗ると思ったのか? このまま俺が脅迫したっつー主張を曲げないなら最終的にそこの一年共、俺、ペアを組んでた二年が全員退学することになる結末を辿る可能性が高い。違うか? 生徒会長」
「もし俺が最終的な決断を下すんであれば、そうなる可能性は高いな。龍園と一年、どちらも潔白を証明する術がない。両者引き下がらないなら、喧嘩両成敗になる可能性は高い……が、実際のところは月城理事長代理がどう判断するかだな」
この審議は月城に現在進行形で見られている──南雲は形式上の裁判長でしかなく、試験のペナルティを受けるかどうかも含め全ては月城によって処罰が決まるものだ。
「なるほどな、俺のクラスから四人も退学者が出ることになる──しかも全員が学力B-以上となりゃ俺が切り捨てる判断はしねえと考えたわけか」
「あぁ。つまりてめえのクラスはポイントの請求を辞め、体調不良って言い分を通し続けてペナルティを受けるしかねえんだよ。俺は、てめえの案に乗る気は──」
「何を勘違いしてんだ? 龍園」
宝泉の瞳に宿る狂気がこの場を支配する。
「俺はこの馬鹿共が退学しようとどうでもいいんだよ、馬鹿共とペアを組んだ二年も龍園も──全員退学しようが俺は構わねえぜ? その上で譲歩してやってんだよ」
ただのハッタリ──そう突っぱねるのは簡単だ。しかし龍園は悟る、宝泉という男の根幹にあるのは絶対的な個人主義であると。
乗らなければ、退学は必至。
「つまらねえプライドは捨てようぜ龍園、金を払えばそれでチャラ。しかも二年Aクラスと二年Dクラスの生徒が退学になるんだ、お前にとっちゃ安い買い物だと思わねえか?」
少なくとも生徒会長と教師に囲まれている中で話す内容ではない──が、こうでもして落とし所を見つけなければ泥沼から抜け出せないのもまた事実。
「どうするんだ龍園? もし宝泉の提案を呑むなら、月城理事長代理に話を通した上でお前が退学になることはないだろう。500点を下回った場合に受けるペナルティは適用されちまうだろうがな」
「そういや今更だが、そこの一年が組んだ二年Aクラスの生徒は誰だ?」
「──神室真澄と鬼頭隼だ」
それを聞いた瞬間、龍園は思わず吹き出した。坂柳の側近である二人を狙うことで龍園の動機を更に裏付けている。
ここまでして、狙いが96万ポイントを得ること──であるはずがない。
「ああいいだろう、今回はそれで手打ちにしてやる。だが、学校側はそれを認めんのか?」
「さあな、この後月城理事長代理の裁定を仰ぐ形になるだろう。どちらにせよ、誰かが退学になることは避けられないだろうがな」
その言葉が終わるか終わらないかという頃、生徒会室の扉が静かに叩かれ穏やかな声と共に月城が姿を現す。
「全て、聞かせてもらいました。どうやら話はまとまったようですね」
その場にいた教員達が一斉に姿勢を正した。
月城はゆっくりと生徒会室を見渡し、宝泉を少しだけ注視するとすぐに視線を逸らし。
「双方の主張、提出された証拠や証言。今までの流れを全て把握した上で、私が判断を下します」
室内が水を打ったように静まり返る。
「まず、一年Dクラス四名についてですが──意図的に試験を放棄し、ペアを退学へ追い込もうとした事実は確認できませんでした。一方で、体調不良と精神的負担により試験を受けられなかったという主張を裏付ける証拠も存在しません」
その言葉に、龍園は僅かに眉を動かした。
「疑わしきは罰せず。よって学校は本件を故意による点数操作ではなく、体調不良その他の事情により試験で0点を取ってしまったと判断します。当然ながら、規定の点数を下回った事実は変わりません。四名には規則に従い、ペナルティを適用します」
一年生達は退学を免れた。しかし、三ヶ月分のプライベートポイントを失う処分はそのまま残るわけだ。
月城は淡々と続ける。
「また、本件では龍園君が一年生に対し不適切とも受け取れる威圧的な接触を行っていたことが確認できました。直接的な棄権強要までは立証されませんでしたが、一連の混乱を招いた責任の一端はあると判断します」
そこで月城は宝泉へ視線を向け。
「先程提示された和解案は、学校としても妥当な解決策であると判断しました。双方が提案を受け入れたなら、それでこの場を収めてもらってかまいません」
予定調和であるかのように淡々と結論を告げる月城に対し、龍園は疑問を抱く。一年生が800cpでスタートしていることは把握済み、ならこの場合は現時点のcpから計算して請求額を決めるべきだ。
だが、月城は宝泉の案を通すことに躊躇いはない。
「──おい待てよ、本当に一年Dクラスのクラスポイントは800なのか? 試験当日、そしてその後の無断欠席。Dクラスっつー偏見を抜きにしてもそれなりにマイナスはくらうもんだぜ?」
「この期に及んでケチ臭えことごちゃごちゃ言ってんじゃねえよ、今の話を聞きゃ分かんだろ。一連の混乱を招いた責任の一端ってな。つまり俺らのクラスがマイナスをくらった原因も、突き詰めりゃお前のせいだ」
「ハッ、ガキの我儘の方がまだ可愛げがあるってもんだぜ」
クラスポイントの査定基準は口外できない、そんな学校側の決まりを逆手に取るこじつけに等しい横暴な立ち回り。
そして月城がそれを認めている以上、反論したところで意味をなさないのは自明の理。
「はぁ、お前ら……理事長代理の前でもその態度を貫く度胸は感心するが既に判断は終えられている。いい加減に折れろ龍園、今不利なのはお前だぞ」
「そんなことは分かってんだよ。ただ理事長代理程のお偉いさんが、こんなゴリラの言い分を優先するとは意外でな」
数秒後、一年生四人の端末がほぼ同時に震えた。一人につき、二十四万ポイントが龍園から振り込まれている。
書類にもこの契約が行われたことを残し、審議は終わりを迎える。
「なお──試験結果そのものに変更はありません。一年生が0点を取った事実は覆らず、ペアの合計得点も規定には達していない。したがって、規則に従い──」
一拍──茶柱と真嶋の表情は芳しくない、もう結果は分かっている。この学校ではこんなにも簡単に、有望な彼らの未来が潰えてしまうのだと。
「──二年Aクラスから神室真澄、鬼頭隼。二年Dクラスから須藤健、軽井沢恵。以上四名に対し、退学処分を下します。担任の先生方は、この後改めてお伝えください」
◇◇◇
──放課後。審議が終わった後の二年Dクラスは、まさに地獄絵図と化していた。
須藤と軽井沢の退学が決まった事に加え、一年間で積み上げてきたクラスポイントの半分以上を失った事でクラス全体が激しく揺れる。
そんな阿鼻叫喚の最中、掲示された試験結果で全教科満点を叩き出した綾小路の元へ佐藤が顔を蒼白にしながら詰め寄り。
「ねえ、綾小路君。なんで……なんでそんなに平然としていられるの……? 軽井沢さんは退学になっちゃったんだよ!? 綾小路君、軽井沢さんの彼氏なんでしょ!?」
佐藤の悲痛な叫びが響き渡り、騒がしかった教室内は静まり返る。
クラスメイトの鋭い視線が一斉に綾小路へと注がれ、全教科満点という異常な数値と恋人を失ったにも関わらず一切の動揺を見せない態度。
綾小路が悪い訳ではない、大多数の生徒は龍園の仕業だと頭では理解している。しかし理性的な意見を抜きにして──綾小路に不信感を抱く生徒が現れたのも事実。
──最初からこれが狙いだったのか。
一年間培ってきたDクラスの団結は、この一日で完全に霧散した。綾小路は少し気持ちを落ち着ける時間が欲しいと伝え、足早に教室を去る。
向かったのは、人気のない校舎裏の敷地──そこに、一人の少女が杖をついて待っていた。
「ふふ……随分と荒れた一日になりましたね、綾小路君」
二年Aクラスのリーダー、坂柳有栖。自身の側近である二人を同時に失った直後であるにも関わらず、彼女の表情には微かに楽しげな笑みすら浮かんでいた。
「お前の方も、災難だったな」
「ええ、ですが……ここまでの盤面を作り上げた誰かさんの手腕には、感心せざるを得ません」
そう言う彼女の瞳は一切笑っておらず、自分の手駒をくだらない作戦の一環として利用された事に強い怒りを抱いていた。
二人は、龍園が事件の犯人ではない事など分かりきっている。
「お互いに、白々しい前置きは不要でしょう。今回の件──ただの生徒が思い描けるような策ではありません。間違いなく、綾小路君を狙うホワイトルームからの刺客による仕業です」
「そうだな。最初から本命はオレじゃなく、オレを取り巻く環境そのものだったわけだ」
綾小路と坂柳は、互いの思考を擦り合わせるように推理という名の答え合わせを始めた。
「まず、ホワイトルーム生の目的……それは綾小路君の逃げ道を塞ぐことでしょう。私のクラスから真澄さんと鬼頭君の二人を狙ったのも、資金力が豊富かつ綾小路君の背景を知る私から駒を奪う為。仮に私がポイントで一人を救済したとしても、もう一人は確実に退学となる……非常に嫌らしい二択です」
「お前が実際に2000万ポイントを保持しているかの確認と、側近が切られた際にお前がどう動くかを観察するためのテストでもあったわけか」
「その通りです。そして一之瀬さんのBクラスをターゲットから外したのは、彼女たちが過去のクラス内投票で既に2000万ポイントを消費していることからわざわざ狙う価値が薄いと判断されたのでしょう」
「龍園を犯人に仕立てあげる上で、買収が始まる前にパートナーを捕まえていた一之瀬のクラスを狙うのは難しいというのもあるだろうな。欲張れば、それだけ龍園が犯人であるという説得力が落ちる」
龍園を犯人に仕立て上げつつも、決定的な証拠を作って退学にはさせずポイントの賠償請求に留めた。これはCクラスが2000万へ到達するまでの距離を遠のけさせる為と考えて良いだろう。
──もしここで龍園が退学になれば、オレがその枠に移籍するという選択肢が生まれてしまうからな。
「もしそうなれば、せっかく張り巡らせた策が瓦解してしまう。だからこそ、龍園君は生かさず殺さずのポジションに置かれた」
坂柳の分析は、綾小路の思考と完全に一致していた。
「そして……最大の犠牲を払わされたのが、綾小路君のいるDクラスです」
坂柳の視線が綾小路の顔へと注がれる。
「主力であり成長株だった須藤君、そしてクラスの女子をまとめていた中心人物である軽井沢さんを排除する事でDクラスに致命的な打撃を与えると同時に、全教科満点を取った綾小路君を浮き彫りにしてクラス内での孤立を促した」
「おまけに、他クラスへの移籍という逃げ道も潰された。オレが全教科満点を取って自力で退学を回避することまで、最初から見越していたってことだな」
「ええ。綾小路君を直接退学に追い込むのではなく、周りの駒を削り取ってから詰みに持ち込む……敵ながら見事な手際ですね。まあ、今の時点ではチェックメイトと言えませんがね」
ホワイトルーム生らしい冷酷かつ緻密な思考回路。
相手は綾小路清隆という存在の異質さを誰よりも理解しているからこそ、正面突破ではなく外堀を埋める策を選択したのだ。
「では……真犯人であるホワイトルーム生の正体ですが、心当たりはありますか? 私の方でも何人か目星をつけましたが、綾小路君の意見を聞かせて欲しいです」
坂柳は杖の先でこつこつと地面を叩き、思考を深める。
「一年Dクラスの宝泉、八神、七瀬の内一人は高確率でホワイトルーム生だと考えている」
「根拠をお聞きしましょうか」
「今回の事件、真犯人は被害者を名乗る一年生と繋がっている必要がある。その点、宝泉はあからさまに一年生を利用して龍園を嵌めるための立ち回りをしていた。その過程で八神が堀北と協力する事を敢えて見逃していた可能性がある」
「確かに、地元で繋がりがあるという噂の信憑性を高める為にも敢えて大胆な動きをした──そう考えることもできますね」
綾小路は頷いて坂柳の言葉を肯定する。宝泉は直接龍園と会ったことがあるわけではない為、本物の宝泉に成りすましたホワイトルーム生である懸念点は未だ否定できない。
「八神は事件のきっかけを作った張本人だ。最初からこの結果を狙っていたなら、合点がいく言動は多い。そもそも今回の事件で、四人の二年生が狙われたのは何故だと思う?」
「その質問は──何故狙われたのが四人だけなのか、という意味ですね。確かに、捨て駒を作れば作るほど私の戦力も削ぐことができる。そうしなかったのは、私のクラスに駒を使いすぎては本命の須藤君と軽井沢さんが狙えなくなるからでしょう」
一年Dクラスから堀北達に手を貸せる生徒が少なければ、狙い通りにペアを組める可能性も当然低くなる。二年Dクラスには学力EとDを足しても12人、そして一年Dクラスには学力B以上が11人。
そこから二年Aクラスと組んだ二人と一匹狼の宝泉を除き、今回の被害者である一年生を除けば八神と七瀬含み六人。
自然な形でペアを組む為にも、残りの六人で退学させる必要もない足手まといの生徒と組むことで結果的に選択肢を減らす形となった。
そして学力が低い生徒は龍園からの打診を受けていない為、使えば宝泉にとって不利な材料となる。
──坂柳のクラスを潰し切る選択を取らなかったのは、坂柳がクラスを切り捨ててオレと組むことを危惧したか……或いは同学年の他クラスまで敵に回すほどの余裕がなかったか。
「状況的に、一年Dクラス内で情報が完結しているのは明白だ。ただ、八神がホワイトルーム生だと言い切れる材料はまだない。七瀬か宝泉が裏で糸を引いている可能性も否定しきれないからな」
「そうですね。ちなみに、八神君と七瀬さんは私達もパートナーとしてスカウトしていました。橋本君によると、真澄さんと鬼頭君のパートナーになった一年生を推薦してくれたのは──七瀬さんのようですよ?」
「……そうか」
──ホワイトルーム生以外の一年生に、オレを狙う理由はないはず。なら初めて顔を見せに来たあの日に探るような視線を送ってきた二人と違って、何の反応も示さなかった八神は若干白いか……いや、それを判断材料にするのは危険だ。
それに綾小路のパートナーは退学したが、棄権させた生徒の目星はついていない。今の状況でホワイトルーム生を排除しようとすれば、今回よりも更に多くの退学者が出るだろう。
──今は、崩れたDクラスの立て直しを優先すべきだな。
「全員が均等に怪しく、そして全員がそれぞれの役割を完璧にこなしている……真の主謀者が誰なのか、一筋縄では尻尾を出さない構造になっていますね」
「ああ、だが──相手が本気で俺を追い詰めに来ていることだけは確かだ」
夕闇が迫る校舎の陰で、綾小路と坂柳の視線が静かに交差する。
手駒を削られ、逃げ道を塞がれ、孤立させられたこの絶望的な状況。
恐らく次に他学年合同の特別試験が起きた時──相手は決着をつけに来るだろう。
「ホワイトルーム生を潰す時が来たら──是非お手伝いさせてくださいね、綾小路君」
「……ああ、困ってたら力を借りることにする」
綾小路は話を終えると、踵を返してその場を去る。
今後の展開次第では手強い相手になってくるだろう、だが。
──オレがホワイトルーム生に負ける道理はない。
補足:坂柳は事件に乗じて無人島の時に葛城が龍園と結んだ契約をタダで破棄するよう要求したかったが、あくまで当事者は宝泉達と龍園であると教職員から拒否された。
現状綾小路の中で宝泉・八神・七瀬は全員同じくらい怪しい。ただ天沢は一切接触していないので今のところ視野に入っていない。
綾小路の懸賞金も知らされていないので、二年生は一年生に対する警戒が薄い。