憑依八神君がどうにか綾小路を退学にさせようと奮闘する話 作:bb
四日目──全生徒のタブレットに上位十組と下位十組が開示された。
画面に並んだグループ──そこに刻まれていたのは残酷な現実。下位十組の内、過半数が一年生のグループだったのだ。
上級生は既にクラスの枠組みを超えた組織的な陣取りと課題の独占を行っているのに対して、一年生は三年生のような結束力も、二年生のような経験値も持ち合わせていない。
もし八神がDクラス以外に所属していれば、間違いなく一年生全体で協力するよう事前に策を敷いていただろう。
この試験の本質は学年対抗戦であり、一年生がクラスポイントを競い合うのは愚策でしかない。
それに気づき、行動できなかった時点で後手に回るのは当然の帰結。
時間の経過と共に、一年生達の焦燥は募っていく。
六日目には全生徒の位置情報を把握できるGPSサーチが解禁された。
生徒達はタブレットを手に互いの位置を把握し、上級生による一年生狩りはより一層洗練された攻撃へと変わっていく。
そして同日の夜。
この展開を最初から予想していたのか、特別試験開始前に各クラスの代表者で集まることを提案していた椿桜子の元へ数名の一年生達が集結していた。
Aクラスの代表者は離席し、Bクラスの代表者は到着が遅れているのでこの場にいるのはCとDの代表者だけだが。
「てっきりDクラスは八神君が代表として来るのかと思ってたけど、まさか七瀬さんが来てくれるなんてね」
「伝達は誰でもできるので、それなら体力に自信のある私が来るべきだと判断しました。それとも、八神君に来て欲しかったですか?」
七瀬に顔を向けることなく、焚き火に視線を預けながら椿は首を横に振った。
「いや? むしろ七瀬さんが来てくれてありがたいと思ってるよ。八神君って人畜無害そうな顔してるけど、何考えてるか分からないタイプだからさ。嫌いじゃないけどやりづらいんだよね」
八神から全てを聞くまで疑いすら持たなかった七瀬とは違い、椿は類い稀なる洞察力で八神が見た目通りの優等生ではないと感じ取っていた。
「椿さん、他の生徒が集まる前に少し聞きたいことがあります」
「何……?」
「何か大きなことを企んでいますよね? この集合が試験中に提案されたものであれば、下位グループの救済が狙いだと判断できます。しかし椿さんは試験開始前に予め集合をかけてました」
椿は視線だけを七瀬に向け、口の中で飴を転がす。
「単なる中間報告ではなく、他に大きな目的があると私は睨んでいます。Cクラスも、水面下では綾小路先輩の退学を狙っているんじゃないんですか?」
「ふうん……Cクラスも、ね。現状を見越して提案したとは考えないんだ?」
「それなら、グループ決めの段階で一年生が一つにまとまる提案をしていたはずです。敢えてそれをせず、一年生が協力しなければいけない今のような状況を虎視眈々と待っていたのでは?」
ここまで大した活躍をしていない椿が協力や集合を事前に提案したところで、従う生徒はいない。
しかし今となっては一年生の全クラスが手を取り合わなければならない程追い詰められている。
事前に承諾など得られずとも、彼女の案に縋らざるを得ないのは必然だった。
「まあ隠しても意味ないし、七瀬さんが協力的だから今の内に話してもいいけどさ。なんか私の考えが全部読まれてるみたいで嫌な感じよね」
「私達の考えてることが一緒というだけではありませんか?」
「そうかも。ただ、私に策があることを見越して今まで静観してたのが気に食わないってだけだから。あと、答える前に一つ聞かせて。宝泉君含めDクラスの協力は得られるってことでいいの?」
「内容次第ですが、余程のことがない限り悪い返事はしないと思ってください」
そして椿の口から語られた策は、一年生の救済と綾小路の退学を両立するもの。
今から一年生で固まったところで下位グループを全て救済できる保証はない、なら単独参加の生徒──綾小路に包囲網を敷き、暴力でリタイアさせて下位五組の枠を一つでも良いから埋めてしまおうというシンプルなプラン。
しかし、シンプルだからこそ穴も多い。
「それで学校側を騙し切れるとは限りません。特に綾小路先輩と戦う一年生には大きなリスクが付き纏うのでは」
包囲網を敷いて綾小路を抑え込められたとしても、暴力という禁止行為を行うリスクからは逃れられない。
「その時は喧嘩両成敗。売り言葉に買い言葉で、どっちも退学させてしまえばいい。一年生からは、皆に指示を出した首謀者として私が退学するからさ」
「え?」
予想外の提案に驚き、七瀬は目を見張る。
「私この学校に未練とかないのよね。それに私とグループを組んでる子達にはポイントと半減カードを持たせてるから」
グループに責任が渡っても大丈夫だと椿は答えるが、結局椿のグループが下位三組に入ってしまえば意味がない。
椿が全責任を被ると言えど、それに甘えた立ち回りはするなということだろう。
その後、代表者が集まって会議が始まり──全クラスで結託することが決まった。
七瀬は椿達と別れ、テントの中で横になりながら先日八神から伝えられたことを思い返す。
五日目の夜に二人きりで話した時のことを。
「──という提案を椿さんはしてくると思う。七瀬さんが賛成するのは勿論、他クラスの生徒が判断に悩んでいたら後押ししてあげて欲しい。この状況で誰もが避けたいのは、孤立することだからね」
「それは構いませんが、どうして椿さんが綾小路先輩を狙うと思ったんですか?」
「そもそも一年生のことを最優先に考えているなら、宇都宮君を説得して最初から一年生全体でまとまるべきだ。それをしなかった時点で、彼女の優先順位は救済よりも先輩の退学である可能性が高い」
一年生の救済など、外聞の良い口実でしかない。椿桜子がOAAの数値以上に賢い人間であることは察しがついていた。
発言力や行動力が欠けているタイプでもない、であれば事前に宇都宮を動かさなかった時点で何がしたいかを読むのは八神にとって朝飯前だ。
「もしDクラスを省いた三クラスで最初から固まっていても、結果は変わらない。なら何もせず待った方が得さ。椿さんの作戦を完遂するには、僕達が必要不可欠だからね」
「印象が悪いDクラスを他が受け入れられるようにってことですね」
八神は静かに頷く。
もし仮に椿が動かなかった場合や一年生のグループが下位に沈んでいなかった場合の策も彼は考えていたが、七瀬が疑問を抱かないなら語る必要はない。
「しかし、包囲網を敷いたとして上手くいくでしょうか。綾小路先輩も無警戒というわけではないでしょうし、最悪一年生だけが退学するケースも考えられます」
「そうだね。でもいくら綾小路先輩だろうと、この無人島で得られる情報には限りがある。僕や七瀬さんのような刺客が何かを仕掛けてくると考えることはできても、確証自体は得られない」
闇討ちされるかも、食料や飲水に細工されるかも、荷物の中に女子生徒の持ち物を入れられるかも、そういうあらゆる可能性を考慮して綾小路はこの二週間を過ごさなければならない。
もし包囲網に気づかれたとしても、綾小路が動かせる駒には限りがある。
今後何が起きるか分からない中、四月の段階でAクラスとDクラスの主力を削った甲斐があったというもの。
「綾小路先輩が生徒に頼るとすれば、坂柳先輩が第一候補だろうね。でも、彼女は二年生の三クラスで組んだ最強グループの一員として上位を維持し続けている」
八神が一之瀬帆波に接触せずとも、坂柳は交渉を成立させてくれた。お陰で三クラスは一つにまとまり戦力を集中させたことに加えて、上位にまで食い込んでいる坂柳グループは南雲率いる三年生の相手に手一杯で八神達に全力を割けない。
「……怖いくらいに順調ですね」
七瀬はテントの中で独り言ちる。
坂柳も、堀北も、椿も、宇都宮も。
誰もが自分自身の強い意志や利害関係に基づいて判断し、最良と思う一手を選んでいるはずだった。外部から誰かに強制されたわけでもなく、己の知略や感情に従って動いている。
だからこそ、質が悪い。
──誰一人として、操られていることに気づいていない。
まるで無人島そのものが目に見えない広大なチェス盤となり、全ての生徒が知らず知らずの内に八神の指す駒として配置されているかのような錯覚すら覚える。
彼から七日目以降は単独で動くと聞かされているが、果たして自分は彼の思惑通りに邪魔をせず動けるのだろうか──そう不安がるのも無理はない。
凡庸な七瀬と比べ、ホワイトルームで培った圧倒的な能力を有している八神でも綾小路清隆の足元にすら届かないというのだから。
七瀬は暗闇の中で小さく息を吐き出し、胸の上に置いた拳を静かに握りしめた。
◇◇◇
七日目の朝──単独でスタート地点へと戻っていた八神は、周囲の生徒や教員の目を避けながら月城の元へ辿り着く。
モニター室にいる彼を呼び出そうとしたが、その必要もなく彼の方から外に出てきてくれた。
生徒のGPSを常にチェックしている月城はすぐ近くに八神が潜んでいることを当然のように把握しているはずだ。
だから呼び出さずとも出向いてくれたのだろう。
「さて、今日も見回りに行くとしましょうか」
周囲に聞こえるような声でわざとらしく独り言を呟くと、月城は森の奥へ向かって歩き始める。
十分に周囲から遮断されたエリアへ誘導されたと判断した八神は気配を隠すのをやめ、月城の前に姿を現す。
彼は驚く素振りすら見せず、胡散臭い笑みを浮かべたまま振り返った。
「それで、用件をお聞きしましょうか」
「僕の計画に協力してください。不確定要素を潰すためにも貴方の力が──」
八神が提案を切り出したまさにその瞬間、彼らの近くからどこか怯えを含んだ控えめな声が響いた。
「あのー!」
言葉を途切れさせた八神と月城が同時に声のした方角へと視線を向ける。
木々の隙間から姿を現したのは、二年Cクラスの一之瀬帆波。その表情には明らかな疲労と困惑が滲み出ている。
「えっと、一之瀬先輩……ですよね?」
「あ、うん! 君は確か、八神君だよね」
「はい。一年Dクラスの、八神拓也です。それで、どうされたんですか? 理事長代理に用があるなら外しますけど」
その言葉を聞いて一之瀬は慌てて状況を説明し始める。
どうやら一之瀬は故障していた腕時計を取り替えるため、グループと別れてスタート地点を目指していた。しかしGPSを失ったことで方向感覚が曖昧になり、迷子になっていたようだ。
大人だけでは警戒されてあしらわれるか、試験の公平性が云々と突っぱねられるかもしれない。だが、そこに生徒──八神の姿を確認した一之瀬は窮地を脱するため藁にもすがる思いで思わず声をかけたらしい。
「だから、スタート地点がどこかだけでも教えてもらえないかな〜と思って……どうかな?」
「そういうことなら、僕がスタート地点まで付き添いましょうか?」
尾行されていたはずがない上に八神が話し始めた段階で姿を現したことから、本当に道に迷って偶然出くわした可能性が高いのは間違いない。
ここで過剰に警戒し、手をあげるのは得策ではないが──。
「いやいや! それは流石に申し訳ないよ」
「一之瀬さん、スタート地点の港ならこの先を150メートルほど進んだところです。雲行きが怪しいので急いだ方がいいでしょう」
月城は八神を牽制するように一歩前へ出て、一之瀬に道を教える。
丁寧に感謝を告げ、その場を去っていった一之瀬の背を目で追いながら八神は口を開き。
「わざと逃がしましたね。まあ、特に支障は出ないと思いますが……脅しくらいはしておいた方が良かったのでは?」
「聞かれて困るようなことは話していないでしょう。それに彼女は一般人、我々といえど迂闊に手はあげられません」
問題はそこではない。八神が月城といるところを綾小路の知り合いに目撃された、それだけで一之瀬を排除するには十分だ。
そもそも綾小路を追い詰めるためには情報不足を強いるのが最重要だと八神は考えている。
懸賞金の件もそう、彼の警戒対象が一年生全体ではなくホワイトルーム生だけである内に意識の外から狩るべきだ。
しかし、予想外のことが起きてもそれを利用できる状況に身を置くことが肝要である。
「……話を戻します。改めて、僕の計画に協力して頂きたい」
「私のバックアップが欲しいと? ですが無茶をすれば、かえって貴方の首を絞めることになりますよ」
「相応のリスクは払うべきだと思いますが」
「──君はそうでしょうね」
やはり月城に綾小路を退学させる意思はない──というより、どちらに転んでも動けるように傍観しているのだろう。
このまま八神には綾小路の踏み台になってもらう、そんな意思が言外に読み取れる。
「君は五期生で最も優秀な子です、私の協力などなくとも彼を退学させることは造作も──」
「凡庸ながらも優秀で、凡庸ながらも未熟で、凡庸ながらも才能を持っている。そういう者こそ、時に悪を打ち倒すことができる──でしたか。貴方の持論は」
月城の貼り付けたような笑みがわずかに硬直する。
「その台詞は……なるほど、彼女は君のことを随分と信用しているようですね」
「ええ、全て話してくれましたよ。貴方が松雄栄一郎を救ったのも善意ではないでしょう? 悪い大人ですね」
脅されている、そう解釈した月城は穏やかな笑みを浮かべながら軽く肩をすくめて見せた。
「なるほど。ですがね八神君、彼女が君に懐柔されてしまうことは入学の段階で織り込み済みです。彼女を人質に取ったつもりかもしれませんが、私を脅すカードとしては少々弱いのでは?」
むしろ余裕を覗かせ、八神を試すように視線を向ける。
「それに天沢さんのこともあります。自分の足元を見ずに、私を脅すのは得策ではないと思いますがね。彼女が傷つくのは、君としても避けたい展開でしょう」
「だから何です? いつまでもその脅しが通用すると思っているなら、今すぐに認識を改めた方が身のためですよ」
八神は静かにタブレットを取り出すと画面を月城に向け、GPSサーチを使用する。
画面上では七瀬と天沢が二人きりでマップの端に位置しており、周りには誰もいない。
「僕が合図を送れば、天沢は躊躇なく七瀬を潰します。肉体的にも精神的にも二度と立ち上がれないよう徹底的に痛めつけ、再起不能にしてやりますよ」
「一般人に手をあげれば、損をするのは君達の方ですよ」
「そうですね、七瀬を潰すのは僕らにとっても貴方にとっても得がない。ですが、長期的なプランを練っている貴方の方が痛手になるのは間違いありません──貴方が協力してくれれば、確実に先輩を退学させられます」
確信を込めて言い放つ八神に対し、月城は試すような笑みを浮かべたまま静かに首を横に振った。
「この世はギブアンドテイク、それは分かりますね? 八神君」
「……貴方の協力に釣り合う対価なんて持ち合わせていませんよ」
月城からしてみれば、八神が綾小路に敗れるだけなら痛くも痒くもない。
しかしこのまま七瀬を失い、八神と天沢もあの場所へ戻ることになるのは望ましくない展開だ。
「対価なら、十分ありますよ──」
そう告げ、ゆっくりと人差し指を伸ばし──八神を指した。
「以前から思っていたのですが、やはり君をただの踏み台として終わらせるのはあまりにも惜しい。卓越した能力、そしてその精神性。有り体に言ってしまえば、君が欲しいのですよ」
「ホワイトルームではなく、貴方につけと?」
「君のことだ、元々ホワイトルームへの忠誠心など持ち合わせていないでしょう。であれば、今回の試験では君の意志を尊重して力を貸します。その代わり七瀬さんには手を出さず、君が敗れた場合は以後私の協力者として指示に従って頂きたい」
八神からしてみれば、取引だろうと脅迫だろうと月城の協力が得られるなら手段は何でも良かった。
どちらにせよ綾小路を退学にしてしまえば、それで月城との関係も終わりなのだから。
どんな要求をされようが、八神が綾小路に勝ってしまえばそれまで。
──どちらにせよ、僕では勝てないと確信しているのか。
月城が協力することを承諾したのは、綾小路を退学させるためではなく八神の心を折るためだろう。
「分かりました、その条件でお願いします」
「結構。では、具体的にどうして欲しいのかをお聞きしましょうか」
八神は静かに頷くと、周りを確認した後自身の要求を語り始めた。
無駄のない言葉で淡々と紡がれていく彼の言葉に、月城は静かに耳を傾ける。
「──可能ですか?」
「構いませんが、それ以上のフォローはできませんよ」
「十分です。ありがとうございます」
承認を得た八神は頭を下げ、足早にその場を去った。
◇◇◇
綾小路はテントを叩きつける大雨の音に耳を澄ませながら身体を横たえ、現状を整理していた。
単独参加ながら指定エリアの踏破と課題消化は順調で、下位十組からは遠い安全圏をキープできている。しかし気がかりなのは、ホワイトルームからの刺客について。
前半戦で何らかのアクションがあるかと警戒していたが、目立った動きはない。
GPSサーチで割り出した他グループの動向にも不審な点はなく、警戒していた宝泉グループも普通に試験をこなしている。
──坂柳の方も、一年生からの接触は今のところないと聞いている。やはり仕掛けてくるならば、体力を消耗した後半戦だろうか。
月城だっていつまでも学校に居座れるわけではない。坂柳理事長が戻ってくれば、他学年混合の試験はほぼ無くなるだろう。
そうなればホワイトルーム生は綾小路に接触する機会が減り、後ろ盾も消える。
不気味なほどの静けさ。綾小路の目が届かない場所で何が動いているのか──不穏な気配を感じ取りながらも迂闊な行動はできず、ただ静かに目を閉じた。
◇◇◇
八日目──天候は回復し、綾小路はF7で思いがけず堀北、一之瀬の二人と遭遇していた。
「試験も折り返しだけれど、貴方の方は順調?」
「まあ、悪くないペースだ。堀北達の方は……聞くまでもないか」
坂柳率いる二年生の最強グループは先日大グループを組み、現時点で上位五組以内に位置している。
言うまでもなく、好調だろう。
「ええ、私達のグループも大きな問題なく得点を重ねられているわ。ただ、やっぱり三年生は手強いわね」
単独で一位争いをしている高円寺にはあえて言及を避ける堀北。
すると隣にいた一之瀬が、少し困ったような苦笑いを浮かべて口を開いた。
「そういえば私、昨日腕時計が故障しちゃってスタート地点まで戻ったんだけど、戻る途中で危うく迷子になるところだったんだよね。綾小路君も気をつけてね? 腕時計、結構壊れやすいみたいだから」
綾小路は不思議そうに首をかしげ。
「誰かと一緒じゃなかったのか?」
「それがちょうど指定エリアが出たタイミングでさ、一点も無駄にできないから私一人で戻ったんだよね。途中で理事長代理から道を聞けて良かったよ〜」
「一応、試験中といえど道案内くらいはしてくれるんだな」
淡々と返すと、一之瀬はパッと表情を明るくして言葉を続けた。
「うん、私も最初は教えてもらえないかもって不安だったんだけど……理事長代理の傍に一年生がいたから、その子に教えてもらおうと思って聞きに行ったんだよね」
「──理事長代理の傍に、一年生がいたのか?」
思わぬ情報に、綾小路の声のトーンがわずかに落ちた。一之瀬は何の疑いもない様子で頷く。
「うん。Dクラスの八神君が居てね」
「一之瀬さん、彼と知り合いなの?」
脇から堀北が興味深そうに尋ねると、一之瀬は手を軽く振って否定した。
「パートナー筆記試験の時に学力が高い生徒の顔と名前を覚えてただけだよ。話したのは昨日が初めてかな」
「そういうことね」
堀北は納得したように頷いていたが、綾小路はそう簡単に流せる内容ではない。
何故、試験の最中に月城と一年生の八神が二人きりで接触していたのか。
通常であれば、たまたま居合わせただけで片付けられる場面かもしれない。だが、相手は月城だ。生徒とプライベートな雑談を交わすような男ではない。
「八神は、理事長代理と何か話してたのか?」
「えっと、どうだろ? 見かけた瞬間に声かけちゃったから……」
月城とホワイトルーム生、どちらも侮れない狡猾な人間だ。
八神が月城と接触していたという事実はあれど、その情報を頼りにするのは危険であると綾小路は判断する。
──オレなら、そこまで迂闊なことはしない。
一之瀬がその場に居合わせたのは偶然だろう。
しかし、わざわざ朝に森の中で密談を行うなど正体を隠している人間が取る行動ではない。
加えて五体満足でその場から離れられたということは、少なくとも月城にとってその場を見られたのは致命的な問題ではないらしい。
或いは、見られることそのものに意味があったのか。
何かしらの思惑があると考えられるが、それが何かまでは分からずにいる。
──備えようにも、今出来ることは限られてるな。
同日の夕方、堀北達と別れた綾小路は水分補給と状況確認を兼ねてスタート地点へと足を運んでいた。
水を飲んだ綾小路は、目的の生徒──坂柳の元へ一直線に向かう。
「こんにちは、綾小路君。一之瀬さんから話は聞きましたか?」
「ああ。やっぱり面倒事は避けられなさそうだからな、お前の力を借りたい」
「八神君はほぼほぼホワイトルーム生で確定でしょう。先に潰しますか?」
「……いや違う」
好戦的な笑みを浮かべる坂柳に少し慌てる綾小路。暴力だけが生徒を潰す方法ではないにしても、今の坂柳が八神の相手をするのは相当荷が重いだろう。
──もし八神がホワイトルーム生なら、相当手強い相手であることは間違いない。
人の目が多いスタート地点で生活している坂柳といえど、絶対に身の安全が保証されているわけでもない。捨て駒を使って坂柳を物理的に潰す、なんてことが起きても何らおかしくない。
「いざという時、すぐに動けるようお前と連絡を取り合える状況を作っておきたい」
「なるほど、ではこちらをどうぞ。予備のものです」
事前に用意していたのか、坂柳は使われていないトランシーバーを綾小路に渡す。
「随分とあっさり渡してくれるんだな」
「本当なら貸し一つ……と言いたいところでしたが、蚊帳の外から高みの見物が出来る状況でもありませんからね。対価を求めるのはまたの機会ということで」
助かる──そう短く告げ、綾小路はその場を去った。
◇◇◇
そして、九日目の夜。
トランシーバーから小さな電子音が響いた。応答すると、ノイズを交えて坂柳の声が届く。
『こんばんは、綾小路君。興味深い情報が入りましたので、お伝えしておこうと思いまして』
「情報?」
『ええ。つい先程、八神君がリタイアしました。船へ戻っていく彼の姿を、Aクラスの生徒が確認しています』
「──リタイア? 体調不良か?」
『ええ、そのようです。彼が体調不良でリタイア扱いとなり、所有していた保険のカードによって24時間の回復猶予が与えられたようです。真嶋先生から証言も得ています』
目撃情報と、真嶋の証言。それらが揃っている以上、八神が体調不良によって一時戦線離脱したという事実はほぼ間違いないものと見ていいだろう。
──だが、このタイミングでか……?
勿論、どんな人間であれ体調不良には抗えない。保険を所持しているなら迷うことなくリタイアし、回復を優先するだろう。
しかし一之瀬から聞いた月城との接触、そして九日目に来て急なリタイア。
確証はない。だが、この不自然な出来事の裏に何かが潜んでいる懸念を綾小路は拭いきれずにいた。